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日本軍幹部は部下に生きて虜囚の辱めを受けることを肯んじなかったが、ドイツ軍上層部は部下を生き延びさせることを優先した。
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/300.html
投稿者 gataro 日時 2015 年 3 月 16 日 21:01:17: KbIx4LOvH6Ccw
 

そのくせ東條英機などは自ら生きて虜囚の辱めを受けた。








 

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コメント
 
01. 2015年3月16日 21:21:02 : C3lq0gpU9A

  この国は幹部が責任を取らない、昔も今も同じ。

02. 2015年3月16日 21:41:12 : 43n9APMvqg
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1072970595 より。
Q:沖縄戦で軍が民間人に玉砕(集団自決?)命令を出したということが度々話題に上りますが 軍の誰? どれぐらいの階級? の人が出したのですか?
A:その命令は沖縄守備の最高司令部である大日本帝國陸軍第32軍が出しました。沖縄全土に絶対的な権力を持つ第32軍の司令官は牛島満中将。参謀長の長勇(ちょう・いさむ)少将は南京大虐殺にも関与した乱暴者。その第32軍が出した「沖縄県民指導要綱」の基本は「軍・官・民の共生・共死」でした。兵隊もお役所も民間人も一緒に戦い一緒に死ね、と。平和ボケの日本では、当時の軍の威力は理解出来ないのでしょうね。
日本の軍隊は降伏を許さなかった。民間人も、国際法で保障されている保護を受けるために米軍に降伏する事は禁じられた。負けるに決まった戦争で降伏が許されないとなると、「共生」はなく「共死」のみ。沖縄では老人、子供、女性、立って歩ける者は戦闘に駆り出されました。自分は軍人ではないから軍の命令は聞かなくてもいい、戦闘には参加しません、と言おうものなら、その場で殺されていたでしょうね。沖縄弁をしゃべった老婆ですらスパイとして殺された(沖縄弁をしゃべるとスパイとみなして殺す、という軍の命令書が残っている)
では、玉砕や集団自決を命じた命令文はあるのか??そんな事を言うこと自体が当時の日本、当時の軍隊、沖縄戦を知らない証拠です。沖縄守備の最高司令部である第32軍が制定した「軍・官・民の共生・共死」で十分でした。現場の兵隊が一々命令書を出す必要などなかった。「軍の命令を知らないか!!」だけで十分でした。日本軍守備隊のいなかった島では集団自決は起こっていません。
当時の日本軍には軍隊は国民を護るものという意識はありませんでした。日本という国の中に日本軍があったのではなく、軍隊は別に存在し、軍の暴力で脅かして国を動かしたのです。そして日本を崩壊させ数百万の日本人を殺してしまった。皮肉なことに、日本軍と一緒にいた民間人は地獄を見ています。民間人を護るどころか一緒に戦え、一緒に死ね、死ねなければ殺してやる、と。サイパン島、フィリピン、沖縄、満州、、、国民を護るはずの日本軍と一緒にいた民間人はみんなむごい目にあっている。沖縄では米軍に占領された村に日本兵たちが来て村人たちを裏切り者として殺した例も一つならずあります。

戦争があのまま続いていたら、沖縄の比ではないものすごい上陸作戦が昭和20年11月に九州南部、翌年3月に関東地方に計画されていた。そうなれば日本は壊滅、死者も沖縄戦の20万(軍+県民)どころか数百万あるいは一千万単位の日本人が死んでいたでしょう。誤解を承知で言えば、米軍の本土上陸があった方が良かったのかも分かりません。本土決戦では軍の強制による集団自決を含めて沖縄の悲劇が日本全土で起こっていました。そうなっておれば沖縄県民はウソをついている、などと無知と平和ボケに基づい事を言う人はいないでしょう。
海軍守備隊司令の大田実少将(死後中将)は、自決直前に海軍省に出した報告電報の中で沖縄県民がいかに献身的にがんばってくれたかを書き、最後にこう結んでいます、「沖縄県民かく戦えり。県民に対し、後世、特別のご高配を賜らん事を。」(「高配」とは、人がしたことを尊敬してその人たちの為に特別の配慮をすること)
日本は一体どんな「高配」を沖縄県にしたか??基地問題はオレの知ったことか、、、日本に米軍基地は必要だ、しかしオレの住んでいるところには持ってきてくれるなよ、、、今も昔も卑怯で自己中ですね、我々日本人は。


