http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/684.html
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・昨夜、コビトに訊かれた。戦争法強行採決をまえに、なぜ「ゼネスト」が呼びかけられなかったのか?なぜその呼びかけさえこころみられなかったのか?戦争法はそのくらいの国家暴力の立法化ではなかったのか。国会、地方議会、官公庁、交通運輸、港湾、郵便、国公立各大学、高校、同教職員、各報道機関、農水産、商業、サービス、非正規雇用者関連各ユニオン、映画、美術、演劇、文芸家協会、スカンピンの、今晩食うにも困っている個人たち……。どこかで腹の底からの瞋恚の炎はあがったか。なにかがかつてなく激しくはじけたか。このクニにほんの一部でも機能マヒはあったか?抗議の辞職をした野党議員が一人でもいたか?怒って辞めた大学の学長はいたか。ハンガーストでだれかが餓死したか。抗議のしるしとして1面白紙の新聞をだしたところが1紙でもあったか。編集局長の方針に逆らって懲戒された記者が何人いるか。なぜなのですか?豆麩をほおばりながらコビトは訊いた。わたしはだまっていた。ゼネストなど10万キロ先のはなしだ。はらわたが破裂するほどの怒りなんか、ありはしなかったのだ。9条違反どころではない、常時「例外状態」化をねらう戦争法のものすごさ。それにみあうストラグルなんか、どこにもありはしなかった。あれはだから「負け」ですらなかった。たたかっていなかったのだから。にしてもパルタイは、60年安保時とまったくどうように、どこまでも卑劣だった。国会前の群れにかくれ、若者をまつりあげて、他者の踊りをじぶんのそれのようにみせようとした。「赤旗」はなぜわたしへのインタビューを急きょ中止したのか。中止のわけを紙上であきらかにしないのはなぜか。放っておきゃ、いずれことはすむと判断したか。コビトに訊いた。どうだろう、こだわるのは無意味だろうか?コビト「いま有意味ってなにかあるかな」。ダフネに行った。エベレストにのぼった。(2015/12/02)
・「歴史は徹底的であるから、何度でも追試≠ウせられる。しかも無反省な輩はその都度なんどでも同じ過ちをくりかえす」。友人Sさんの手紙のなかの1行。ニッポンの「国際反テロ戦争」参戦が近い、とかれはみている。わたしもそうおもう。参戦前夜をひしひしと予感する。「国際反テロ戦争」は、テロ′サ象の可変的深層をだれもつかみえないまま、拡大し、変容し、いたずらに泥沼化するだろう。テロ≠フ様態はみるもののつごうで、つごうよく変えられ、表現される。そのとき、ひとびとの精神と立ち居ふるまいはどうなるだろうか。愛国化、民族主義化、祖国防衛戦線化しないものか。パルタイは「国際反テロ戦争」参戦にはっきりと反対できるだろうか。そこだ。追試≠ニはそれなのだ。第二次世界大戦はファシズム対反ファシズムではなく、反ファシズム戦争の装いをした帝国主義戦争であった。追試≠フポイントはそこにある。パルタイは追試≠ナ合格するか。またも落第の公算が大ではないのか。「赤旗」のインタビュー・ドタキャン事件について、まだなんの連絡もきていない。パルタイ中央にはきっと「事件」の感覚もあるまい。みずからの歴史をいくども塗りかえてきたものたちに、歴史修正主義を難ずることはできないはずだ。歴史はあまりにも徹底的にめぐってくるので、わたしたちは何度でも追試≠うけさせられる。コビトと犬と東口のカフェ。エベレストにのぼらなかった。(2015/12/03)
・キャスとダフネ。エベレストにのぼった。昨日、Nさんから久しぶりのメール。共産党機関紙「赤旗」のドタキャン事件にかんする深々とした所感。とても参考になった。これはやはり小事ではなかった。インタビューを申しこんできたK記者はその後どうなったのか。気になる。ずっと気にしている。問題はパルタイという組織の病症であるとともに、それ以上に、わたしをふくむ生身の個人(主体)の思考の試練でもある。「スターリニズム」というひとことですべてがすむというものではない。これだって、なんどめかの歴史の追試≠ネのだ。Nさんは手術を受けていた。
