http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/815.html
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(Second World War commemorations take place across the globe: euronews (English))
http://www.euronews.com/2015/08/15/second-world-war-commemorations-take-place-across-the-globe
ニュース
第2次世界大戦の記念式典が世界各地で開かれる
8月15日 17:22中央ヨーロッパ標準時
第2次世界大戦が正式に終結した70周年の記念式典が世界各地で開かれている。
ロンドンの聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会で、元戦争捕虜を含む退役軍人たちがエリザベス女王・エディンバラ卿・首相に加わり、記念礼拝が執り行われた。
イギリスの首都の他所では、チャールズ王太子とコーンウォール公爵夫人が空軍機の儀礼飛行に合わせて行われた退役軍人のパレードに出席した。
8月15日はイギリスではVJデー(対日戦勝記念日)として知られているが、対日戦争によるイギリスおよびイギリス連邦の戦争犠牲者71,000人を追悼する日でもある。
「私はこの記念日を記憶することを極めて重要だと思う。なぜなら、戦争中に夥しい人々が死亡し、夥しい人々が恐ろしい怪我や拷問に苦しんだからだ。そして、私たちが彼らに感謝するのは正しいことであり、彼らが苦しんだのは私たちの自由のためだと認めるのは正しいことだ」と、デーヴィッド・キャメロン英首相は語った。
パールハーバー
1941年に遡るが、日本がハワイの港・パールハーバーを爆撃したことが、米国を第2次世界大戦に引きずり込んだ。
70年以上の後、日米両国の諸都市が米国海軍と協力して記念礼拝を開催し、新しい記念額を除幕した。
東京と靖国神社
日本では、明仁天皇が今回の機会に、戦争について「深い反省」という表現を使用した。
戦争の遺物は日本の対中国・韓国関係に取り付いている。両国は日本の時として残忍だった占領や植民地統治の下で苦しんだ。
安倍晋三・日本首相は戦死者のための靖国神社に現金を供えたが、中国・韓国はこの神社はこの神社を日本の戦時中の軍国主義の象徴と見ている。
さらに:式典−第2次世界大戦は世界をどう変えたか−第2次世界大戦
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(Sputnik日本)
http://jp.sputniknews.com/japan/20150815/750941.html
終戦の日:天皇陛下「深い反省」
© AFP 2015/ Toru YAMANAKA
日本
2015年08月15日 22:12(アップデート 2015年08月15日 22:29)
70回目の終戦記念日の15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で正午前から開かれ、天皇、皇后両陛下や遺族ら約7000人が参列した。
安倍晋三首相は式辞で「戦争の惨禍を決して繰り返さない」と不戦を誓った。天皇陛下は、おことばで「さきの大戦に対する深い反省」に戦没者追悼式で初めて言及された。
安倍首相は、歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者への加害責任や「哀悼の意」「深い反省」には一昨年、昨年に続いて触れず、世界の国や地域の繁栄のために歩んできた戦後日本の姿を強調。「今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り開いていく」と述べた。
NHKが伝えたところによれば、全国戦没者追悼式での天皇陛下のおことばは、昭和天皇の時のおことばの骨子も踏まえ、即位以来、基本的な内容は毎年踏襲されてきました。この中で天皇陛下は、戦争の犠牲者を悼み遺族に思いを寄せるとともに、世界の平和と日本の発展を願う気持ちを表されてきました。
戦後50年を迎えた平成7年には、結びの一文に「歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」ということばが加えられました。
その後は、おことばの内容に大きな変わりは見られず、平成13年以降は毎年同じおことばが続いてきました。そして、戦後70年を迎えたことし、天皇陛下は14年ぶりにおことばをかえ、戦後の日本の歩みを振り返る部分に、多くのことばを足されました。
まず、今日の平和と繁栄を支えたものとして「国民のたゆみない努力」に加え、新たに「平和の存続を切望する国民の意識」という表現を用いられました。そのうえで、例年、「苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません」としていた部分を「戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません」と言いかえられました。
さらに、戦没者を追悼し平和を願う結びの一文に、「さきの大戦に対する深い反省と共に」ということばを加えられました。戦没者追悼式での天皇陛下のおことばがこれだけ変わるのも、「反省」ということばが盛り込まれたのも、今回が初めてのことです。
タグ 歴史, 第二次世界大戦, 日本
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(70 ans de la capitulation: l'empereur du Japon exprime son «remords»: RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20150815-70-anniversaire-capitulation-japon-empereur-remord-akihito
日本|歴史
発表 2015年8月15日・更新 2015年8月16日07:49
降伏から70年:日本の天皇が「反省」を表明する
記者 RFI
