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ナゼ?朝日新聞があの投書一部を削除⇒元予科練生加藤敦美氏の「学生デモ 特攻の無念重ね涙」。ようつべでは鶴田浩二映画も削除
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/805.html
投稿者 うかうた 日時 2015 年 8 月 23 日 09:00:44: 1kQHKlrXEmOX2
 





上の画像のように、
朝日新聞8月21日記事(15面)では(赤矢印の位置に)あったはずの
「天皇を神とする軍国で、貧しい思考力しかないままに、」の部分が


きれいに存在しないのである。


何でだろうか!
(じつは「戦後」1953年の特攻映画「雲ながるる果てに」
もまた今夏ようつべから削除されたのであった。→稿末)



内閣・政治家と防衛省幕僚らが、根拠法なきまま今独走を開始している。放射能拡散が止まらない中、戦争安保法案を強行している。憲法で禁じられたことをやり続けている。
それを止めること以外に新聞はなにをやるのか。
真実の報道以外に何をやるのか!




元予科練生の投稿記事を朗読する場面〜IWJさんの動画ではちゃんと記録されてあった。
奥田氏の朗読ではちゃんとあるが・・・。1分42秒ごろ〜
「天皇を神とする軍国で、貧しい思考力しかないままに、死ねと命じられて爆弾もろとも・・・」
https://youtu.be/gPyLR_wDtn4?t=1m38s





IWJ:【スピーチ全文掲載】「今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」終戦70年前夜、SEALDs奥田愛基さんが涙の朗読──特攻隊を志した86歳男性から若者らへのメッセージ
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/747.html
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/258019



こちらが元の、 7月18日の大阪版↓。






8月16日01時52分記事の投書画像では、大阪本社の画像のままで、削除されてはおらなかった。
記事:2015年8月16日01時52分
「特攻した仲間の生まれ変わり…86歳、街頭の学生に感謝」 

(左下の画像3つのうちの一つ)
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20150815002773.html



ところが21日記事では大阪版の画像もなくなってしまったようだ。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11926013.html



他の方のツイッターやブログでも次のように存在する、、、
「天皇を神とする軍国で,貧しい思考力しかないままに,死ねと命じられて爆弾もろとも・・・」
、、、
===
「青空学園だより」さまから、引用開始、
http://d.hatena.ne.jp/nankai/20150724

学生デモ 特攻の無念重ね涙  無職加藤数美(京都府86)


安保法案が衆院を通過し,耐えられない思いでいる.だが,学生さんたちが反対のデモを始めたと知った時,特攻隊を目指す元予科練(海軍飛行予料練習生)だった私は,うれしくて涙を流した.体の芯から燃える熱で,涙が湯になるようだった.


オーイ,特攻で死んでいった先輩,同輩たち.「今こそ俺たちは生き返ったぞ」とむせび泣きしながら叫んだ.


山口県・防府の通信学校で,特攻機が敵艦に突っ込んでいく時の「突入信号音」を傍受し何度も聞いた.先輩予科練の最後の叫び.人間魚雷の「回天特攻隊員となった予科練もいた.私もいずれ死ぬ覚悟だった.


天皇を神とする軍国で,貧しい思考力しかないままに,死ねと命じられて爆弾もろとも敵艦に突っ込んでいった特攻隊員たち.人生には心からの笑いがあり,友情と恋があふれ咲いていることすら知らず,五体爆裂し肉片となって恨み死にした.16歳,18歳,20歳…….


若かった我々が,生まれ変わって立ち並んでいるように感じた.学生さんたちに心から感謝する.今のあなた方のようにこそ,我々は生きていたかったのだ.



===投稿記事部分の引用終了。



8月2日 京都民報は、
朝日新聞大阪版7月18日投書をそのままただしく、引用してる。当たり前ですが。いったい東京朝日はどうしたのでしょうか。



〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜



(特攻隊員や予科練生に批判されちゃマズイ人がいまだにいるようですが。
戦争法案強行ちゅうに1953年の映画「雲ながるる果てに」
(家城巳代治監督、・・・鶴田浩二、木村功・・・)がようつべから削除されてしまった。
戦争や特攻や敗戦の全体像となると、
作戦の現場で苦しんでいても一般庶民に国家中枢のことは、全体像はわからない。
特攻出撃を命じた将校さえもわかっていたかどうか)






