http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/795.html
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めづらしい映画が特集若尾文子映画祭で、再上映されている。
http://www.cinemakadokawa.jp/ayakoseishun/
40年ぶりとか。しかも若尾文子のデビュー作なのだそうだ。
(「兵隊やくざ」監督の増村保造が助監督で参加とか。
満洲での怨念でしょうか。)
1952年の大映映画だが。 安倍談話で大ウソ言ってる事、その一端がばれちゃう映画だし。
次々と思い知らされる映画だ、、、
関東軍の独走・・・軍の棄民、アベウソ、戦後なるもの、戦後はどうやって造られてきたのかを。
「明るい戦後」とは別の、戦中と戦後とが直接つながっている部分に思いを致させられる映画。
(さらに、韓国でだけでなく、日本政府の作った従米軍慰安婦やパンパン誕生につながる部分があるだろう。
日本にもあった<在日従米軍 慰安婦 政策>
http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/779.html
)
さらに学校で無視されてる占領史、戦後史、や映画史、映画検閲史に占める位置が大きいとは言えまいか。
***
「死の街を脱れて」1952年大映
投稿者も見てきた。安倍談話で首相が誤魔化した文言が余計にバレバレになってしまった。日本の政府と軍組織・上級軍人が日本人一般人を戦争末期から戦後にかけてぱっぱと捨ててきた。安倍首相は言えるワケないだろうが。戦争法案を強行採決しようとしてるわけだし。・・・
〜〜〜〜
日本人の働き盛りの男が、根こそぎ動員で徴兵されてしまい、あるいは殺されてしまい、「戦後」の略奪と暴行のなか、自決を言われもしたが、否だヤッパリ子どもを殺すことはできない!と自決を拒否して満洲を母子7人だけで脱出することにした。新京まで行けばなんとかなるのではないかと・・・。軍人と家族は先に列車で逃げ出していたのだ!驚きあきれ恨み節がつきないが、逃げ遅れた軍人の妻子が来てどうか一緒にと頼むので同道させていくことになった。・・・
若尾文子、髪を坊主に刈って顔に泥をぬって熱演。(木の葉の落ちた時期に満洲の川に肩近くまでどっぷりじいっと漬かって、水浴び?ってな妙ちくりんなシーンがあるが、、、、助監督に増村保造。のちに「兵隊やくざ」監督など)
『死の街を脱れて』1952(昭和27)年5月22日公開。大映。
小石栄一監督、五島田鶴子原作。
東京、福岡、大阪。名古屋。
東京では延長上映になったそうだ。
■8/21(金)
『死の街を脱れて』・・・11:00(〜終12:45)
http://www.kadokawa-cinema.jp/shinjuku/movie/30279.html
『若尾文子映画祭 青春』ロングラン上映!8/20(木)11:00〜『女系家族』、13:30〜『越前竹人形』です。最終日、8/21(金)11:00〜『死の街を脱れて』、13:30〜『妻は告白する』です。上映はシネマ1(300席)です。スタンプラリーのご応募は、9/30(水)まで!
― 角川シネマ新宿 (@Skadokawacinema) 2015, 8月 12
〜〜〜同映画のweblioから〜〜〜
「久我美子」とあるのは降板したので→「若尾文子」がデビューなのだそうです。
http://www.weblio.jp/content/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%82%92%E8%84%B1%E3%82%8C%E3%81%A6
〜〜〜〜〜〜〜
女優・若尾文子氏のデビュー作で、18歳の初い姿で、というだけでもファンにはたまらないだろうが、とはいえ、満洲での日本政府と軍による日本人棄民政策・棄民軍事作戦を取り上げた映画が、いまこの時期=安倍内閣が米国要請で・日本の憲法そっちのけで戦争安保法案を勝手にゴリ押し強行するこの暑過ぎる夏に再上映されてるっちうのも、なにかの因果であろう。
満州と言えば関東軍、関東軍といえば謀略・独走・暴走、阿片アヘン、興亜院。鈴木貞一、里見甫、岸信介、東条英機。。。
満洲といえば、満洲重工業、日産、昭和製鋼、、、
満洲といえば残留孤児・・・
何万人もが「戦後」に死なされたのだった。
安倍談話ではこうゴマかしていた;
8・14安倍首相談話、
「・・・沖縄における地上戦/など/によって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。」
(斜線は投稿者による)
!!!!!!!!!!!!!!!!
