http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/850.html
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亀井静香衆院議員も参加された東大のシンポで、安倍安保法案の国際関係として東大教授から重大な指摘がされた。
石川健治(法)教授が指摘:
「9月18日は満州事変勃発の日。その日の強行採決は安全保障へ脅威をもたらす」と指摘
したそうだ。スゴイことだ。
中国人は、関東軍によるカイライ満州国デッチアゲの9月18日を国恥記念日としているそうだ。
その918に合わせて、安倍自民公明党内閣は、あの自ら対中国のためのものだと吹聴してきた法案の強行採決をやっているというのだ!これは相互の民族の内心に憎しみの火を点けようとしていると言わねばならない。
その918に合わせて、安倍自民公明党内閣は、あの自ら対中国のためのものだと吹聴してきた法案の強行採決をやっているというのだ!これは相互の民族の内心に憎しみの火を点けようとしていると言わねばならない。
918を焦点にして企図をするとは、また挑発を再演しているというだけにとどまらないことになる。
これまでその度毎に偶然だヨとアナウンスしてきたことどもが全部つなげてしまって意図的で符号的の、長期目的実現ための計画的挑発連打であったのだヨと総括して見せているということになってしまうはずだ。
これまでその度毎に偶然だヨとアナウンスしてきたことどもが全部つなげてしまって意図的で符号的の、長期目的実現ための計画的挑発連打であったのだヨと総括して見せているということになってしまうはずだ。
じゅうぶんに国際関係を「配慮した上で」やっているわけだろう。
(旧軍の対中侵略(第二次上海事変)に使用した空母「出雲」「加賀」と同じ名前を、沈没させられた船の名前を今度は平仮名で附けてみせたり、全長もほぼ同長にしてみたり・・・
安倍晋三がぢぇスチャーする戦闘機に斜め右下がりの矢印添えで731と書いてみたり・・・)
(旧軍の対中侵略(第二次上海事変)に使用した空母「出雲」「加賀」と同じ名前を、沈没させられた船の名前を今度は平仮名で附けてみせたり、全長もほぼ同長にしてみたり・・・
安倍晋三がぢぇスチャーする戦闘機に斜め右下がりの矢印添えで731と書いてみたり・・・)
これまでつみ重ねてきたことは、意図的にやってきたことだったと、これ918で政府自らハッキリさせたわけだが、では、
これらがわざわざ何のため誰のために、念入りにとり行われているのだろうか、その先にどんなとてつもない大きなものがあるか。
広渡清吾前日本学術会議会長曰:
隣国との戦争に用いられた名前はこれから戦争を回避するためには避けるべきだろう。が、
なお沈没させられた旧軍艦船の名前をつけるというのも縁起の悪さは尋常でないところ、いまやさらに甲板に不吉の不の字が「不不不不」と書いてある(!)のは何故だろう?
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「国民より米国の意思を優先する政府はわれわれの政府とは言えない」
ブロゴスから〜〜〜〜引用開始、
http://blogos.com/article/132880/
(しんぶん赤旗 2015年09月09日 09:31)
http://blogos.com/article/132880/
(しんぶん赤旗 2015年09月09日 09:31)
「戦争法案廃案 声上げねば/東大人緊急シンポ/学生の行動に勇気・息長くたたかう」
(投稿者、勝手に改行)
(投稿者、勝手に改行)
戦争法案を廃案に追い込もうと東京大学関係者が8日、「東京大学人緊急シンポジウム」を同大学で開き、350人が参加しました。
広渡清吾前日本学術会議会長は「国民より米国の意思を優先する政府はわれわれの政府とは言えない。学生の運動は国民に勇気を与えている」と語りました。
石川健治教授は「9月18日は満州事変勃発の日。その日の強行採決は安全保障へ脅威をもたらす」と指摘。
栗田禎子前日本中東学会会長は「憲法の平和主義は日本外交の最大の資産。米軍との協力は日本を加害者にする」と発言。
石田憲千葉大学教授は「立憲主義の破壊は将来にわたり深刻な状況をもたらす」とのべました。
学生が発言しました。集会では、一人ひとりが声をあげれば法案を廃案にできると呼びかけるアピールを採択しました。
元自民党政調会長の亀井静香衆院議員が卒業生として「日本はがけっぷちにいる。息の長いたたかいを」と激励。同じく卒業生で日本共産党の宮本徹衆院議員が国会論戦を報告し、廃案への決意をのべました。
6月末に同実行委員会が呼びかけたアピールへの賛同者は901人(8日現在)になっています。
〜〜〜〜以上、ブロゴス引用終了。
「ヘリ護衛艦」の不吉と、安倍内閣挑発の由来と行く方。
(画像:
http://www.47news.jp/CN/201503/CN2015032501000894.html )
(画像:
http://www.47news.jp/CN/201503/CN2015032501000894.html )
隣国との戦争に用いられた名前はこれから戦争を回避するためには避けるべきだろう。が、
なお沈没させられた旧軍艦船の名前をつけるというのも縁起の悪さは尋常でないところ、いまやさらに甲板に不吉の不の字が「不不不不」と書いてある(!)のは何故だろう?
