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「テレメンタリー」
- 2015「二つの戦争〜翻弄された日本兵と家族たち〜」 -
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/info/851692/index.html
ベトナムにある革命烈士の墓の中に、ベトナム独立のために戦った元日本兵の墓がある。ベトナムでの名前はホー・マイ・タインで1952年フランス軍との戦闘中に亡くなった。第二次世界大戦後に約600人の日本兵がベトナムに残留しており、その名簿がある。その多くが越盟軍、ベトナム独立同盟に参加しフランスとの戦いに身を投じていた。第二次世界大戦とベトナム独立戦争ニつの戦争を生き抜いてきた男性。終戦から70年をむかえる今、数奇な運命を辿った元日本兵の半生に迫る。
大阪 天王寺区にある日本ベトナム友好協会の顧問をつとめる杉原剛さん(93)は、元日本兵で、ベトナム独立戦争を戦った数少ない生き残りの1人。こうした日本人をベトナム人はベトナム・モイ=新しいベトナム人と現地で呼ばれた。杉原さんは中国の海南島で終戦を迎え、九死に一生を得た。しかし海南島司令部は敗戦を受け入れず戦闘継続のための食料調達を杉原さんに命じた。その食料調達の道中で杉原さんは嵐に遭い遭難しベトナムにたどり着き、ベトナムの軍人から軍に加わるように求められたという。1945年ホー・チ・ミンの指導のもとベトナム独立宣言がされたがフランス軍が侵略。ベトナム独立同盟のほとんどが農民で、ホー・チ・ミンは危機感を抱き、外国軍の知識と力を求めたとズォン・チュン・クォックさんは語る。そこで頼られたのが終戦後に残留していた日本兵たちであった。杉原さんは一から訓練指導を行うよう頼まれたという。杉原さんはラップと呼ばれた。それは独立を意味する言葉だった。
侵略してきたフランス軍にベトナムはゲリラ戦で対抗するが軍隊としての組織力が弱く大きな犠牲を伴った。杉原さんたちはジャングルの中を転々とする生活を続け、やがて村の女性と結婚し2人の子供を持った。軍事訓練の傍らで杉原さんはマラリアの脅威も感じ、医療活動にも取り組んだ。当時、杉原さんから治療を受けた人は杉原さんのことを「ベトナム人よりも優しかったので皆に好かれていました」と話す。1950年頃からベトナムは中国の支援を受けその勢いを強めていった。そして1954年5月7日にフランス軍の拠点ディエンビエンフーを陥落させ悲願の独立を果たした。その一方で日本兵には「日本へ帰国せよ」との命令が下された。しかも妻子を連れ帰ることも許されなかった。ズォン・チュン・クォックさんは、こうした背景にフランスとアメリカは同盟国で、そのアメリカと日本が同盟国。またベトナムを支援した中国は日本人がベトナム人に影響力を持つことを嫌ったのが理由だと話した。そして杉原さんは家族を残し日本に帰国した。
杉原さんは帰国してすぐに日本ベトナム友好協会の設立にとりかかった。ベトナムではフランス軍撤退後にアメリカとのベトナム戦争が行われていた。杉原さんは家族のために反戦運動に奔走する。そして世界中の反戦運動の後押しもあり、アメリカ軍は撤退。1975年にサイゴン陥落し終戦を迎えた。
杉原さんの家族をたずねタインホアを訪れた。ベトナム戦争を生き延びた息子のクアンさん(65)が出迎えてくれた。戦火の中で杉原さんの妻は不慮の事故で命を落としていた。戦争が終結するとクアンさんは父の杉原さんを探し奔走した。所在がわかったのは1980年、そして1996年にクアンさんが初来日し念願だった親子の再会が果たされた。
いま杉原さんは、去年の春から留学に来ている孫のナムくん(24)と同居している。ナムくんは、杉原さんの1人暮らしを心配する家族の想いをうけ日本行きを決めたという。この日インターネットを通じベトナムの家族と話をすることになり、次男のミンさん(63)と三男のヴィンさん(61)がクアンさんの家に集まってきた。三男のヴィンさんは、母のお腹に居る時に父と別れており、念願の対面を果たし感動の涙を流した。ヴィンさんは杉原さんを「本当に尊敬しています」と語った。
ディエンビエン小学校は戦争中に作られた為、簡素なものだった。そのことをクアンさんから相談された杉原さんは募金を集め新しい校舎を2つ建設した。杉原さんにとって息子たちを育ててくれた第2のふるさとへの恩返しだった。杉原さんは「(ベトナム独立を戦った)この道を歩んだことを誇りに思う」と語った。戦後70年の歴史に埋もれていた、二つの戦争を戦った日本兵たち。そこには国家と時代に翻弄された物語があった。
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