=====

特攻隊員の特攻後の日本に、いったい何が待っていたのか
=====



1、
「戦後」には、特攻隊員の家族に宛てた遺書さえもが家族から回収されていた。千通も全国から。驚きだ!「戦後」のある目的のためだったらしい。戦争法案の現在につながっているものがあるようだ。



https://twitter.com/at_douga/status/480851563787735041


http://www.at-douga.com/?p=9197
特攻作戦で亡くなった隊員たちが家族に残した1000通を超える「遺書」が、戦争終了後、徹底的かつ組織的に回収されていたことが判明/NHK・クローズアップ現代




2、
じつは特攻出撃を片方で命じながら、もう片方では日本人の婦女をもって、米軍のための米兵慰安所を設置して“ 慰安 ”させる計画が練られ8月15日をもって実行に移されたというのだ!(従米軍慰安婦)これは日本の「戦後」の従軍慰安婦だろう。


==以下 引用開始==




−−−−−−−−−−−−−−−−


               
 占領軍と慰安婦

 千歳に残る烈婦

 ・・・
 占領軍慰安所の慰安婦集めには、騙しの手が用いられたが、つぎにその例をあげてみよう。
 昭和20年には本土決戦ということで、「江東区女性軍」を編成するため、埼玉の第1中隊103人が動員されていた。
 終戦の8月15日をむかえても、103人は帰してもらえなかった。埼玉第1中隊は足留めされ、内務省治安当局の指定ということで、「特別挺身隊として、耐えがたきを耐えて、全日本婦人の楯となるべき……」
 と、都内4ヶ所の慰安所に連れ去られ、やみくもに米兵との交接を強要された。筆者は久しくこの人々を知りたいと努力してきた。
 そのような事実は都内だけでなく、他県にまで見られた。
 広島では戦中に動員した女子青年団を、もろに慰安婦にした例があった。
 原爆投下で肉親を亡くし、帰る家を失った娘たちが、呉市軍需工場に9名残っていた。工場長は彼女たちが、
 「天皇のために捧げたてまつる」
 と、いう血判を押した誓紙を逆手にとって、彼女たちを玉集めの女衒の前に座らせた。
「いよいよ君たちが奉仕するときが来た。私はかしこきあたりの御内意をうけ、大和なでしこの範となるべき婦人をさがすために、はるばる大阪からやって来た。このような血書をささげた君たちの忠誠を、天もみそなわしたもうたのであろう。君たちでなければ日本人の操を、進駐軍の魔手から守り通すことはできないであろう」
 女衒は名調子の演説をぶった。女たちはその女衒によって、呉の慰安所に連れ去られたのである。
 同じようなことが神奈川県川崎M軍需工場でもおきた。戦災で家と家族を亡くした女学生が、寮に十数人残っていた。
 そこへ、「新生社会事業観光部」の看板をつけたトラックが来ると、彼女たちを唆すように、よいことだらけをならべたてた。
「月給は高いし、人道愛に燃えたる当会社に、いますぐ就職してはどうだね」
 彼らは、とびっきり箔をつけた名刺をひとりずつに配った。名刺には内務省指定治安維持会・中国地方幹事・米山三郎、とあった。
 詐欺っぽいその名刺で、コロリと騙しを喰った女学生たちは、米軍慰安所へと運ばれていった。その女衒は
「君たちは誇りを持って、この特別挺身の任務を完遂し、かしこきあたりのシンキンを安んじ奉らねばならぬ。君らこそ日本帝国の歴史に、千歳に残る烈婦なのである」
 と、戦時中に耳慣れた言葉を聞かされた。
 
昭和20年11月まで、2万人からの慰安婦が仕立てられた裏には、無数のドラマがあったのである。





以上は、「真実を知りたい-NO2.................2012年08月31日」ブログさまから引用
http://blog.goo.ne.jp/yshide2004/m/201208

===以上 引用終了===





特攻作戦とは何だったか、一般人には知らせぬもう一つの目的があった。
敗戦のための、国体護持のための、条件交渉ではなかったかと考えるひともいる。 
米軍も日本軍も同じコールサインV675を “ 共有 ”しつづけたそうだ。 



