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判決を受け産経新聞社、首相ともに「言論の自由、報道の自由は守らなければいけない」とコメントしたが、その言葉を自ら省みるべきではないか。(写真は産経新聞電子版号外)
前ソウル支局長に無罪判決 でも産経新聞と日本のメディアは、我が身を振り返るべき
http://biz-journal.jp/2015/12/post_12984.html
2015.12.23 江川紹子の「事件ウオッチ」第43回 Business Journal
インターネット上に掲載したコラムで韓国の朴槿恵大統領の名誉を毀損したとして起訴されていた、産経新聞前ソウル支局長に対する判決は、無罪だった。その内容は、言論の自由を重くみた、極めて常識的な内容だと思う。ただ、韓国外交省から日韓関係に考慮して裁判所に「善処」を求める文書が判決前に提出されており、政権の意向が司法に強く反映されたことがうかがわれた。検察の起訴自体が大統領の意図を忖度したものだったうえ、裁判所までもがそのような政治的判断をするとは……。果たして韓国に司法の独立はあるのだろうか、という疑念を引き起こす展開になっている。
■韓国政府による司法への介入
外交省の「要請」は、日本側から本件が日韓関係改善の阻害要因になっているとの指摘があり、最近は関係改善の兆しが見えていることから、日本側の要請を真摯に考慮する必要があり、配慮してもらいたい、というものだ。露骨に政治的配慮を裁判所に求めている。
しかも、それを外交省幹部が自ら自国メディアに明かしている。この「要請」は検察を通じて裁判所に提出され、判決言い渡しに先だって裁判長がその文書を読み上げた。このオープンな対応を見ていると、政権側にも裁判所にも、司法へのこうした働きかけが問題だという認識はないようだ。韓国紙の日本語電子版を見ても、この「要請」を特に問題視している論調を見つけることはできなかった。
このような政権の司法介入は、韓国では許容範囲内ということなのだろうか。この事件では朴大大統領は被害者という位置づけであり、「コラムで書かれた内容が虚偽であることが裁判で明らかになったので、名誉回復の目的は達した」という被害者サイドからの意思表示と受け取れないことはない。しかし「要請」は朴槿恵氏個人から出されているのではなく、外交省という政府組織から出ている。決して被害者個人の意見表明ではなく、政権としての意思表示だ。これを許せば、ほかの政治的案件についても政府の司法介入を許すことになってしまう懸念はないのだろうか。
韓国の憲法でも「法官は、憲法および法律にもとづき、その良心に従い独立して審判する」と、「法官の独立」を謳っている。政治や世論に影響されず、法と証拠と裁判官の良心のみで判断するのでなければ、真に「司法の独立」とはいえないように思う。これまでも、日本絡みの案件では「世論に影響されているのではないか」と勘ぐりたくなる司法判断はあったが、ここまであからさまな政権からの介入を問題視しないというのは、ちょっと理解しにくい。
このように釈然としない展開ではあったが、無罪という結論には安堵した。そもそも、この程度の批判を刑事事件にしたことが間違いで、市民団体から持ち込まれても検察段階で不起訴とすべきだった。韓国政府にしても、今さら裁判所に「要請」するくらいなら、検察の起訴を止めるべきだったろう。そうした対応については、よくよく反省してほしいと思う。
いまだに真偽の検証も記事の訂正もしない産経新聞
ただ、判決がコラムで取り上げられていた事柄の公共性と執筆目的の公益性は認めたが、内容の真実性に関してばっさり否定していることは、当該の産経新聞や前支局長も真摯に受け止めるべきだろう。
問題とされたのは、大統領の男女関係をめぐる噂だ。前支局長のコラムは、「“大統領とオトコの話”」を長々と披露してみせ、密会の相手と目される男性の実名まで書いている。いかにも下品なのぞき趣味的な記事で、独身女性である大統領に対する、メディアによるセクシャルハラスメントと受け止められても不思議ではない代物だった。
裁判所は、男性の携帯電話の履歴などの証拠を挙げて、噂を虚偽と断定。そればかりか、前支局長は事実関係を確認しないで書いており、「虚偽かもしれないという程度の認識はあった」とも認定している。これを前支局長はマユツバものの噂にすぎないと明記することもなく、「ウワサの真偽の追及は現在途上」などという、いわくありげな留保をつけただけで流した。これはマスメディアが噂の拡散をしただけであり、とても新聞記者の仕事とはいえない。事実をできるだけ正確に伝えるという役割を果たさなかった点において、日本の読者に対しても不誠実な態度ではなかったか。
同社は、慰安婦報道をめぐる朝日新聞の対応に、どのメディアよりも強い批判をしてきた。朝日が第三者委員会を設置し、その報告書を発表した時にも、産経の社説「主張」は厳しい注文をつけ、こう書いた。
「事実のみによって歴史問題を正しく伝えていくことが、長期的に近隣諸国を含め、国際的な信頼と友好につながるということだ」
新聞倫理綱領も、次のように謳っている。
「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」