また「いずも」に関して言えば、どうしても平仮名でというなら多くのかたが言うように「いづも」とすべきであり、(日本最古の和歌とされる大国主の「いづもやえがき つまごめに・・・」から出雲という字が当てられた)
「いずも」の語感は最悪の部類だ・・・「いず」では日本語として「居ず」になってしまうし、「ずも」ではモズクや藻屑と響き合ってしまう。これも縁起が悪いこと極まりない。
海の男が最も避ける言葉ではないか。日本の青年の命を考えていないのか、どうせアルファベットで打鍵すっからノープロブレムだとでもいうのかもシレないが、日本語や日本人の感性が顧みられない一方で、
甲板の印が世界中の中国人や漢字を知っている人々15億人には見えるように、不吉の「不」になっているというのもなんとも不気味な暗示だ・・・どこかかからそうしろと?まさかこれからそういう「任務をになっている」艦船なのだろうか??
「いずも」の語感は最悪の部類だ・・・「いず」では日本語として「居ず」になってしまうし、「ずも」ではモズクや藻屑と響き合ってしまう。これも縁起が悪いこと極まりない。
海の男が最も避ける言葉ではないか。日本の青年の命を考えていないのか、どうせアルファベットで打鍵すっからノープロブレムだとでもいうのかもシレないが、日本語や日本人の感性が顧みられない一方で、
甲板の印が世界中の中国人や漢字を知っている人々15億人には見えるように、不吉の「不」になっているというのもなんとも不気味な暗示だ・・・どこかかからそうしろと?まさかこれからそういう「任務をになっている」艦船なのだろうか??
918を目途に戦争法案を強行するとは、そういうことと統一されていると世界にアナウンスしていることになってしまうだろう。非常におおきな象徴的な意味を持っている日付だ。
「上海事変」での「出雲」・「加賀」の「華々しい」カクカクたる「武勲」などと一部で喧伝されているようだが、実際はというとかなり酷かったらしい。発艦したのは複葉機であって、そのうち八九式艦上攻撃機は16機のうち8機が、中華民国軍機に撃墜されてしまった・・・そうだ。
<三日で片付く>などという大言壮語も、(今も全く同じだが)、日本人を戦争に駆り立てるための夜郎自大の大法螺だったわけだ。
「上海事変」などと地域と時間を区切って過少表現をしてごまかしたが、実は蒋介石の中華民国軍が国際支援のもと上海から日本軍をたたき出すための周到準備による決戦的の全面攻撃であったとは当初大山大尉銃撃挑発されたときもその後租界が攻撃されたときも気づいていなかったし、その後も隠していたようだ。日本軍も日本政府も「三日でかたがつく」どころか戦争収拾できずに、南京を落せば片が付くと焦り、ずるずると南京大虐殺を引き起こすまでにおちいってしまったのだった。それを「武勲」だとか。何言ってんの世界だ。
その後は暗号洩らしながらアメリカ攻撃へと・・・。
その後は暗号洩らしながらアメリカ攻撃へと・・・。
空母「出雲」「加賀」についてウィキからまとめると、
A、出雲;装甲巡洋艦(1900年イギリス製)
B、加賀;
(1921年 川崎で戦艦として建造、
1928年 三段甲板空母へ改造、
1935年 単層甲板へ改造)
B、「加賀」は
「支那事変における空母部隊の主力とされ、常に稼働状態であった。
A、出雲;装甲巡洋艦(1900年イギリス製)
B、加賀;
(1921年 川崎で戦艦として建造、
1928年 三段甲板空母へ改造、
1935年 単層甲板へ改造)
B、「加賀」は
「支那事変における空母部隊の主力とされ、常に稼働状態であった。
加賀便乗中の城英一郎海軍中佐は周囲に「海軍航空部隊の奇襲攻撃により日華事変は3日で終結する」と大本営の判断を語っている
[61]。」
「しかし、日本軍は中華民国空軍を過小評価していた[62]。
第二次上海事変勃発後の1937年(昭和12年)8月14日、中国空軍上海爆撃には間に合わなかった。
