http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/761.html
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邦人を捨てて騙して先に逃走の棄民作戦/安倍・公明党内閣の戦争法案の点と線(なかにし礼の引き揚げ談から)
軍隊と国が邦人を騙して先に逃走した満洲。上官による棄民作戦のなかに指令があった。岸信介はもっとずっと前にとっとと帰国だったが。
満州出兵は、はじめ居留民保護が口実であった。
しかし実際の結末は、居留邦人をソ連軍の前に張り付かせて置いて軍人が逃走した。満洲で現地召集された国境の兵隊は犠牲になった。
さまざまな証言から、軍人の逃走と欺瞞は、作戦として上官の命令で行われたとわかる。上級将校から優先的に手配が行われ、葫蘆島の収容所からの帰国さえも一般人に先だって船が先に手配されたそうだ。列車に乗れた人は幸運であった。155万人のうち25万人が死んだと言われている。外地の日本人は帰ってくるなと国からも捨てられた。
集団的自衛権の閣議決定に抗議して
「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう」2014年
http://www.asyura2.com/14/senkyo168/msg/485.html
を書いた、なかにし礼。今年は癌の治療後だそうだがTVで語った。
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なかにし礼が語る戦争の記憶とは2015年8月
https://www.dailymotion.com/video/x30lsij_%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E7%A4%BC%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%A8%E3%81%AF_news
2015.8.6 BS日テレ 深層NEWS
「作詞家であり小説家でもあるなかにし礼さんは昭和13年、当時日本の支配下にあった満州で生まれた。
昭和20年8月9日にソ連軍が満州に侵攻すると運命は一変。父親の無残な死を目の当たりにし、どこで命を落としても不思議ではなかった引き揚げを体験して、戦争という極限下で人間はいかに残酷か、その一部始終をつぶさに見たという。
それから70年、今も消えることのない戦争の記憶をなかにしさんに聞く。」
(一部分書き起こし)
「
・・・僕たち物書きにとってはね、今ある状況が今たたかう最前線 なんですよ・・・がんを抱えていて治るからないかわからないけど、書くチャンスと場所とまた意欲さえあれば、今ある基地から出発して、山登りならそれをベースキャンプとして登っていく、闘いならそこを前衛としてたたかうということが僕たちに課せられた・・マア課題というか、だから僕はその通りやっている。」
(昭和9年(1934)父母が牡丹江に渡った。
(日本酒酒造、ガラス工場、ビール工場、関東軍の庇護で商売)
S20年8月9日。6歳だった
9日に牡丹江駅前を、ソ連が空爆。11日、自宅をソ連軍機十数機空襲された。
母親は避難を決意。父親は丁度新京に出張していていなかった。)
* * *
(8月11日のこと)
10:37
「みんながぎゅっとなって駅へ行ってみるとですね駅はもう人でごった返してんですよ、あぁ。5万10万の人が。・・・もう避難列車が、ところが避難列車はね
一番先に乗るのは陸軍の高級将校から・・・軍人最優先、軍人の中でも参謀本部からの順番ですよ、参謀本部の高級将校、それから高級将校から中級将校・・・なっていって、んで軍人が全部おわるとその家族が全部おわると、満鉄ですねそれから特殊企業なんか国策企業の人間、
・・・これがまたね憲兵にまもられてね引越しするみたいにね箪笥や卓袱台までしょってねリヤカーに乗せて、えー乗ってく。そこの周りにわれわれ群衆はいっぱいいるわけですよ。
(それに対しての怒りの声っていうのは?)
