1. 2015年11月04日 06:52:49
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他国の紛争は放置するのが正しい対応 国連・多国間組織・NGOの介入は必ずしも平和をもたらさない 2015.11.4(水) 部谷 直亮 ロシア、シリアの反体制派に航空支援申し出 日本は地域紛争に関与すべきなのか? シリア・アレッポ郊外の村に向かうシリア政府軍の兵士ら(2015年10月24日撮影、資料写真)。(c)AFP/GEORGE OURFALIAN〔AFPBB News〕 世界の地域紛争に日本はどのように関与するべきなのか。関与の方法について見解の対立はあるにしろ、日本が地域紛争に何らかの形で関与すべきだという声は多く聞かれます。 しかし、米国では16年前に歴史家の「紛争は放置した方が平和になる」という主張をきっかけに論争が繰り広げられ、その後、統計データなどの実証研究からもそれを示唆する結果が出ています。 今回はその主張を踏まえ、日本の紛争への関与のあり方について考えてみます。 ルトワックが引き起こした大論争 日本でも戦略論の権威として知られ、安倍首相にもアドバイスを度々行っているエドワード・ルトワックは1999年8月、外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」に「地域紛争は放置した方が人道的である」とする趣旨の論文を寄稿し、大論争を引き起こしました。 その主張は次のように要約できます。 * * * * 今やあまりに多くの紛争が終わりなき戦いとなっている。その理由は、紛争勢力の一方の圧倒的な勝利、あるいは双方の疲弊という、戦争を終結へと向かわせる力学が外からの介入によって妨害されているからである。 国連平和維持活動、多国間組織による介入、国連やNGOによる難民支援は、逆に紛争勢力の体力と敵愾心を回復させるだけで、争いを永続化させるだけだ。 難民支援も同様に問題だ。国連難民救済事業機関による活動は、災禍を逃れてきた民間人を「一生をそこで終える難民」に仕立て上げてしまった。そして、子々孫々も難民となった。その結果、パレスチナ難民は憎しみを抱えたまま永続化している。 NGOも同様である。NGOのわけ隔てない人道支援は、劣勢にある勢力を支援することになり戦争を長期化させている。実際、ルワンダではNGOが難民キャンプを作った結果、政治的統合が遠のいただけでなく、フツ族は民族性を維持し、ツチ族を攻撃し、ルワンダの平和は程遠くなった。 政策エリートたちが、悲惨な状況にある人々のことを心配し、平和の到来を早めたいと願っているのなら、救済という感情的衝動を拒絶し、紛争を放置し、平和への力学を復活させる必要がある。 難民支援もキャンプを作るのではなく、本国送還もしくは他国社会への統合あるいは移住推奨をすべきだ。平和が根付くのは戦争が本当に終わった時なのだ。 * * * * 当時、こうした主張にはリアリスト、リベラリストの双方からの批判が相次ぎました。 前者からは、「地域紛争による不安定化が米国に波及したらどうするのか?」という趣旨の反論が多くなされました。また、後者からは、「多国間和平協定が戦争の数の低下をさせた例はいくつもある。国連とNGOは、内戦への調停に関して誰よりも多くの経験を積んでいる」という批判が数多く寄せられました。 ルトワックはそれらに積極的に反論を行いましたが、ある種の水掛け論となってしまい、議論の結果は出ませんでした。 しかし、その後の統計データを中心とする調査では、ルトワックの仮説を証明するような結果が相次いでいるのです。 統計データが証明したルトワックの正しさ 例えば、サイモン・フレイザー大学の「人間の安全保障センター」が2006年に過去の数々の紛争を検証した結果は、片方の勝利によって終結した戦争の内、5年以内に再発生する確率は15.5%。それに対して、和平交渉で終わったもので5年以内に再発生する確率は28.7%でした。和平交渉で終わった戦争の方が明らかに戦争再発の確率が高かったのです。 これは日本で考えてみても明らかでしょう。もしも太平洋戦争が1943年に停戦できたとしても、おそらくは再戦に及んでいたでしょう。日本は、海軍の機動戦力の喪失、本土の焦土化、ソ連参戦、原爆投下等によって、ほとんど完膚なきまでに戦意を砕かれたからこそ、現在に至るも、米国に対して反抗や報復をしようという世論は少数にとどまっています。 