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この見出しを見て、これまで私のブログを読んで下さっている皆さんは、「このブログの筆者は米国だと言いたいのだな」とお考えになるでしょう。ピンポン!です。
私は九州大学教養部に奉職中、1959年、シカゴ大学物理学科からの招待で渡米して2年を過ごし、その直後に、サンホゼとボルチモアに計1年半ほど滞在し、1968年にはカナダに移住してしまいました。私は、その頃までは、米国という国は色々の意味で良い立派な国だと思っていました。ところが、それから約半世紀後の今では、米国は建国以来一貫して極めて残酷残忍な国家であると、私は考えています。日本には米国に好意を持っている人々が沢山おいでですから、この老人の考え方に不快感を覚える向きも多いでしょうが、私とて好きでこうなったのではありません。十分の理由があってのことです。否定の余地のない事実の数々を学び知ったことで、この考えにならざるを得なかったのです。
刃物で人の首を刎ねたから残酷残忍というのは如何なものでしょうか。日本でも昔はよくやりましたし、フランスはその技法で歴史的にとりわけ有名です。Point-blankで射殺するのは残酷残忍ですが、高空の無人機から狙い撃ちするのは人道的ですか?
2013年8月30日付のブログ記事『もう二度と幼い命は尊いと言うな』で、私は、「8月21日、シリアの首都ダマスカスの近くの反政府軍の支配地区に対してロケットによる化学兵器(毒ガス)攻撃が行なわれ、多数の一般市民が殺されました。死者数は初め約1300人と発表され、現在では数百人とされています。」と筆を起こし、「今回の毒ガス使用が米欧の直接軍事介入の口実として行なわれたと私が確信する理由」を述べました。幸いにも、ロシアの外交的努力のおかげで、米欧の直接軍事介入は阻止されましたが、シリアのアサド政権打倒を目指す米国は、代理戦争の形態であらゆる汚い手段を用い、とうとうイスラム国という恐ろしい擬似国家まで生み出してしまいました。
シリア紛争がシリアの一般国民に与えている被害は甚大です。国連難民高等弁務官事務所の2014年3月の発表では、「シリア紛争が始まってから3年が経過し、家を追われた人の数は900万人を超えた。シリアはまさに世界的に最も多くの難民、避難民を出す国になってしまった。シリア周辺国で難民登録を行った、もしくは難民登録待ちのシリア難民の数は256万人を超える。またシリア国内で避難を強いられている国内避難民の数は、650万人を超えている。難民、国内避難民を合わせた数は、シリア紛争開始前のシリア全人口の40%にあたり、そのうち約半分が子どもである。」となっています。死者は10万人を優に超えていると推定されます。
シリアで起こっている事態については、各国政府筋、シンク・タンク、専門家、論客などのあらゆる見解や分析が世に満ち満ちていますが、我々一般庶民にとって最も基本的な設問は「米国がシリアの政権変革(regime change)を行おうとしなかったらどうなったか」ということでなければなりません。“歴史的に現実に起こったことを、起こらなかったら、と仮定する議論は馬鹿げている”と言わないでください。クレオパトラの鼻の話ではないのです。イラクにしろ、リビアにしろ、シリアにしろ、もし、米国がそれぞれの国の政権を、武力を行使して、変えようとする行為に出なければ、百万のオーダーの庶民が戦火に殺され、千万のオーダーの庶民が難民化することはなかったのです。イラクとシリアの国内でクルド人たちがひどい扱いを受けていたのは事実です。彼らが反政府行動に出たのも当然です。しかし、いわゆる北米インディアンの人々も同様の取り扱いを米国国内で受けています。けれども、米国と違い、イラクもリビアもシリアも、遠くの国に出かけて行って、内政に干渉し、武力で政権変革を試みるようなことは何もしていませんでした。国内では、国民はそれなりに一応平和な日常生活を営んでいました。いま私の思いは特にリビアの人たちの上にあります。「カダフィが生きていた頃は良かったなあ」というのがリビアの大多数の人たちの痛切な思いであるに違いありません。
「もっとも残酷残忍な国は?」という設問に戻りましょう。前掲の2013年8月30日付のブログ記事で、私は、毒ガス(サリン)を使ってシリアの一般庶民数百人を殺戮したのは反政府勢力側であり、その背後には米国があると判断しました。毒ガス使用からわずか10日後の時点での、ズブの素人の断定でしたが、それから2年半後の現在、私の断定が正しかったと考えられる十分の理由があります。当時オバマ政府は、アサド政権側が行った確かな証拠を持っている、と言っていましたが、提出されてはいません。もし世界に提示できる確たる証拠があれば、それを口実に、米国は、今からでも、リビアを破壊し尽くしたと同様の猛爆を、国連を操作して、シリアのアサド政権に対して開始し得るのです。勿論、そんなもののある筈はなく、むしろ、オバマ大統領の手元には、使用されたサリンの出所などについてのはっきりした資料があるのだろうと、私は推測します。