米軍は、テニアン出撃B29のコールサイン600番台を変更することなく使い続け、
広島原爆投下後も、敵に察知されているのを承知で安心してV675等を使い続け、護衛もなく飛来したのはなぜか。
日本軍も「特殊任務機」として把握・報告受けていながら、
警報発令も迎撃発令もしないで原爆投下を許したのは何故だったのか。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/843.html

原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報 投稿者 gataro-clone






http://www.at-douga.com/?p=14387
特攻 〜なぜ拡大したのか〜NHKスペシャル


特攻は「終戦」のための取引材料だったのか?
政治工作の一環としての特攻
「終戦に持っていくための動機が掴める」
「これが最後の戦いだ。妥協をするためのテーブルに着くことが
できるだろう。もう無条件ではなしに。」





特攻は敗戦の仕方とかかわっていたのだが、「終戦後」1953年に制作された特攻映画がこの夏に削除された。


雲ながるる果てに(1953)  家城巳代治 監督


https://www.youtube.com/watch?v=KUUlOgJlO08





原作は、海軍飛行専修予備学生として出撃して亡くなった青年たちの
遺稿集『雲ながるる果てに 戦歿飛行予備学生の手記』
だそうである。



(家城巳代治:
みんなわが子(1963年)
路傍の石(1963年)
渥美清の泣いてたまるか(脚本・演出、1966年))




昭和19年4月の特攻隊基地
出撃直前の同期兵生活と葛藤
昭和28年公開。
戦争・特攻の生き残りの人たちが作った映画だ。



百田氏は戦争体験者が親族でも減っていくのを感じ
先祖はどんな人だったのかを調べ「永遠のゼロ」を書いたと言っている。



われわれがもし、特攻隊員の「作戦」に従った心情をたたえてしまうとどうなるか。美化になりはしまいか。美化では結局、次の無謀な命令のための美化になってしまわないか。次の戦争を止められるだろうか。
永遠のゼロの対極の名作映画が「雲ながるる果てに」だと言われていた。


だが、今夏つい先日ようつべから削除されてしまった!
違憲の戦争法案が強行されている真っ最中にようつべから削除されたのである。
「左翼」が作った特攻映画?鶴田浩二がサヨク?!



遺稿集が原作なのでこの映画はさすがにその厚み違う。現代のわれわれが対論して汲み取ろうとして尽きせぬものがある。


あらゆる腐敗が特攻基地利権に蠢いていたであろう様子だけでなく、日本人の情緒的な集団主義が「同期」としてマトメあげられてしまっていたことも描かれている。



ところが、出撃して死んだ当時の兵隊であっても戦争の実体験者であっても、実は当時知りえぬことがたくさんあった。今でさえあの戦争の正体の全体は隠されていないか。
ここでは慰安婦と特攻隊、特攻隊員の知らなかった「戦後」の従米軍慰安婦と、「パンパン「パンスケ」誕生の関連について確認してみた。



特攻隊に出撃命令が出されていた真っ最中に、実は「戦後の」対米軍慰安婦の手配算段が練られていたのである。
日付を見れば明らかだ。



「玉音放送」の後も、狙ったある女子挺身隊の面々を集めて帰宅させず、諸君の力が日本を救うと訓示垂れていたのであった。今度は庶民の若い女に向かってだが。



特攻隊員に向かって日本の家族と国を守れと命令だされていた最中に別の中枢ではチャッカリ対米軍従属のための計画が着実に練られ実行されていたというのである。
これぢゃあ!・・・特攻隊員は何のために死んだのか。



対米軍慰安婦だけでない。8月15日の直前、
閣議決定で、政府資産はカネではなく現物の物資で緊急山分け=私物化の隠匿が「支払い」名目で行われたのであった。
インフレ必至の中、現物物資で、関係者だけで行われた。


昭和20年8月14日 閣議決定
軍其ノ他ノ保有スル軍需用保有物資資材ノ緊急処分ノ件
https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00638.php





収載資料:昭和財政史 終戦から講和まで 第17巻 大蔵省財政史室編 東洋経済新報社 1981 p.150 当館請求記号:DG15-19
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軍其ノ他ノ保有スル軍需用保有物資資材ノ緊急処分ノ件
昭和20年8月14日 閣議決定

