http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/149.html
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西側諸国やウクライナにとって本来はロシアによる「クリミア併合」が最大の問題であるはずだが、なぜかそれは語られなくなり、東部2州の「帰属」ないし「自治権」問題に矮小化されているウクライナ危機問題。
“支配層同士のやらせ”であるウクライナ内戦の終結に向けた仲介に深くコミットし始めたドイツの思いを知る一助になると思われる「フォーリン・アフェアーズ リポート」掲載の論考―
記事のなかで面白いのは、「ドイツの官僚たちが「対ロシア強硬策をとっても大きな国内問題にはならない」と考えるようになつたのは、2014年7月17日にマレーシア航空17便が、おそらくは親ロシア派分離主義勢力によって撃墜される事件が起きてから」という箇所である。
米英仏といがみ合う必要はまったくないが、“日独露中”の政治的経済的連携が生まれれば世界史的な意義を持つようになると思う。
※ 参照投稿
「デフォルトを嫌う金融家のため、危機を頼りにする軍需産業のため、「東西」の合作で分断と対立を煽られたウクライナ」
http://www.asyura2.com/14/senkyo162/msg/467.html
「ウクライナ情勢の今後:軍事的対応はハナからなしだが、実質的経済制裁も避けたい欧米先進国:焦点はウクライナ東南部地域の“地」
http://www.asyura2.com/14/kokusai8/msg/169.html
「ウクライナ危機で問われるNATOの意味:存在意義が自覚される契機になることでNATOを救ったロシアのクリミア併合」
http://www.asyura2.com/14/kokusai8/msg/445.html
「どうする 日ロ関係:欧米諸国政府の見掛けの言動に囚われず日本は主体的に対露政策を進めよ!というNHKの解説」
http://www.asyura2.com/14/kokusai8/msg/750.html
「エストニア外相:狙撃兵の背後にいるのはヤヌコーヴィチではない、新政権内の何者か:ヌーランドさんに続きアシュトンさんも盗聴」
http://www.asyura2.com/14/kokusai8/msg/188.html
「ウクライナ:あのパルビー安全保障会議書記が辞任:政権がマイダン(独立広場)解放作戦実施:強硬右派と強硬独立派は邪魔者 」
http://www.asyura2.com/14/warb13/msg/661.html
「対露「口先制裁」の実例:ロシアは高級公務員の外国銀行口座保有を禁止:なのに金融資産凍結が制裁のコアという喜劇」
http://www.asyura2.com/14/kokusai8/msg/302.html
「欧米の対ロシア制裁に抜け穴−最大手行は対象外:見せかけのインチキ制裁で米欧とも様々の工夫」
http://www.asyura2.com/14/warb13/msg/581.html
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『フォーリン・アフェアーズ リポート』2015 No.1
P.35〜42
欧米に背を向けたドイツ ― 中ロとの関係強化を模索する理由
ハンス・クンナニ
欧州外交問題評議会 リサーチディレクター
ドイツは欧米同盟に留まることが経済的、軍事的に不可欠だとはもはや考えていない。ベルリンの壁崩壊とEUの拡大は、アメリカに軍事的に依存する必要性からドイツを解放し、しかも、ドイツの輸出主導型経済は、ロシアや中国市場への依存を強めている。これは、アメリカ主導の対ロ制裁への参加を決定する際に、メルケル首相が制裁に反対する経済界からの大きな圧力に直面したことからも明らかだろう。…ドイツは中国との経済関係の強化も模索している。「アジア版クリミア編入」が起きて、アメリカが中国との深刻な対立局面に陥つた場合、ドイツはどう動くだろうか。おそらく中立を選ぶはずだ。…EUにおける大きな影響力をもっているだけに、中ロとの関係強化を模索するドイツ外交の変化は、ヨーロッパ外交にも大きな影響を与えずにはおかないだろう。…
■ドイツは欧米に背を向ける?
