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【2月15日 AFP】1月末、同僚のセリア・レブル(Celia Lebur)がアフリカ中部チャドとナイジェリアの国境地帯へ飛んだ。ナイジェリアのイスラム過激派組織「ボコ・ハラム(Boko Haram)」による過去最悪規模の残虐行為から逃れてきた人々の話を聞くためだ。
チャド国内に設けられた難民キャンプには、生まれたばかりの男児に授乳する若い母親、アイシャ・アラジ・ガルブ(Aisha Aladji Garb)さんがいた。両国の国境に位置するチャド湖(Lake Chad)を渡って逃げてくる途中、カヌーの上で出産したのだという。
ボコ・ハラムが勢力を拡大してきたこの6年間で最悪と思われる襲撃事件は、1月3日、ナイジェリア北東部バガ(Baga)で起きた。ムサ・ジラ(Moussa Zira)さんは、弾丸が頭のすぐ横をかすめながらもかろうじて命拾いし、隣人たちの遺体が積み重なった茂みの中に身を潜めて襲撃をやり過ごした。キリスト教の牧師だというヤクブ・ムサ(Yacubu Moussa)さんは、「数千人」の戦闘員が襲ってきて、路上にたくさんの遺体が散乱していたと話してくれた。
痛ましい証言の数々は、これまでに我々はナイジェリア国内で集めた証言と合わせ、バガで起きた虐殺の規模の大きさを物語っている。だが、いったい何人が犠牲になったのかは、今もって検証が不可能だ。
■立ち入り禁止区域
記者たちが拠点とするナイジェリアの最大都市ラゴス(Lagos)は、バガから約1000キロ離れている。ここでは、ボコ・ハラムによる襲撃のニュースはいつも、同国北部の取材を担当するナイジェリア人特派員からの一報で知ることになる。たまに、ソーシャルメディアへの投稿がきっかけになることもある、
次に続くのは、慌ただしい「裏取り」だ。だが、ボコ・ハラムに関しては政府も軍も自分たちの責任の範囲でなければほとんど口をつぐむようになっており、もたらされた情報の真偽を確認するのは容易ではない。
ナイジェリア北東部ボルノ(Borno)州にある漁師町バガは、ボコ・ハラムの被害が著しい同州の大半の地域と同様に「立ち入り禁止区域」に指定されている。AFPのナイジェリア人スタッフでさえ、入ることはできない。
通信設備は破壊され、ボコ・ハラムの襲撃を生き延びた人々に残された道は、州都マイドゥグリ(Maiduguri)など政府の支配がまだ及んでいる地域に避難するか、国境を越えて隣国チャドに逃れる以外に、自分の身に起きたことを説明する手段はない。そのため、被害者の証言を聞くまでに何週間もかかることがある。
襲撃事件が起きたことを証明するため写真や動画の必要性が高まっているのではないかとの声が聞こえてきそうだが、そんなものはない。
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■扱いに慎重を要する声明
バガ襲撃の第一報は、文字だった。AFPが情報を入手して、1月4日に一行だけの速報を流した。襲撃があったという以外にその時点で我々が把握していたのは、何百人もの人々が逃げ出したこと、そしてナイジェリア軍とチャド軍が過激派対策のため駐留していた基地がボコ・ハラムに制圧されたということだけだった。
4日後、グッドラック・ジョナサン(Goodluck Jonathan)大統領がラゴスで選挙運動を開始したその日に、バガ近郊の町の当局者ムサ・ブカル(Musa Bukar)氏が英BBCラジオのハウサ語放送で、ボコ・ハラムが少なくともバガと周辺の16町村を襲撃・破壊し最大2000人が犠牲になった恐れがあると主張した。
ブカル氏はその後、AFPの取材にも同じ主張を繰りかえしたが、示した数字の根拠や、いつどこで犠牲が発生したのかの内訳については、明言できなかった。
にもかかわらず、ブカル氏の主張する「2000人」はあっという間に広まった。英語に翻訳され、BBCのウェブサイトにも掲載された。翌日には国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)が、「2000人」という数字が正しければと慎重に前置きした上で、バガ襲撃はボコ・ハラムによる最悪の虐殺の可能性があると示唆する声明を発表した。
それからの数日間で、BBCの慎重な報道とアムネスティの警告は、ソーシャルメディアを中心に事件への関心が高まる中、すっかりかき消されてしまった。「2000人」という数字は拡散され、犠牲者数として定着し、世界は震撼した。
