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政治がラグビーから学ぶもの 黙々とジャパンウェイ構築を
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2015/12/20/post-527.html
サンデー毎日 2015年12月20日号
倉重篤郎のサンデー時評 連載79
永田町を歩く。ラグビー談議をしてみる。ワールドカップ大会で日本代表たちが見せてくれた不屈の戦いぶりを振り返り、なぜそれが可能になったかを議論する。
私は、日本代表ヘッドコーチだったエディー・ジョーンズが唱えた「ジャパンウェイ」という言葉にしつこくこだわりたい。この欄で前にも触れたが、これが日本政治のキーワードになると思い込んでいる。ラグビー経験者の国会議員たちもまた政治と重ね合わせて考えている。例えば、柿沢未途(みと)衆院議員(維新の党、中高時代ラグビー部)は「政治に対する示唆が二つあった」と語る。
「まずは、不可能を可能にしてくれた。歴史、文化、食べ物が違う、と環境決定論的に日本は勝てないとの固定観念があったが、勝てるんだと。そのためにはこうすればいいんだというビジョンをたった3年で示してくれた。我々野党も自民党には勝てない、と思い込んでいるが、そうではない、不可能と思った時から不可能になるということを突き付けてくれた」
「もう一つは、日本代表チームの人種的バラエティーである。10人が外国人プレーヤーだったが、帰化した者もそうでない者もラグビーを通じて日本社会に定着し、大和魂を象徴するかのようなプレーを見せてくれた。多様性が力になる一方、それをまとめる中心的な理念、精神も存在している。移民問題など日本の国際化議論のカギになるあり方ではないか。もっぱら伝統と同質性を強調する現政権との違いも見せることができる」
ナルホド。さすがに元ラガーマンの思い入れが込められている。
それでは、と柿沢議員に答えたい。私もラグビー好きな政治記者として示唆されたものを語ろう。
エディー曰(いわ)く。体の大きさ、スピードでは外国人にかなわない。ただ、日本人には俊敏さ、真面目さ、ひたむきな努力、チーム力といった特有の良さがあり、それを伸ばすことで対抗できる。もちろん、ここからは私の解釈であるが、それだけでは国際標準には達しない。そのある意味、日本人化路線とは別に、国際化・近代化(世界級コーチの招請、要所に外国人選手、IT駆使の体力・健康管理)を同時に行うことが必須である。
◇日中の踏み込んだ対話により双方が譲歩する外交的抑止力を
エディーによる3年間にわたるチーム作りはその両面作戦によって成功した、と思う。
だが、政治が学ぶべきは、その日本人化路線の方にある。戦後日本が築き上げ、育て上げてきた貴重な理念、政策を継承し、さらにそれを深掘りすることである。
外交・安全保障政策でいえばこうだ。非戦、協調という価値の尊重。無謀にも米国と戦い原爆を落とされた唯一の国としての体験、その反省からこの70年間一度も戦争を経験していないという実績。これがジャパンキャラクターだとすれば、その特性を活かした道を探すべきではないか。
それは復古的な国粋ジャパンではない。戦後作り上げた経済重視・軍備最小限路線の発展的延長である。もし、それが「特殊な国」と言われるならば、言わせておけばよい。こちらはこちらである。その特殊性を強みとし、さらに磨きをかけて、それを「普遍化」する努力を重ねる。安直な「普通の国化」は潔しとはしない。いわば、吉田茂路線の深掘りである。
安倍晋三政権が安保政策において対米傭兵化(後方支援肩代わり、沖縄新基地強硬策)していく、換言すればアングロサクソンウェイを選ぶ中、本来のジャパンウェイを継続発展させるべきである。
まずは、過去を見る。戦後六十有余年経過した日米同盟を総点検する。ギブ・アンド・テークを再評価する。米国が安保条約5条により日本の防衛義務を持つことと、日本が同6条によって米側に基地・空域を提供し、思いやり予算でサポート、さらには集団的自衛権を一部容認したことを今一度天秤(てんびん)にかけてみる。どちらがより国益にかなうのか。双務性、対等性はどうか。日米安保を聖域化せず、メリット、デメリットを納得がいくまで国民的議論にさらしてみる。
次に、現状を見る。日本をめぐる安保環境の変化とは、一に中国の台頭によるものである。国民を安心させるためにも、それをどうすれば抑止できるのか。説得力のある長期的な工程表を作ってみる。ただし、その際、軍事的抑止力は極力抑え現状維持につとめる。際限のない軍拡競争にはまるからだ。
それよりも、非軍事的な抑止力についてもっと研究する。対話により双方が譲歩する外交的抑止力というものを作りだせないか。こちらが先に譲歩すれば相手もそれに乗ってくる。それこそが双方の国益に沿った外交的勝利ではなかろうか。戦後70年の日本の足跡は、ある意味、米国に対してひたすら譲歩を重ねる歴史であった。その譲歩力、忍耐力は馬鹿にならないものがある。それをアジア外交や戦後処理にもっと活用できないか。歴史認識問題の踏み込んだ譲歩(靖国分祀(ぶんし)、独仏を学んだ日中歴史教科書)も一策となろう。
米国とは腐れ縁の活性化、中国とは関係改善の探索をまず試みる。そのうえで改めて外交・安全保障における日米の役割分担を再調整するのである。さらに、日本分担の中で、本土、沖縄のそれぞれのシェアを再評価、沖縄に過大になっている部分を本土が受け入れる(普天間移設の根本的解決)。
これが安保政策におけるわがジャパンウェイである。これがすべてとはいわないが、日本的生き方という観点は従来型ではない新しいものを生み出す力を持っている。政治家こそ、それに挑戦してほしい。ダブル選挙のブラフに右往左往することなかれ。黙々と、ただ黙々と政策を磨くことだ。国民は意外とよく見ているものである。
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