『大東亜戦争・開戦の詔勅』 http://www.geocities.jp/kunitama2664/daitoua1208.html <*現代語訳>
天の神々のご助力を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、はっきりと忠誠にして武勇ある汝ら国民に示す。 余はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。余の陸海軍の将兵は、全力を奮って交戦に従事し、余の政府関係者・官僚・役人のすべては、つとめ励んで職務に身をささげ、余の国民は、おのおのその本分をつくし、億兆の心をひとつにして、国家の総力を挙げ、攻め戦う目的を達成するために、手ちがいのないように心がけよ。 そもそも、東アジアの安定を確保し、それをもって世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その大いさを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、余も日頃、かたときも忘れずに心がけている事である。 そういう理由であるから、各国との交流を篤くおこない、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要諦とするところである。今や、不幸にして、米英両国との争いを開始するにいたった。まことに、やむをえない事態である。どうして、これが余の本意であろうか(このような事態は、余の本意ではない。) 中華民国政府は、以前より帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を攪乱(かくらん)し、遂(つい)に帝国に武器をとらせる事態(慮溝橋事件)にいたり、現在まで四年が過ぎた。さいわいに、国民政府は、汪清衛・南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するに至ったが、重慶に残存する蒋介石政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟であるはずの南京政府と、いまだに相互の境をはさんでせめぎあう姿勢を改めない。 米英両国は、蒋介石政権を支援し、東アジアの戦禍と混乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋を征服する非道なる野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには禁輸措置を意図的におこなって、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。 余は、政府をして、そのような事態を平和の裡(うち)に解決させようと、長い間、隠忍(いんにん)したのだが、米英は、寸毫も譲り合いの精神を持たず、むやみに事態の解決を遅らせ先延ばしにし、その間にもますます、英米による経済上・軍事上の脅威は増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。 このような事態が、そのまま推移したならば、東アジアの安定に関して、帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、文字通り危機に瀕することになる。ことここに至っては、帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、英米による一切の障礙(しょうがい)を破砕する以外に道はない。 皇祖皇宗の神霊は、天にましまし、余は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに英米による禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。 (御名御璽) __________________________________________________________
しばやんの日々 2012年05月14日(月) 尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/192/(抜粋) (前略) 今回の記事ですでに何度か引用させていただいた三田村武夫氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』という本には、このような当時の史料が満載で、第二次世界大戦にコミンテルンがどう関わったかを学ぶことができる良書なのだが、昭和25年にGHQにより販売禁止とされて長い間埋もれてしまっていた。遠山景久氏の努力により昭和62年に復刊されてその後何度か再版されているが、一般の書店には出回っていない書物である。 第56-57代内閣総理大臣の岸信介はこの本の序文にこう書いていることは注目に値する。 (岸信介氏画像) 「…支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀実であった、ということが、実に赤裸々に描写されているではないか。 近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなればスターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる。 私が東京裁判でA級戦犯として戦争責任を追及されたが、今、思うに、東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人はスターリンでなければならない。然るに、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事を務めたのだから、まことに茶番と言うほかない。 この本を読めば、共産主義者が如何に右翼・軍部を自家薬篭中のものにしたかがよく判る。なぜそれができたのか、誰しも疑問に思うところであろう。然し考えてみれば、本来この両者(右翼と左翼)は共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同じである。当時戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法→生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制と類似している。ここに先述の疑問を解く鍵があるように思われる。…」(同上書 p.319-320) (以下略) ___________________________________________________
東京裁判(極東国際軍事裁判) パール判事の日本無罪論 田中正明著 小学館文庫 http://www.cam.hi-ho.ne.jp/hidish/toukyousaibann.html(抜粋) (前略) イズムから見た日本の戦争 平間洋一著 錦正社 しかし、これらの革新官僚の中で最高の地位に就いたのは、首相となった東京裁判で告訴された商工省次官の岸信介であったが、岸は三田村武夫の『大東亜戦争とスターリンの謀略』の序文に次のように書いている。 (岸信介氏の同じ文を省略) このように日本は尾崎の描いたコミンテルンの戦略に乗せられ、アジア開放を夢見て大東亜戦争にのめり込み昭和の悲劇を招いた。尾崎は世界革命を夢見て日本を大東亜戦争に誘導し、ソ連に情報を送り日本に悲惨な敗戦をもたらし、戦中は「国賊」「反逆者」とされたが、敗戦後は『朝日新聞』が中心となって「反戦平和主義者」と讃え、尾崎が獄中から妻に出した書簡集『愛情は降る星のごとく』は、ミリオンセラーとなった。2003年には尾崎を平和の戦士と讃える映画も作られた。しかし、尾崎は本当に「反戦平和」を訴えた「勇士」なのであろうか?尾崎により日本は日中戦争の泥沼、ついで大東亜戦争の大波に引き込まれたのである。 (以下略)
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