それはすごいですよ。泣く子も黙る70万の関東軍が戦争もしないでサッサと逃げるのかと、んあぁ居留民を差し置いて自分たちだけ先に逃げるとは何事だぁとわぁーっと言う、
憲兵が天に向かってピストルブッぱなしてうるさい!というようなことになって、駅前は阿鼻叫喚になるんだけど、
軍人たちはあたりを睥睨しつつのってゆくわけ。それを見てうちの母親は知恵のまわる女性でしたから、ここに居たんでは避難列車に乗れないということで、日頃から関東軍と懇意にしていたこともあって、関東軍の上層部と話をつけて軍用列車に潜り込むことを・・・。
12:56〜
軍用列車はね、これはね、そうやって人前から出ていくと群衆の罵声を浴びるんで、駅からちょっと離れたとこから、もう夜陰に紛れてっこっそりと出してんですよ。あnわりい(悪)んだ。その悪い卑怯列車に、えーわれわれも、最終・・最後尾にね、えーうちの家族と女中さん3人がえーそこに紛れ込んで、でえ牡丹江脱出すんですよ。乗ってんのは軍人ばっかり、軍人と軍人家族。あーそこにわれわれ民間人が乗ったからみんな煙たい目してね、汚らわしいのが乗ってきたみたいな顔してこんななって(ふんぞり返った仕草)いるんだけど、ん〜・・・
だけど僕から見ると、ぼくは小さかったけれど、われわれはね人を出し抜いて、まあ駅前には何万人という人が避難列車を待ってるんだけど、それを出し抜いて軍用列車に乗るってことは非常ぉ―にこれは後ろめたいことでもあり卑怯・・・後ろめたさはありますよもう、汽車じゅうの人が後ろめたいの、誰も物も言わないし、みんな俯いてね、えーそれはもう暗―い雰囲気の汽車ですよ。ぁーでーその後ろめたさに満ちた汽車ん中に乗ってたんだけど、でもわれわれはね、言ってみれば軍人じゃない しかし軍人はみんな兵器をもって戦う使命がありながらも居留民を残して大挙して逃げていくというこの人たちのね卑怯さに比べたらもう百分の一も千分の一でもあるとゆって、まあ心をなぐさめえーそれで乗ってたんですよ。
15:37
この列車はね駅から離れたところから、汽笛もならさずに出発してますから人は たかってないんです。僕にとって異常だったのは戦うべき軍人が武器弾薬を持っていながらね逃げてくということのこの不思議さというものがまず感じられたこと、そしてまた軍用列車であるからソ連軍の攻撃対象になるっていうことですよ。・・・軍用列車であるがゆえに翌日夜が明けてすぐソ連軍の機銃掃射に会うんです。・・・
* * *
(・・・軍人は逃げる・・・死体は窓から投げ捨てた。線路脇の死体にわーっと中国人が寄ってきて服を脱がせる時計は取る金歯・・・死体は丸裸になっていくっていうのを眺めながら逃避行を・・・
20:30
国家そのものが・・・正体を現す、人間も正体を現す。あらゆるものが正体を現す。人間の正体・国家の正体ってのはね非常ぉ―に醜悪で見苦しいもんなわけ残酷で。でもねそれは戦争でないときは何とか見ないで澄ましていられるんだけど戦争となるとそれを皆な露わに見せるわけですね。見せないと生きていけないから。それをね、見せるような状況をまあ国家たる者・政治家たる者はね、作っちゃ駄目ですよ根本的に。人間はやっぱ理想に向かってどう生きるかということに懸命になるべきであって、もう正体見せてこれが人間だっていうような状態を作り出してはいけない・・・)
(次の機銃掃射で汽車は動かなくなってしまった。ハルビンには15日に到着した。)
(次に乗ったのは石炭輸送の無蓋車で)
避難所で父親と再会
毎日、男狩り、女狩り
一歩間違えば弾が当たっていた。生きるか死ぬかは全くの偶然
関東軍の捨てられ、国に捨てられ
引き揚げ船を造ってくれといっても
いまや日本の力は国外へは及ばないということで造ってもらえない。
内緒で軍人たちをこっそり日本へ返している。
そういうこともあって父親は絶望したとおもわれますね
