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池田大作著「平和の城」<本澤二郎の「日本の風景」(2216) <池田氏の歴史認識><師弟不二を放棄した公明党と創価学会>
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/688.html
投稿者 笑坊 日時 2015 年 12 月 27 日 14:07:15: EaaOcpw/cGfrA
 

http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52127190.html
2015年12月27日 「ジャーナリスト同盟」通信

<極右・国家主義との接点は?>

 政治の専門家であれば、今の自公体制は創価学会による強力な選挙活動の成果であることがわかる。そこで、戦前の極右・国家主義と創価学会を結びつける理念・精神は、どこから来ているか、多少の興味も出てきて、友人の書棚から池田大作著「平和の城」(聖教新聞社)を借りて、初めて彼の本を開いてみた。
この本を中国の友人は「漢字の全てにひらがなをつけてあるので、とても読み方の勉強になる」といいながら、ここ3年の創価学会に対して、言い知れぬ失望といら立ちを抱いている。

<若き日の名誉会長の活動を収録>

 宗教家の本は、一般人には違和感が先に立つ。そのはずで、宗教指導者による会員向けの叱咤激励文だからだろう。2003年10月に出版されたこの本の装丁は、さすがに立派である。
 30数冊書いた拙著には、このような立派な装丁はない。出版社もライターも貧乏だから、致し方なかったのだが、しかし、活字は主に悪しき権力への不正腐敗を暴くペンは鋭かった、と今も自負している。

 「平和の城」は、冒頭の「はじめに」から師弟論を徹底して強調している。これを繰り返し訴えることで、弟子である会員は小さな城を大きくさせていく。それを政治の分野に展開したのが、公明党ということなのだろう。
 さっと目を通しただけでも、緊張・緊張文の連続で、門外漢・第三者にはとてもなじめるものではない。逆に、それを受容できる人々が会員なのだろう。彼らが信仰仲間を次々と作ってきたのだろうが、そこでは巧妙な競争原理を働かせている。
 言葉は悪いが、会員を奴隷のように会員獲得競争に走らせての成果か。裏返すと、この国の社会が脆弱、問題をたくさん抱えている証拠ともいえる。

<卑劣な恩知らずや裏切り者はいられない>

 人間という感情の動物を組織していくことは、容易なことではない。人は自由でありたい、名誉も地位もいらない、という筆者のようなものは、組織人間にはなれない。
 組織人間は、したがって日頃から組織維持のために最大の神経を使うことになる。池田氏は冒頭の文章で、組織の破壊者に対して容赦のない言葉を爆発させている。
 「卑劣な恩知らずや裏切り者は、正法正義の清浄無比の”和合の城”には居られない」と叫ぶ。組織を維持することの困難さを指摘すると同時に、それでも必ず裏切り者は出てくるとの意味であろう。

 木更津の戦争遺児の「池田先生は決して太田を許さない」と叫んで2014年4月28日に亡くなったが、彼女はこの「平和の城」の愛読者だったかもしれない。平成の治安維持法(特定秘密保護法)を強行した太田と公明党である。それを受け入れた創価学会だ。同法は、まぎれもなく国家主義の戦争体制への一歩なのだから、池田理念を踏襲するのであれば反対すべきだった。

<池田氏の歴史認識>

 池田氏は戸田城聖・2代会長との出会いに触れながら、自らの歴史認識を吐露している。
 「太平洋戦争が勃発した年、私は13歳だった。終戦時は17歳である。人生で最も多感な時期が、黒く厚い戦雲に覆われていた」「戦争を賛美しながら、戦後、手のひらを返すように平和主義者に豹変した政治家や知識人にも辟易していた」「戸田先生が軍部政府の弾圧を受け、2年間、投獄されていた事実は、私が師事する決定的な理由となった。私自身、もし再び戦争が起きたら、牢獄に入ってでも抵抗する覚悟の人間でありたかった。いかなる権力の横暴にも屈せぬ勇者として生きたかった」
 池田氏のこの歴史認識を、批判できる日本人がいるだろうか。信仰はともかく、この彼の歴史認識に同情する日本人は、ほとんどではないだろうか。

<池田氏の理念はいずこへ?>

 池田氏から憲法改正論はまったく見えない。それどころか、平和憲法のおかげで学会は大きくなった。海外展開もできた。

 池田氏が健在であれば、牢獄に入ってでも、武器輸出を止め、軍拡予算に反対したであろう。初代・2代会長を獄に入れたと同じような特定秘密保護法や集団的自衛権行使・戦争法に、体を張って反対したであろう。
 戦争法に最後まで抵抗した正木理事長更迭を断じて許さなかったであろう。いまの創価学会に池田理念はなくなってしまった?

<師弟不二を放棄した公明党と創価学会>

 「昭和24年、時に戸田先生は49歳、私は21歳であった。先生は、心血を絞りぬいた遺言のごとく、烈々と叫ばれた」「師と生死を共にする弟子たれ!と」「しかし、現実には先生が窮地に立たされた時、多くの弟子たちは、皆、逃げた」
 いまの公明党と創価学会は、池田氏のこの遺言をどう受け止めているのか。知りたいものである。

2015年12月27日記(政治評論家・日本記者クラブ会員) 

 

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