/など/ってなんだ!!!満洲在留邦人のうち25万人が死んだといわれているのに。軍がとんずらし、軍人家族だけ葫蘆島から先に帰ったといわれているわけだし。
投資が始めなされたなら、最後に資金回収・利益確定があるように、
作戦にも、開始作戦と終了作戦とがあったのだろう。
満洲へ、日本人がどのように連れ出され、誰がどのように儲けて、
一般人はどう捨てられてきたか。
(ちょっと横道にそれるが、
軍と新聞と小説家と映画会社と・・・
みんなでグルになって大嘘を宣伝したのであった。
満洲いいとこライライライ來來來などと。。。
だがじつは中国人からむりに安値で奪った土地を入植と称していたのだった。軍人が計画し国民は知らされてなかった。・・・
こんなのばっかりだった。
晩年は日中友好に務めたが
李香蘭の映画の主題歌で、
陽春小唱 (1939)
(《東遊記》主題歌)
詞:劉盛源 曲:永尾源
萬象更新又轉陽 滿洲好地方
拍拍手兒來來來 遍地黃金藏
你也喜來我也喜 吃穿無愁腸
來來來 太平鄉
大家攜手同唱歌 打鼓又敲鑼
招招手兒來來來 滿洲好山河
你也樂來我也樂 開發財寶多
來來來 慶協和
天朗氣清微風和 踏青快樂多
點點頭兒來來來 楊柳枝婆娑
你也笑來我也笑 進展快如梭
來來來 莫錯過
紅男刻酪W街頭 都說好滿洲
擺擺手兒來來來 新式大高樓
你也住來我也住 此樂復何求
來來來 祝千秋
)
非常時に一般庶民が、軍・政府(の役人)からどう扱われたか。
けっして安倍晋三首相のいうところの軍隊による邦人保護のようなことは行われなかった。
沖縄の地上戦ともども軍隊は住民を守らなかった。
日本人の軍人の歴史の事実だが。
この映画でも、
1、 ソ連侵攻があったことは軍人家族や役人家族が逃亡したことによって知った。最後に知らされた。
2、 「汽車は 軍の汽車だ!」 と怒鳴られて、載せてもらえない。汽車に潜り込もうとして銃撃さえされてしまった。略奪暴行のなかを逃げるのに、日本人からさえ一般庶民はこういう目にあわされたのだった。
3、略奪暴行のなかの逃避行だが、そんななか中国人の駅長が大目にみてくれたり、母子銃殺を命じた中国人隊長が、日本人の徴用機関士の嘆願に折れて助命の決断を下してくれたり・・・。そういう人に巡り合えたひとはまさに幸運であった。(左卜全が中国人の助役で出演してなにやら中国語らしきのセリフ言ってた)
中高生はもちろん、まだ引っ張られるかもしれないし年配オヤジも女子供も、必見だ。戦争映画ではなく敗戦映画だ。
運よく生き延びて記録しえた“幸運”な人々の体験談の証言。助けてくれる人にめぐりあえた人は、ほんとに幸運だった。
(赤ん坊を自分で殺せと日本の兵隊さんに命じられて泣く泣くわが子を殺して帰ってきたひとさえあったのだ。生きて坊主頭で帰ってきた同級生が私の祖母に泣いて語ったそうだ。ちょっと前までは満洲で何があったか常識だったと思ってたことが安倍公明党内閣ではそうでないらしい。
自衛隊の幕僚は法律に基づかず勝手なことをやってる。もうすでに関東軍になっているのではないか。だがこんどは外国の手先兵としての関東軍。
満洲をめぐって財閥・政治家・軍人によるかずかずの秘密と国民欺瞞の過ち、これを無視して日本人に平和はこないだろう。731部隊の人体実験隠しが、原爆・原発放射能無視とが関係あるように。)
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母もの映画、「流れる星は生きている」
帰国後の話が中心だそうだ。
「・・・生活に窮したけい子は遂に、次郎を山本にやろうと決心した。ところがこれを知った長男正一は次郎を連れて私かに家出した。寺の境内に一夜を明かした二人を発見したときは、次郎が高熱で苦しんでいる時であった。
