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危険地域のテロ被害「責任は本人にある」83%
読売新聞 2月7日(土)22時9分配信
読売新聞社の全国世論調査で、政府が渡航しないように注意を呼びかけている海外の危険な地域に行って、テロや事件に巻き込まれた場合、「最終的な責任は本人にある」とする意見についてどう思うかを聞いたところ、「その通りだ」が83%に上り、「そうは思わない」の11%を大きく上回った。
「その通りだ」とした人は、イスラム過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件を巡る政府の対応を「適切だ」とした人の90%に達し、適切だとは思わない人でも73%を占めた。支持政党別にみても、自民支持層の88%、民主支持層の81%、無党派層の79%が「その通りだ」としており、「最終的には自己責任」の考え方が、広く浸透している。
最終更新:2月7日(土)22時9分読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150207-00050100-yom-pol
内閣支持上昇58%、人質対応を評価…読売調査
読売新聞 2月7日(土)22時6分配信
読売新聞社は6〜7日、全国世論調査を実施した。
安倍内閣の支持率は58%で、前回調査(1月9〜11日)の53%から5ポイント上昇した。不支持率は34%(前回38%)だった。
イスラム過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件を巡る政府の対応が「適切だった」と思う人は55%で、「そうは思わない」の32%を上回った。イスラム国対策として中東諸国への人道支援をさらに拡充するという安倍首相の方針についても「賛成」が63%で、「反対」は26%にとどまった。人質事件への対応が評価されたことが、内閣支持率を押し上げたとみられる。
安倍首相が今夏に発表する予定の戦後70年の首相談話で、これまでの首相談話にあった、過去の植民地支配や侵略に対する反省やおわびについての表現を「使うべきだ」と答えた人は44%で、「そうは思わない」の34%を上回った。
最終更新:2月7日(土)22時6分読売新聞
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150207-00050099-yom-pol
「自己責任論」で中世に退行する日本
古谷経衡 | 評論家/著述家
2015年1月25日 3時6分
・吹き荒れる自己責任論
イスラム国(ISIS)が、ジャーナリストの後藤健二さんと湯川遥菜さんの二人を拘束し、法外な身代金を要求するという事態は、日本のみならず世界中に衝撃を与えている。
さらに1月25日、イスラム国が湯川春奈さんを殺害した事を仄めかす画像を、ネット上に公開した。
人命に関わる微妙な問題なので、書くべきか書かざるべきか、これまでギリギリに悩んでいたが、風雲急を告げる事件の性質上、やはり書かずにはいられない。
事件発生以来、やはりというべきか、2004年のイラク日本人人質事件の時と同様、拘束された二人に対し、主にネット上で「自己責任論」が沸き上がっているのは、ご承知のとおりだ。
簡単にいえばこの「自己責任論」というのは、「(人質となった二人は)危ない地域と承知で行ったのだから、何をされても自分が悪い」というもの。「身勝手な二人のために、例え身代金以外に掛かる諸々の費用であっても、税金の無駄ではないのか」という意見すら、ネットの中では散見される。正直言ってこんな風潮は世も末だと思う。
こういった「自己責任論」には、綺麗なまでに「同胞」という意識が欠如している。「同じ日本人同胞が、海外で危険に晒されている。同じ日本人なら、彼ら助けたい、と思うはずだ」という認識に従って、イスラム国の誘拐犯らは、動画の中で「君たち(日本人)が同胞を救助するために政府に圧力をかけるための残された時間は、72時間だ」と言った。