強制労働の年齢こえていたけど父親は45歳で手をあげて応じて病気になって死んだ。
戦争、命が危ないけどそれだけでない・・・
人間の残酷さや意地悪さ・浅ましさ・えげつなさ、そういう人間の正体、人間の鬼となる瞬間というものを戦争となると、敵味方分け隔てなく見る羽目になるということは、人間の地獄を見ることはね、人間にとってこれ以上悲しいものはない。
30:40〜
“引き揚げ者” 帰国後の周りの目
「国がアカラサマニ満洲、朝鮮・台湾に渡っていた人たちのこと、国が捨てた。国が捨てたものを国民はなんで?ということになる。国と一体であることをみんな人間は誇らしく思うわけだから、国と一緒になってやっぱり捨てた気分になるわけね。だからお前たちに食わせる米はないんだみたいなことになって、やっぱり差別はあるんですよ。マンシュウマンシュウと呼ばれますしね。何かにつけて。そうすると大変肩身の狭い思いをするわけ。
そこでね僕としては、引き揚げ船の中で日本人の、もうほんとうにひどい場面を見てもう絶望してね7歳の少年が海に飛び込もうと思いましたよ。そのくらい絶望した。だけど助けられて引き揚げてきましたよね。で日本へ帰って来て・・・戦争ということを自分の頭の中から密閉して開かずの扉に閉じ込めて澄ました顔して生きてゆこうということになるわけですよ。・・・生きてゆくためにはみんなと同じなんら変わらぬ少年を演じてゆくということを学んだですね。」
33:00
全人格をぶつけないと歌書きになれないと思った。
・・・七五調、国家と国民の心、方便、方法論・・・
国家に翻弄された人間としては
七五調を打ち破ろうとした
『恋のハレルヤ』1967年
「引き揚げ体験と戦争体験で、たっった一つ嬉しいことがあった。
長―い逃避行があり、長―い列車で引き揚げ列車で揺られてきて、葫蘆島というところに着いてまた長い間歩いて、それで小高い丘があるんですよ。その丘を越えてふっと見たらね、向うに真っ青な海がそれで真っ青な空があって、引揚げ船、我々を乗せてゆくアメリカのフリゲート艦がポンと浮かんでんですよ。こーの時の喜びというのはねそれまで真っ暗な洞窟を歩いて来た人間が突然明るい青空と青い海の前でぽっと出た感覚なのね、その時のね喜び、というのかな、それを僕は 〽ハレルヤー になったのね。だからその『愛されたくて愛したんじゃない』とかそういう言葉を、全部国家に対して言ってるんですよ。・・・『燃える思いをあなたにぶつけただけなんだと、帰らぬあなたの夢が今夜も私を泣かす』全部恋愛なんかじゃないんですね。僕の引き揚げ体験による国家と自分との関係というものを、んー恋愛という形に一つ借りて、その葫蘆島の青い空と青い海を見たときの喜びをうたにしてみたということでんーたぶん僕にしかかけないだろうなという思いで書いてましたね。・・・」
『恋のハレルヤ』
http://www.uta-net.com/movie/1835/
40:30〜
(作家が今の時代にやらなければいけないこと)
(澤地久恵さん落合恵子さんたちも頑張っています・・・科学者たち・憲法学者たちもが)
「渡辺一夫が『敗戦日記』のなかで「私達知識人がもう少ししっかりしていれば軍部の暴走を止められたかもしれない」と言っているわけ。これはまあ敗れた後で言っていることですがね。しかし今日本はまだ破防法も(*治安維持法?)まだないしまだいま発言できるんだから、
いまからそう国家に怯えないでもっともっと、マスコミのせいだけににしないで、作家が、その国のありようというものをもっと自分の問題としてとらえて物を言うべきであるし、もっと力を合わせて言えば、この国のゆく方向というものを、多少なりとも良い方向へ持って行けるのではないかと思いますね。」
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