今日の問題も、明日には歴史となる。その日々の歴史をできる限り正確に記録していくことが新聞記者の仕事だ。そういう記者の倫理に照らして、今回のコラムはどうだったのか。そうした自己検証がないまま、前支局長を言論弾圧と闘うヒーローに祭り上げるかのような報道ぶりには、かなり鼻白む。産経は他社を批判するときの舌鋒は鋭いが、自らに対しては評価が甘くないか。社説で「裁かれたのは(前支局長ではなく)韓国である」と他者を批判するだけでなく、謙虚に自らを省みることも必要だろう。
しかも産経新聞は、今なお何の注釈もつけずに、このコラムをネット上で公表し続けている。今回の問題の資料として公開を続けるにしても、報道機関としての倫理からすれば、同紙として噂の真偽を確認した結果か、裁判所で虚偽と認定された事実は付記すべきだろう。
私たちもまた、今回の無罪判決を、単に韓国の「言論の自由」のありようを批判するだけでなく、これを我が身を振り返る機会にしたいものである。
■メディアへの介入を強めている安倍政権
日本では、さすがに記者が政権批判をしたからといって、起訴されるような乱暴な権力行使が行われる事態にはなっていない。だからといって、我が国の「言論の自由」は本当に大丈夫といえる状況だろうか。
日本の現政権は、もっとスマートなやり方でメディア・コントロールを強めている。そのことは、よくよく自覚しておくべきではないか。とりわけテレビ局に対しては、ニュース番組で紹介される「街の声」にクレームをつけるなど、報道の内容にまで踏み込んで介入を行うようになってきた。
政権側の主張の根拠は、「政治的に公平であること」とする放送法の記載だが、その一方で安倍晋三首相は出演するテレビ局を選別している。政権に親和的な局には出るが、批判的な論調の司会者が仕切る番組には出ないという「公平」とはいい難い対応で、テレビ業界の分断を図っている。安保法案が論議されている時に出演した番組では、安倍首相がひとり延々と長広舌をふるい、ほかの出演者があまり質問をできず、意見を言えないという、非常に「政治的に不公平」なものにしてしまった。こういう政権寄りの偏りは問題ないが、批判的論調に振れるのは許せないというのが現政権の解釈らしい。
私自身は、テレビ局は報道機関でもあり、権力を監視したりチェックしたりする機能を放棄してはならないと思う。ただ、人にはいろいろな考えがあり、政権に批判的な番組だけでなく、政権寄りの番組があってもいい。さまざま立場でつくられた番組が存在し、視聴者がそれを見比べながら自身の考えを構築していくという状況が望ましいのではないか。そのためにも、番組の多様性を確保することが大切なのだが、それに関する政権・与党の姿勢はかなり狭量に感じられてならない。
しかも今年は、政権によるメディアへの介入の動きが一段と露骨になってきた。
番組でのやらせ問題が発覚したNHKに対して高市早苗総務相が文書で厳重注意し、自民党の情報通信戦略調査会が幹部を呼びつけ、事情聴取を行った。同調査会は、報道番組で出演者が「官邸から圧力を受けた」と語ったテレビ朝日の幹部も呼び出している。これについては、NHKと民放でつくるBPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会と人権委員会が、「NHKの当該番組には放送倫理上重大な問題があった」とする一方で、NHKが自ら検証を行っていたことに触れ、高市総務相の対応は「放送事業者が問題を是正しようとしている過程に政府が介入することは、放送法が保障する『自律』を侵害する行為だ」と指摘。自民党の対応に関しても、「放送の自由と自律に対する政権党による圧力そのもの」などと批判した。
そのBPOに政府が関与する仕組みを自民党が検討している、との報道もあった。欧米では政府から独立した組織が放送局を監督しているのに対して、日本の放送局は総務相が免許を交付し、許認可権を政府が握っている。それに加えて番組内容の検証を行う自律的な機関であるBPOにまで政府が関与することになれば、放送法の柱である「自由」と「自律」は、本当に危機的である。
さらには、自民党の国会議員らの会合がゲストスピーカーの「沖縄の新聞はつぶさないといけない」といった発言に沸き、「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」などという議員の発言まで飛び出した。
かつての自民党は、権力者の作法として、メディアへの介入には謙抑的だった。現政権には、そうした自制心は見られない。来年は参議院選挙もあり、政権・与党によるメディア・コントロールはさらに強化されることが予想される。
メディア側も、市民の間のマスコミ批判や新聞離れ・テレビ離れの影響もあって自信を失い、政権・与党の分断政策の影響を受けて権力の介入への抵抗力が弱まっているように見える。
そういうなか、政権批判も闊達にできる「言論の自由」を守るにはどうすべきなのか。韓国の状況を云々している場合ではなく、日本のメディアやジャーナリストは、それなりの覚悟を持って対応すべき正念場だろう。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)
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