次郎を引揚寮に担ぎ込んだものの、けい子は診療費に窮して、身を売る決心をした。しかし、・・・」
http://www.kadokawa-pictures.jp/official/shooting_star/story.shtml
帰国後の話が中心だそうだそうだが、
しかも原作者藤原てい(夫は小説家で新田次郎、「八甲田山死の彷徨」など)は母子で汽車に乗れたそうだ。乗ろうとして銃撃されてしまうグループとは別だ。
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小石栄一監督の戦後の作品群を見ていくと、母もの映画の成立と変化が想像される。
映画「流れる星は生きている」の主題の前編・原点として
帰国前の逃避行の話、これを「死の街を脱れて」で撮影しようとしたのではなかったか、小石栄一監督たちは?
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パンパン映画から、母もの映画の成立についてはGHQの映画検閲が厳しかったのではないかといわれている。米軍の日本人統治の都合上。
(李香蘭が山口淑子になった従軍慰安婦映画「暁の脱走」(原作は春婦伝)では黒澤明の脚本が再三検閲されてしまい黒澤は降りたと言われている。)
溝口健二監督「赤線地帯」でも、為政者による満洲棄民の一端がえがかれていた。
https://www.youtube.com/watch?v=ZUkZlhzslX4
===引用はじめ
満洲娘
「夢子」(三益愛子)が熱演して歌う 満州娘 _
出処 from:
溝口健二 赤線地帯 1956 Kenji Mizoguchi Street of Shame
満州や朝鮮、外地からの引き揚げの後、やっとたどり着いた「故国」日本の「戦後」、焼け出された庶民にはなにが待っていたか。
母は子どもを守り育てるために・・・
「流れる星は生きている」
https://www.youtube.com/watch?v=nojPbvQ__Tw
など、
敗戦直後と
その後、
数々映画に取り上げられた・・・。
〜〜〜
「聖」なる女たち:占領史的文脈から
「母もの映画」を読み直す
紙屋 牧子
https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/41684/1/EngekiKenkyu_37_Kamiya.pdf
〜〜〜
によると、
映画検閲が米軍によっておこなわれたそうです。
GHQの検閲、
米軍特殊慰安所、
進駐軍接待所、
「パンパン」の誕生、
パンパン映画、
検閲、
母もの映画の誕生・・・
(従軍慰安婦なるものを言葉で「売春婦だあ」と言い成し変えても、戦争=戦後の国民の苦労(国による棄民)の真実は隠されてしまうだけではあるまいか。)
ところが溝口健二監督は映画で、赤線地帯の背景として、三益愛子の熱演でしっかりと描き入れていたようです。
満洲、
満州事変〜関東軍の国と軍の棄民
引用おわり
名古屋でも上映されるそうです。
「若尾文子映画祭 青春」ですが、名古屋での上映が決定致しました!
9/26(土)よりシネマスコーレさんにて上映致します。上映作品やスケジュール等詳細は劇場へ直接お問い合わせください!
http://t.co/1hRhWlHePt
― 若尾文子映画祭 青春 (@wakao_filmfest) 2015, 8月 17
(デジタル化したそうなので、是非DVD化してほしいものだ。母ものシリーズともども。)
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