03. 2015年3月16日 23:53:15 : JmeoMk30Qg
>>02
楽しそうね

04. 2015年3月17日 00:04:50 : 7NuBnOBdFA
日本って知れば知るほど差別国家

05. 手紙 2015年3月17日 01:04:39 : ycTIENrc3gkSo : C9qhLMXdZI

命より"何か"を重んじ思考停止する伝統は、今も根本のところで変わっていない。

その"何か"とは、かつて御真影から照射されたスーコーな義務であった。

ソレは民族の精神として血肉化され、骨髄として現在も受け継がれている。

日本列島のどこを歩くにしろ、今もこの影が見事に付随している所を見ると、

国民が、国民自身が、ソレを訴求しているように私は考えるざるを得ない。

ソレが、懐かしい伝統であり、美しい民族の精神だからか…

では、ソレを焼き払い、徹底して自己否定することができるか?

できない。

絶望、私たちにはまだ絶望が足りない。

いずれまた来る。社会全体で思考停止する瞬間が、また、来る。

でも、ひとりひとりの深い絶望が、希望になる。

なり得ると考える。

その時、ソレをそれに…


06. 2015年3月17日 16:20:18 : BaBAFB2KbE
第二次大戦中ドイツ軍の戦車は世界で最も脱出口の多い戦車だった。乗組員一人につき一つ脱出ハッチがあった。これは連合国よりも人命を尊重していた証拠である。

しかし尊重していたのは人命そのものではなく練度の高い兵士のスキルを尊重していたのである。複雑な兵器を操る現代戦において練度の高い兵士の戦闘力と低い兵士のそれとでは天と地ほども差がある。つまり、国家としては練度の高い兵士に死なれては困るのだ。ドイツ人は合理主義に基づいて行動していただけであった。大戦末期ドイツ軍もひどい兵力不足で、軍需工場で働いていたマイスターたちを前線に駆り出していた。この人たちは兵士の素質はあるものの経験がないので結局戦争に負ける事になるのだが、もし玉砕させていたら戦後ドイツの復興はなかったであろう。


07. 2015年3月17日 18:39:45 : JmeoMk30Qg
一番偉いのはアイスクリーム常時装備でアイドルが慰問に来るアメリカ軍ですか?

08. 2015年3月17日 19:15:21 : w3M1BHSquE
自国の兵士の生命を尊重するという部分では ドイツの方が優秀だが(日本が酷過ぎただけかも)

他国の兵士(特に捕虜の)の扱いに関しては、ドイツの方が遥かに酷いと言えますから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E9%80%A3%E9%82%A6%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%8D%95%E8%99%9C%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%A1%8C%E7%82%BA

ドイツと日本 結局、どっちもどっちでしょう。


09. 2015年3月17日 20:37:55 : PHkuSka9vI
武士道は 驕るトップの 逃げ口上

10. 2015年3月17日 22:57:38 : r49pflq1k6
欧米では捕虜になっても誇りを失わず、それぞれの立場で力を尽くそうとした。

ずっと昔、クアイ河マーチという映画があった。これは日本軍の捕虜になったイギリス軍の将校と兵隊がその能力を発揮して日本軍の命令により橋を建設したが、それを日本軍に利用されないように破壊するというようなストーリーだった。メロディを覚えておられる人も多いだろう。

また娯楽映画であるがスティーブマックイーン主演の大脱走という映画もあった。こちらも捕虜になったことを恥とする描写は全くない。

捕虜の待遇は戦時下であろうと国際法で定められている。子供に竹やり訓練をさせた阿呆な国は交戦国の中で日本だけだった。民間人が先頭に参加すれば兵員とみなされる。殺しても正当とされる。


11. 2015年3月18日 03:02:02 : w3M1BHSquE
なにせ、国民小学校では、「君たちの寿命は20歳までだと思え その後の命は天皇陛下に捧げたと思え」
と、国家の為に死ぬのが当たり前であると 小学校から叩き込まれていたのです

