前回(「イエメン空爆を招いた過激派『フーシ派』の正体」)は、サウジアラビアをはじめとする10カ国がなぜイエメン空爆を始めたのか。空爆の直接的な原因をつくったイエメンのシーア派系武装組織「フーシ派」とは一体どんな組織なのかを見た。今回は、軍事介入によってイエメンでどんな展開が今後起こり得るのか考えてみたい。
今やイエメンは、表面的に見れば、地域諸国の代理戦争と宗派対立が極まった失敗国家に成り果てんとしているかに見える。空爆の継続と、場合によっては地上軍の派遣によって、交渉を通じた政治プロセスを再開することは当面の間は不可能であろう。
今後のシナリオは、2つの条件に依存している。すなわち、1つは、地上軍が実際に派遣されるか否か、そして派遣される場合にはどれほどの規模の地上軍が派遣されるかであろう。もう1つは、その際に、サーレハ前大統領の息のかかった勢力が、どのような判断を下すかである。
イエメン再分割の可能性
第1のシナリオは、イエメンが改めて北イエメンと南イエメンの2つに分割される可能性である。
イエメンは、そもそも南北に分かれていた。北部イエメンでは長らくザイド派王朝が統治し、これが1960年代の内戦の結果、共和制の北イエメンとなり、一方、英国が植民地化していた英領アデンは、67年以降、90年まで社会主義の南イエメンとして、長らく別々の国であった。
すなわち、ハーディ大統領の出身地である南部の都市アデンを、アラブ連合軍による特殊部隊派遣で死守し、リヤドに難を逃れているハーディ大統領を改めてアデンに戻し、まずは南部に橋頭保を確保する可能性もある。
しかし、大規模な地上軍の派遣までには至らず、サーレハ前大統領派が強い存在感を示す首都サヌアまでは、容易には侵攻できないというシナリオである。その場合には、南北間での膠着状態がしばらく続くかもしれない。
この場合、北イエメンではフーシ派とサーレハ前大統領派による、まとまりのない統治が、そして、南イエメンではハーディ大統領派とヒラークなどの南部分離主義者による暫定統治が続くということになる。その場合でも、北イエメンでは、イスラム政党イスラーハを支える多くのスンニ派部族との軋轢は避けられないし、南イエメンでは「アラビア半島のアルカーイダ」(AQAP)が勢力を伸ばす可能性が高い。
経済的に見ても、イエメンの南北分断は、長期にわたって湾岸諸国と国際社会が大規模な経済支援を継続しなければ、次第に疲弊していくことにつながろう。
このような可能性が全くないわけではないが、同時に、このような中途半端の結果で今回の軍事作戦が終わることも想定しにくいだろう。なぜなら、今回の軍事作戦の発動では、サルマン国王が率いるサウジアラビアの真剣度には非常なものがあるからだ。
空爆が開始される前に、サーレハ前大統領の息子がリヤドを訪ね、サウジアラビアとの間で妥協の可能性を探ったとも伝えられている。しかし、サウジアラビアはこれを否定し、空爆へと踏み切ったのである。サウジアラビアが、エジプトやパキスタンなどの陸軍大国との共闘を強く望んだ背景を忖度するならば、地上軍の派遣は折り込み済みと考えるべきなのだろう。
イエメン内戦のベトナム化?