午後、ドタキャン事件と週刊金曜日、そして拙著『1★9★3★7』(イクミナ)をめぐり、大きな動きがあった。わたしは、事件の経緯と週刊金曜日の基本的立場を同誌の記事として読者に公表し、赤旗紙および日本共産党に抗議すべきであると主張してきた。これにたいし、金曜日の北村社長は本日、辺見庸の主張は「100パーセントわかるが……」(笑止!)と述べるいっぽうで、しかしながら、同誌での事件経過説明も共産党への抗議もできない、と言明した。その背景として、北村氏はまことにわが耳をうたがわざるをえない、まったく承服しがたい珍妙無類の理由≠あげた。金曜日の読者の多数が日本共産党員であるため、公表も抗議もできない――というのだ!これはなんというバカげたロジックだろう!?以上のことがらについて、わたしは『1★9★3★7』のすべての読者、当ブログの愛読者たち、および全国各書店にたいし、近日中に詳しく説明する責任と義務があると感じている。『1★9★3★7』の運命は、わたしの予感のとおり、これから大きく変わるだろう。そもそも『1★9★3★7』は遠い血煙のなかからついに生まれた本である。読者は知っている。1頁1頁に血糊がついている一冊なのだ。これを、「市民運動」に名をかりた、そのじつ、ファシスト以下、スターリニスト以下のインチキどもにまかせておくわけにはいかない。(2015/12/04)
・と、おめいたところで、いくら息んでみたところでだ、おまえらに唇をゆがめてヘラヘラ笑われるのがオチだ。じつはおれもクククククと失笑しているのだ。いやはや、おかしくておかしくてしかたがないぜ。ククククク。それなら、みんなして笑おうじゃないか。ヘラヘラクククククププププ……。アベは笑へ。シイも笑へ。キタムラも笑へ。ジンミンは笑へ。ゼンジンミンは笑へ。みんなして笑い死にしようや。ヘラヘラクククククププププ……。「吊せ 人民の敵/ブランコみたいに揺すぶるのがいる/まだ息するのがいるぞなんて最後に頭をたたき割ったのがいる/残酷なかれら」(1956年12月)。大した話じゃない。おれはパルタイに、あんたらの民主的な党議決定により、どのように「分類」されたのか、ちょっと知りたいだけなんだよ。「人民の敵」か。「反党分子」か。「反社会分子」か。それとも「狂犬トロツキスト」か。ヘラヘラクククククププププ……。「信じてくれ/賢い同志たち/これは可笑しい本当に可笑しい/ぼくは哄笑った ぼくの屍体が/笑うほかない屍体の身震いで」(1956年12月)。1956年12月だって!すごいじゃないか。おお、1956年12月。黒田喜夫は「ハンガリヤの笑い」を書いたんだ。おれは2行だけまだ暗記している。「ラコシって誰? あそこに吊下がっているの?/ナジはどこにいるの?」。ラコシは笑った。ナジは声ごと消された。ヘラヘラクククククププププ……。アベは笑へ。シイも笑へ。キタムラも笑へ。ゼンジンミンは笑へ。キャス、犬と動物病院。じぶんも病院。エベレストにのぼった。(2015/12/05)
・コビト、紀尾井町に行くとちゅうにたちより、昨日買いかえた携帯の設定をあれこれこころみるものの不成功。やれパスワードがどうのアドレスがどうのユーザー名がどうのとなんどもやりなおし、さいごは根負け。ほうり投げる。音声入力機能で「クソッタレ!」と言ったら「ソレハザンネンデス」と機械から女声の応答があった。呪詛も無効。コビト、ピキピキと怒りの声を発しながら紀尾井町にむかう。訴えのいっさいは無効である。「世界新秩序の内部では、もはや革命は存在しない。……あるのは痙攣だけだ。……あるのは機能不全と断層と衰弱と動脈瘤的断絶だけである」と説くボードリヤールの肉声を聴いたのは、もう10数年も前だ。いまや、より人間であろうとすればするほど、事態はより危険になる。人間は機械的端末として「死の生」をえらぶか、もしくは端末たることを拒んで「生の死」をえらぶしかない。正義めかしたあの雑誌は、筑紫哲也さんがかんけいしていたころからそうだったのだろうか。共産党批判のできない雑誌だったのか。事実上の共産党の下部機関化していたのか。筑紫さんはそれをご存じだったのか。共産党の下部機関(宣伝端末)だから悪いというのではない。経済的バックアップがあろうとなかろうと関心はない。聞け!〈事実を書こうとする者の意思の抑圧〉はだんじてあってはならない、と言っているのだ。〈読者に報せるべき事実の政治的隠ぺい〉は最悪だ、と言っているのだ。以上2点だけで、市民に依拠していることを標ぼうする雑誌は死滅する。ジャーナリズムの最低倫理上の自殺である。やむをえない自滅だ。人間の機械的端末化の嚆矢はむろん携帯電話ではない。志位君、北村君、人間の機械的端末化の思想的嚆矢はなんだったか、答えてほしい。「あれ」以外にあるならば、どうかわたしに教えてほしいものだ。言えまい。北村君は志位君に面談をもうしこみ、わたしの批判をつたえることもかんがえたという。ちがうのだよ、北村君。ぜんぜんちがうよ。読者にたいする事実の全面的公開こそがなによりも大事なのだ。そして問題の所在と性質を読者(三分の一が共産党員ないし支持者であるにせよ)とともにかんがえることが、いの一番に肝要だったのだ。痙攣と機能不全と断層と衰弱と動脈瘤的断絶は、痙攣と機能不全と断層と衰弱と動脈瘤破裂の前兆である。エベレストにのぼった。(2015/12/06)
http://yo-hemmi.net/article/430537725.html
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