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「報道ステーション」降板が決まり記者会見をする古舘伊知郎氏=24日、東京・六本木(撮影・斎藤浩一)(写真:産経新聞)
古舘氏降板説明詳報(1)報道ステーション「不自由な12年間だった」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000553-san-ent
産経新聞 12月24日(木)17時42分配信
テレビ朝日系報道番組「報道ステーション」の古舘伊知郎氏は24日、東京都港区の同社で記者団の取材に応じ、来年3月末で番組を降板することについて、「不自由な12年間だった」などと語った。主なやり取りは次の通り。
「お忙しい中、ありがとうございます。『報道ステーション』という番組タイトルや番組はしっかりと残るので、私のみが去るということ。これはこれでいいと思う」
「できれば、MCが変わるわけですから、今までの『報道ステーション』を『エピソード1』と言ってもらい、来年4月からは『フォースの覚醒』とか言ってくれれば、ちょうどよかったと思いますが(笑)。これもよし、と思っている」
「1つ、言わせていただきたいのは、1977年、学びやであるテレビ朝日に入れていただき、育てていただき、フリーになってやってきた。『報道ステーション』は2004年からだが、その3年くらい前から、『古舘プロジェクト』の会長と(テレ朝現会長の)早河(洋)さんが会って、『ニュースステーション』の後に(報道番組のキャスターを)やってくれないか、という交渉があったやに聞いている」
「でも、ずっと固辞していた。エンターテインメントという言葉があるが、僕は、テレビというものは僕は『娯楽の箱』だと思っている。スポーツ実況、バラエティーなど、(自分は)娯楽もので行きたいと思っていた。だが、早河さんがうまくて、『(報道番組で)自由に絵を描いて』というんですね。それでコロッとだまされて」
「不自由な12年間だった。言っていっていいことと、いけないこと…大変な綱渡り状態でやってきた。10年を一つの区切りとして、また、別な挑戦をさせていただきたいと、早河さんにお願いした」
「でも、あと2年ということで慰留され、頑張ってきた。今年の夏くらいでしょうか、12年を一つの区切りに、辞めさせていただきたいといって、慰留してくれたのは本当に感謝です」
「でも、堅く、区切りだと思ったので、(テレ朝に)了解していただいた次第です。『卒業』という都合のいい言葉はありますが、もし卒業なら、相当留年しているだろうと。卒業というよりも、辞めたい、と言って辞めるのが正直なところです」
古舘氏降板説明詳報(2)古賀茂明氏問題の影響「全くない」「いざこざは残念」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000565-san-ent
産経新聞 12月24日(木)19時9分配信
〈古舘伊知郎氏の冒頭発言が終わり、記者団からの質疑応答が始まった〉
−−去年も降板の噂があり、(古舘氏のトークイベント)「トーキングブルース」で否定していた。その頃から降板を決めていたのか
「先ほど申し上げたように、2年くらい前、『10年』を一つの区切りにしないと、視聴者にもテレビ局にも申し訳ないと思っていた。そういう意味では、急に心境が変わったというわけではないんですね」
「ただ、去年の10月にトーキングブルースをやらせていただいたときには、舞台でのトークネタですから、『何が宮根だ、ばか野郎』、『何が羽鳥だ、この野郎』『俺はやるぞ』と言って…。あれは半分、ネタです。でも、ネタって書きづらいですかね? それだけです」
−−今年3月、(コメンテーターで元経済産業省官僚の)古賀茂明さんの不規則発言の問題が起きた。そのことは影響しているのか
「それは全くありません。古賀さんに関して言わせていただければ、やはり経産省の官僚だっただけあって、本当に聡明で、私の知らないことを楽屋トークでいろいろと教えていただいた。その面では本当に感謝しています」
