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吉田守男著『京都に原爆を投下せよ』(角川書店 1995年)
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/291.html
投稿者 gataro 日時 2015 年 3 月 15 日 08:56:36: KbIx4LOvH6Ccw
 










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コメント
 
01. 2015年3月15日 12:27:07 : w3M1BHSquE
日本がポツダム宣言を受け入れなければ、1945年中に あと7発、投下する予定だったと言う

とは言え、あの8月15日の終戦だって、命がけで辛うじて実現した終戦だった事も紛れも無い事実
ポツダム宣言受諾まで 壮絶な葛藤が有った訳で、最悪の場合天皇が殺害された可能性も有ったのです

http://matome.naver.jp/odai/2137612768139220501

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6


02. 2015年3月15日 13:30:23 : lXGrF7OLvM
昭和天皇以外に太平洋戦争の降伏を実行する日本人はいなかったのである。

75年も前の日本史について現代感覚の憶測で戦争と戦争責任を語ることは不可能と認識しなければならないのが歴史の真実だ。


03. 2015年3月15日 14:36:59 : b5JdkWvGxs
>あの8月15日の終戦だって、命がけで辛うじて実現した終戦だった事も紛れも無い事実


アメリカ政府は原爆効果確認の為に昭和天皇に原爆投下するまでは降伏するなと指示したのは有名な話だよ


04. 2015年3月15日 19:21:51 : w3M1BHSquE
勝手に有名な話を作ってんじゃねえぞ あんたの脳内だけだぞ。

05. 2015年3月15日 22:43:26 : b5JdkWvGxs
原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html

06. 2015年3月16日 02:51:19 : w3M1BHSquE
結局、まともなソースは無し 何時 何処で 誰から そんな指示が出たんだ?
手前味噌の記事しか無いじゃないですか。

07. 2015年3月16日 10:24:24 : b5JdkWvGxs

アメリカから昭和天皇への指示は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。


吉田茂は昭和天皇の指示で御前会議の内容を毎回、細大漏らさず すべてアメリカに伝えていた

http://mayo.blogzine.jp/blog/2008/07/post_3bbd.html


08. 2015年3月16日 13:24:52 : w3M1BHSquE
あんたのは どうせまた例の如く 宗教カルトか 陰謀論サイトだろ

マトモなソースというのは ↓ こう言うものを言うのでありますぞ

。1945年(昭和20年)2月には、近衛文麿元総理大臣を中心としたグループは、戦争の長期化がソビエト連邦軍による占領(“日本の赤化”)を招くと主張して、戦争の終結を主張する「近衛上奏文」を昭和天皇に進言した。しかし、昭和天皇はこれを却下し、後には工作を察知した憲兵隊により、吉田茂(後の首相)・岩淵辰雄・殖田俊吉らいわゆる「ヨハンセングループ」が逮捕されている。そして、軍部は「国体護持」を主張して戦争を継続した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%99%8D%E4%BC%8F

ヨハンセングループは、終戦工作をしたから 軍部の逆鱗に触れたのだぞ 逆じゃねえか^^

国体護持の執拗に執着したのは あくまで陸軍を中心とした 上層部の少壮将校たちである


09. 2015年3月16日 15:39:06 : b5JdkWvGxs

昭和天皇は原爆実験が成功したらすぐに無条件降伏しろと指示されていたんだ。

それで徹底抗戦を主張する上層部の少壮将校たちを全員、原爆投下日に広島に出張させて全滅させたんだよ。

というより広島に原爆を落とすのは昭和天皇が決めたんだ。


10. 2015年3月16日 17:08:32 : w3M1BHSquE
>というより広島に原爆を落とすのは昭和天皇が決めたんだ

また憶測でテキトーな事を言う ┐( −”−)┌ やれやれ

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8月6日0時37分、まず気象観測機のB-29が3機離陸した。ストレートフラッシュ号は広島へ、ジャビット3世号は小倉へ、フルハウス号は長崎である。0時51分には予備機のトップ・シークレット号が硫黄島へ向かった。

続いて1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイがタキシングを開始し、1時45分にA滑走路の端から離陸した。

その離陸2分後の1時47分、原爆の威力の記録を行う科学観測機(グレート・アーティスト号)が、さらに2分後の1時49分には写真撮影機(#91 or ネセサリー・イーブル号)の各1機のB-29も飛び立った。即ちこの日、6機のB-29が原爆投下作戦に参加し、内4機が広島上空へ向かっていたことになる。

テニアン島から広島市までは約7時間の飛行で到達できる。

7時過ぎ、エノラ・ゲイ号に先行して出発していた気象観測機B-29の1機が広島上空に到達した。クロード・イーザリー少佐のストレートフラッシュ号である。7時15分ごろ、ストレートフラッシュ号はテニアン島の第313航空団に気象報告を送信した。「Y3、Q3、B2、C1」(低い雲は雲量4/10から7/10で小さい、中高度の雲は雲量4/10から7/10で薄い、高い雲は雲量1/10から3/10で薄い、助言:第1目標を爆撃せよ)[注 6]。

