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国会前の車道を埋め尽くす安保関連法案反対デモ。手には思い思いのプラカードが(9月14日) (c)朝日新聞社
まだいたのか… 安保反対運動に「中核派、革マル派」の姿〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151209-00000003-sasahi-pol
AERA 2015年12月7日号より抜粋
安保関連法案反対運動が大きく盛り上がったこの夏。初めての集会、初めてのデモ。そんななか、「新左翼」「運動」といった耳慣れぬ言葉を耳にした人も多いだろう。新左翼って、どういう人たちなんだろう。歴史を振り返って解説する。
8月30日、国会前で「戦争法案廃案! 安倍政権退陣! 8.30国会包囲行動」と銘打った集会が開かれた。ここで、もはや歴史の後方に追いやられたと思われた「新左翼」に出合えた。1960年代学生運動の原風景がほんのすこしうかがえるが、当時と違うのは、ヘルメットに角材(または鉄パイプ)といういでたちではないこと、機動隊とぶつからないこと、活動家が高齢化していることだ。学生運動に参加した団塊の世代たちは、大学卒業後、おおむね一般社会人の道を歩んでいる。かつての活動家の面影は消え、一見するとどこにでもいる日曜日のお父さんの風情である。
60年代に学生だったいまの60代半ば以上にとっては、「まだ中核派、革マル派がいたのか」という驚きがあるだろうし、40代以下の人にすれば、新左翼といわれてもまるでピンと来ないだろう。彼らが学生時代を過ごした90年代には、身近に活動家は存在しなかった。すでにキャンパスは静かで立て看板もちらほら散見されるばかり。デモに遭遇することもほとんどなかっただろう。
そもそも新左翼、極左、過激派とは何なのか。ときにツイッターで「○○は中核派と関係がある」などというツイートが流れてくることがあるが、「中核派」って何だ?と思う人も、少なくないはずだ。
新左翼とは、60年代に既成の左翼政党を否定して世界各国で同時的に現れてきた学生や若者を主体とした左翼運動の総称だ。トロツキー、毛沢東、ゲバラなどの思想の影響を受け、カウンター・カルチャーとも連動して発展した。
日本の新左翼には、いくつかの流れがある。まずは58年に日本共産党から飛び出した共産主義者同盟(共産同、ブント)。60年安保闘争のとき最前列でデモ隊を組み、国会に突っ込んだ。
トロツキーの思想に影響を受けた流れからは、革命的共産主義者同盟(革共同)が生まれた。この革共同がのちに運動方針をめぐって、中核派と革マル派に分かれた。
日本社会党の青年組織から生まれた、社会主義青年同盟解放派(社青同解放派)もあった。
これらの新左翼党派は60年代後半から70年代前半にかけて街頭で機動隊と激しい衝突を繰り返した。また、共産党を含めてそれぞれ独自に全学連(全日本学生自治会総連合)を作った。これは各党派の影響下におかれた大学自治会の連合組織である。いま、大学の自治会は政治を主張する場として機能していないが、当時は新左翼党派の活動家が自治会役員となって、大学を牛耳っている一面が見られた。
一方で、大学では全共闘(全学共闘会議)が生まれ、バリケード封鎖を行っている。全学連との違いは、党派に属さないノンセクトと呼ばれる学生が中心となっていたことだ。党派の寄せ集め的なところもあった。
67年の羽田闘争、68年新宿の国際反戦デー、69年1月東大安田講堂攻防戦では、全学連、全共闘が火炎ビンや石を投げつける、角材や鉄パイプを振りかざして機動隊と衝突する、政府関連施設を襲撃するなど暴れ回った。彼らはなぜ暴力に訴えるようになったのか。世界の左翼運動の動向に詳しい一橋大学教授の鵜飼哲さんはこう分析する。
「一つには、60年安保闘争の敗北の経験から、実力で阻止する気がないと何もできないという教訓を引き出したということ。もう一つは、運動を大きくするためのキャンペーンという側面。“武装カンパニア”という考えがありますが、運動の発展のために自分たちの決意の固さを行動で示し、若者たちに組織に入ってもらう、ということです」
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