「ただ、番組でああいう形になって、いざこざというか、見解の相違が出てしまったことは、大変残念に思います。それだけです。ですから、そういうことが今回の決意に至ったということは全くありません」
「12年間、いろんなことがありましたから。謝ったり、訂正したり、いろんなことがありました。ですから、生意気に言うと、免疫ができているというか。そういう一つ一つの事象が、辞めたかったということではありません」
−−新しいことにチャレンジしたいということだが、具体的には
「現在、61歳だが、体が続く限り、現役でいたいという強い気持ちが、勝手ながらあります。ただ、それはしゃべり手としてやっていたいという自分の思いだけ。人さまが最終的に需要と供給の中で判断されることですので、お呼びがかかればやりたいな、というのが正直なところです。どういうふうになるかは分かりません」
「それで、(テレ朝に)『新しいジャンルにチャレンジしたい』ということをおっしゃっていただきましたけれども、これがテレビ朝日の格好つけたところで…。僕、やっていないジャンルはないんですよ。フリーになってからドラマに出たこともありますし、NHKの連ドラにも出たこともあります」
「だから、ラジオであろうが、テレビであろうが、トークの舞台であろうが、しゃべる舞台に関しては、昔に戻ると言われたらそれまでですけど、いろいろなことをやりたいな、と思うんです」
「漠たる思いですから、そんなにビジョンはありませんが、例えば、『2020年東京五輪の開会式を実況中継させてもらいたい』とか。年が年だから無理だと思いますが、『アストロノーツ(宇宙飛行士)になってISS(国際宇宙ステーション)に行って、宇宙実況してみたいな』とか…。いろんなことは思います。深夜でダラダラやるバラエティーに出たり…。いろんな夢想、妄想はありますけど、オファーがあるかどうか」
古舘氏降板説明詳報(3)「古舘降板だってさ。やったぜ!」のネット反応には…
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000581-san-ent
産経新聞 12月24日(木)19時56分配信
〈続いて、古舘伊知郎氏による『不自由な12年間』という発言の真意や『報道ステーション』の後任についての質問が出た〉
−−『不自由な12年間』という発言があった。どのあたりを不自由だと感じたのか
「放送コードを守りつつも、いっぱいしゃべってきました。単純な話、物量的、時間的に制約がある。ニュースが終わって画面がスタジオに切り替わり、『この点でね、私はこう思うんです』と言った瞬間、『CMに行け』という指示が出ますから」
「それから、バラエティーやスポーツ実況の放送コードと報道の放送コードって違いますから。バラエティーなら、『ラーメン屋』と何の悪気もなく言えますが、報道は『ラーメン店』と、(『屋』ではなく『店』と)言わなければならないんですね。『おかしいでしょう』と、いつもスタッフとせめぎ合うんですけど」
「報道には報道特有のコードがありますし、人権を守らないといけないのは当たり前。また、テレビを見てくださる方にとって、バラエティーを見るモードと報道を見るスタンスは全然違います。そういう意味では、いろいろな不自由はありました」
「田原総一朗さんにも教わりました。『塀の上をヨロヨロ、タイトロープの上を歩いて、塀の中に入っちゃまずいから外に落ちろ』と。私の未熟な点は多々ありました。反省はいっぱいあります。でも、ギリギリやらせていただいたのは、最低限の放送コードを守らせていただいた、と。そういう意味で、不自由な点はあった、という意味なんですね」
「今後もその不自由さがなくなるわけではないけど、ちょっと緩くなるかな。唯一やりたいのは、しゃべり倒したい、という部分です。12年間、鬱憤がたまっているんで」
−−後任について、一部報道で宮根誠司さんらの名前が挙がっていた。後任は、どういう人が望ましいと思うか
「僕の12年間を考えると、思い切り堅いジャーナリストにきちんとやってもらう、という線もあるし、僕と同じようなアナウンサーに、という線もあります。僕には分かりませんが」