つまり、死ぬ事を 「美徳」 として余りにも傾倒し過ぎた“滅びの美学”だったのです

これがあの軍国日本の 最大の過ち 日本人にとって歴史上最大の悔恨となった惨禍でしょう
危うく、すべての日本人が死に絶えるまで戦い続ける羽目に なる所だったのです
早い話が、戦争に負けるぐらいなら死を選べ と言う訳です
「生きて虜囚の辱めを受けず」 は、そういう意味なのです。


12. 2015年3月18日 17:04:50 : aJShZ3KzTA

>>11

おい、知弱のマイルドヤンキー、見て来た様な嘘を付くのは恥ずかしいぜ。

先ず、「国民小学校」なんてものは無いぞ。尋常小学校や国民学校は有ったがな。
そして、配属将校の一部がそんな演説したとしても、教育として叩き込まれたとは、
為にする論だな。

更に、職業軍人と民間人を混同した「生きて虜囚の辱めを受けず」の解説は
全くのお笑いだな。

『沖縄戦の歪曲と真実』の存在も知らんのか?また、援護法の適用を受ける
ための偽証って聞いた事はないのか。

思い込みだけで、極端に走るのが知弱のマイルドヤンキーぜよ。 


13. 2015年3月18日 17:53:11 : w3M1BHSquE
典型的な馬鹿ウヨが現れたな 国民皆兵という言葉を知らんのか 一億玉砕というスローガンを知らんのか。


[32削除理由]:削除人:言葉使い
14. 2015年3月18日 21:52:11 : xpbFm5aMHM
『清国ニ対スル宣戦ノ詔勅』原文(明治27年8月1日)
 天佑ヲ保全シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国皇帝ハ忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス

 朕茲ニ清国ニ対シテ戦ヲ宣ス 朕カ百僚有司ハ宜ク朕カ意ヲ体シ陸上ニ海面ニ清国ニ対シテ交戦ノ事ニ従ヒ以テ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ 苟モ国際法ニ戻ラサル限リ各々権能ニ応シテ一切ノ手段ヲ尽スニ於テ必ス遺漏ナカラムコトヲ期セヨ

『清国ニ対スル宣戦ノ詔勅』原文(明治27年8月1日)
天佑を保全し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国皇帝は、忠実勇武なる汝、有衆(ゆうしゅう)に示す。
朕、茲(ここ)に清国に対して戦(たたかい)を宣す。朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)は宜(よろし)く朕が意を体し、陸上に海面に、清国に対して交戦の事に従い、以って国家の目的を達するに努力すべし。苟(いやしく)も国際法に戻(もと)らざる限り、各々(おのおの)権能に応じて、一切の手段を尽すに於(おい)て必ず遺漏(いろう)なからんことを期せよ。

以下、戦争目的が続く

-----------------------------------------------
『米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書』昭和16年12月8日

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス
朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵艶E務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ


『米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書』原文(昭和16年12月8日)
天佑(てんゆう)を保有し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国天皇は、昭(あきらか)に忠誠勇武なる汝、有衆(ゆうしゅう)に示す。
朕(ちん)、茲(ここ)に米国及び英国に対して戦(たたかい)を宣す。
朕が陸海将兵は、全力を奮って交戦に従事し、朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)は、励精職務を奉行(ほうこう)し、朕が衆庶(しゅうしょ)は、各々(おのおの)其(そ)の本分を尽し、億兆一心にして国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに遺算(いさん)なからむことを期せよ。

以下、戦争目的が続く
------------------------------------------------

日清戦争
勝利のために努力せよ=努力しても負けたら天皇の責任

太平洋戦争
勝利のために違算なきを期せよ=間違いなく勝てるように考えて戦え=負けたら兵士の責任


15. 2016年6月11日 02:36:52 : NGR6I2aVB2 : rv_gaFy3DkY[21]

『大東亜戦争・開戦の詔勅』
http://www.geocities.jp/kunitama2664/daitoua1208.html


<*現代語訳>

 天の神々のご助力を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、はっきりと忠誠にして武勇ある汝ら国民に示す。

 余はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。余の陸海軍の将兵は、全力を奮って交戦に従事し、余の政府関係者・官僚・役人のすべては、つとめ励んで職務に身をささげ、余の国民は、おのおのその本分をつくし、億兆の心をひとつにして、国家の総力を挙げ、攻め戦う目的を達成するために、手ちがいのないように心がけよ。

 そもそも、東アジアの安定を確保し、それをもって世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その大いさを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、余も日頃、かたときも忘れずに心がけている事である。