このように推測するならば、第2のシナリオは、大規模な地上軍が派遣されるという前提のシナリオとなる。そうなれば、1960年代のイエメン戦争(内戦)と同様の結末になるのではないか。すなわち、今回のイエメン内戦が、地域諸国の関与によって中東のベトナム戦争となる可能性である。それは、明確な勝者がいない泥沼の長期戦と言ってよい。
そもそも62年までイエメンは、ザイド派の国王が支配する王国であった。ところが、国王に対する共和派のクーデターをエジプトが支持し、王党派をサウジとヨルダンが支持したことから、長期にわたる内戦が地域諸国を巻き込んで70年まで続いた。最終的には、北イエメンでは王制が廃止されるとともに、共和派と王党派が妥協し、北イエメンに共和制国家が誕生し内戦は終焉するのだが、これに関与した地域諸国も大きな痛手を被ることとなった。
その代表国はエジプトである。今でもエジプトの昔の軍人たちは、イエメン戦争のことを辛そうな記憶を想い出すように語ってくれる。何しろ最盛期で7万人ものエジプト兵士がイエメンに派遣され、1万人ほどが戦死している。あげくのはてにイエメンに軍事介入したことでエジプト軍が疲弊し、67年の第3次中東戦争でイスラエルにわずか6日間で敗北を喫するのだから。イエメン戦争がエジプトのナセル大統領にとってのベトナムであったと言われるのは、このためだ。
今後、近代的な兵器を有するサウジアラビアをはじめとするアラブ連合軍が、空爆に続いて一定規模の地上軍派遣に踏み切るとすれば、アラブ連合軍は、サウジとイエメンの国境からイエメン北部へと大規模に侵攻し、サヌアに進撃することになろう。
そして、これらアラブ連合軍には、かつてはサーレハ前大統領に次ぐ事実上のナンバー2であったアリ・ムフシン・アフマル司令官の勢力や、イスラム政党イスラーハ、その支援者であるアフマル家を中心とするハーシド部族連合なども加わろう。
また、その他のサウジアラビアと関係が深いマアリブ州やシャブワ州などの砂漠地帯の部族などからの支援も期待できよう。さらに言えば、AQAPなどの過激派も、サウジに近いイエメン南部の部族を通じて、異端のフーシ派との戦いへと参加を促されるだろう。実際、4月8日には、AQAPは、アブドル・マリク・フーシとサーレハ前大統領を殺すか、捕えた者にそれぞれに賞金として20キロの金を与えることを発表している。
このように大規模な地上軍が侵攻する場合には、軽武装のフーシ派は、イエメン南部はもとより首都サヌアからもいずれは退却せざるをえなくなるのは明らかだ。
しかし、山岳地帯が多いイエメン北部まで彼らが退却すれば、地の利を得たフーシ派をそれ以上追い込むことはできなくなるに違いない。また、その場合には、窮地に追い込まれたフーシ派へのイランの支援も本格化せざるをえないだろう。
イエメンはアラビア半島の南に眠っている火山
そもそもイエメン国民の35%を占めるザイド派全てを敵にまわすことは、政治的にできないのである。すなわち、政治的な解決が模索されない限りは、双方の消耗戦は果てしなく続くことは最初から自明なのだ。
一方で、サーレハ前大統領に近い勢力は、フーシ派を見捨てて立場を改めて変えることができるだろうか。すでに、サーレハ陣営ではフーシ派と共闘するとの方針に反対する関係者も出てきていると言う。これは、サウジアラビアによるサーレハ前大統領派の分断作戦が始まっていることを示唆していよう。また、状況が自らに不利になることが判明すれば、サーレハ陣営は想像以上に早く立場を変える可能性もある。
同時に、このような長期の戦いがもたらす経済社会面の影響についても想像することは、戦闘の行方を占う以上に実は容易いことだ。そもそも国民の54%が貧困に苦しんでいるイエメンにおいて、現在の内戦が少しでも長引けば、イエメン社会には壊滅的な打撃となるという単純な真実である。
すでにイエメン政府収入の63%を占めている石油・LNGの輸出は、そもそも毎年急速に低下しているのである。2001年にはイエメンは日量44万バレルの石油輸出を誇っていたが、2013年には日量13万3000バレルまで落ち込んでいる。今回の軍事作戦が長引けば、資源輸出からあがる外貨収入は限りなく落ち込むことになろう。