しかし、当の日本人から返ってきた少なくない反応は、「同胞」という意識を全く欠如した「自己責任論」。この反応は、イスラム国側も想定の範囲外だったのかもしれない。
・「動機が不純」は関係がない
遡ること、2004年のイラク日本人人質事件の際には、人質になった3人は、既に外務省から出されていた渡航自粛勧告を無視する形でイラクに入国し、拘束された。今回拘束された湯川さんも、内戦状態のシリアの深刻な状況を認識した上で、語学能力にも事欠く状況で渡航した、とされる。後藤さんは拘束前、「何が起こっても、自分の責任」というメッセージを残している。
今回、「危険を承知で」あえてイスラム国の近傍に渡航した二人に、全く何の落ち度もないのか、というと、特に湯川さんの方には、経験や知識という意味で問題がありそうだ。更に、渡航の動機も、「一旗揚げたい」「冒険したい」みたいな想いが、もしかするとあったのかもしれない。が、その「落ち度」と、「海外で生命の危険に晒されている同胞を国家が救助する」というのは、全く別の問題だ。
「動機が不純だから」とか「当人が危険性を予め承知していたから」などという理由で、「国外で危険に晒されている同胞を助ける必要はない」という結論に達するならば、これはもう「近代国家」の根底が崩壊することになる。
・近代国家と同胞意識
1871年(明治4年)、琉球・宮古島の船員69名を載せた輸送船が暴風雨で遭難し、台湾に漂着した。ところが漂着した台湾で、乗組員たちは台湾の原住民によってその内、54名が殺害されるという事件が起こった。激怒した明治政府は、西郷従道を総司令官として台湾に3,000名の討伐軍を送った。世に言う、「台湾出兵」である。
勿論、今回の誘拐事件は殺害を示唆する内容のもの(2015年1月24日現在、人質殺害の事実は公式に確定していない)で、明治4年の事件とは異なる。が、当時の明治国家が、宮古島の島民を「同胞」として見做し、これに対する危害は武力を以って報復する、という決意を示した出来事であった。
明治国家が台湾への野心を、偶然起こった遭難事件にかこつけて利用した事は明白である。私は「台湾出兵」を正当化するつもりは毛頭ないが、明治維新を経て「近代国家」としてその歩みを進める以上、国民国家=近代国家として、当時の日本政府が「同胞」をどう観ていたのか、その世界観の一端を示す事例に成るのではないか。
今風に言えば、「台風の危険性を予期できなかった宮古島の島民の自己責任」とでも言おうか。だが、明治時代にはそんな醜悪な「自己責任論」なんてものは存在しなかったのは、言うまでもない。
・中世のレベルに退行する同胞意識
「台湾出兵」から100年以上たった現在、近代国家の根本である「同胞」という価値観が全く欠如した「自己責任」を問う世論が、今回の事件を契機に特にインターネット界隈で盛んだ。
「(シリアに渡航した)動機が不純だから、国家は彼らを助ける必要がない」という自己責任論がまかり通るのなら、それはもう「鎖国という祖法を破って、海外に渡航する領民については、何をやっても幕府は捨て置く」という、江戸時代の日本の、中世の世界観と瓜二つである。
実際には、江戸幕府は、「祖法」を破って海外に渡航する日本人については、抜荷(密貿易)の事実がない限りはおおよそ黙認していたが、それと合わせて「出国」した日本人については、当地でどんな目にあおうが原則「黙殺」の態度を貫いていた。「国民国家」という意識の薄い、前近代の中世の国家にあっては、同胞意識は限りなく薄弱だった。「同じ日本人」という概念は限りなく薄いのが「国民国家」が形成される以前の、中世に於ける同胞意識だ。
だから例えば、戊辰戦争で薩摩の藩兵が会津で暴行陵虐の限りを尽くす、という悲劇が平気で起こる。「国民国家」以前の世界には、「同じ同胞の日本人」という意識がきわめて希薄なのだ。
「動機が不純だから、国家が保護する必要はない」という、今回の事件を契機にまたも沸き起こった「自己責任論」は、このような前近代の中世の世界観を彷彿とさせるものだ。
・なぜ同胞意識がなくなったのか