8月15日、12.7mm機銃を持つ中国軍のカーチス・ホークIIIと交戦した加賀航空隊は八九式艦攻8機(2機不時着含む)と九四式艦爆2機(1機不時着含む)を一挙に失った[63]。
従来からの攻撃偏向に加え当時戦闘機無用論が支持されていたが、これをきっかけに戦闘機が見直されることになる[64]。
8月22日には中島正中尉らが操縦する九六式艦上戦闘機隊が加賀に到着し[65]、ようやくカーチス・ホークIIIと互角に戦えるようになる。その後も加賀航空隊は中国空軍と激戦を展開し、結果、加賀航空隊は日本で最も多くの実戦経験を積んで太平洋戦争に突入することになった。
第二次上海事変勃発後の1937年(昭和12年)8月14日、中国空軍上海爆撃には間に合わなかった。
8月15日、12.7mm機銃を持つ中国軍のカーチス・ホークIIIと交戦した加賀航空隊は八九式艦攻8機(2機不時着含む)と九四式艦爆2機(1機不時着含む)を一挙に失った[63]。
従来からの攻撃偏向に加え当時戦闘機無用論が支持されていたが、これをきっかけに戦闘機が見直されることになる[64]。
8月22日には中島正中尉らが操縦する九六式艦上戦闘機隊が加賀に到着し[65]、ようやくカーチス・ホークIIIと互角に戦えるようになる。その後も加賀航空隊は中国空軍と激戦を展開し、結果、加賀航空隊は日本で最も多くの実戦経験を積んで太平洋戦争に突入することになった。
また当時の加賀甲板士官だった板倉光馬によれば、
など、、加賀の船内風紀は海軍艦艇の中で特に乱れていたと語っている[66]。横須賀在泊中に高級将校が艦内に芸者を招いて宴会をしていた事もあった[67]。板倉は著書で『大型艦の陰湿な気風はどこも殆ど変わらない』と回想している
激しい制裁やリンチにより逃亡者や自殺者が出たり、乗組員が食料品を窃盗する「銀蝿」が大規模かつ公然と行われる
など、、加賀の船内風紀は海軍艦艇の中で特に乱れていたと語っている[66]。横須賀在泊中に高級将校が艦内に芸者を招いて宴会をしていた事もあった[67]。板倉は著書で『大型艦の陰湿な気風はどこも殆ど変わらない』と回想している
が、結果として加賀の風紀は、他の大型艦艇に比べ早期の改善に成功した。著書によれば『彼らは、ちゃんと叱れば素直に従ってくれた』とあり、板倉が駆逐艦如月に転勤するため加賀から去る際には、乗員達は涙を流して別れを惜しみ、カッターを自分達で漕いで見送りたいと志願し(転勤者は内火艇で見送るのが慣わし)、飛行甲板のみならず、機銃座にいる乗員までもが千切れんばかりに帽子を振りながら、鬼の甲板士官と言われた板倉を見送った、と記されている[68]。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80_%28%E7%A9%BA%E6%AF%8D%29#.E6.96.B0.E9.80.A0.E6.99.82
「支那事変海軍作戦記録」
『海軍作戦記録』 3/4の
2:10頃「血迷へる敵機 盲目空爆―」によると、
https://youtu.be/OFOiBqdpNEk?list=PL5BEB2E4406B82F3A
(ここより前のシーン1:00では日本軍が中華民国軍の上海空爆に応戦している。)
わが旧日本軍は8月14日、8月15日は空軍根拠地を爆撃したと主張。だがのちに南昌、南京、重慶・・・市街地爆撃との境目はなくなっていった。
『海軍作戦記録』 3/4の
2:10頃「血迷へる敵機 盲目空爆―」によると、
https://youtu.be/OFOiBqdpNEk?list=PL5BEB2E4406B82F3A
(ここより前のシーン1:00では日本軍が中華民国軍の上海空爆に応戦している。)
わが旧日本軍は8月14日、8月15日は空軍根拠地を爆撃したと主張。だがのちに南昌、南京、重慶・・・市街地爆撃との境目はなくなっていった。
『海軍作戦記録』 4/4の1:00に空母あり。