陸海軍ハ速カニ国民生活安定ノ為メニ寄与シ民心ヲ把握シ以テ積極的ニ軍民離間ノ間隙ヲ防止スル為メ軍保有資材及物資等ニ付隠密裡ニ緊急処分方措置ス
尚ホ陸海軍以外ノ政府所管物資等ニ付テモ右ニ準ズ
例示
一、軍管理工場及監督工場ノ管理ヲ直チニ解除ス、此ノ場合製品、半製品及原材料ノ保管ハ差当リ生産者ニ任ス
二、軍ノ保管スル兵器以外ノ衣糧品及其ノ材料医薬品及其ノ材料、木材、通信施設及材料、自動車(部品ヲ含ム)、船舶及燃料等ヲ関係庁又ハ公共団体ニ引渡ス
三、軍作業庁ノ民需生産設備タリ得ルモノハ之ヲ適宜運輸省関係ノ工機工場其ノ他民間工場ニ転換ス
四、食糧(砂糖ヲ含ム)ヲ原材料トスル燃料生産ヲ即時停止ス
五、軍需生産ハ之ヲ直チニ停止シ工場所有ノ原材料ヲ以テ民需物資ノ生産ニ当ラシム



戦中と戦後とは直接に繋がっていて今も決して明らかにされなかった事柄がある。



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雲ながるる果てに(1953) 


https://www.youtube.com/watch?v=KUUlOgJlO08


以下投稿者による一部筆耕


15:40〜
(出撃前夜にこっそりと抜け出したマツイ隊員、女トミヨと夜道の帰り、ふたりとも酔っている)
トミヨ:「ねえマーさん、一体どうなの神風は?ねえ〜何時吹くんだろうねえ。」
マツイ:「・・・神風かぁ・・・」
トミヨ:「しっかりやってよー!いいかい?!後はトミヨが引き受けました!」
マツイ:「よーし百人力だおまえがいりゃあ。」


18:00
トミヨ「なんてったってあたしは航空母艦ですたい」
マツイとトミヨ:「あっはっはっはー」
・・・
トミヨ:「・・・ねえマーさん、一二三で二人ともパーッと駆け出そうよ、いさぎよく。ねっ?」・・・



36:25〜 
(隊員どうしの喧嘩をいさめて)
「俺達は地獄の窯の底まで一緒に行かねばならぬ仲だ。
幾らもない娑婆の生活だ。
せめて仲良く暮らそうじゃないか。なっ。」




( 学徒出陣、そして・・・
54:00〜 海軍魂の注入
「・・・間隔に開け!
聞け!
貴様らが海軍に入ったことによつて兵学校七十年の伝統が穢された。
貴様らが軍人だと思つたら大きな間違いである。貴様らは雇い兵なのである。
貴様らから娑婆つ気を引き抜くために今から俺たちが江田島で鍛えた海軍魂を叩き込んでやる!歯を喰ひしばれ」 )


56:44〜指令官の説諭
「オマヘ達も知ってゐるとほり先月サイパンが落ち、いまや比島奪還のため敵の大部隊が押し寄せてゐる。
もしもこの一戦に敗れるならば祖国日本は壊滅の危機に瀕するのである。
いまはただオマヘたちの純真一途なる祖国愛によって、ここに奇跡を起こしてもらうより他はなゐ。
その奇跡とはオマヘたちの肉体である。各自の飛行機を完全爆装し機諸共敵の艦船に突入してもらふのだ。
 
死んで勝つ、すなはち必至必殺である。
いまや日本の運命はオマヘたちの双肩にかかってゐる。・・・重ねて言ふ。日本国の興亡はオマヘたちの心一つにある。わかって呉れ。」
(なんともズルヰ口舌である。)


フカミ:(木村功)「目に見えない大きな力が僕らをぐんぐん墓場に引きずり込んでゆく、いや・・・」


1:07:4
フカミ「貴様、この特攻隊をどう思うのだ、このやり方が納得できるのか。」
オオタキ:(鶴田浩二)「・・・」
フカミ「特攻隊員は必ず死ぬんだ。これはもう戦術じゃない。」
オオタキ「必至だよ、必死必殺だ。今日本は必死の時なんだ。戦争は理屈じゃないぞ。生命の燃焼だ。人間の根源的な情熱なんだ。