イエメンにとってさらに深刻なのは、水不足である。10年もしないうちに首都サヌアでは地下水が枯渇し、深刻な水不足に陥る可能性が高い。短期的にも、食糧の90%以上を輸入に依存しているイエメンにおいて、空と海双方の封鎖がアラブ連合軍によって行われている以上、イエメンの人道的悲劇の深刻な拡大はもはや時間の問題なのだ。
かつてナセル大統領のアドバイザーを務めた、91歳でいまだ意気軒昂なエジプト人ジャーナリスト、ハサネイン・ヘイカルは、エジプトは1960年代のイエメン戦争からいまだ学んでいないとして、今週、次のような警告を発している。
「我々は急いで戦争に飛び付いてはならない。サウジアラビアがそのコストを負担する用意があるのかを知らねばならない。イエメンはアラビア半島の南に眠っている火山なのだ。もし、その火山が火を噴けば、地域全てを吹き飛ばしてしまうだろう」
筆者も20年以上前にヘイカルと直接話をしたことがあるが、ヘイカルの洞察はいつも無視できなかった。アラブの歴史の知恵は、こうした古老にこそ教えてもらうべきなのだろう。
蛇の頭の上でダンスを踊るイエメンの統治
それではイエメンという国をいかに捉えるべきなのか。一言で言えば、イエメンは、そもそも中東諸国の中でも生きた化石のような存在だったのだ。この生きた化石が、突如として2011年のアラブの春という「革命」に巻き込まれたのである。
イエメンでは、そもそも部族と宗教のようなサブ・ナショナル(国家よりも下位の階層)な要因が、近代国家を成り立たせる上でも強靭に作用してきた。サーレハ前大統領はこれまで多様な要求をもつ様々な部族連合や政治勢力に対して、サウジアラビアなどの湾岸諸国からの潤沢なキャッシュの流入とその配分を絶妙なバランス感覚で差配しながら、33年にもわたって近代国家の体裁をまがりなりにも維持してきた。
イエメンにおいては、常に崩れそうになるモザイクのような魑魅魍魎からなる政治社会構造を、いかに1つにまとめあげ続けられるか否かが、政治に課せられた課題なのである。かつてサーレハ前大統領が、「イエメンの統治は蛇の頭の上でダンスを踊ることに等しい」と述べたのは、自らこそが、このダンスに唯一長けた政治家であるとの自負心の吐露だったのだ。実際、今回も3月28日には、サーレハ前大統領が突如、地元テレビに現れ、「野蛮な空爆の停止と、停戦と総選挙の実施」を呼びかけている。
そうした古い部族社会構造と近代国家システムのバランスを、アラブの春が短期間の内に崩壊させたことが、現在の混乱の始まりにある。ここまで崩れたバランスを、一朝一夕に回復させることは誰にとっても容易ではない。あのサーレハ前大統領にとってさえ、新たに台頭した無数の大蛇を融通無碍に操ることは、もはや無理なのではないか。
簡単にあげるならば、北部と南部の地方間対立、北部における部族連合同志の対抗、ザイド派フーシ派とスンニ派の宗派対立、AQAPやダーイシュなどの過激派と中央政府との戦い、古い政治家たちと新たな若い世代とのギャップ、軍・治安機関の内部分裂といった幾つもの亀裂は、複雑にねじれ、修復不能なまでに深まりつつある。
そこでは、全ての勢力の上位に位置するはずの、唯一の主権者=国家は存在せず、それぞれの勢力が他の勢力を自らのサバイバルのために利用するという、仁義なき世界が広がっている。
今回の外部からの軍事介入は、サウジなどの湾岸諸国の意図を裏切って、この混乱をさらに深め、取り返しのつかない一層複雑な対立へとイエメンを誘うかもしれない。もし、湾岸諸国の空爆に対するイエメン国民の反発を利用したフーシ派が政治的立場を強くし、サーレハ前大統領の勢力との関係を固め、さらにはイランなどの支援を得て、今以上の自律性と対抗能力を獲得するようになれば、伝統的な部族や宗教の掟に基づいて社会の平和と安定を回復することなど、不可能になろう。
サラフィー・ジハード主義の跋扈のおそれ
とりわけ、サウジラアラビアの介入とイランのフーシ支援という外部要因によって油を注がれた宗派対立の行方は予断を許さない。フーシ派は過激なスンニ派のことを「タクフィーリー(異端宣言者)」と呼ぶ一方で、AQAPなどのアルカーイダ系過激組織から見ればフーシ派は明らかな異端である。