 そういう理由であるから、各国との交流を篤くおこない、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要諦とするところである。今や、不幸にして、米英両国との争いを開始するにいたった。まことに、やむをえない事態である。どうして、これが余の本意であろうか(このような事態は、余の本意ではない。)

 中華民国政府は、以前より帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を攪乱(かくらん)し、遂(つい)に帝国に武器をとらせる事態(慮溝橋事件)にいたり、現在まで四年が過ぎた。さいわいに、国民政府は、汪清衛・南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するに至ったが、重慶に残存する蒋介石政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟であるはずの南京政府と、いまだに相互の境をはさんでせめぎあう姿勢を改めない。

 米英両国は、蒋介石政権を支援し、東アジアの戦禍と混乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋を征服する非道なる野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには禁輸措置を意図的におこなって、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

 余は、政府をして、そのような事態を平和の裡(うち)に解決させようと、長い間、隠忍(いんにん)したのだが、米英は、寸毫も譲り合いの精神を持たず、むやみに事態の解決を遅らせ先延ばしにし、その間にもますます、英米による経済上・軍事上の脅威は増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

 このような事態が、そのまま推移したならば、東アジアの安定に関して、帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、文字通り危機に瀕することになる。ことここに至っては、帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、英米による一切の障礙(しょうがい)を破砕する以外に道はない。

 皇祖皇宗の神霊は、天にましまし、余は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに英米による禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

(御名御璽)


__________________________________________________________

しばやんの日々

2012年05月14日(月)
尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/192/(抜粋)

(前略)

今回の記事ですでに何度か引用させていただいた三田村武夫氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』という本には、このような当時の史料が満載で、第二次世界大戦にコミンテルンがどう関わったかを学ぶことができる良書なのだが、昭和25年にGHQにより販売禁止とされて長い間埋もれてしまっていた。遠山景久氏の努力により昭和62年に復刊されてその後何度か再版されているが、一般の書店には出回っていない書物である。

第56-57代内閣総理大臣の岸信介はこの本の序文にこう書いていることは注目に値する。

(岸信介氏画像)

「…支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀実であった、ということが、実に赤裸々に描写されているではないか。

 近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなればスターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる。
私が東京裁判でA級戦犯として戦争責任を追及されたが、今、思うに、東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人はスターリンでなければならない。然るに、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事を務めたのだから、まことに茶番と言うほかない。

この本を読めば、共産主義者が如何に右翼・軍部を自家薬篭中のものにしたかがよく判る。なぜそれができたのか、誰しも疑問に思うところであろう。然し考えてみれば、本来この両者(右翼と左翼)は共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同じである。当時戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法→生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制と類似している。ここに先述の疑問を解く鍵があるように思われる。…」(同上書 p.319-320)

(以下略)


___________________________________________________

東京裁判(極東国際軍事裁判)
     
パール判事の日本無罪論 田中正明著 小学館文庫
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/hidish/toukyousaibann.html(抜粋)

(前略)

イズムから見た日本の戦争 平間洋一著 錦正社

しかし、これらの革新官僚の中で最高の地位に就いたのは、首相となった東京裁判で告訴された商工省次官の岸信介であったが、岸は三田村武夫の『大東亜戦争とスターリンの謀略』の序文に次のように書いている。

(岸信介氏の同じ文を省略)

このように日本は尾崎の描いたコミンテルンの戦略に乗せられ、アジア開放を夢見て大東亜戦争にのめり込み昭和の悲劇を招いた。尾崎は世界革命を夢見て日本を大東亜戦争に誘導し、ソ連に情報を送り日本に悲惨な敗戦をもたらし、戦中は「国賊」「反逆者」とされたが、敗戦後は『朝日新聞』が中心となって「反戦平和主義者」と讃え、尾崎が獄中から妻に出した書簡集『愛情は降る星のごとく』は、ミリオンセラーとなった。2003年には尾崎を平和の戦士と讃える映画も作られた。しかし、尾崎は本当に「反戦平和」を訴えた「勇士」なのであろうか?尾崎により日本は日中戦争の泥沼、ついで大東亜戦争の大波に引き込まれたのである。

(以下略)


16. 2016年6月11日 02:47:42 : NGR6I2aVB2 : rv_gaFy3DkY[22]
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