2014年3月に起きたロシアによるクリミア編入という事態を前に、ドイツは大きな戦略的衝撃を受けた。ロシアの行動が、冷戦終結以降、ドイツが当然視してきたヨーロッパの安全保障秩序の前提を唐突に覆してしまったからだ。
冷戦後の20年にわたつて、ベルリンはモスクワとの政治・経済関係の強化に努めてきたが、今回の行動からみて、ロシアはヨーロッパとのパートナーシップなどまったく気に懸けていないのかもしれない。一方、天然ガスの供給をロシアに依存し、ロシアが重要な輸出市場であるにも関わらず、アンゲラ・メルケル首相は対ロシア経済制裁に参加することに最終的に合意し、他のヨーロッパ諸国が制裁に参加するように説得する役目さえ引き受けた。とはいえ、ウクライナ危機は、ドイツと欧米との関係に関する重大な疑問を再浮上させた。
「ウクライナ危機でドイツはどのような役割を果たすべきか」。2014年4月にドイツの公共放送ARDが実施したこの世論調査の質問に、「ドイツは欧州連合(EU)のパートナーや北大西洋条約機構(NATO)の同盟諸国と共同歩調をとるべきだ」と答えたのはわずか45%で、49%が「ロシアと欧米間の調停役を担うべきだ」と答えている。こうした世論の動向を懸念したシュピーゲル誌は2014年5月の論説記事で「ドイツが欧米に背を向けることのリスク」についてあえて鐘を鳴らした。
ウクライナ危機に対するこうした曖昧な反応は、ドイツの欧米世界への統合プロセスがここにきて停滞していることと無関係ではないだろう。皮肉にも、ベルリンの壁崩壊とEUの拡大は、ソビエトからの保護をめぐつてアメリカに依存する必要性からドイツを解放し、しかも、ドイツの輸出主導型経済は中国を含む新興市場需要への依存を高めている。こうした政治・経済上の変化ゆえに、ドイツは欧州統合にコミットしつつも、「ポスト欧米同盟の外交」をイメージするようになつた。EUにおける大きな影響力をもっているだけに、ドイツと世界との関係の変化は、ヨーロッパ諸国の外交にも大きな影響を与えずにはおかないだろう。
■「ジャーマン・パラドックス」
ドイツと欧米の関係はこれまでも複雑だった。たしかに、欧米世界の中核的な政治・哲学思想の担い手の多くは、イマヌエル・カントに代表されるドイツ啓蒙主義の思想家たちだつたが、ドイツは19世紀初頭のナショナリズムの台頭など、欧米の規範を脅かした暗い思想的系譜も併せ持っている。
19世紀後半以降、ナショナリストたちはドイツのアイデンティティを「リベラリズム、フランス革命の合理主義、そして啓蒙主義に対する反対」という視点から形作っていった。このドイツのナショナリズムが、ドイツの歴史家ハインリヒ・ウインクラーが「ドイツによる西洋世界拒絶の極致」と呼んだナチズムの台頭へとつながっていく。要するにドイツはパラドックスを抱え込んでいる。西洋の一部ではあつても、西洋に敵対する思想的系譜をもっている。
第二次世界大戦後、西ドイツはヨーロッパ統合の枠組みに参加し、冷戦が過熱した1955年には、北大西洋条約機構(NATO)への加盟も果たした。その後40年にわたる統合プロセスを通じて、ドイツは西側同盟諸国と協調して単一の安全保障構想を構築し、この基本路線に他のすべての外交目標を同期させた。
1990年代までは、ドイツも自国を西側、欧米同盟のメンバーとみなしていた。ヘルムート・コール首相の下で再統一を果たしたドイツは、(マルクを捨て)共通通貨ユーロさえ導入した。90年代末には、NATOメンバー国として軍事的責務を担うことも受け入れた。9・11後、ゲアハルト・シュレーダー首相はアメリカとの「無条件の連帯」を表明し、アフガニスタンでのNATOミッションにドイツ軍部隊を投入した。
だが、この10年でドイツの欧米世界への態度は大きく変化した。2003年のイラク侵攻をめぐる論争で、シュレーダーは「アメリカ流」とは対照的な「ドイツ流」の対外行動について言及し、以来、ドイツは軍事力の行使に反対する立場を強めていく。
ナチスという過去から学ぶべき教訓は「アウシュビッツを繰り返さないことだ」と考えたドイツは、NATOによるコソボ空爆作戦に参加したが、アフガニスタンでの戦闘を経験した後は、むしろ「戦争を繰り返さないこと」が正しい教訓だと考えるようになった。政治的立場に関係なく、ドイツの政治家たちは自国の役割を「平和を求める原動力になること」に定めている。