ブログ記事のはじめの部分に引いたワシントン・ポストの8月23日付の記事を再録します。そのフォト・ギャラリーには、白布に包まれた幼い子供たちの死体が魚河岸の魚のように並べられた写真があります。他の写真の多くも子供の犠牲者の様子を撮ったものです。ご覧になって下さい。
http://www.washingtonpost.com/world/national-security/in-syria-chemical-attack-allegations-us-and-allies-push-for-immediate-probe/2013/08/22/00f76f2a-0b6f-11e3-8974-f97ab3b3c677_story.html?wpisrc=nl_headlines
これらの子供たちは、米国が打倒したいと考えるアサド政権に対する空爆を開始する口実を捏造するために殺されました。この国家的行為とイスラム国の誘拐殺人行為とどちらがより残酷残忍でしょうか。
ここで、私としては、何度でも申し上げておきたいことがあります。どこからやって来たのかわかりませんが、「一つの命は、どれも同じく、一つの命だ」という片言のような言葉が私の心の中に住み着いています。“いたいけない子供だから”とか“愛くるしい少女だから”という気持ちを私は持ちたくありません。偽の証拠の捏造する目的で、誰が殺されても、私は同じように憤りを感じます。
2002年4月、ベネズエラでクーデターが起こり、ウゴ・チャベス大統領は反乱軍側に拘束され、大統領の座から追われましたが、47時間後には、貧困層大衆のチャベスに対する圧倒的支持の表明と軍部内の大統領支持勢力によって、クーデターは失敗に終わりました。このベネズエラ政府転覆の試みの背後に米国の手が働いていたことは否定の余地がありません。
先週木曜日2月12日に現ベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロは,新しいクーデター計画を阻止したと声明を出し、政府が把握した計画の詳細を発表しました。今回も米国のバックアップがあったことは見え見えです。クー実行の予定日は2月12日でした。このクーデター挫折のニュースは日本では殆ど報じられなかったようですが、十分の関連情報がネット上で入手可能です。
計画の残忍性の点で、2月12日に行われる筈であった暗殺計画の標的の中に、マドゥロ大統領と政府の高官の他に、反政府側の何人かも含まれていたことに、私は特に注目します。
2002年4月のクーデターの際、4月11日の午後、チャベス政府側が反政府のデモ隊に向けて発砲して十数人が射殺され、約60人が負傷したと報じられ、これがクーデターの決定的瞬間になったというのが、ニューヨークタイムズなどの主要メディアの主張したところでした。しかし、その後、反政府デモ隊に発砲し、残忍な殺戮を行ったのは、政府側ではないことを証拠付ける映像の存在が確かめられ、殺戮は反政府側の自作自演であったことが判明しています。今回の、失敗に終わった政権乗っ取り計画で、反政府側の人間も暗殺の対象になっていたという事実は、前回と同じような偽りのストーリーのでっち上げの計画が事前に組まれていた証拠だと思われます。米国のネオコン金融経済システムにべネズエラを組み込むという政策の実行のためには、その手先となって動いている人間たちでも、利益があれば、暗殺して省みないというのは、これぞ冷酷残酷残忍の極みと言うべきではありますまいか。
言うまでもありませんが、もし米国の残酷性を思想的問題として本格的に論じるとするならば、第二次世界大戦での米国空軍の日本に対する空爆の問題を正面に据えなければなりません。これは、日本軍の行為についての反省、あるいは、米国の原爆使用の是非の問題と一応切り離して、考察すべき問題、考察可能の問題です。核抑止力の思想の中核とも深く結びついた問題です。いつの日か、この問題と対決したいと思っています。
身辺の事情から、しばらく、このブログを休みます。
藤永 茂 (2015年2月18日)
もっとも残酷残忍な国は? 私の闇の奥
http://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/3c0b797a4727fc9dc5279fd9a8cf04b5
私は九州大学教養部に奉職中、1959年、シカゴ大学物理学科からの招待で渡米して2年を過ごし、その直後に、サンホゼとボルチモアに計1年半ほど滞在し、1968年にはカナダに移住してしまいました。私は、その頃までは、米国という国は色々の意味で良い立派な国だと思っていました。ところが、それから約半世紀後の今では、米国は建国以来一貫して極めて残酷残忍な国家であると、私は考えています。日本には米国に好意を持っている人々が沢山おいでですから、この老人の考え方に不快感を覚える向きも多いでしょうが、私とて好きでこうなったのではありません。十分の理由があってのことです。否定の余地のない事実の数々を学び知ったことで、この考えにならざるを得なかったのです。
刃物で人の首を刎ねたから残酷残忍というのは如何なものでしょうか。日本でも昔はよくやりましたし、フランスはその技法で歴史的にとりわけ有名です。Point-blankで射殺するのは残酷残忍ですが、高空の無人機から狙い撃ちするのは人道的ですか?
