http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/398.html
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共産主義の被害者は「2度の世界大戦による死者の約2倍」なんですね。
最近はSEALDSを操ったり、他の野党もコントロールしようと頑張ってます。
戦前は、ゾルゲやアメリカのジャーナリストと連携して日米戦争に追い込んだ共産主義者。
目標は日本殲滅?
自分では「将来、情勢が熟したとき」憲法を改正すると主張しながら、護憲の仮面を被った二枚舌。
嘘つきは共産主義者の始まり。
★共産主義の脅威
2度の世界大戦による死者の約2倍である。
http://kenjya.org/kyousan.html
1997年にフランスで発行された「共産主義黒書」で紹介されている、20世紀の共産主義によって殺された人々の概数(単位:万人)…ソ連(2,000)・中国(6,500)・ベトナム(100)・北朝鮮(200)・カンボジア(200)・東欧(100)・ラテンアメリカ(15)・アフリカ(170)・アフガニスタン(150)
…これらを合計すると、約1億人に達する。その数はファシズムの犠牲者(ナチスは500万人)と比較にならないだけでなく、2度の世界大戦による死者の約2倍である。
《藤岡信勝 産経新聞》
★日本共産党Xデーの不発…役割を終えたゾンビ政党
http://dogma.at.webry.info/200707/article_11.html
【反国体32年テーゼの地下水脈】
日本共産党は大正12年にコミンテルンの日本支部としてブハーリンに認証され、産声をあげた。今も残る「日本」の冠は支部だったことを示す残滓だ。
国際連帯とは聞こえが良いが、最初から日本をコミュニストの総本山に売り渡す意図で設立された政治謀略組織だった。社民党に看板を架け替えて「日本」の冠を外した旧社会党とも一線を画している。
外国政治組織の下部団体として出発した代々木の方向性を決定付けたのが、悪名高い「32年テーゼ」だ。コミンテルンの学者が書き上げたものを昭和7年に採用した綱領で、寄生的土地所有などの他に国体打倒を明確にしていた。
「天皇制」「天皇制度」という造語を翻訳して初めて使ったのが、この「32年テーゼ」だった。国体破壊が戦前の日本共産党最大のメーンテーマであり、同時にこの政党の正体を明かすものだ。
3年前に代々木は党綱領を大幅に改訂し、一部では“国体容認”とも指摘されたが、反国体の本質は何も変わっていない。転向文学者の代表でもあった林房雄は三島由紀夫との対談で代々木を徹底的に罵倒している。
「マッカーサーは、打倒できないと見極めて天皇制を、避けて通ったが、日本共産党はいつか打倒してやるぞと避けて通っている。(略)打倒なら打倒の旗印を鮮明にすべきです。打倒できないというなら、あやまるべきだ。いまはやらぬが、そのうちに打倒してみせるぞでは三流政治だ」(『対話・日本人論』番町書房182〜183頁)
さすが慧眼の林房雄だ。昭和41年の発言だが、代々木の欺瞞性を見事に指摘している。ちなみに三島由紀夫の日共嫌いも尋常ではないレベルだ。戦後の民族主義陣営は常に代々木を最大の敵として粉骨してきた偉大な歴史がある。
【最大の謎…宮本・池田極秘会談】
代々木の悪業で最も忌まわしきは、戦後の圧力団体を陰に陽に支援し、育て上げたことだろう。
現在は敵対関係にある部落解放同盟だが、前身の部落解放全国委員会(昭和21年結成)にも深く関わっていたことが知られている。
また戦後まもなく、在日犯罪組織の後ろ盾となったのも日本共産党だった。朝鮮総連の前身である朝連は結成当初、超党派的な団体であったが、日本共産党が介入したことで凶悪な暴力組織に変身する。
▽日共党員が支援した朝連本部
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/007/421/23/N000/000/001/118493295345716307002.png
キーマンは終戦後、獄から野の放たれた日共幹部・金天海(キム・チョンへ)で、朝鮮人の警察署襲撃テロなどは日供の指令を受けたものだった。その後、金日成の個人崇拝を批判し、北朝鮮=総連とは仲違いするが、98年には再び反日共闘でタッグを組む。
場当たり的な合従連衡は一貫性のなさを物語っている。そして、宮本顕治が暗躍したのが池田大作との手打ちだ。
昭和49年12月、宮本顕治と池田大作が極秘会談を行い、創価学会と代々木が敵対関係を解消する秘密協定を結ぶ。今ではすっかり忘れ去られた「共創協定(=創共協定)」である。
▽95年当時の宮本元議長(朝日新聞)
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仲介者は日共党員だった松本清張。この協定は暫く秘密にされていたが、極秘会談から半年以上経った昭和50年7月に公表される。「創共協定」は7項目からなり、相互理解や敵視政策の撤廃などが骨子だった。
有効期限は10年。しかし公明党内から国会対策上の異論があがったとされ、協定は死文化。更新は行なわれなかった。最もミステリアスな野合で、代々木も信濃町も今ではタブー扱いにしている。同様にマスコミも触れたがらない昭和の暗黒史である。
手打ち式に至るまで、どのような背景があったのか解き明かされていないが、イデオロギーをかなぐり捨て、ご都合主義で政敵と連携する日和見主義の好例だ。
【戦後の繁栄に甘えたゾンビ政党】
日本共産党は、戦後の我が国の繁栄という温室・ぬるま湯の中で育ってきた政党だった。それは資本主義と添い寝した共産主義政党とも揶揄される。
しかし総連・解同・三色カルトといった悪名高い圧力団体との一時的な連携を見る限りでは「タブーと寝た政党」といった表現の方が適切だろう。
▽衆院選躍進に湧く党執行部(毎日新聞)
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オイルショックの直後、社会不安が日本列島を覆った昭和54年、代々木は衆院選で過去最大の41議席を獲得した。今では想像できない事態である。その後、知り窄みの状態が続いているが、現在でも衆参あわせて18議席をキープしている。意外な多さだ。
衆院選で躍進した10年後に、東欧の共産主義はドミノ的に崩壊した。この時、思想敗北で日本共産党は理論を放棄し、一種のカルトとして延命するしか選択はなかった。反日カルトである。その意味では創価学会との連携は今でも充分に可能だ。
一時期、「労働党」等への党名変更を模索しているとも伝えられたが、今更、看板を架け替えても無駄。組織の硬直性は、もはや治療不可能である。
▽看板を背負っていた頃の宮本共産党
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元議長の死が今後の党運営に何ら変化をもたさらないとの見方は正しいだろう。しかし、それは「変えること」が出来ないのではなく「変わること」が出来ないだけだ。
共産主義、共産党は「20世紀の遺物」である。壮大な実権は億単位の犠牲者を生み出して全て失敗に終わった。成功確率はゼロ。イデオロギーの破綻と同時に、政党としての存在理由も失われた。
代々木は現在も強力な組織力を誇るが、党員の高齢化が加速していると言われる。この政党に残されたのは「反日」「反ご皇室」という丹生当時からの売国思想しかない。
徹頭徹尾、日本及び日本人にとって不要な政党である。Xデーは不発に終わったが、改めて党本体や周辺シンパが我が国に如何なる災厄をもたらしたのか、総括すべき頃合いだろう。
日本共産党とは、生ける屍たるゾンビ政党だ。自らの死に気付かない群れである。既に死んでいるだけに攻撃を受けても打たれ強い面はあるが、腐臭を放ったまま何時までも徘徊させてはならない。
<参考リンク>
これって改憲しますって言ってるんじゃない?
↓
「天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」
http://www.jcp-kyoto.jp/activities/2013/06/post-540.html
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