「ただ、『報道ステーション』という名前は残る以上、立派な人がやってくれます。(降板後は)一視聴者として見ていきたいですが、僕みたいにあんまり問題発言はしない方がいいんじゃないんですかね」
「今日もずっとインターネット(の反応)を見ていたら、『古舘降板だってさ。やったぜ!』っていうのがありまして、一番印象に残りました(笑) 『ああ、そういう人はいっぱいいるんだなー』って…。そういう人には『良かったですね』と言いたいですし、『育ててくれてありがとう』とも言いたいです」
「誹謗(ひぼう)中傷、批判、非難…。つらいときもありました。毎日、(視聴者からの)メールやテレビ局宛ての電話(の報告)に一日も欠かさず、目を通してきました。多い日は抗議の電話が600件くらい来たときもありました」
「そういうときは本当にへこみますが、へこんだ分だけ免疫を強くさせていただきました。考えてみると、めいいっぱい口汚く罵(ののし)ってくれた方に育てられたな、というのは正直あります。『何くそ』と思いますしね」
「『もしかしたら、この人は仕事でイライラしてて、僕のしゃべったことに対して怒って、こんな罵詈(ばり)雑言を吐き付け、そして、布団をかぶって次の日会社行くんだな…』と思ったら、『あ、これも一種の社会貢献だな』と思える瞬間もあったりして。そのあたりも感謝です」
古舘氏降板説明詳報(4)産経新聞の報道に「叩かれ、半分ムカついた。でも、半分うれしい」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000585-san-ent
産経新聞 12月24日(木)20時24分配信
〈これまでの12年間で、印象に残る報道について、「東日本大震災」と振り返る古舘伊知郎氏。一方で、産経新聞による『報道ステーション』への報道には、思うところがあったようだ〉
−−印象に残る報道は
「東日本大震災です。3・11は忘れえぬ記憶です。(その日は)AC(ジャパン)の広告しか入らない状態で夜7時からスタートし、CMなしで夜中の1時くらいまでやりました。それから毎日毎日、苦闘の連続です。福島第1原発事故を伝え続けたことも印象に残っています」
「第2にはリーマン・ショック。派遣村に並んでいた方々のことも走馬燈のようによぎります。意外なところでは、答えが出ない変なニュースですかね。イランが猿を宇宙に打ち上げた、とかね」
−−報道番組のキャスターは、どんな役割を担った存在だと思うか。例えば、TBS系「NEWS23」の岸井成格氏の安保報道をめぐる発言について、「偏っているのでは」との指摘もある。キャスターが番組で自説を展開することについてはどう思うか
「ニュースキャスターとは、ということで言いますと、定義はさまざまあるかもしれません。しかし、私の中では、権力に対し、生意気な言い方ですが、警鐘を鳴らす。権力を監視する。昔は社会の木鐸とか言いましたが、監視機関であることを報道番組は担っています」
「しかしながら、同時に商業放送、民間放送でもあります。だから、とことん偏って、新聞のように突っ走ることも同時にできないか、と。だから、僕はその“綱引き”が、パーンとテンションが張ってる状況で、『こっちに引いたら、次はこっちに戻る』というような“揺らぎ”を常に胸において、10年以上やらせてもらいました」
「もちろん、未熟なところや反省点はいっぱいありましたが、基本的にニュースキャスターは反権力であり、反暴力であり、言論・表現の自由を守るという側面もあります。だから、あまりにも偏ってはいけない。とはいえ、全く純粋な中立公正なんて、ありえないと思います」
「僕が素人のくせに、ジャーナリスト上がりでもないのに、いろいろな意見をいうことに対して、ずっと見ている方に怒られ続けた。でね、ちょっとひるんで(意見を)言わなくなると、『お前、キャスターなんだから言え! プロじゃなくて、素人であるお前の意見が聞きたいんだ。だから、お前が司会をやっているんだろ』と…。これ、同じ人が言っている可能性があります(笑)」
「僕は両方(の意見に)応えないといけない。抑えたり、出たり、褒めたり…とやってきました。だから、ニュースキャスターが意見を言ってはいけない、ということはないと思いますし、あるいはまた、偏っていると言われたら、偏ってるんです、私。人間は偏っていない人なんていないんです。客観を装っても、『主観内客観』にすぎないんです」