こうした平和へのコミットメントゆえに、EUとアメリカは「ドイツは同盟内でただ乗りをしている」と批判するようになつた。2011年のブリユセルでの演説で、ロバート・ゲーツ米国防長官は、NATOに二重構造が生じていると警告した。「(平和に必要な)代価を支払い、重荷を引き受ける意思と能力をもつ諸国」と「安全保障であれ、本部における地位であれ、NATOメンバーとしての恩恵を確保しつつも、リスクとコストを共有しない諸国」が存在する。ゲーツは、特にGDPの2%を国防予算に充てることに合意しつつも、これを守っていない加盟国を強く批判した(ドイツはGDPの1.3%しか国防費に投入していない)。最近ではフランスも、「ドイツはマリや中央アフリカへの軍事介入を十分に支援していない」と不満を表明している。
ドイツがNATO加盟国としての責務を十分に果たさなくなった理由の一つは、欧米同盟への統合がもはやドイツにとつての戦略的必要性ではなくなったからだ。冷戦終結以降、EUとNATOが拡大路線をとり、中央・東ヨーロッパを内包するようになると、フォルカー・リューエ前独国防相が述べたように、ドイツは「潜在的な軍事侵略国ではなく、友好国に取り囲まれるようになり」、ソビエトの脅威からの保護をめぐつてアメリカに依存する必要性から解放された。
同時に、ドイツ経済は非欧米諸国市場への輸出に多くを依存するようになつた。21世紀の最初の10年間でドイツの製造業は競争力を取り戻したが、国内需要は低調で、必然的に輸出への依存を高めていった。世界銀行によれば、2000年当時は33%だつたドイツのGDPに占める輸出の割合は、2010年には48%へと上昇していた。こうして、シュレーダー首相以降の政治指導者たちは外交基盤として経済利益、特に輸出産業の利益を重視するようになつた。
■反米感情の高まり
市民の反米感情の高まりも、ドイツ外交を変化させた。イラク戦争がドイツ人に戦争と平和の問題をめぐつてアメリカと挟を分かつきっかけを作り出したとすれば、2008年のグローバル金融危機は、経済領域でもアメリカとは別の道を歩むことへの自信をドイツに与えた。「金融危機はアングロサクソン型資本主義モデルの破綻とドイツの社会主義市場経済の有効性を立証した」と多くの人が考えるようになつた。
2013年に米国家安全保障局がドイツ市民の通話やメールなどを傍受し、メルケル首相の携帯電話での会話を盗聴していたことが露見すると、反米主義はさらに高まった。
多くのドイツ人は「もはやアメリカとは価値を共有していない」と考えている。なかには「これまでアメリカと価値を共有したことなど一度もない」と言う人さえいる。たしかに、欧米の枠組みに統合されたことで定着した「ドイツのリベラルな政治文化」が変わることはないだろう。しかし、ドイツが今後も欧米のパートナーたちとの同盟関係を維持していくかどうか、そして、経済成長のさらに多くを非欧米諸国に依存するようになっても、欧米の規範を擁護するために立ち上がるかどうかはわからない。
2011年には、ドイツ外交の変化を象徴する展開があつた。リビアへの軍事介入をめぐって、ドイツはフランス、イギリス、アメリカではなく、むしろロシアや中国に同調し、国連安保理決議を棄権した。ドイツの官僚の一部は、「今回の行動は、将来に向けた大きなトレンドを具現してはいない」と弁解したが、安保理決議直後に外交雑誌International Politikが実施した世論調査結果は別の流れを示していた。「主に欧米のパートナーと協調すべきか、それとも中国、インド、ロシアなどの他の諸国と協調すべきか、あるいは、その双方と協力していくべきかをめぐつて」市民の立場は分裂していた。
■新しい東方外交
ドイツのロシア政策は、これまでも政治的エンゲージメントと経済相互依存を基盤としてきた。1969年、西ドイツ首相に就任したヴイリー・プラントは 「西側との協調路線」だけでなく、「ソビエトへのより開放的な路線」を模索するようになり、このアプローチが後に「東方外交」として知られるようになる。
プラントは西ドイツとソビエトの政治・経済的な絆を強くしていけば、ドイツ再統一への道を切り開けるかもしれないと考えた。彼の外交顧問だったイゴン・バールはこれを「和解を通じた変革」路線と呼んだ。
冷戦が終結すると、ドイツとロシアの経済関係はさらに拡大した。シュレーダー首相は、プラントの東方外交を彷彿とさせる「貿易を通じた変革」路線を試みた。ドイツの政策決定者、特に、社会民主党はロシアとの「近代化のためのパートナーシップ」を標榜し、テクノロジーを提供することでロシア経済(そして政治)を近代化する路線をとることを強く求めた。
こうした結びつきゆえに、2014年にロシアがウクライナを侵略しても、ドイツは制裁レジームに参加することを躊躇した。アメリカ主導の対ロ制裁への参加を決定する際、メルケルはドイツ産業ロビーの大きな圧力に直面した。ロビー活動を主導したのは、「経済制裁はドイツ経済を大きく傷つける」と主張した「東ヨーロッパ経済関係委員会(CEEER)」だった。