■「誰も遺体を数えない」
バガで何が起きたのか。世間の注目が集まり、アムネスティと国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(Human Rights Watch、HRW)は破壊の大きさを示す衛星写真を公開した。それでも、正確な死者数は分かっていない。
「誰一人、現場に戻って遺体を数えようとはしない」と、バガの住民はHRWに証言した。「とにかく町を脱出しようとしている」
欧米では、当局がほぼリアルタイムで声明を出し、確認が取れた死者数や負傷者数を公表し、事件に対する当局としての見解を発表する。例えば、フランス・パリ(Paris)で風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)の編集部が襲撃された事件では、数時間のうちに死傷者数が明らかになり、テレビカメラが容疑者の捜索を追い、携帯電話で撮影した動画や目撃者証言がインターネット上に公開され、ニュースでも放送された。世界中のメディアがパリに押し寄せ、抗議デモを取材し事件を分析した。
しかし、ナイジェリアでは、これら一切が期待できない。地元メディアにとっても、AFPをはじめ駐在する一握りの外国メディアにとっても、状況は比較のしようがないものだ。
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■つながらない電話回線
ボコ・ハラムの攻勢が始まって、今年で6年目。殺害された人々は昨年だけで推定4000〜1万人とされるが、正確な数字は誰にも分からない。
新しい攻撃があるたびに私たちは、返答が得られないと分かっていても、軍や政府に電話をかける。地元の軍関係者は、申し訳なさそうにコメントを禁じられていると説明し、首都アブジャ(Abuja)の防衛本部に問い合わせるよう勧めてくる。だが、本部に電話をかけても誰も出ないか、電源が切られていることすらある。メールを送っても返信はほとんどない。軍のツイッター(Twitter)アカウントを確認するよう言われることもあるが、更新はされていない。
こうした中でボコ・ハラムの襲撃を報じるというのは、非常に複雑で、ストレスがたまる作業になる。まるでピースの大半が欠けたジグソーパズルを完成させるようなものだ。
攻撃を受けたのがカノ(Kano)やマイドゥグリなどの都市なら、携帯回線が生きてさえいれば、まだ容易に取材活動ができる。だが、それでも公式発表では死者数が低く見積もられがちだ。記者が病院の遺体安置所に行って死体を数えるほかないこともある。
昨年11月にボコ・ハラムがカノ中心部にあるモスクを攻撃した際には、AFP記者が実際にその手段を取った。遺体は94体だったが、後日、信頼できる救急当局の情報筋が死者は120人だと教えてくれた。負傷者が亡くなったのだろうか。真相は不明だが、その可能性は高い。
ただ、襲撃はほぼ毎日のように起きている。事件が起こるたびに記者が死者数を数えるのは不可能だ。単純に時間が足りない。
■「要約」される事件
なぜ、ナイジェリアは毎日トップニュース扱いにならないのか。バガ襲撃後も各地でボコ・ハラムの攻撃が相次ぐ中でそう疑問に思う人々もいるだろうが、その答えの1つが、ここにある。
新たなボコ・ハラムの残虐行為がパリでのテロ事件を押しのけて世界のトップニュースにならない理由は、連日のように襲撃が起きているからというだけではない。確実性がまるで欠けているからだ。
世の中はますます、整然とまとめられた情報の「パッケージ」を好むようになりつつある。分かりやすく整理され、逮捕の瞬間の写真が添付されていて、140文字で要約できたり、ハッシュタグがついていたりするものだ。
ボコ・ハラムの襲撃をめぐる報道の場合、そんな完成された「全容」は存在しない。想像を絶する恐怖の断片が散乱する中、次の襲撃が起きる前に何とかして情報の穴を埋めようと努力することしかできない。(c)AFP/Phil Hazlewood
この記事は、AFP通信のナイジェリア・ラゴス支局長のPhil Hazlewoodが書いたコラムを翻訳したものです。
http://www.afpbb.com/articles/-/3039668
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