この気象報告を四国沖上空のエノラ・ゲイ号が傍受し、投下目標が広島に決定された[注 7]。原爆の投下は目視が厳命されており、上空の視界の情報が重要であった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最初から広島に決まっているなら何故 3機も気象偵察に出す必要が有るのだ?
天気次第では 長崎が先だったかもしれないし、小倉だったかもしれないのだぞ。

いいかげんその脳内妄想やめれっての。


11. 2015年3月16日 18:25:11 : b5JdkWvGxs
第一候補を広島に決めたのが昭和天皇なんだろ

12. 2015年3月16日 19:04:01 : b5JdkWvGxs
昭和20年8月15日には、実は広島にあった陸軍の半分を指揮する第二総軍司令部は、8月6日の原爆で既に壊滅していた。だからクーデターは起こせない状況にあった。天皇一派は、陸軍による戦争継続を求めるクーデターを一番警戒していた。そのために終戦決定に当たっては、陸軍の叛乱が絶対に起きないように手を打っておかねばならなかった。  広島にあった陸軍の第二総軍司令部が原爆で壊滅したのは、偶然ではなかったのだ。

 天皇一族は、なんと昭和20年6月の時点で(!)ヨハンセングループを通じて、原爆投下の情報を実質的米国権力者のスティムソン陸軍長官からの指令で受け取っていた。ヨハンセングループとは、米国機密文書に出てくる秘密名の日本側組織であり、参加者は、牧野伸顕・吉田茂・樺山愛輔・岡田啓介・米内光政たちであった。このグループは、当然ながら戦犯に指定されていない。

 スティムソン陸軍長官からグルー駐日米大使、さらにヨハンセングループへとルートがあり、そのルートを通じて天皇一派は戦時中も米英勢力と繋がっていたのである。
昭和天皇は20年6月にスティムソン側から、原爆投下の場所と日時を決めるよう要請を受けた。そして広島に、8月6日午前8時頃と回答したのは、天皇一派であったのだ。その仲介をしたのがヨハンセングループであった。

つまり天皇は敗戦によって自分の生命と財産が保全されることが連合軍に保障されたので、ポツダム宣言受諾という形で敗戦を決めたが、それを陸軍に邪魔されたくなかったので、米軍に頼んで広島の陸軍司令部を叩き潰してもらったのであり、広島市民40万人はその犠牲にされたのである。

 当時の陸軍大臣阿南惟幾は8月15日未明に割腹自殺を遂げているが、その直前に部下に「米内(海相)を斬れ!」と言い残している。阿南陸相は一連の原爆攻撃から終戦工作の経緯を知っていたのかもしれない。

 ヨハンセングループの連中は、戦後、口を揃えて、原爆投下は終戦のための「天啓」だったなどとヌケヌケと発言したのであった。 それにしても、天皇やヨハンセングループが原爆投下の場所・日時を指定していたことは、ソ連参戦をも承知していたのであろう。ソ連軍が満州に侵攻する準備が整うまで、戦争を引き延ばしていたとも取れる。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/6670188e626bc9a6e9269a37b1c57f5e


13. パリとその砂漠 2015年3月16日 19:34:43 : Ex30SyWVDunD2 : KYLjv697dw
 鬼塚氏の著書によれば、皇后陛下が盛んに皇居内に地下壕となるトンネルを作るようにせがむため、天皇が大変困っていた様子を書いている。
長崎の三菱の軍事向上では、地下壕としてのトンネルがあり、アメリカ軍の捕虜は、原爆が投下された日も、そのトンネル内にいたため、直撃を免れた。余りの偶然に、キリスト教の信者のみが、神に守られていると考えた脳内信者もいたかもしれないが、広島原爆投下のの当日に、第2総軍の最高位と、広島県知事と、広島特高課長は不在で、軍と中の悪かった広島市長だけが、被爆したという偶然も、神国日本の御加護だと考えた、脳内信者もいたろう。そんな偶然を指令によると考えた方が、 Simple であり、了解出きると考えるのです。
  ノーベル賞受賞者の湯川は、シカゴ大学の冶金学の chairman (教授)で、尚且つ、マンハッタン計画の科学者側の総纏めであった、アーサー・コンプトン博士から、恐らくはスペイン経由で、広島原爆投下の決定の親書を受け取った。当時の京都大学の冶金学講座の教授西村秀雄は、湯川と同席した部屋で、広島が郷里の大学院生水田泰次さんに、広島
に帰って、両親を広島市街から避難させる事を助言している。
http://d.hatena.ne.jp/torasilky/20080316/1205661629
こういった、偶然を何らかの指令があったと考えることは自由である。

14. 2015年3月17日 03:04:49 : w3M1BHSquE
結局、妄想カルトは 想像と推測だけで 思いっきり膨らましていくんだね 付き合いきれんわ ┐(-、-)┌

15. 2015年3月17日 16:20:21 : b5JdkWvGxs
吉田茂がアメリカのスパイだったというのは定説だからね

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