プーチン大統領への支持を示そうと、シーメンスの最高経営責任者ジョー・ケーザーは、クリミア編入直後にモスクワ郊外にあるプーチンの家を訪問している。ケーザーはプーチンに、160年にわたつてロシアと貿易してきた歴史をもつシーメンスは、「短期的な混乱」がドイツとの関係に悪影響を与えないようにすると約束した。ドイツ産業連合(FGI)のマルクス・カーバ一事務局長も、2014年5月のフィナンシャル・タイムズ紙の記事で「ドイツ企業は対ロ経済制裁を支持するが、この決定については(割り切れぬ)重苦しい感情をもつている」とその胸の内を表現している。
ロシアにエネルギー資源を依存していることも、ベルリンが経済制裁への参加を躊賭した理由の一つだつた。2011年に日本の福島で原発事故が起きて以降、ドイツは計画を前倒しして脱原発を進め、その結果、ロシアの天然ガスへの依存度はますます高まった。
2013年までには、ドイツは消費する石油の31%、天然ガスの36%をロシアのエネルギー企業からの供給に依存していた。もちろん、エネルギー輸入を多角化してロシアへの依存を減らすこともできるが、それには数十年の時間が必要になる。だからこそ、ドイツはロシアを怒らせたくなかつた。
経済制裁への支持をめぐつて、メルケルは産業界の圧力だけでなく、世論の逆風にもさらされた。アメリカやヨーロッパ諸国の一部は「ドイツ政府はロシアに甘すぎる」と批判したが、ドイツ人の多くは「政府は過度に強硬な態度をとつている」と感じていた。
例えば、対ロ強硬策をとることを求める記事を書いたジャーナリスト、バーンド・ユルリッヒは「戦争を挑発している」と批判され、膨大な抗議メールを受け取る羽目になった。これまで長くロシアの立場に理解を示しているとみなされてきたステインマイヤー外相も、同様の批判にさらされた。
米国家安全保障局によるスパイ活動が露見したことも、(反米感情を刺激する一方で)ロシアへの同情を高めた。ユルリッヒが2014年4月に指摘したように、ロシアの大統領が欧米の圧力にさらされていると語ったとき、ドイツ人の多くは「われわれも同じだ」と感じていた。
ロシアとドイツを重ね合わせるこのような感情には、歴史的なルーツがある。1918年、ドイツの作家トーマス・マンは『非政治的人間の思想』で、ドイツ文化は「フランスやイギリスなどの他の西洋諸国の文化とは違っているし、それよりも優れている」と指摘し、むしろ「ドイツ文化はロシア文化と西洋文化の間に存在する」と主張している。この類の自己認識がこの数カ月で急激に高まっている。歴史家のハインリヒ・ウインクラーは2014年4月にシュピーゲル誌に寄せた記事で、ドイツ内のロシア支持派は「ロシアとドイツの魂がつながつているという幻想」を再び広めようとしていると批判した。
こうした世論動向ゆえに、メルケルは、ロシアのクリミア編入にどのような対応を示すかをめぐつて、慎重に言葉を選ぶ必要があつた。彼女は、可能な限り外交的に問題を解決しようと、プーチンと数時間にわたって電話会談を行い、モスクワとキエフの対立を調停するためにステインマイヤーを現地に派遣した。
ドイツの官僚たちが「対ロシア強硬策をとっても大きな国内問題にはならない」と考えるようになつたのは、2014年7月17日にマレーシア航空17便が、おそらくは親ロシア派分離主義勢力によって撃墜される事件が起きてからだった。
だがこの段階になつても、経済制裁へのドイツ社会の支持は脆弱だつた。ARDが8月に実施した世論調査によれば、ドイツ人の70%が、ロシア経済の有力者を対象とするビザ支給の停止と資産凍結を含むヨーロッパの追加制裁を支持していたが、「ドイツ経済にダメージが出るとしても制裁を支持するか」という質問にイエスと答えたのはわずか49%だつた。おそらく、次の制裁ではドイツ経済に余波が及び、世論はさらに制裁に懐疑的になるだろう。実際、専門家が懸念するように、制裁によってドイツ経済がリセッションに陥れば、市民の支持がさらに低下するのは避けられない。ドイツの経済界は経済制裁を表面上は受け入れつつも、制裁の緩和を求めていまも政府へのロビー活動を続けている。
経済制裁路線が大きな圧力にさらされる一方で、ドイツは「軍事的選択肢は排除する」とすでに明言している。9月のウェールズでのNATOサミットに先駆けて、メルケルは東ヨーロッパにNATOが永続的なプレゼンスを確立することに反対し、「そうした行動は1997年のNATO・ロシア基本文書に反する」と表明している。ドイツはロシア封じ込めに参加するつもりはない。