悠久の大義に生きる。個人の生死を超越した民族的情熱への自己同一なんだ。
元来俺たちの命は天皇陛下からお預かりしてるんだ。
・・・フカミ貴様は女に惚れて命が欲しくなったのか。」
フカミ「それとこれとは違う」
オオタキ「違いはせん!」
・・・
フカミ「オオタキ貴様、悠久の大義で死ねるのか?」
オオタキ「・・・」
フカミ「本当に『悠久の大義』で死ねるのか!?」
オオタキ「・・・。・・・ばかっ!貴様怪我をしてなきゃ殴り付けてやるんだぞっ!」



(上官酒盛りちゅう)
「(フカミが怪我をおして出動を願い出た)
美談がまた増えましたな。
報道班に大々的にかかせますか、あっはっはっ」
「今日は二割当たるかな」
「いやあもっと当たる。大丈夫」


フカミ(同僚のところへ戻って)「貴様らを死なして俺だけ生き残るわけにはいかん」
「俺たちゃ死ななきゃ文句言えないんだ」
上官「・・・オマヘ達は生きながら既に神である。なんらの欲望も無いことと思う・・・」





===以上、一部書き越し終了==






ようつべ削除されちゃったので、
===以下は、映画「雲ながれる果てに」解説の紹介
「満州っ子 平和をうたう」ブログさまより===






以下、引用開始〜〜〜
http://38300902.at.webry.info/



映画 「雲流るる果てに」



戦後数々の特攻を描いた映画のなかでも秀作の一つ。「雲流るる果てに」は1953年、レッドパージで東宝を追われた家城巳代治が手がけた。制作段階では、脚本はもとより構成にまで紙一重で生還した同期生(第13期飛行予備学生)、遺族の体験や意見を取り入れ独立プロ・重宗プロが制作、大映により配給され感動を呼んだ。
 



 南国の空の涯に散った特攻隊員、
 彼らの胸に去来するものは・・・ 
 



 一度出撃したら生きては帰れない特攻兵。若くして南国の空のはてに散っていった学徒航空兵の遺族によってまとめられた手記「雲流るる果てに」のタイトルをかりて作られた反戦映画の名作。今日限りの命を懸命に生きる彼らの青春群像があざやかに描き出され、と同時に残酷な戦争への激しい憤りを感じずにはいられない。



 昭和20年春。日本軍の勝利を信じて疑わぬ典型的な軍人、大滝中尉(鶴田浩二)と命を大切にする深見中尉(木村功)は友人であった。愛する人と別れて出撃して死ぬ者、飛行中の事故で死ぬ者、若い命が次々と失われていく。そして全員が敵の艦隊に突入する最後の朝がやってきた。飛びたつた彼らは2度ともどらないのだった。



 “主観的には純粋でありながら、客観的には無駄であった特攻隊の死。その矛盾をはっきりとらえられたとき、はじめてかなしさが無駄でなくなる”という家城監督の言葉に導かれ、鶴田浩二、木村功らが追いつめられた人間の心理を名演。脚本は直居欣哉が自らの体験をもとに八木保太郎、家城監督と共同執筆した。ほかに「異母兄弟」「裸の太陽」などを手がけ、日本映画界のヒューマン派とよばれた家城監督の代表作である。



【解説】 海軍飛行予備学生 
 大学の学部あるいは予科、高等学校や専門学校を卒業した学生、または採用の日まで卒業の見込みのある学生が志願し、海軍の飛行搭乗員として採用されたもの。昭和9年、一期生から、19年14期生までほぼ一万人。
 昭和17年ミッドウエー海戦により搭乗員の不足いちじるしく、昭和18年9月、5111人が第13期飛行予備学生として採用、土浦、三重の航空隊に入隊した。わずか10ヶ月の訓練で戦場に。実にそのうち1616人が戦死。うち神風特別攻撃隊の士官戦没者652中13期予備学生は447人であった。20〜25歳の前途ある青年たちだった。