https://youtu.be/9LTZO_Kb-Q0?t=1m
https://youtu.be/9LTZO_Kb-Q0?t=1m
うぃき 「大日本帝国海軍航空隊]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A
「1937「8月14日上海の日本租界に中国軍の空襲があり、上海にいた第三艦隊旗艦「出雲」から九〇式二号水上偵察機が発進迎撃、敵1機撃墜した。
翌15日、 杭州方面の中国軍飛行場を攻撃するため、空母・加賀より八九式艦上攻撃機16機、
九六式艦上攻撃機13機、
九四式艦上爆撃機16機を、
護衛戦闘機を付けずに出撃させたところ、中国軍のカーチス・ホークV(英語版)戦闘機隊に迎撃され、
八九艦攻8機、
九四艦爆2機
が撃墜される[6] 」(複葉機)
翌15日、 杭州方面の中国軍飛行場を攻撃するため、空母・加賀より八九式艦上攻撃機16機、
九六式艦上攻撃機13機、
九四式艦上爆撃機16機を、
護衛戦闘機を付けずに出撃させたところ、中国軍のカーチス・ホークV(英語版)戦闘機隊に迎撃され、
八九艦攻8機、
九四艦爆2機
が撃墜される[6] 」(複葉機)
(うぃき、「九〇式二号水上偵察機は、操縦性、実用性に優れた機体だったため、近距離用複座水上偵察機として実戦部隊では好評で、支那事変の初期まで使用された。中国機と最初の空戦を行った海軍機であり、フロートで空中衝突を敢行し敵機を撃墜している。」)
「戦争勃発直後には、陸海軍航空協定が結ばれ、北支方面は陸軍、中支・南支は海軍航空隊が主担当となった[10]
他国の海軍航空隊とは異なり、帝国海軍航空隊は戦略爆撃の任務も帯びるようになって、長距離爆撃が行える陸上攻撃機を運用する基地航空隊が大幅に新設されていった。
日本軍の戦略爆撃は、大部分が上海、武漢、そして重慶といった中国の大都市に対して行われ、1938年(昭和13年)2月から1943年(昭和18年)8月までの間に約5,000回の攻撃が行われた。
1937年9月22日及び23日から始められた南京および広州に対する爆撃は、抗議の嵐を呼び起こし、それは国際連盟の極東諮問委員会の決議において最高潮に達した。イギリス外務次官のクランボーン卿は彼自身の声明の中で義憤を表明した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A#.E6.97.A5.E4.B8.AD.E6.88.A6.E4.BA.89
」こうした空襲の報せが文明社会の全体から届く事に対する底知れぬ恐怖の感情は言葉では表せない。実際に戦争状態となっている地域から遥かに遠く離れた場所に対してこうした空襲が頻繁に行われている。軍事上の目標がある場所が、完全に二次的な目標として扱われているように見える。第一の目標は市民の無差別殺戮を行う事により恐怖心を与える事のように見える…
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A#.E6.97.A5.E4.B8.AD.E6.88.A6.E4.BA.89
上海への南京政府軍の空爆で住民におおきな被害がでたが、日本軍は反撃として南京、重慶・・・へと各地の「戦略爆撃」へと拡大し「国際非難」をも、引き起こされることとなった。(そして木造住居を焼く焼夷弾やヒロシマナガサキが戦略として正当化される戦後へつながっていった。)
誰がやろうが非戦闘員殺害は「国際法上の戦争犯罪」であろう。それを政府も軍上層も全く制御できなかったのだった。相互の民族の心にいったん火が付けられた憎しみを消すことができなかったのだった。
いままた安倍自民公明党政権は、両国民の心に戦争放火をやりつつあるのではないか。
いままた安倍自民公明党政権は、両国民の心に戦争放火をやりつつあるのではないか。
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