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本当に「物議を醸す」人だった故野坂昭如さん 越山会幹部を前に札束を投げ出した真相(J-CASTニュース)
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/378.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 12 月 19 日 20:30:05: igsppGRN/E9PQ
 

本当に「物議を醸す」人だった故野坂昭如さん 越山会幹部を前に札束を投げ出した真相
http://www.j-cast.com/2015/12/19253684.html?p=all
2015/12/19 10:00 J-CASTニュース


“「これ200万円、これで選挙事務所開いてくれませんか」


野坂昭如さんは新聞紙の包みをテーブルの上に投げ出した。越山会2人の幹部は座布団で後ずさり、仰天している。



「いかがわしさのカリスマ」だった野坂昭如さん(写真:Fujifotos/アフロ、1991年10月撮影)


■議員バッジにマッチで火をつける


“「越山会のおらたちが、そんなことできないこっつぉ、先生、勘弁してくださいよ」


動じない野坂さん。参議院議員を辞して、衆議院選挙に打って出る。本気だと、胸についていた参議院のバッジを外して、マッチで火をつけた。越山会の2人は腰を抜かした。


1983年12月のことである。


2015年12月9日に亡くなった野坂昭如さんはについて、挿絵をよく描いていた山藤章二さんは「いかがわしさのカリスマ」だったという。小説家にとどまらず、活動の範囲は広く、どこでも「物議を醸す」、それが野坂さんの魅力だった。なかでも田中角栄の新潟三区衆院選に乗り込んだ「物議」「いかがわしさ」は際立っていた。


■新潟3区で田中角栄に挑む


当時、週刊朝日に野坂さんの連載コラムがあった。担当のデスクが私で、野坂邸へ原稿を取りに行くこともしばしばあった。ある日、野坂さんから相談したいと電話がかかってきた。訪ねると、いつもと様子が違う。暘子夫人がお酒と手料理のつまみを持って応接間に現れた。


1983年10月、田中角栄元首相はロッキード事件で懲役4年の実刑判決を受け、11月に衆議院が解散された。いわゆる「田中判決解散」である。野坂さんの相談は、「新潟3区に出馬したら、票は取れるか」なのだが、飲みながらの話だから、そう、はっきり言ったわけではなかった。元首相の金城湯池、新潟3区魚沼地方を、私がくまなく取材した記者だと知っていたからだ。新潟3区の投票行動は地縁血縁でがんじがらめ、浮動票はほとんどないと言われていた。私は都会ほどでないにしても、浮動票はゼロではなく、野坂さんが泡沫候補に終わるとは思わなかった。


■現ナマ200万円を野坂さんに渡した相手


まず、現地を歩いて様子を探りたい。連れて行ってくれ。それを連載コラムに書く。冒頭の目撃談はその時のことだ。親しい越山会幹部2人を旅館に呼んで、野坂さんに引き合わせた。町の芸者3人を呼んで、大いに話は弾む。角栄信奉者の2人は、雪国政治の難しさを主張して譲らない。「ぼくが立候補したらどうします」と2人に迫っても、先生、そんなに甘いものじゃない、と笑っている。酒に酔った冗談でしょうと言っているうちに、ハプニングは起きた。


野坂さんは芸者に「部屋にレインコートがある」と持ってこさせた。そのポケットから出したのが200万円の新聞包みだった。


選挙結果は元首相の22万票に対して、野坂さんは2万8000票、次点、泡沫ではなかった。元首相の生誕地、西山町では217票で2位。批判票を食った。


この話は後日、大きくなって、週刊誌の記者が野坂さんを連れて行き、新聞紙の金は数百万円、芸者は総揚げの20数人だったとか週刊誌などに書かれた。


野坂さんに新聞包みの現金の話を聞いた。たまたま新潟に行く直前、参議院議員会館の事務所に貸していた200万円を返しに来た人がいた。それは、当時、同じく参院議員の青島幸男氏だったと。


J-CASTニュース発行人 蜷川真夫


 

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コメント
 
1. 2015年12月19日 20:58:47 : s9KOkZcveE : dWS65KBTruA[1]
いい話ですね〜.