フーシ派の台頭を前にして、地域諸国のイエメンへの介入という選択肢しか地域諸国には残されていなかったという説明を否定することはできないが、同時に、この選択肢が想像以上の大きなリスクを孕んでいることは当初から明らかなのである。
なぜなら、サウジアラビアとイランがイエメン内政にあからさまに関与することになれば、イエメンにおける伝統的な部族関係をベースにした共存関係は、後戻りができない本当の宗派対立につながっていくことになるからだ。
いかなるシナリオが待ち受けているのであれ、中長期にわたってイエメンが泥沼の内戦に巻き込まれることになれば、結局、唯一得をするのは、主にスンニ派のサラフィー・ジハード主義者たちとなろう。つまり、イエメンの場合にはAQAPであり、そして、アラビア半島へ虎視眈々と勢力拡大を狙うダーイシュなのである。
すでにフーシ派系のモスクがサヌアでダーイシュにより3月20日に爆破され、140人以上もの人々が死傷した。最近ではフーシ派に対抗するためにAQAPがスンニ派の部族とも共闘しているとのニュースも流れている。
一方、イエメンにあった米国の対テロ作戦本部は閉鎖され、イエメンにおける対テロ作戦は休止状態にある。こうなると内戦が深まり混乱が拡がれば、結果として、イエメンは、多くのサラフィー・ジハード主義者を引きつける中東のもう1つのブラックホールとなっていくおそれが高い。
4月2日には、この混乱に乗じて、イエメン南部のムカッラにある刑務所から300人に及ぶAQAPのメンバーが大量脱獄し、地元の銀行や軍事基地を襲撃した。この事実は、イエメンの暗澹たる近未来を予言していよう。
イエメンでの停戦と対話再開は行われるか
一方、空爆開始から2週間がすぎ、アデンをめぐる攻防が激しさを増すと、フーシ陣営とサウジアラビア双方から、停戦に向けたメッセ―ジがようやく出て来るようになった。
まず、サヌアにいるフーシ派の幹部であり、最近までハーディ大統領の顧問も務めていたサーレフ・アル・サマド氏は、4月5日に「我々には、侵略の停止と限られた期間内における対話のテーブルにつくこと、そしてイエメン国民に対して敵対していない地域ないし国際社会の第三者によって対話が主催されること以外に、何の前提条件もない」と発言している。
同時に、サルマン・サウジ国王も、同日に、GCC(湾岸協力会議)主催でイエメンの政党を集めた政治会合を開催する用意があることを条件付きで明言した。イエメン空爆が明確な政治的意図をもっているならば、サウジアラビアも最終的には対話による解決しかないと考えていることは間違いないだろう。
自らの立場の弱さをもともと知っているはずのフーシ派にとっても、上述のような悪夢のシナリオを真剣に回避したいのであれば、結局、これまで続いていた政治対話に戻ることしか、オプションは残されていないだろう。
また、ここにきて核問題の枠組み合意の余熱も冷めない中、イエメン危機に関してもイラン外交が活発に動き出している。4月8日には、ザリーフ・イラン外相がオマーンの首都マスカットを訪問して、イエメン問題の平和的解決について協議し、その足で続けてパキスタンを訪問している。オマーンにはサウジとの仲介を、そして、パキスタンには地上軍派遣を思いとどまらせることが狙いなのだろう。
しかし、このような前向きな機運が、イエメンの国内対立と地域的な緊張を直ちに緩和する道へとつながるか否かを判断するには、いまだ時期尚早である。サウジアラビアは、フーシ派が武器を国に返すことを要求しているし、また、フーシ派はGCCが主導する対話に参加するかどうかも定かではないからだ。
世界保健機関WHOの4月6日の発表によれば、この2週間の間にイエメンではすでに643人が死亡、2200人以上が負傷し、33万人以上が避難民となっているという。イエメンで死傷者が日毎増え続ける今、果たして、私たちはイエメンの人道的悲劇の深まりを、遠い世界で起きていることとして座視し続けることができるのだろうか。
(本稿は筆者個人の見解である)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43493
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