2013年8月30日付のブログ記事『もう二度と幼い命は尊いと言うな』で、私は、「8月21日、シリアの首都ダマスカスの近くの反政府軍の支配地区に対してロケットによる化学兵器(毒ガス)攻撃が行なわれ、多数の一般市民が殺されました。死者数は初め約1300人と発表され、現在では数百人とされています。」と筆を起こし、「今回の毒ガス使用が米欧の直接軍事介入の口実として行なわれたと私が確信する理由」を述べました。幸いにも、ロシアの外交的努力のおかげで、米欧の直接軍事介入は阻止されましたが、シリアのアサド政権打倒を目指す米国は、代理戦争の形態であらゆる汚い手段を用い、とうとうイスラム国という恐ろしい擬似国家まで生み出してしまいました。
シリア紛争がシリアの一般国民に与えている被害は甚大です。国連難民高等弁務官事務所の2014年3月の発表では、「シリア紛争が始まってから3年が経過し、家を追われた人の数は900万人を超えた。シリアはまさに世界的に最も多くの難民、避難民を出す国になってしまった。シリア周辺国で難民登録を行った、もしくは難民登録待ちのシリア難民の数は256万人を超える。またシリア国内で避難を強いられている国内避難民の数は、650万人を超えている。難民、国内避難民を合わせた数は、シリア紛争開始前のシリア全人口の40%にあたり、そのうち約半分が子どもである。」となっています。死者は10万人を優に超えていると推定されます。
シリアで起こっている事態については、各国政府筋、シンク・タンク、専門家、論客などのあらゆる見解や分析が世に満ち満ちていますが、我々一般庶民にとって最も基本的な設問は「米国がシリアの政権変革(regime change)を行おうとしなかったらどうなったか」ということでなければなりません。“歴史的に現実に起こったことを、起こらなかったら、と仮定する議論は馬鹿げている”と言わないでください。クレオパトラの鼻の話ではないのです。イラクにしろ、リビアにしろ、シリアにしろ、もし、米国がそれぞれの国の政権を、武力を行使して、変えようとする行為に出なければ、百万のオーダーの庶民が戦火に殺され、千万のオーダーの庶民が難民化することはなかったのです。イラクとシリアの国内でクルド人たちがひどい扱いを受けていたのは事実です。彼らが反政府行動に出たのも当然です。しかし、いわゆる北米インディアンの人々も同様の取り扱いを米国国内で受けています。けれども、米国と違い、イラクもリビアもシリアも、遠くの国に出かけて行って、内政に干渉し、武力で政権変革を試みるようなことは何もしていませんでした。国内では、国民はそれなりに一応平和な日常生活を営んでいました。いま私の思いは特にリビアの人たちの上にあります。「カダフィが生きていた頃は良かったなあ」というのがリビアの大多数の人たちの痛切な思いであるに違いありません。
「もっとも残酷残忍な国は?」という設問に戻りましょう。前掲の2013年8月30日付のブログ記事で、私は、毒ガス(サリン)を使ってシリアの一般庶民数百人を殺戮したのは反政府勢力側であり、その背後には米国があると判断しました。毒ガス使用からわずか10日後の時点での、ズブの素人の断定でしたが、それから2年半後の現在、私の断定が正しかったと考えられる十分の理由があります。当時オバマ政府は、アサド政権側が行った確かな証拠を持っている、と言っていましたが、提出されてはいません。もし世界に提示できる確たる証拠があれば、それを口実に、米国は、今からでも、リビアを破壊し尽くしたと同様の猛爆を、国連を操作して、シリアのアサド政権に対して開始し得るのです。勿論、そんなもののある筈はなく、むしろ、オバマ大統領の手元には、使用されたサリンの出所などについてのはっきりした資料があるのだろうと、私は推測します。
ブログ記事のはじめの部分に引いたワシントン・ポストの8月23日付の記事を再録します。そのフォト・ギャラリーには、白布に包まれた幼い子供たちの死体が魚河岸の魚のように並べられた写真があります。他の写真の多くも子供の犠牲者の様子を撮ったものです。ご覧になって下さい。