今回の誘拐事件で、「自己責任論」を高らかに言うのは、所謂「保守系」と目されるネット上の勢力が根強い。彼らの言い分は、「国家の税金によって、身勝手な連中を助ける必要はない」という意見に集約されている。
どれほど身勝手で不純な動機だろうと、同胞であるかぎり死力を尽くして助けるのが国民国家の原則であるのは、明治冒頭の台湾出兵の事実で明らかだっただろう。
「自分たちは働いて、まじめに納税しているのだから、”海外で無茶をする連中”を助ける必要など無い」
というのが、彼らの意見である。「納税者でないものは、人に非ず」とでも言いたげな、典型的な「強者」の理屈である。
国家に貢献しないものは、庇護する必要はない―。この考え方を突き詰めれば、例えば生活保護の受給者そのものを蔑視したり、社会的弱者を嘲笑する、という昨今のネット上の風習に行き着く。
ネット上で保守的な見解を表明するクラスタは、大都市部に住む中産階級が多い、というのは、私が実施した独自の調査によって明らかになりつつある。彼らは経済的にも社会的にも「強者」であるがゆえに、「自己責任論」を振りかざして憚りないが、自分がいつでも、不慮の事故や病気で「庇護される側」に回る可能性がある、という想像力を欠いている。
・「自己責任論」で中世に退行する日本
「自己責任論」で中世に退行する日本には、ネット上の保守派が最も重視するはずの「強い日本」とか「強固な国家」という「理想としての美しい日本」が、どんどんと遠ざかっているような気がするのは、気のせいだろうか。当然のことだが、「強い日本」とか「美しい日本」は、彼ら言う「家族のような同胞」の連帯を基礎としているからだ。「自己責任論」はそれに反し、同胞を同胞とも思わない、醜悪な前近代の世界観が支配しているように思える。
「動機が不純だから」という理由で、かけがえのない同胞の生命の危険を、ヘラヘラと見ているだけの日本人に、良心はあるのだろうか。いつから日本は、「国民国家」という近代国家の根本を排除した、「異形の近代国家」に変質してしまったのだろうか。
涙がでるほど、情けない。
古谷経衡
評論家/著述家
1982年北海道札幌市生まれ。著述家。NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。立命館大学文学部史学科卒。インターネットと保守、マスコミ、アニメ評論などの分野で執筆活動、番組出演、講演会などを行なっている。主な著書に『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)、『ネット右翼の逆襲』(総和社)、『クールジャパンの嘘』(総和社)、『ヘイトスピーチとネット右翼』(オークラ出版・共著)など。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150125-00042523/
イスラーム国による日本人人質事件に関する「自己責任論」と「首相責任論」の狭間
六辻彰二 | 国際政治学者
2015年1月24日 14時32分
1月20日、イスラーム国による日本人の人質事件が発覚しました。2人の日本人の解放に2億ドルという法外な条件を課してきたイスラーム国は、これによって世界各国の関心を引きつけました。恐らく彼らの最大の目的は、戦闘員や共感者、協力者のリクルートのための宣伝にあるとみられますが、この目的はある程度成功したといえます。
この文章を書いている時点で、既に期限の72時間は過ぎましたが、今のところ次のアクションは発生していません。日本政府はイスラーム国と接触し、引き伸ばしを要請しているとも伝えられています。一方、世界一の産油国で、メッカとメディナという二聖地を擁する「イスラーム圏の盟主」サウジアラビアのアブドゥラ国王の死去が23日に発表されました。これにより、イスラーム圏、アラブ圏の関心がそちらにしばらく集中するだろうことも、想像に難くありません。その状況はイスラーム国にとってスポットが当たりにくいことを意味するため、引き伸ばしを可能にする条件といえます。