■中国への接近
一方でドイツは中国に急接近しており、これは、ドイツの「ポスト欧米同盟外交」を予兆するより重要な事例かもしれない。ロシアとの関係同様に、ドイツは中国との経済関係を強化することですでに大きな恩恵を引き出している。
この10年でドイツの中国への輸出は急拡大し、その規模は、2013年までに対ロ輸出の2倍に相当する840億ドルに達した。EUを別にすれば、ドイツにとってすでに中国は2番目に大きな輸出市場だし、近い将来にアメリカを抜いて、最大の輸出市場に浮上するだろう。ドイツ最大の自動車メーカー・フォルクスワーゲンにとつても、メルセデスベンツのSクラスにとつても中国が最大の輸出市場だ。
さらに、2008年のグローバル金融危機以降、ドイツと中国はグローバル経済について同じ認識を共有するようになり、両国の秤はますます強くなつた。ともに、アメリカの量的緩和策を批判し、グローバルなインバランスの是正を求めるアメリカの要求に抵抗した。2011年以降、閣僚級の年次政府間協議を実施するなど、両国は政治関係の構築も試みている。中国にとって、この協議プロセスは他国と広範な分野での協議を試みた初めてのケースだ。
ドイツにとつて中国との関係は主に経済領域に関するものだが、アメリカへの対抗バランスの形成という思惑から「強いヨーロッパ」の出現を望む中国にとつて、ドイツとの関係には戦略的な意味合いもある。「自国にとつて好ましいヨーロッパを形作る上で鍵を握るのはドイツだ」と中国は考えているかもしれない。「ヨーロッパ内でますます大きな影響力をもちつつあるだけでなく、ドイツの立場は、フランスやイギリスなどの他のヨーロッパ諸国に比べて中国に近い」と北京は考えているようだ。
アジア・リバランシング戦略によってアメリカが対中強硬路線を強めるなか、北京はベルリンとの結びつきを強めている。経済問題あるいは安全保障問題をめぐつてアメリカが中国と深刻な対立局面に陥ったとしよう。例えば、「アジア版クリミア編入」事件が起きて、米中が衝突した場合、ドイツはどう動くだろうか。中立の立場をとる可能性が高い。中国に駐在するドイツの外交官たちは、すでに欧米から距離を置く発言をしている。例えば、2012年に北京駐在ドイツ大使のマイケル・シエーダーは「もう欧米同盟という枠組みは存在しないと思う」とさえ語っている。
輸出市場としての中国の重要性が高まるなか、ドイツ企業は、対中経済制裁にはより強硬に反対するだろうし、ドイツ政府も制裁を躊跨するだろう。対中制裁をめぐつて、ヨーロッパ内部、そしてヨーロッパとアメリカの間にロシア制裁の時以上に大きな亀裂が生じるだろう。
■ドイツのヨーロッパ
「ドイツが中立の立場をとること」への懸念は目新しいものではない。1970年代初頭、ヘンリー・キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官(当時)は、ドイツの東方外交はソビエトに利用される危険があり、西側同盟の統一を脅かすと懸念した。ソビエトとの経済関係が強化されれば、ヨーロッパのソビエトへの依存が高まり、西側同盟の結束が損なわれると彼は考えた。キッシンジャーは回顧録で、「西ドイツがNATOから離脱するような事態は考えていなかつたが、ヨーロッパの外側で抜本的な安全保障利益が問われる事態に陥っても、立場を明確にしない危険があつた」と当時を振り返っている。
ワシントンにとつては幸いなことに、冷戦構造がそうした西ドイツの衝動を抑えてくれた。結局のところ、西ドイツはソビエトの脅威からの保護をアメリカに依存していた。しかし、いまやドイツは、ヨーロッパにおける強大な中枢国家として君臨している。冷戦期の西ドイツは欧州統合枠組みの端に位置する脆弱な国家だつたかもしれないが、現在のドイツは欧州連合内でもっとも大きなパワーをもつ国の一つだ。この地位から考えても、欧米という枠組みを離れたドイツが、すでに自国経済に深く組み込まれている中央・東ヨーロッパ諸国を中心に、他のヨーロッパを主導していくことになるかもしれない。
仮にイギリスがEUから脱退すれば、他の加盟国もドイツのリードに従う可能性が高くなるし、実際、そうすることでロシアや中国との関係が強化されるのなら、他のメンバー諸国はドイツに追随しようとするだろう。この場合、ヨーロッパとアメリカの利益は明確に帝離し始め、欧米同盟内に決して修復できない亀裂が生じることになるかもしれない。
Hans Kundnani 欧州外交問題評議会リサーチディレクター。専門はドイツ外交
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