 戦後紙一重で生還した同期生が遺族とともに『遺族会』(白鴎遺族会)を結成、昭和27年6月、遺稿集『雲流るる果てに』を発刊、同名の映画とともに多大な感銘を与えた。


http://38300902.at.webry.info/201011/article_19.html




映画 「雲ながるる果てに」



http://38300902.at.webry.info/201011/article_20.html
日本の文化人・三大「山田」(山田洋次、山田太一、山田和夫)と云われ尊敬の念を持って多くの人に受け入れられている一人山田和夫さん(映画評論家)が江東区の高齢者集会に来られ、映画・「今日本映画がいい」と題して講演されたことがありました。その時、この「雲流れる果てに」について触れられました。



  「雲流るる果てに」



 
 戦後日本映画は今日まで反戦平和をたゆむことなく訴え続けてきた。そのなかでとくに記憶したいのは、特攻の悲劇と向い合った作品群である。



 学徒出陣で戦場にかり出された学徒たちの手記を集めた『雲流るる果てに』が家城巳代治監督によって映画化(1953年)され、学徒出陣によって海軍予備学生になり、特攻隊員と死んだ若者たちの遺書がドラマに再現された。特攻を描いた最初の劇映画作品である。



 「きけわだつみの声」もそうだが、「雲流るる果てに」でも、1943年10月の徴兵猶予打ち切りで学園から出征した学徒兵たちは陸軍士官学校や海軍兵学校を出たエリート職業軍人から、露骨な差別と屈辱を受けた。「雲流るる果てに」の学徒出身兵たちもそのなかで、優先的に特攻隊に送り込まれた。彼らは複雑な矛盾をはらみつつ、死への出発日を待った。出撃予定日が悪天候で日一日と延びる。「特攻待機」と呼ばれるこの耐えがたい日日の隊員の日常が映画の大部分を占める。「何のために死ぬのか?」、もう知識人の訓練を受けていた彼らには、思い悩むことは絶えない。家族への思い、妻や恋人への愛情、故郷の山河への郷愁。家城監督は自分の戦争体験を土台に、出撃を待つ隊員たいの人間像をあたたかく描き分ける。



 ついに空は晴れた。「特攻待機」は終わった。二度と還ることのない出撃に彼らは旅立つ。その機影が遠くに消えていった積乱雲の大空にテロップの字幕が浮ぶ。「きわめて健康」と。隊員の一人が父母にあてた遺書の一節である。そう、彼らは健康な身体と若々しい精神を持った青年たち、その「きわめて健康」の人生を突然断ち切られた無念の思いが、このラストカットに溢れていた。(「前衛」07年9月・「特攻を描いた日本映画の歩み」−山田和夫より一部引用)



http://38300902.at.webry.info/201106/article_8.html




「その瞬間、彼らはまだ生きていた」ー特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫



(五) 「雲流るる果てに」と「人間魚雷回天」 
 



 戦後日本映画は、62年たった今日まで反戦平和をたゆむことなく訴え続けてきた。そのなかでとくに記憶したいのは、特攻の悲劇と向い合った作品群であった。前期「日本の悲劇」は公開こそおくらされたけれど、特攻の本質に鋭く迫り、天皇の戦争責任にまで目を向けた最初の作品だった。



 その後、東大協同組合出版部は全国の戦没学生の手記をあつめて「きけわだつみのこえ」を編み、それが映画『きけわだつみの声』(1950年、監督関川秀雄)となり、続いて学徒出陣で戦場にかり出された学徒たいの手記をあつめた『雲流るる果てに』が家城巳代治監督によって映画化(1953年)され、学徒出陣によって海軍予備学生になり、特攻隊員として死んだ若者たちの遺書がドラマに再現だれた。特攻を描いた最初の劇映画作品である。



 「きけわだつみの声」もそうだが、「雲流るる果てに」でも、1943年10月の徴兵猶予打ち切りで学園から出征した学徒兵たちは陸軍士官学校や海軍兵学校を出たエリート職業軍人から、露骨な差別と屈辱を受けた。「雲流るる果てに」の学徒出身兵たちもそのなかで、優先的に特攻隊に送り込まれた。彼らは複雑な矛盾をはらみつつ、死への出発日を待った。



 出撃予定日が悪天候で日一日と延びる。「特攻待機」と呼ばれるこの耐えがたい日日の隊員の日常が映画の大部分を占める。「何のために死ぬのか?」、もう知識人の訓練を受けていた彼らには、思い悩むことは絶えない。家族への思い、妻や恋人への愛情、故郷の山河への郷愁。家城監督は自分の戦争体験を土台に、出撃を待つ隊員たちの人間像をあたたかく描き分ける。



