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http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150608/284041
米国から見た、翁長沖縄知事の訪米
2015年6月10日(水) 堀田 佳男
動く時期が遅すぎた―。そんな印象が拭えない。
翁長雄志・沖縄県知事が訪米を終えて6月5日に帰国した。米政府関係者に対して辺野古の新基地建設断念と普天間飛行場の早期閉鎖・返還を説いて回った。
翁長知事の訪米の成果は日本のメディアの見出しを追うだけで十分に推察できる。朝日新聞デジタルは「『辺野古NO』通じず 米の冷遇実感」と打った。産経新聞は「沖縄知事、辺野古反対訴えたが…米政府側『揺るぎない』」と、ほとんど成果が上がらなかったことを伝えた。
それでは米メディアは翁長訪米をどう報道したのか。実は、米メディアの反応には賛否両論がある。それについて述べる前に、移設問題を俯瞰して、米一般市民がどう捉えているのかに触れたい。
「辺野古への移設を白紙に戻すことなどない」が大勢
「普天間飛行場の移設問題のことは、ほとんどの人が知らないと思います。普天間という名前さえ知らない米国人がほとんどでしょう。沖縄県の知事が訪米していた? 知らなかった」
東海岸バージニア州に住む会社員リチャード・レイさんは電話インタビューにこう答えた。インターネットで毎日ニュースを読み、テレビ・ニュースも観るが、翁長知事の訪米には気づかなかったという。
レイさんは沖縄に米軍基地があることは知っていたが、移設問題が日米間の懸案事項になっているとの認識はない。一人の市民のコメントだけから一般論を導くことはできないが、少なくとも米メディアは翁長訪米を大きく報道してはいなかったということだ。
米国防総省(ペンタゴン)の情報を詳述する新聞、星条旗新聞(スターズ・アンド・ストライプ)でさえ、AP通信が配信した記事を載せたに過ぎない。「ワシントンの政府高官は翁長知事に対し、海兵隊の新しい飛行場を辺野古に建設する以外に選択肢はないことを告げた」という内容だ。記事からは、今ごろ訴えにきても撤回などあり得ないといった冷たさを感じる。
外交問題を扱う雑誌「ザ・ディプロマット(外交官)」も「辺野古への移設以外のオプションは限られている。それが現実」と書く。そして翁長知事が会談した政府高官たちは、いまさら辺野古への移設を白紙に戻すことなどないと報じている。
保守系の新聞「ワシントン・タイムズ」は、移設問題には賛否両論があると指摘した。移設反対が沖縄県民の総意であるかのような言動が目立つが、そうではないと述べる。昨年の知事選挙で移設賛成に回った仲井真弘多前知事に多数の票(約26万)が入ったと伝えた。
米ワシントン・ポストは沖縄に好意的
米メディアで翁長知事の訪米を最も好意的に伝えたのは、リベラル系の新聞として全米で有名な「ワシントン・ポスト」だ。翁長知事が訪米する前に長文の記事を載せ、「米政府高官はこれまで沖縄で、まるで盗賊のように振る舞ってきた」と米政府のこれまでの政策を非難した。
さらに東京にいる日本政府関係者は翁長知事の要望を聞こうとしない「デフ・イア(聞こえない耳)」と中傷さえした。日本のメディアでここまで書くところはない。
さらに同紙は移設に反対する投書も載せた。「翁長訪米はたいへん貴重である。安倍首相は沖縄県民の意向に反して、辺野古移設を強硬に進めようとしている。ワシントンの政府高官は安倍のような態度を取るべきではないし、沖縄の米軍基地に長期的な利益をもたらす方法を考えるならば、知事の言うことを聞くべきだ」。
けれども、同知事の政治的立場は米国内では弱い。政府高官たちは「意見だけはお伺いしましょう」という立場でしかなかった。だから、国務省での会談相手は長官でも次官でもなく、ジョセフ・ヤング日本部長。ペンタゴンにいたってはカーラ・アバクロンビー氏という副次官補代理代行という下位の役人が出てきただけだった。
つまり普天間飛行場の移設問題は、日米両政府の間では既にケリがついている案件ということである。米政府としても、今さらひっくりかえせないとの思いが強い。
「嘉手納統合」を唱えたマケイン議員も現行案に賛成
翁長知事は共和党のジョン・マケイン上院議員にも面会した。同議員は2011年、米民主党カール・レビン上院議員らとともに、普天間基地を嘉手納基地に併合する計画を練っていた。さらに沖縄に駐留する海兵隊のうち8000人をグアムに移動させるという具体的なアイデアを検討してさえいた。
今回、翁長知事との会談の内容は明かされていないが、会談後にマケイン氏はネット上にメモを公表した。「今後も翁長知事と建設的な会談ができればいいと思っています。沖縄県民に敬意も表したいです。ただ私は現在、日米両政府が既に合意に達した移設計画を支持しています」。
この発言を聞くと、翁長知事の訪米は遅きに失したという思いが滲む。かつては辺野古移設を阻む勢力として期待されたマケイン議員でさえ、いまは何もできないというのが現実である。
前述したようにワシントン・ポストなどは、沖縄県民の意向を無視して辺野古に飛行場を建設すべきではないとの論を展開している。しかし多くのメディアは、辺野古移設は「揺るがない」との立場で、日米政府の見解を踏襲している。
今の辺野古移設問題を野球の試合にたとえるならば、日米両チームが主審の「プレーボール」のかけ声でプレーを始めたが、選手でもない翁長知事が試合を妨害しにかかっているといった状況かと思う。試合を阻止するのであれば、「プレーボール」の前にするべきだったかもしれない。
国連に訴えよ!
実は、沖縄県は今年4月、ワシントンに事務所を開設した。米政府関係者との風通しをよくするためである。ワシントンに事務所を開くということは、ロビー活動を行うということである。中国やイスラエルのように1年で億円単位の予算を使うことができれば、連邦議員だけでなく、ホワイトハウスにも政治力を行使できる。
沖縄県として、10年前にワシントン事務所を開設してロビー活動を積極的に行っていたら、事態は変わっていたかもしれない。マケイン議員やレビン議員を味方につけて、辺野古移設ではない別の解決策が見いだしていた可能性がある。
翁長知事は、いまからでも国連に訴える手段も考慮すべきだ。辺野古移設は沖縄県民に対する人権、及び自由と民主主義の侵害だと主張するのだ。日本政府にも米政府にも頼まず、国連に直接働きかければよい。
昨年、スイスのジュネーブにある国連人種差別撤廃委員会が、沖縄の米軍基地に関する政策をめぐって議論している。ある委員は「地元に関わる問題は事前に地元の人たちと協議して同意を得ることが重要」と指摘した。辺野古移設を撤廃する強制力はないが、声を上げることは重要だ。
普天間飛行場を辺野古に移設することで日米両国が合意したのは、1996年に開かれた日米特別合同委員会(SACO)の場であった。あれから20年が経とうとしている。民主党政権が誕生した09年に鳩山由起夫首相(当時)が行った「少なくとも県外」という主張は、すでに遠い夜空に消えたが、国連に直接訴えるという新たな国際的政治力を沖縄県が模索する道は残されているはずだ。
このコラムについて
アメリカのイマを読む
日中関係、北朝鮮問題、TPP、沖縄の基地問題…。アジア太平洋地域の関係が複雑になっていく中で、同盟国である米国は今、何を考えているのか。25年にわたって米国に滞在してきた著者が、米国の実情、本音に鋭く迫る。
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