降伏70周年を記念して開催された式典の場で美智子皇后を伴う日本の明仁天皇、2015年8月15日土曜日。
REUTERS/Toru Hanai
70年前に日本は降伏した。裕仁天皇は国民に、第2次世界大戦における連合国に対して無条件降伏をすると告げた。2015年8月15日土曜日、日本はこの出来事を記憶に留めるための式典を開く。安倍晋三首相はその機会を利用して、1930〜40年代に自国が負わせた苦痛について甚だしく心が痛むと述べながらも、未来の世代が過去の誤りのために謝罪をしなければならなくてもいいようにすると表明した。明仁天皇の声明は安倍氏のものと異なり、非常に強い調子で初めて「深い反省」を表明した。
報告 RFI東京特約記者、フレデリック・シャルル
明仁天皇は重い遺産を背負っている。父・裕仁の遺産だ。日本は裕仁の名で「大アジア」戦争という15年間の戦争を始めた。この戦争のために、3百万人の日本国民の命とおそらくその10倍のアジアの人々の命が失われた。
明仁氏の人生は今や日暮れ時に達したが、戦後70年経っても日本は過去を祓い浄めることが相変わらずできていないと、おそらく感じている。それに対して、安倍晋三氏は首相として右寄りの国家主義を掲げ歴史の修正を試み残忍な過去を否定しており、日本が負けたということを全く受け入れておらず、平和憲法を処分したいとも考えている。
その上、8月15日の日本の敗戦記念日に、この右寄りの国家主義者は「戦争の終結」を語る方をとった。天皇は言葉を選びつつも、日本は平和憲法を柱にアイデンティティを築き直したのであり、もうこれ以上戦争の誘惑に負けてはいけないと首相に注意を促した。
明仁氏は日本とアジア他地域の戦争犠牲者の遺族に向けて、さらに「深い反省」を表明した。日本では天皇はもはやいかなる権力も持っていない。彼は選挙権すら持っていない。それでも彼は国民の象徴だ。彼の役割は日本の歴史が確実に続くようにすることだ。そして、安倍氏にとってそれが気に入らなくとも、明仁氏はこの平和な歴史が今後も続くことを望んでいるようだ。
→RFIを聴く:ギブール・ドラモット氏が見る日本の安全保障政策
−参考−
Japanese Emperor expresses 'deep remorse' | DW News (DW(English) - Youtube)
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(Japan marks 70 years since its surrender ended World War II: DW English)
http://www.dw.com/en/japan-marks-70-years-since-its-surrender-ended-world-war-ii/a-18650794
第2次世界大戦
日本は、降伏による第2次世界大戦終結から70周年を迎える
靖国神社では、政治家・退役軍人・国家主義者たちが拝礼をして「万歳」の掛け声をかけつつ、第2次世界大戦における200万人を上回る日本国民の死を悼んでいた。ジュリアン・ライオールが東京から報告する。
靖国神社の地面に立てられた清涼飲料の屋台のテーブルの上で、シモムラ・タダシ氏は写真の額を2枚立てた。彼はその前に氷で冷えたサイダーを供えた。
セピアに色あせた画像の1枚目は、1945年2月に若い飛行士たちが指揮官たちと満州で撮った部隊の写真だった。2枚目は彼の友人の叔父で、18歳になったばかりの頃に南の島・沖縄の沖合で米軍艦隊に特攻を行い死亡した、サトウ・ヒデミ氏の写真だ。
「彼の部隊には15人の飛行士がいたが、3月27日の特攻で9人が死亡し、残りも4月3日の2度目の攻撃で死亡した」と、東京で食品加工会社の社長をしているシモムラ氏は語った。サトウ氏は2度目の攻撃の1人だった。
「私は毎月ここに来て彼らの犠牲を思い出しているが、いつも8月15日には必ず来るようにしている」と彼は語った。「終戦記念日は私や日本国民全てにとって重要な日で、何が起きたかを思い出すのは私たちには必要なことだと思う。」
「今日私たちが平和を享受しているのはサトウ氏のような方々の犠牲の御陰だ。」
特攻飛行士姿の日本人と第2次世界大戦中の軍礼装姿の日本人
降伏から70年
日本が降伏から70周年を迎えた土曜日、日本武道館で約5,000人の戦争犠牲者の親族が出席して式典が開かれ、明仁天皇と安倍晋三首相が挨拶を述べた。
「私たちは、今この時を生きている世代と明日を生きる世代のために国の未来を切り開くために、戦争の恐怖を再び繰り返さないことを約束する」と、安倍氏は語った。
天皇は挨拶の中で、「過去を振り返り先の戦争について深い反省の念を心に留め、戦争の惨害を決して繰り返さないよう、私は心から希望する」と語り、戦争について自身の「深い反省」を表明した。
挨拶の後、正午に1分間の黙祷が捧げられた。1945年8月15日のちょうどこの時刻に、国民に「耐え難きを耐え」て国の降伏を受け入れるよう求める、現天皇の父親である裕仁天皇の演説の録音がラジオを通じて流された。
水・日本酒・緑茶の供物が特攻隊員に奉納された像の前に供えられた
靖国での黙祷
この同じ時間、近くの靖国神社の参拝者たちも立ち止まり1分間の黙祷を捧げた。数千人の人々が列を作って、礼拝用広間である主要な「拝殿」の前で頭を垂れて追悼の意を捧げた。
しかし、杖で身体を支える退役軍人たちや黒ずくめの服装をした高齢の女性たちが追悼の意を捧げに来ている中で、様々な右翼団体の集団が目立っていた。
多くの人はつなぎのユニフォームのようなものを着て日の丸の記章を付け戦闘靴を履いていた。各グループの先頭には、日本の国旗を空高く掲げる旗手たちがいた。1分間の黙祷の後、集団のリーダーたちは代わる代わるに「万歳」を3度叫んでいた。
史実を世界に発信する会の茂木弘道(もてき・ひろみち)事務局長は、記念日前日の首相声明の基調に「失望」したと語った。安倍氏はその声明で、戦争前と戦時中に日本軍がもたらした「計り知れない損害と苦痛」について謝罪した。
「日本軍が欧州の植民地勢力と戦ったおかげで独立できたアジアの国々に、私たちが謝罪する道理はない」と、茂木氏はDWに語った。「私たちは彼らが自由を得る手助けをしたのであって、彼らが私たちに感謝すべきだ。」
国家主義者の茂木氏は、日本の目的はアジアを植民地支配から「解放」することにあったと主張する
アジアを解放した?