 ついに空は晴れた。「特攻待機」は終わった。二度と還ることのない出撃に彼らは旅立つ。その機影が遠くに消えていった積乱雲の大空にテロップの字幕が浮かぶ。「きわめて健康」と。隊員の一人が父母にあてた遺書の一節である。そう、彼らは健康な身体と若々しい精神を持った青年たち、その「きわめて健康」の人生を突然断ち切られた無念の思いが、このラストカットに溢れていた。



 そうした学徒出陣の特攻隊員の思いをより鮮明に映し出したのは、松林宗恵監督の「人間魚雷回天」(1955年)だ。



 人間魚雷回天は、昨2006年に公開された佐々部清監督の「出口のない海」(原作・横山秀夫)で主役となった水中特攻兵器である。大型魚雷を改造して一人乗りの潜航艇にし、搭乗員の操縦で敵艦に体当たりする。零式戦闘機に250キロ爆弾を搭載して体当たりする航空特攻より、この人間魚雷の方が先に採用された特攻兵器だが、私自身が乗せられようとした水上特攻艇「震洋」や、先日他界した作家・城山三郎が訓練を受けていた水中特攻兵器「伏竜」(潜水服を着て海岸線の水中に棒地雷を持って潜伏、上陸用舟艇の船底をおそう)など、いずれも人間性無視の点ではえらぶところはない。人間魚雷の場合、装置が複雑で故障が多く、潜航訓練中に死亡事故が続出した。「人間魚雷回天」にも「出口のない海」にも、訓練中の事故多発の状況が出ている。



 「人間魚雷回天」の場合、シナリオの須崎勝弥も、監督の松林宗恵も海軍予備学生の生き残り、その体験と心情が深く描き込まれていて日本映画の特攻物できわ立った印象を残す力作になっている。それは岡田英次、木村功、宇津井健、高原敏雄、沼田曜一、加藤嘉ら当時第一線の映画演劇俳優陣をそろえ、学徒出陣兵の心のひだに深く入り込もうとしているからである。ここでも予備学生たちは海軍兵学校出のエリート職業軍人に罵声(ばせい)を浴びせられ、いわれなき鉄拳制裁を受ける。



 いよいよ出撃前夜、岡田栄次の朝倉少尉は、外出せず宿舎で読書を続けている。その身の周りを世話する老従兵(加藤嘉)が少尉のベッドで、カントの原書を発見する。「こんな本をお読みになるのですか?」の問いに、小尉は笑って「まだ読み切っていないのでね。でも君にはわかるの?」従兵は「私は学校の教師をしていましたので」。そこから二人さし向かいの、胸を割った静かな会話がはじまる。小尉の最後の夜はそうして明ける。心にしみる描写である。そして出撃の瞬間。



 潜水艦の上に四本の人間魚雷が乗せられ、四人の搭乗員が甲板に立つ。埠頭(ふとう)に上官や同僚たちが並び、見送る。そのあとのシーンがいい。搭乗員が一人一人、軍刀をかかげて名乗りをあげる。「慶応大学出身・・・・・・中尉」と出身校を大声で名乗って別れを告げる。見送りの仲間から「天っ晴れなしゃばっ気だぞ」の声がかかる。「しゃばっ気」とは軍隊に入ると民間での気分のことを「しゃば」の空気と呼ぶ。これまでエリート職業軍人に受けた差別と屈辱への憤りを爆発させ、自分たちが中断させられた学業への思いを込めた、力一杯の叫びだった。私は学徒出身兵ではなかったが、その気持ちは痛いようにわかった。特攻を描いた日本映画のベストシーンの一つに入る映像である。



===以上引用終了===



世間では、与えられた持ち場を死守することは美しいとされている。
が、これは逆の立場がわの人間から言えば、凡夫をして死命に投げ入れること・もってその最大の能力を利用するための方便だ。
いま誰かに戦争始めさせ、その中で もがいてまた「美」を見出すのか。




 

