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「日本の天皇がパラオの戦死者を追悼する」(宮内庁・BBC)
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/424.html
投稿者 無段活用 日時 2015 年 4 月 11 日 23:59:26: 2iUYbJALJ4TtU
 

(宮内庁)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h27e-palau.html#AIRPORT


平成27年4月8日(水)


パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)


<英文>


本年は戦後70年に当たります。先の戦争では,太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ,数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。

私どもはこの節目の年に当たり,戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ,パラオ共和国を訪問いたします。

パラオ共和国は,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国と共に,第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが,戦後,ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により,我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ,我が国から多くの人々が移住し,昭和10年頃には,島民の数より多い5万人を超える人々が,これらの島々に住むようになりました。

終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。

この度のパラオ共和国訪問が,両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の,更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは,この機会に,この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。

この訪問に際し,ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり,パラオ国大統領御夫妻と共に,ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。





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(Japan emperor marks Palau war dead: BBC)
http://www.bbc.com/news/world-asia-32229358


日本の天皇がパラオの戦死者を追悼する


2015年4月9日


アジア



天皇夫妻がペリリューの戦死者に拝礼した


日本の明仁天皇が太平洋の島・ペリリューを訪問し、第2次世界大戦中の熾烈な戦闘で死亡した人々を追悼した。

パラオの国の一部になっているこの島での3カ月間の激しい戦闘で、10,000人程の日本軍部隊と1,600人の米軍軍人が死亡した。

彼は声明で「悲惨な歴史」を忘れてはいけないと語った。

裕仁天皇を父とする81歳によるこの訪問は、終戦70年後に実現した。

彼は10年前、その戦争が終結に向かう頃に壮絶な戦闘が見られた太平洋の別の島・サイパン−現在は米国の一部だ−にも同様の訪問も行った。

ペリリューの戦闘は、米軍部隊がこの島に飛行場を得ようとして1944年9〜11月に行われた。


明仁天皇−ここでは美智子皇后も共に見られる−は人々に戦争の歴史から学ぶよう呼び掛けてきた


「現在のパラオ共和国を含めたこの地域で米国と日本の間でいくつもの熾烈な戦闘が行われ、その結果、数え切れない人の命が失われた」と明仁天皇は水曜日の晩餐会で語った。

「私たちは第2次世界大戦で命を失ったすべての人々を追悼して敬意を表し、あわせて、残された家族が受けた苦難を省みるために、ここパラオに来ている。」

明仁天皇は機会を見ては、日本は歴史から学ばなければならない、起こったことを決して忘れてはいけないと語っていた。




しかし、国家主義者の安倍晋三氏が率いる日本の現政権が戦時の行動について反省していないのを諸隣国が懸念している最中に、彼の訪問が行われることとなった。

今週に入ってから、中国と韓国は新たに認可された学校教科書をめぐって抗議を行った。彼らは、学校教科書が南京大虐殺などの出来事を軽く扱っていると述べている。

BBC・東京のルパート・ウィングフィールド・ヘイズは、現政権は日本によって作り込まれた恐怖を人々に忘れさせようと熱心になっているかも知れないが、その一方で、明仁天皇は彼なりのさりげない方法で別のメッセージを送っているのだと語った。



 