いずれにせよ、状況はいまだ定かでなく、注視するしかないのですが、その一方で、今回の事件をめぐり、国内では「自己責任論」がネット上で広がり、その一方では、それほどの広がりでないまでも、「首相責任論」も浮上しています。
しかし、どちらも結果的にはテロリストを利する点で一致していると思います。
自己責任論の錯誤
このうち、「自己責任論」は2004年のイラクでの3人の人質事件以来、こういった事案のたびに、定期的に出てくるものです。今回のケースでいえば、自己責任論を叫ぶ人たちの最大公約数的な論理は、「危険を承知して自分の意志で行ったのだから、それが拘束されたからといって、政府が方針を変更するのはおかしいし、身代金を払うこともない」だと思います。
個人が自らの行為に責任を負うのは当然です。また、人質を取られるたびに方針を変更すれば、国家そのものがテロリストに乗っ取られます。したがって、既に打ち出している政策の変更はするべきではないでしょう。さらに、今回の場合、2億ドルという金額が、いかにも高すぎることも確かです。
ただし、本来、責任を追及すべき対象が、人質をとった側にあることはいうまでもありません。国内で犯罪が発生した際、「被害者にも落ち度がある」というのはよく聞く言い方ですが、それは原因の一つを指摘しているだけで、それと責任を置き換えた言い分です。その営為は「当事者みんなに責任がある」という結論に行き着きやすく、責任の所在をかえって曖昧にします。これはトラブルや問題そのものを忌避する、ムラ的発想といえるかもしれません。いずれにせよ、今回の場合、2人の日本人がシリアに赴いたことは、今回の出来事が発生した「原因」の一つですが、「だから何をされても文句をいえないはずだ」というのは、テロリストの責任を減じ、結果的にはこれを擁護することになります。
国家の果たすべき責任
これに加えて、国家には本来、国民を保護する責任があります。雪山遭難などで捜索隊が出た場合、(少なくとも日本では)事後に個人や家族に費用弁済が請求されますが、その弁済請求の良し悪しはともかく、少なくとも一旦公共機関によって、その安全が確保される範囲内で対応されることに、異論はほとんどないとおもいます。同様に、国民の生命が危険にさらされているとき、国家がそれを黙殺することもまた許されないでしょう。
とはいえ、国家の責任が無制限でないことも確かです。今回の場合、どこまで国家がカバーすべきでしょうか。
「身代金を払えば次の誘拐を招く」という論理は固いものがあります。特に近年、テロ組織にとって誘拐は一種のビジネスになっていますが、イスラーム国の場合、国連の報告書によると、2014年の一年間で53億円の身代金を得ています。占領した土地での油田や、一部の湾岸諸国からの送金だけでなく、これらの身代金が彼らの資金源になっていることは確かです。この観点から、特に米英が身代金の支払いに否定的なことは、不思議ではありません。今回の事件でも、米国は身代金を支払わないよう、日本政府に求めてきています。
その一方で、あくまでテロリストとの交渉を拒絶する米英の国民が、イスラーム国によって誘拐された場合、やはり誘拐された他の国民より多く殺害されてきたこともまた否定できません。それが報復感情を惹起し、相互の憎悪に拍車をかける一因にもなっています。人質をとる方に問題があるにせよ、交渉さえ否定してしまえば、あとは「全て力で解決する」思考に行き着きやすくなります。力ぬきで秩序は形成できませんが、力のみで創られる秩序はテロリストの論理と紙一重となります。
その観点からみれば、テロリストが要求する「2人で2億ドル」は現実に難しいとしても、減額を求めたうえで身代金を支払うことが、日本あるいは世界全体にとってより危険かどうかは一概にいえません。23日の段階で安倍首相は、「身代金は払わない」と言明しました。「身代金の支払い拒絶」があくまで対外的なパフォーマンスでなかった場合、これは米英の希望に沿うものであっても、これら両国と異なり、部隊を派遣して人質を奪還することができない日本にとって、選択肢を狭めるものといえます。