茂木氏は多くの国家主義者たちと同様に、日本が太平洋の一部とアジア本土を侵攻・占領したのは「共栄圏」を創設するためで、日本が諸隣国を植民地支配から解放したのだと考えている。
また、茂木氏や日本の右派の多くは、日中戦争は1937年8月に中国から始めたもので、その4ヵ月後の南京における市民への虐殺行為は存在せず、1941年の日本による真珠湾攻撃は米国の挑発によるもので、アジアや太平洋の各地で日本兵への売春婦として働いた「慰安婦」も強要してさせたのではないと確信している。
「日本に何度となく謝罪をさせるのは人種差別であり、日本社会の一部に今日見られる自己批判は、戦後になって連合国軍が私たちに強制した戦争に罪の意識を抱かせる政策の結果だ」と彼は語った。
中国・韓国・北朝鮮は、戦争の犠牲者たちに1人の人間としての謝罪はせず「誠意に欠ける」として、金曜日の安倍氏の演説を批判した。中国・韓国のメディアは、土曜日に安倍内閣の閣僚3人が、同じく追悼の意を表するために靖国神社に参拝した100人以上の政治家たちとともに、靖国神社に参拝したことをいち早く非難した。
安倍氏は自分では靖国に参拝しなかったが、その代わり側近に儀礼的な供物を持たせて差し向けた。
発表 2015年8月15日
記者 Julian Ryall, Tokyo
関連テーマ 中華人民共和国
キーワード 日本、第2次世界大戦、東京、靖国神社、中国、韓国、北朝鮮、安倍晋三
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(投稿者より)
ユーロニュース・スプートニク・RFI・ドイチェヴェレ(英語)の各サイトに掲載された記事です。翻訳記事には誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。
私たちにとって8月15日は敗戦記念日ですが、勝者にも苦しみや痛みがあり、この日はその記憶を留める日でもありました。それで、イギリスの戦勝記念日にも触れてみたいと思いましたが、さらに興味がおありの方はBBCサイトなどに記事があります。
スプートニクの記事を見て、陛下に敬語が使われているのを見て意外な思いをしました。私たちが陛下や皇室の方々に敬語を使うのは、私たちの陛下のことであり私たちの皇室のことだからですが、スプートニクはロシアの法人ですからそうした義理はありません。ただ、あるいは何か底意があるのかも知れません。
安倍氏の式辞について、私は決して悪くなかったと思っています。安倍氏はその前日に広く内外に向けて談話を発表していますので、戦没者を追悼するその式典には戦没者だけに向けて感謝の気持ちと今後の決意を述べたとしても、おかしいとは思いませんでした。ただ、例年は対象を分けて声明を出すことはしていませんので、来年は例年の式辞の形に戻すかも知れません。
陛下が今回一歩踏み込んだお言葉をお述べになったのも、前日の首相談話で示された政府の認識と同様の認識を、ご自身の機会をお使いになってお示しになったのだと思いましたが、記事にあったように今回も総理をお諭しになる意図がおありだったのかも知れません。
私も15日は地元の護国神社に参拝しました。夕方でしたが、ちょっと清潔な格好をした、それでも若い方々がちらほらと見えました。信仰は個人の問題であり人に押し付けるものではありませんが、その方々の犠牲の御陰で今の平和と繁栄があるという思いは持ち続けています。ただ、一部の極端な方々の極端な姿が日本国民の総意であると世界が誤解しないことも願っています。
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