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(昨晩のTBS報道)
〔核持ち込み先に”辺野古」”〕
辺野古での抗議行動には米退役軍人たちも参加していた。
日米両政府は、普天間基地の移設先としてなぜ辺野古にこれほどまでに拘(こだわ)るのか。
1972年、沖縄は本土に復帰したが、返還協定を締結する際には日米の間で密約が交わされていたことが、後に分かった。民主党政権下の2009年、外務省は密約についての有識者委員会を設置して調査を始めた。
そのメンバーだった春名幹夫(早大・客員教授)は、この密約にこそ日米両政府が辺野古に固執する理由を説く鍵が含まれていると指摘する。
春名「核兵器を持ち込んで貯蔵できるような施設が必ずあるはす、というのが私の見立てだ。4つの基地に核兵器が持ち込めるようにスタンバイしおいて下さい、いるでも引き受けられるようにしておいてください、ということが密約には書かれている。その中に辺野古が入っていた」。
核兵器の持ち込み先として辺野古が書かれていたのは、1969年12月、佐藤栄作総理とニクソン大統領との間で交わされた文書ー有事の際には返還後の沖縄に再び核の持ち込みを認めるーという密約だ。
密約条文「沖縄に現存する核貯蔵施設の所在地である嘉手納、那覇、辺野古およびナイキ・ハーキュルーズ基地を、いつでも使用可能な状態で維持し、重大な緊急事態の際には実際に使用できるように求める」
日本国首相「そのような事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たすであろう」
この文書の存在は、佐藤総理の密使として当時のキッシンジャー大統領補佐官らとの交渉に当たった故・若泉敬氏が1994年著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で初めて明らかにした。
日本政府は文書の存在を否定し続けたが、今から6年前、読売新聞が佐藤元総理の遺品の中から「合意議事録」が見つかったことを報じた。末尾には、佐藤総理とニクソン大統領の署名、そして極秘の文字がある。
春名「ニクソン大統領と佐藤総理大臣のトップ同士ががサインしているので、有効性はあるものだ。そこを見誤ってはいけないと思う」
一方、普天間基地の移設先が辺野古に決まったことと返還時の密約は関係ないと主張する人物は、元防衛事務次官・守屋武昌氏だ。
沖縄返還時の密約については、別の視点から着目している人物もいる。長年、米軍の核政策について調査している軍事研究家・新原昭治氏だ。米軍の核兵器の最新の配備状況の情報をもとにこう述べる。
新原「ベルギー、ドイツ、オランダ、イタリア、トルコの多くが核弾薬庫を基地のすぐ下に造っていて…」
米国の核科学者らが発行している専門誌によれば、ヨーロッパにおける米軍の核兵器の貯蔵先はNATO加盟国の5か国ベルギー、ドイツ、オランダ、イタリア、トルコにあるという。持ち込まれている核兵器はすべてB-61(旧型)という核爆弾だ。比較的、近距離への攻撃を想定している。
新原「タウシャー国務次官が、いずれアジア、特に東アジアで新型のB-61核爆弾が大きな役割を果たすだろう、と発言している」
(20011.11.2米・下院軍事委公聴会での彼女の発言映像有り)
新原氏は、中国や朝鮮半島での有事を想定して、米国は沖縄に核兵器を持ち込む選択肢を完全に捨ててはいない、と見ている。
新原「あれだけの核兵器持ち込みの特権を1969年の密約議事録で認められているのだから、当然そこに固執するだろとのことはある」
金平キャスター「若泉敬氏の本は、命がけの”密約”公表だった。…若泉氏は、この本を出した後、青酸カリ自死した」
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