その一方で、身代金を一旦おくとしても、相手の自尊心や名誉に訴えるといった説得や、身代金に代わる代替案の提案といった交渉を行うこと自体は、現状の日本が選べる数少ない選択肢です。その意味で、イスラーム国とパイプがあるといわれるヨルダン政府やトルコ政府の治安機関、宗教指導者らを通じてコンタクトをとる、そしてSNSなどを通じてメッセージを発してコンタクトを呼びかけるという今回の手法そのものは、少なくともその限りにおいては、妥当といえるでしょう。
首相責任論の危険性
次に、首相責任論について考えます。ネット上では、「拘束されている後藤氏の家族に身代金の要求があったことは政府にも伝わっていたはずなのに、エジプトでの支援表明で敢えて『ISIS対策として』と言明してイスラーム国を刺激し、今回の事態を招いた」として、2億ドルの支援を留保すべきという署名活動が行われています。1月24日現在、1万7000人以上が署名しています。
この主張に対しては、「2億ドルを留保すれば人質が解放される保証があるか」、「そもそもイスラーム国側は2億ドルの支援の留保を要求していないのに、テロリストに大盤振る舞いすることにならないか」といった疑問が沸きます。なかには元防衛官僚の柳澤協二氏のように「安倍首相が辞任することが人命救助につながる」と主張する向きもありますが、それでイスラーム国が納得するかが不明であるばかりか、テロリストに脅されれば最高責任者の首すら差し出すという、無責任な主張と言わざるを得ません。
首相責任論を主張する多くのひとには、「事件の本来の責任がイスラーム国にある」ことを軽視する点で、自己責任論者の多くと共通するようにみえます。また、特に首相責任論をいう人には、「よその戦闘に関わるべきでない」、「関わらなければ安全」という前提があるように思えます。「触らぬ神に祟りなし」というように、そこには一定程度の真理が含まれるといえるでしょう。
しかし、イスラーム国の台頭は既存の国際システムにとっての危機をもたらしているだけでなく、輸入原油の8割以上をこの地域に依存する日本にとって、中東情勢は無縁であり得ません。また、テロリストは相手を選んでくれません。欧米諸国ではイスラーム国から帰国した協力者、賛同者によるテロ活動が頻発しています。それらにいつ、在外邦人が巻き込まれるかも分かりません。
もちろん、「関わり方」、つまりほぼ常に欧米諸国と足並みを揃えることの是非は、この件に限らず、考える必要があります。また、外国からイスラーム国に参加しようとする若者を生み出す社会的不公正という土壌を改善する必要があることも、強調する必要があります。
しかし、世界全体に脅威が拡散するなかで、「イスラーム圏と欧米諸国の対立」という紋切り型の理解にしたがって、ひたすら「関わらなければ安全」と考えることは、自らの置かれている立場と眼前の脅威から目をそむけるものといわざるを得ません。
米国寄りの独裁体制を支援することの是非
個人的には、安倍政権を党派的に支持するものではありません。また、従来の日本の外交政策や国際協力のあり方も、見直すべき点があると思います。中東のみならず世界に対して、全く独立した立場で臨むことは困難でしょうが、中長期的には少しでもそれに近づけるようにすべきと、個人的には思います。
さらに、イスラーム法学者の中田考氏は、今回の安倍首相の打ち出した援助方針に米国寄りのトーンが強く、援助対象国が米国やイスラエルの影響の強い国ばかりで、さらに援助提供の際に「イスラーム国対策として」と強調したことが不用意であったと指摘しましたが、これらのポイントに関して賛同することに吝かでありません。
ただし、少なくとも現状において、日本が中立的な立場で中東にアプローチすることは、実際には困難です。日本のアプローチは非軍事的手法とならざるを得ませんが、現代の国際協力や援助では、紛争地帯でいかにプロジェクトを実施するかが微妙な問題になってきます。「援助関係者は丸腰で中立的な立場でいた方が安全」と考える立場もありますが、現代のテロ組織はそういったことへの配慮はほとんどありません。実際、援助関係者への襲撃は、シリアだけでなく世界全体で増加傾向にあります。
