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ハワイ真珠湾の戦艦ミズーリで特攻企画展が始まった。オープニングセレモニー後、特攻の跡が残る右舷デッキでマイク・カー館長(右)から説明を受ける霜出勘平南九州市長(中央)。左は在ホノルル日本領事館の重枝豊英総領事=11日、ハワイ・オアフ島(鈴木健児撮影)
特攻の日本兵、米兵が「日の丸」で覆い手厚く水葬 ハワイの企画展、新たなエピソードも
http://www.sankei.com/life/news/150412/lif1504120045-n1.html
2015.4.12 21:38 産経新聞
戦時中、米戦艦ミズーリに特攻して死亡した日本兵は手作りの「日の丸」で覆われ、米兵に手厚く水葬されていた−。米・ハワイの真珠湾に係留されている戦艦ミズーリ記念館で始まった特攻企画展では、関係者も新たに知るエピソードが披露され、日米の出席者が交流を深めた。
企画展開催のきっかけになったのは、昨年12月7日付産経新聞朝刊(一部地域は6日付朝刊)に掲載された本紙写真企画「戦後70年〜記憶の風景」を「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)管理係の桑代睦雄さん(54)が目にしたことだった。
「特攻機が突入した戦艦と分かっていても、多くの人が詳しい歴史を知らないのでは…」
記事を読んだ桑代さんが疑問を感じ、産経新聞社を通じて戦艦ミズーリ記念館に連絡を取り、「後世に事実を正しく伝える必要がある」と一致。桑代さんが今年3月、同記念館に赴いた。
記念館で桑代さんは、新たな事実も知った。昭和20(1945)年4月11日、鹿児島県の喜界島沖で特攻機がミズーリ右舷後方に突入した際、操縦していた日本兵は艦上で戦死していたが、乗組員は手作りの日の丸で遺体を覆い手厚く水葬、記録写真も残っていたことなどだ。
「双方が憎み合っていないことが分かり、一緒に事実を伝える催しを開きたいと思った」。桑代さんはこう振り返った。
企画展での展示品は遺書や手紙の複製、軍服など19点と隊員の写真約80枚。特攻の傷跡が残る甲板で行われた式典では、戦死した隊員が恋人にあてた「会いたい…」と、つづった手紙が日本語と英語で紹介され、出席者が涙する一幕もみられた。
式典終了後、南九州市の霜出(しもいで)勘平市長(74)ら日本側関係者は、戦艦ミズーリ記念館のマイク・カー館長(65)から特攻を受けた当時の説明を聞くなどして親交を深めた。
カー館長は「日米が協力して実現した展示を誇りに思う」と語り、霜出市長も「特攻の資料を持つ日本の施設と特攻を受けたミズーリの記念館が協力する意義は大きい。今後もさらに理解を深め事実を伝えたい」と話していた。企画展は11月11日まで。(米ハワイ 鈴木健児)
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