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コメント
 
01. 2015年4月12日 14:36:32 : 43n9APMvqg
安倍晋三は、「朝敵」です。
▼「天皇陛下は安倍政権を批判するな」安倍首相のブレーンである八木秀次麗澤大学教授が天皇陛下を批判!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2577.html
▼ネトウヨこそが朝敵だった
「バカウヨの正体見たり、チョーセンジン」というわけで、恐れ多くも賢くも、
天皇陛下が「原発と戦争反対」と言ってるというのに、バカウヨは日本中で原発を再稼働させて爆発させて、日本を潰そうと虎視眈々ですw どっちがマトモな感性を持っているか、言うまでもない。
http://my.shadowcity.jp/2015/01/post-6307.html
▼ネトウヨ怒りの天皇在日認定
天皇を「反日」と呼び、「死ね」と罵るw これがアベシンゾーの子分どもですw
こういう馬鹿どもに煽られて、日本は破滅的な戦争に突入した。そして今も、連中は原発擁護で大騒ぎw 歴史は繰り返すw
http://my.shadowcity.jp/2015/01/post-6302.html
▼国のリーダーとしてまともなことを言っているのは、天皇陛下だけだ。天皇陛下が言っている正しい言葉は、昔は多くの者たちが言っていた。マスコミ論者も、大学教授も、政治家も。今はいない。
https://twitter.com/yoniumuhibi/status/587059250100187137
▼天皇陛下の発言には、重さだけでなく勇気がある。「国民とともに憲法を守り」とか、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び」とか、勇気がなくては発せられない言葉だ。だから聞く者を感動させる。天皇の非政治的地位という原則的立場との緊張関係の中で、天皇陛下は勇気を奮っている。
https://twitter.com/yoniumuhibi/status/587067427197861888
▼天皇陛下は倫理学者・安倍能成の教え子ですね。まさに戦後民主主義の言葉が天皇陛下から語られている。戦後民主主義の思想のよさは、そこに倫理があることだ。
https://twitter.com/yoniumuhibi/status/587073657962303488
▼満州事変から84年敗戦から70年、フクシマから4年目の日本
元日(2015年1月1日)付の産経新聞一面トップは悲惨極まるペリリュー島の玉砕(集団自殺)を全面的にヨイショするという、とんでもない(ひょっとして褒め殺しの心算か?)お馬鹿記事。
1931年の満州事変では『この道しかない』(満州は日本の生命線)と騙して人々を熱狂させ、日本人は絶望的な日中15年戦争の泥沼に自ら飛び込んで行ったのである。
今回の天皇発言が素晴らしいのは、言葉の順番である。
憲法による天皇の政治発言が禁じられている中で、ぎりぎりの線を守って精一杯日本国の未曾有の危機を訴えているのである。
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/0adfb1152be3c37dd1fbb2c4abaf2f7f

02. 2015年4月12日 15:19:27 : aQq0UGoaxY
敬愛する天皇陛下
パラオ共和国晩餐会でのご答辞・全文

 戦後七十年に当たる本年、皇后と共に、パラオ共和国を訪問できましたことは、誠に感慨深く、ここにレメンゲサウ大統領閣下のこの度の御招待に対し、深く感謝の意を表します。今夕は、私どものために晩餐会を催してくださり、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き、ありがとうございました。また、この訪問に合わせ、モリ・ミクロネシア連邦大統領御夫妻、ロヤック・マーシャル諸島共和国大統領御夫妻がここパラオ国を御訪問になり、今日、明日と続き、私どもと行動を共にしてくださることも誠にうれしく、心より感謝いたします。

 なお、この度の訪問を前にして、ミクロネシア連邦を襲った台風の被害を耳にいたしました。ここに犠牲になられた方々を悼み、御遺族へのお悔やみをお伝えするとともに、被害を受けた大勢の方々に心よりお見舞い申し上げます。地域の復興の一日も早いことを念願しております。

 ミクロネシア地域は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委任統治領になりました。パラオには、南洋庁が設置され、多くの日本人が移住してきました。移住した日本人はパラオの人々と交流を深め、協力して地域の発展に力を尽くしたと聞いております。クニオ・ナカムラ元大統領始め、今日貴国で活躍しておられる方々に日本語の名を持つ方が多いことも、長く深い交流の歴史を思い起こさせるものであり、私どもに親しみを感じさせます。

 しかしながら、先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。

 また、私どもは、この機会に、この地域の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。

 ミクロネシア三国と日本との外交関係が樹立されてから二十年以上がたちました。今日、日本とこの地域との間では漁業や観光の分野を中心として関係が深まってきていることは誠に喜ばしいことです。今後それぞれの国との間で一層交流が盛んになることを願ってやみません。

 ここに杯を挙げて、パラオ共和国大統領閣下、令夫人、ミクロネシア連邦大統領閣下、令夫人、及び、マーシャル諸島共和国大統領閣下、令夫人の御健勝とそれぞれの国の国民の幸せを祈ります。