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そのため、安倍首相の外交方針や理念に賛同するか否かにかかわらず、軍事活動に制約のある日本にとって、全く独自の行動をとることが実際に難しいことを踏まえれば、基本的な立ち位置に沿って欧米諸国やそれと近い立場の政府との関係に基づいて、必要に応じてそれらの部隊の警護のもとで援助を提供しなければ、プロジェクトそのものの実現性が乏しくなります。逆に、志や理念は重要ですが、それらがいくら公正なものであったとしても、実効性をともなわなければ、国際協力や援助は成立しません。
この観点からすると、今回の主な支援対象であるエジプトやヨルダンが米国寄りの「独裁体制」のもとにあったとしても、そして日本が米国のジュニア・パートナーであることを改めて満天下に示すことになったとしても、少なくともイスラーム国の台頭への対策として、これら各国の政府と一定の協力をすることは、難民を実効性あるかたちで保護することに当面の優先順位を置くのであれば、やむを得ないといわざるを得ません。
日本の危機管理にとっての課題
文章の末尾を書いている時点で、未だに動きは伝えられておらず、二人の無事を願うばかりです。
その一方で、今回の事件は、既に大きな課題を日本に示しています。全責任を安倍首相にかぶせる主張や援助留保という選択には賛同できませんが、先述の署名運動や中田氏の主張が、今後の日本における危機管理体制の構築という観点から、重要なポイントを指摘していることは確かでしょう。今回の事件が安倍首相の安全保障政策をより強固にする公算は大きいといえますが、それに先立って国民保護にとって必要なことは、以下のポイントの検証といえます。
後藤氏の家族や中田氏、ジャーナリストの常岡浩介氏から、後藤氏や湯川氏が人質になっていること、さらに身代金の要求があったことが、外務省や公安関係者に伝わっていたといわれます。これに関して政権中枢は把握していたのか、否か。
把握していなかったとすれば、それはなぜか(その場合、恐らく情報伝達の経路のどこかの担当者によって、情報の取捨選択の過程でふりおとされた公算が大きいですが、そうだとすると情報管理の在り方自体を見直す必要があります)。
把握していたとすれば、二人の解放に向けた動きを進めていたのか、否か。していたとすれば、どのように。また、していなかったのであれば、なぜ(その場合、恐らく外務省関係者は首相の中東歴訪に向けた準備にいそがしかったのでしょうが、そうだとすると外務省がいうところの「邦人保護」とは何なのかが問われることになります)。
首相は「あらゆる手段を講じて」と強調していたが、1月22日の時点で常岡氏は、自身と中田氏にイスラーム国へのパイプがあるのに当局から協力要請がないと述べた。なぜ、協力要請をしなかったか(両氏には失礼ながら、恐らく公安当局が両氏を「好ましからざる人物たち」とみなしていること、さらに欧米諸国と異なり、そもそも民間人に協力を求めること自体、「官」意識の強い日本政府の体面にかかわるもので、拒絶反応があることが大きいのでしょうが、そうだとすると日本の国際協力などにおける長年の懸案であり、安倍政権が強調する「官民連携」について問われることになります)。
機微に触れる問題だけに、詳細な情報の公開は期待しにくいのですが、これらに関する検証がなければ、今後とも同様の事態が発生し得る危険性を排除できません。それは国民の安全確保を脅かしかねない一方、イスラーム国などのテロ組織を利することにも繋がります。いずれにせよ、今回の事件は日本のあり方そのものを問い直すきっかけになったことは確かといえるでしょう。
六辻彰二
国際政治学者
博士(国際関係)。アフリカをメインフィールドに、米中関係から食糧問題、宗教対立に至るまで、分野にとらわれず、国際情勢を幅広く、深く、分かりやすく解説します。
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