コメント
 
1. 2015年8月23日 09:25:02 : M8R5WO2WEo
>死んで勝つ、すなはち
>必至必殺である


必死必殺?
のほうがいいかな


2. 2015年8月23日 10:04:27 : GeeXtTQITg
アサヒの「声」欄では、読者の投稿がそのまま掲載されることは無い(経験から)。必ず編集・偏向の手が入る。
今回も削除された「天皇を・・・・」の文章はアサヒの編集者が書き足したものと推察する。いかにもアサヒの好きそうな「皇室や旧軍を貶める」文言である。
しかし捏造は慰安婦の件で「バレると怖い」という学習をしので、気がついた次版からは削除しただけだろう。
加藤氏に確認すれば直ぐに判る。

3. 晴れ間 2015年8月23日 13:43:10 : FhUYgDFvAt2/E : xni5yVaf3k
天皇制と人権は相容れませんね。
赤子に人権はないということです。
人権思想を持てば、赤子にはなれないということです。
永遠の二律背反。

この問題をクリアせねば、日本人は心の近代化を果たせません。
天皇の戦争責任を日本国民自身が問わねば、戦後は終わりません。
戦争責任を問うべきは、戦勝国ではなく、日本国民自身です。

「九条死守」を天皇に頼るようでは、永遠の cercle vicieux 。


4. 2015年8月23日 14:11:12 : v1gbxz7HNs
全てのマスコミで米帝の犬でないマスコミは存在しない、ということなのだろう。
普段は言論で争っているように見えるがいざという時はすべてのマスコミが一斉に同じ社論に変わり、国民の言論を誘導、扇動する。

ガソリン税の暫定税率廃止の時がそうだったじゃないか。期限の切れる3月になったら、全マスコミが暫定税率を維持せよ!の大合唱に論旨を変えた。もちろん朝日もだ。

多分、誰が報じているかではなく、何を報じているかで個々人が総体的、独自的に判断するしかない。

マスコミは味方ではない。ソ連のプラウダに他ならないし、中国の電視台にほかならない。もっともソ連人や中国人は聡明にもそれを政府のプロパガンダ装置と見ぬいており信じていなかった。この聡明さは日本にも必要だ。


5. 2015年8月24日 00:18:35 : wPAs8CRB32
江田島の海軍兵学校というのは成績優秀者しか入れなくてかなり自慢の材料にしている人がいますが、

予科練というのは成績に関係なく、「貧しい思考力しかないまま」と言われていいような存在なのですか?

>>2の説からの類推だが、
予科練出身者から「貧しい思考力しかないまま」と言われることに抗議があったことも考えられると思う


6. 2015年8月24日 02:24:44 : OPBsOLn0CE
みなさんご存知ですか?あの戦争は、
中国とアジアの華僑から、
金塊を盗みとる為の戦争だったということを、

本当の理由はそれなんです。
高橋五郎氏もその著書で、宇野正美氏もユーチューブで
指摘しています。

皇族が指揮して盗んだ金塊は、戦後、解体されたはずの・・・

実はそれも名ばかりでした・・・しっかり
生き残っていました・・・財閥系企業を初めとして
二・二六事件当時もしっかりあった
いわゆる天皇財閥を形成する集団に
秘密の資金としてばら撒かれたんですyo。
また、怪しげな「工作資金」としても
機能したことは
いうまでもありません。


これが戦後史経済史の正体です。
ほめられたものではないです
日本の正体とも言えましょう。

情けない。
あの戦争はしっかり
茶番です。



7. 2015年8月24日 05:59:59 : riwgxq1iJ6
真珠湾に陳列されている実物大の回天を見てきた。想像していたより以上に大きいものだった。戦艦アリゾナの爆発映像が生々しい。我々の先人たちがこの国を維持するために自らの命を犠牲に戦ったのである。先人たちの思いを踏みにじってはいけない。国の過ちは継承していくべき生き証言である。いまその数が激減しているからこそ、恣意的な行為をしてはいけない。いまの国政は人間としてとても恥ずかしい行為をしている。一瞬にして亡国、滅亡の時代に戦前の思想と戦法から抜け出せないノスタルジックで軽薄な男が跋扈していることを悲しく思う。-浅吉-

8. たかおちゃん 2015年9月06日 21:11:14 : QxnSqubHwLNzQ : NSyP2OoR9G
この記事今の時期こそ大切と思いまして、
ご許可無く私のGooブログt3181happy727に転載させて頂きました。重ねてお詫び申し上げます。御報告申し上げます。

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