2. 2015年12月19日 21:22:33 : nq7tPBA0kE : 7tpLI2Vjm3E[1]
ロッキード事件の真相がわかってくると
野坂昭如のいかがわしさの何と底の浅いことよ。

もっともいかがわしさに底深さがあったら現世狂人伝にでも
名をつらねることになるのだろうが野坂昭如は
作品は別としてその行動はマスコミ畸人だろう。


3. 2015年12月19日 22:03:29 : dF17vObH1g : rTuHCcqOSxg[3]
野坂昭如の行動はテレビ的で、まったく底が浅かったです

当時田中角栄バッシングが盛んで、今で言えば小沢一郎叩きの10倍の電波と
出版物を消費したマスコミによる人格攻撃、と言えば若者にもわかるでしょうか

そういう世間の風潮に付和雷同した、バラエティータレントとしての行動だった
だから有権者にも相手にされなかったんだよ 信念を持って10年続ければ
有権者の気持ちも変わったかもしれないが、たった一回で放り出したんだよ

死んだからと言って持ち上げて、レジェンドに仕立て上げるのは気に食わない
野坂は作家を肩書きにしたテレビタレントにすぎなかった
「蛍の墓」を書き残したことで、作家としての野坂昭如の功績は揺るぎません


4. 2015年12月20日 11:46:50 : qF4T1YwunA : 0ID5WaAuWRA[31]
●野坂昭如といえども政治の世界ではB層以外のなにものでもなかったということでしょう。

田中角栄攻撃では胡散臭い者がたくさん湧き出してきた。

悪名高き検察官の堀田力もその一人だ。
今では「さわやか福祉財団」などという本人の薄汚い正体とは真逆のふざけた名前の財団の理事長におさまって”さわやかな”作り笑顔を振りまいている。

そして、なんといっても胡散臭かった者の代表は、あのCIAから提供されたであろうネタを駆使して文春「田中角栄研究」で大暴れした東大文学部卒の売文屋・立花隆だ。

野坂昭如は曲がりなりにも『蛍の墓』という名作を残した文学者だが、立花隆はいまだに胡散臭い売文業を続けている。どんなネタであれ利用できるものは利用して裏もとらずに作り話を紡ぎ出す。

これが日本中に「田中角栄悪し」を植え付けた。

●文春がいつもからんでいる。どこからカネが出ているのか。

『「田中角栄の時には文藝春秋が「淋しき越山会の女王」、今又週刊文春で夫人のものとされる小沢糾弾の書簡掲載」』
http://sun.ap.teacup.com/souun/7774.html?rev=1

ブログの中で孫崎享氏の文を引用している。

−−−−−
私は『戦後史の正体』(7月末発売)を書くのに田中角栄の失脚をかなり勉強したが、両者には実に多くの共通項がある。

@米国が両者の対中接近に明確な不快感を持つ。

キッシンジャーは田中の中国接近に対して“汚い裏切りどもの中で、よりによって日本人野郎がケーキ(中国)を横取りした”と怒りを爆発。(東アジア共同体等の動きについて)日本に深く関与してきた著名学者ナイは「米国が外されたと感じたら恐らく報復に出ます」、

A検察が追い落としに重要な役割。

B検察の使った手法はこれまで使用されなかった手段の利用。

田中角栄の時には嘱託尋問で証言者免責(これは日本の司法になかった手段)、小沢の時には検察審議会―多くの人の想定していない手口で追い込む

C関与した検察関係者と米国の深い繋がり

D追い落としへのメディアの活躍。

それに不思議に文春。

田中角栄の時には文藝春秋が「淋しき越山会の女王」と秘書佐藤昭(女性)を徹底分析。

今又週刊文春で夫人のものとされる小沢糾弾の書簡掲載。

『戦後史の正体』で見えることは、米国が好ましくない政治家を特定すると、日本の検察、マスコミ、政治家これが見事に一体的に政治家の排除に動く
−−−−−−−


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