「放送法の問題も、もちろんあります。放送法も、法的規範なのか、倫理規範なのかという議論もあるところで、私は私なりにいろいろ考えますが、基本的には『偏らない放送はできない』という思いで、ずっとやってきました」
「(『NEWS23』の)岸井さんについては、私は分かりませんが、ズバっとおっしゃられて小気味良いな、と思っていたことは事実です」
〈今年11月に起きたパリ同時多発テロの報道の際には「(誤爆で)犠牲になった人たちから見れば、有志連合の空爆もテロに当たる」という趣旨の発言をした〉
「僕はテロに関することで産経新聞にバンバン書かれた。空爆で誤爆で死んだ人もそっちから見たら、テロじゃないかといったのが、産経新聞にたたかれました。半分ムカついて、でも、半分うれしいですよ。『ああ、ネタになってるじゃん』と。ありがとうございました」
古舘氏降板説明詳報(5)完 「朝日と産経、同時に取材を受けてみたい。多重音声でしゃべる」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000587-san-ent
産経新聞 12月24日(木)21時14分配信
〈「今は娯楽(番組)の方で思い切りしゃべり倒したい」と語る古舘伊知郎氏。ただ、報道番組については「一種の“麻薬中毒”がある」とも指摘。そのうえで、産経新聞と朝日新聞による「同時取材」を提案した〉
−−これからもニュース分野で活動する可能性は
「ありうる、と思います。さすがにテレ朝は(話を)ふってこないと思いますが、他局で血迷ってふってくるところはあるかもしれない。それはそれで相談したいと思います」
−−自分から報道番組をやりたい気持ちは
「今はありません。今は娯楽(番組)の方で、思い切りしゃべり倒したい欲求にさいなまれていますので。ただ、虫がうずくかもしれませんね。12年もやっちゃうと、報道は報道で、一種の“麻薬中毒”があるんじゃないかな、と思います。だから、今は『もっと違うジャンルで』とほざいていますけれど、もしかして、禁断症状が出ちゃうかなぁ…。まだ生臭いんです。はい」
「朝日新聞も取材に来てください。産経新聞も来てくださいね。産経新聞と朝日新聞、同時に取材を受けるっていうのもやってみたいですね。多重音声でしゃべりますよ。産経用と朝日用でしゃべりますから。ハイブリッド状態で」
−−「報ステ」の報道をめぐり、テレ朝関係者が自民党から事情を聴かれたこともあった。政権与党からの圧力は感じていたか。また、久米宏さんから番組を引き継いだ際、「いつか違う地平に屹立(きつりつ)してみせる」という話をしていたが、果たせたか
「新たな地平に屹立したかどうかでいうと、そう言ったことは覚えていませんけれども、そこまで行ってはいないな…と正直、思います。未熟な点がいっぱいありますから。そこに何とか爪をひっかけて、という気概や自負、矜持(きょうじ)はありますが、新たなニュース番組の地平に屹立したとまでは(言えない)。その半ばで私は辞めていくのかな、という正直な気持ちもあります」
「基本的に、もっと向いている仕事をやりたいと思って、娯楽(番組)に行きたいと言っている人間ですからね。そういう意味では、僕は『本当に向いていたのか?』という気持ちも正直、あります」
「それと、反権力百パーセントでやろう、とは思ってこなかったんです。反権力という側面も絶対にある、ということです。けれども、権力を監視しながら、一方では権力の出すもの(情報)をソースとして客観的に伝えなければいけないことも当然、あります。そこはあんばい、さじ加減、あるいは湯加減なんだと思ってやってきました。ただ、ごらんになった方からの、『偏り過ぎている』とか、『さじ加減がだめだ』という指摘は、謙虚に受け止めたいと思います」
〈予定通り、約30分の会見で“持論”をしゃべり倒した古舘氏。晴れ晴れとした表情で会場を後にした〉
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