03. 2015年4月13日 04:12:15 : w3M1BHSquE
ネトウヨ連中がどんなに言い訳しようとも 泣きわめこうとも
「満州事変」は、日本による 立派な立派な“侵略”です これは厳然たる事実です

陛下はこう言いたかったんですよ。


04. 2015年4月13日 11:48:59 : JacbkagMoY
戦争を自然災害みたいに言ってるね、天皇さんは。

「戦闘があったことを忘れてはいけない」のではなくて
「昭和天皇が命令して戦争させた」ことを忘れてほしくないんだが。

真に反省するなら天皇制自体を終わらせることまで含めて
真剣に反省していただきたい。あなたの親父がやったことをね。


05. 2015年4月13日 15:43:16 : wAtVSA2hbg
天皇様からすれば自然災害と同じ。

06. 2015年4月13日 22:42:44 : 9WSJa9DmqO
>>04はすごいね。
親がやったことの責任を取ることができなければ子が取れといっているようなものだ。

今の時代に連座制とは恐れ入るよ。


07. 2015年4月14日 01:31:44 : tOcqZtixpQ
>>06

天皇と一般人とを混同しとるアホがおるな。
すべての一般法(皇室典範除く)は天皇とは無関係なのだよ。


08. 2015年4月14日 09:07:29 : KzvqvqZdMU
日本嫌いの反日日本人の糞コメントばかりだね。
天皇のパラオ訪問の隠れた意味はだな、パラオが親日国だってことだ、そこを
訪問されたってことだ。日本の言い分を密かに主張されてるわけだ。
 パラオの国旗の意味を知っておるか、日の丸に似せて作られたものだ。
ドイツ領であったとき、ドイツ人は、学校とか、インフラとか、なぁ〜んもせず
ただ搾取するだけ、日本の信託委任領になって、はじめて学校を作り、教育し、
インフラ整備もやった。日本がまけてアメがやってきてもなぁ〜んもせん。
パラオは日本に恩義を感じておるのだよ。朝鮮人とは雲泥の差だよな。
朝鮮人が野蛮状態から今のやうに読み書きが出来るようになったのは日本の
おかげだよ。


[32削除理由]:削除人:アラシ
09. 2015年4月14日 18:39:03 : w3M1BHSquE
パラオは親日国家 だから ウヨ連中の反発が少ない なのでやっと実現した訪問なのです

● 本来ならば 真っ先に慰霊に行くべき南方戦地は ガダルカナル島である ●

草木をかじり 泥水をすすり マラリアに苦しみ ついには無残な屍を晒した兵士達
国家体制や軍上層部を どれほど恨んで死んでいった事か その壮絶な最後に思いを寄せ
「済まない事をした」 と、一言で良いから現地で慰めてやるべきである

だが、陛下がこれほどまでに高齢となってやっと実現したのが ようやくパラオなのである。


10. 2015年4月15日 04:35:38 : rViWvWe0mE
私の叔父はニューギニアのマルジップで戦死した。
どう死んだのかわからない。餓死かもしれないし
もっとひどい死かもしれない。
パラオの悲劇も伝えられるべきだが
ニューギニアも忘れないでほしい。天皇の反省は
まだまだ中途半端だ。


11. 2015年4月17日 05:14:09 : sFnR5aw4qE
戦前の日本は天皇独裁体制ではない、つまり立憲君主制であり、内閣の決定は基本

的に天皇は承認する。

昭和11年 2.26事件以降は軍部が政治の実権をにぎり日本全体が戦争準備の

方向に向かっていたのであろう。世界が戦争の流れの中にいた。

昭和天皇は広い太平洋まで乗り出して行って、勝ち目があるのかと軍部のやり方

に疑問を投げかけておられた。

昭和天皇みずから命令されたのは、内閣が機能しなかった(決断できなかった)

2.26事件の鎮圧  および 終戦の決定の 2回だけでした。

昭和天皇に敗戦の責任はないわけではありませんが、敗戦は日本の運命だった

のでしょう、世界中が戦争したわけですから。



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