http://www.washingtonpost.com/world/national-security/in-syria-chemical-attack-allegations-us-and-allies-push-for-immediate-probe/2013/08/22/00f76f2a-0b6f-11e3-8974-f97ab3b3c677_story.html?wpisrc=nl_headlines
これらの子供たちは、米国が打倒したいと考えるアサド政権に対する空爆を開始する口実を捏造するために殺されました。この国家的行為とイスラム国の誘拐殺人行為とどちらがより残酷残忍でしょうか。
ここで、私としては、何度でも申し上げておきたいことがあります。どこからやって来たのかわかりませんが、「一つの命は、どれも同じく、一つの命だ」という片言のような言葉が私の心の中に住み着いています。“いたいけない子供だから”とか“愛くるしい少女だから”という気持ちを私は持ちたくありません。偽の証拠の捏造する目的で、誰が殺されても、私は同じように憤りを感じます。
2002年4月、ベネズエラでクーデターが起こり、ウゴ・チャベス大統領は反乱軍側に拘束され、大統領の座から追われましたが、47時間後には、貧困層大衆のチャベスに対する圧倒的支持の表明と軍部内の大統領支持勢力によって、クーデターは失敗に終わりました。このベネズエラ政府転覆の試みの背後に米国の手が働いていたことは否定の余地がありません。
先週木曜日2月12日に現ベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロは,新しいクーデター計画を阻止したと声明を出し、政府が把握した計画の詳細を発表しました。今回も米国のバックアップがあったことは見え見えです。クー実行の予定日は2月12日でした。このクーデター挫折のニュースは日本では殆ど報じられなかったようですが、十分の関連情報がネット上で入手可能です。
計画の残忍性の点で、2月12日に行われる筈であった暗殺計画の標的の中に、マドゥロ大統領と政府の高官の他に、反政府側の何人かも含まれていたことに、私は特に注目します。
2002年4月のクーデターの際、4月11日の午後、チャベス政府側が反政府のデモ隊に向けて発砲して十数人が射殺され、約60人が負傷したと報じられ、これがクーデターの決定的瞬間になったというのが、ニューヨークタイムズなどの主要メディアの主張したところでした。しかし、その後、反政府デモ隊に発砲し、残忍な殺戮を行ったのは、政府側ではないことを証拠付ける映像の存在が確かめられ、殺戮は反政府側の自作自演であったことが判明しています。今回の、失敗に終わった政権乗っ取り計画で、反政府側の人間も暗殺の対象になっていたという事実は、前回と同じような偽りのストーリーのでっち上げの計画が事前に組まれていた証拠だと思われます。米国のネオコン金融経済システムにべネズエラを組み込むという政策の実行のためには、その手先となって動いている人間たちでも、利益があれば、暗殺して省みないというのは、これぞ冷酷残酷残忍の極みと言うべきではありますまいか。
言うまでもありませんが、もし米国の残酷性を思想的問題として本格的に論じるとするならば、第二次世界大戦での米国空軍の日本に対する空爆の問題を正面に据えなければなりません。これは、日本軍の行為についての反省、あるいは、米国の原爆使用の是非の問題と一応切り離して、考察すべき問題、考察可能の問題です。核抑止力の思想の中核とも深く結びついた問題です。いつの日か、この問題と対決したいと思っています。
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藤永 茂 (2015年2月18日)
もっとも残酷残忍な国は? 私の闇の奥
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