また、最近のウクライナ、シリア、パレスチナでの紛争を見ても、「武力衝突→周辺国等の調停→停戦合意→双方が戦力を拡充→戦闘再開」というパターンを繰り返しており、先述の結果を裏付けています。 他にも、ニューヨーク州立大学教授のパトリック・リーガン等の研究が同様の方向を示しています。彼は、最近の153の武力紛争を分析した結果、「外部の軍事的・経済的関与が、紛争を長期化させ、互いの憎悪を上昇させて、内戦の終了を程遠いものとしている」と結論付けています。 さらにオックスフォード大学教授のモニカ・トフトは、1940〜2007年の紛争を対象とした研究した結果、「和平交渉で終わった紛争は、勝利で終わった紛争と比べて内戦が再発する確率が明らかに高い。しかも、その場合はより多くの死者と破壊を生む破滅的な紛争となってしまう。また民主化や経済成長も起きにくい」としています。 もちろん、こうした統計の解釈についての反論も起きていますし、外部の調停が有効という趣旨の研究も出ています。しかし、ルトワックの主張を裏付ける研究がいくつも出ていることも確かなのです。 ルトワックの主張の方向へ進む現実の世界 何より注目しなければならないのが、実際の国際政治の動きがルトワックの主張へと向かっていることです。 その好例はシリア問題でしょう。欧米諸国は、アサド政権の存続を絶対に認めるべきではないとし、反政府勢力を支援してきました。他方、ルトワックは、シリア問題について、「決着がつくまで放置すべきだ」、もしくは「どの勢力が勝ち抜いても反米政権になることが見えている以上、長期的な膠着状態に持ち込むべきだ」と繰り返し主張してきました。 しかし、今やドイツ、オーストリア、スペインがシリア内戦終結のためには、アサド政権との対話が不可欠であるという立場に転換し、米英等でさえ「アサド政権の即時退陣」という主張は後退しています。ロシアによるアサド政権支援についても、実際の行動はほとんど黙認に近いものです。 これは明らかにこれまでの介入主義から、アサド政権による支配もしくは膠着状態の継続を是とする、ルトワック流の非介入主義へと進んでいるというべきでしょう。 こうした傾向は、武装勢力が割拠するリビア、ボコハラムが猛威を振るうナイジェリアに対する欧米の姿勢とも共通しています。 かつて、ドイツのシュミット元首相は、「解決できる問題は解決すべきである。しかし、解決が難しい問題は平然と放置するよりほかないのも事実だ」と喝破し、過度の介入主義を批判しましたが、今やその通りの展開になりつつあるのです。 日本が果たすべき「世界的な責任」とは では、こうした世界の現状が日本に対して示唆することとは何なのでしょうか。 それは、平和的であれ軍事的であれ、国際紛争に何らかのか形で関与すると、人道面、安全保障面で逆効果となってしまう場合もしばしばあるということです。 シリア問題での中途半端な軍事介入と支援は、紛争をさらに悪化させただけでなく、多くの難民の欧州への流入を生むことにもなってしまいました。こうしたことは、日本が紛争に対して、積極的であれ消極的であれ、関与することに慎重であるべきだということを示唆しています。 「日本の世界的な責任」などという議論が行われることがありますが、そもそも自衛隊にそのような能力はありません。離島防衛体制すら途上であり、 南シナ海ですら展開できるかどうかが議論されており、主力艦艇47隻、補給艦はたった5隻しか保有していない国家には難しいでしょう。我が国の財政状況は厳しいものであり、人口に至っては毎年、目黒区に匹敵する数が日本から消えています。国力にもそうした余裕はないのです。 むしろ「日本の世界的な責任」とは、経済大国としてグローバル市場の雇用と需要と成長に寄与すること、金融危機発生時に米国を含む周辺諸国に協力すること、中国という不安定な大国を安定化させ平和国家に導くこと、難民をより受け入れて社会的統合に導くこと、などが当てはまります。 日本はいま一度、紛争への介入が人道的な結果を生むのか、それが安全保障上の優先順位として高いものなのかを考え直すべきなのではないでしょうか。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45139
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