3. 2015年12月04日 14:00:41
: nJF6kGWndY
: n7GottskVWw
こういうこともあったなwhttp://tanakaryusaku.jp/2012/05/0004321 【国会事故調】 海江田元経産相 菅首相と東電への不信にじます 2012年5月18日 00:23 着席する海江田万里・元経産相。国会事故調は国会議員の参考人聴取を始めた。=17日、参院会館。写真:筆者撮影= 福島第一原発の事故原因を究明する『国会事故調』は17日、発生当時経産大臣だった海江田万里氏から事情を聴いた。海江田元経産相は勝俣東電会長のように官邸や部下に責任をなすりつけるようなことはなかった。答弁を貫いていたのは、菅首相と東電への不信感だった。 東電は経済性を最優先し、安全性は二の次、三の次だった。野村修也委員が「東電が塩分の含まれた水(海水)の注入をためらっていたとされる根拠は何か?」と聴いた。
海江田氏は「早い段階から廃炉と私どもは思っていたが、東電はそのようなステートメントは出していなかった」と答えた。この期に及んで東電は原子炉を再び使おうと考えていたのである。何という吝嗇ぶりだろうか。 海水注入をめぐっては、官邸が「再臨界の恐れがある」として中断を指示した。だが発電所の吉田昌郎所長が官邸に内緒で海水を注入し続けた。「吉田所長の判断は正しかったか?」と聴かれた海江田元経産相は「結果的に中断しなかったことが良かった」と答えた。官邸の横ヤリが間違っていたことを認めた格好だ。 渋る東電を官邸が命じてベントをさせたといわれるが、海江田氏は次のように振り返った― 「この期に及んでも事故を小さくみせるためにベントをためらっているのかなと思ったが、そうではなかった。(東電が)2班決死隊を作った。一企業が(ベントをしろと)命令するよりも国が命令を出して後押しをするため」。 「(それでもベントを)なんでやらないんだと気を揉んだ。まだ完全に前者(事故を小さく見せる)の意味が払しょくされたわけではなかったので、2つの考えがあってそうした」。 海江田氏は慙愧の念に堪えなかったのか、時に下を向き時に天を仰いだ。=写真:筆者撮影= 事故直後、東電は「全員撤退させたい」と官邸に告げてきたとされるが、勝俣会長は14日の国会事故調で否定している。海江田氏は次のように証言した― 「清水社長から電話があった。第一発電所から第二発電所に退避したい、という言葉を使った。(私には)“全員が撤退”という意識が頭にあった。あとで枝野官房長官のところにも清水社長から電話があったと仄聞した。そういうこと(全員撤退)なら大変だ東日本がだめになる、現地の人にがんばってもらわなくてはいけない。東電に行こう、統合本部を作ろうということになった」。
菅直人首相の指示が現場を混乱させたことは、つとに指摘されている。野村修也委員が現場職員から聞いた話として明らかにした―― 「(菅首相が)サイト(福一)に何度も電話を架けてきた。ニュアンスとして飛行機はなぜ飛ぶのか。墜落させないようにするにはどうしたら良いのか。この職員は迷惑だった、と話している」。 石橋克彦委員が「地震の多い日本で再稼働などと言うが、安全確認はキチンとできるのか?」と聴いた。海江田氏の答えからは事故の断面が覗いた― 「ヒューマンリスクのこともあるのではないか。女川に行った時、東北電力の技術者からこう聞かされた。『東北電力は全部で4基しかない。一つ一つ丁寧に大切に運転している。東電は十数基もあり、そこ(丁寧な運転)が希薄になっていたのではないか』」。 https://newspicks.com/news/856455/body/ 第2回】解読「吉田調書」 シンポジウム「調書が明かす福島原発危機の真実」
吉田所長の目線に立つ 堀尾:民間事故調のワーキンググループのメンバーとして、2011年夏から半年間調査にかかわってきたわけですけど、今回こういう機会をいただいて、皆さんと一緒にあの事故をもう一回振り返って、さらにもう一歩我々の学びを進めるための機会かな、と本当に感謝しております。 今回のテーマが「吉田調書に見る福島危機」ということなので、まずやはり吉田昌郎所長という、福島原発事故、この危機の対応の最前線でリーダーシップを発揮された人の目線に立ってこの福島の危機というのを振り返ってみたいと思います。今回は独自の立場での見解ですので、所属組織を代表するものではございません。冒頭にそれだけ申し上げさせていただきます。 吉田調書はまさに現場指揮官たる吉田昌郎所長がいかに危機と格闘して、そこでさまざまな判断をし、さまざまな行動を起こしてきたかということが克明につづられているわけなんですけれども、そこから見える吉田所長のリーダーシップというのはどういうものかというのを私なりにまとめていきたいと思います。 まず最初に一つ事例をご紹介したいと思うんですけども、これは既にいろんなところで報道されているのでご存じの方もいらっしゃるのではないかと思うんですけれども、危機発生から2日目の3月12日の夕刻ですね、1号機の建屋が爆発した後でなおも危機が進行していると。 で、何とか原子炉を冷却しなきゃいけない。もう入れる水はどこにあるんだ、海水ではないかという状況になったときに、1号機への海水注入を吉田所長が決断して実施するわけなんですけども、そこで官邸、東電本店のほうから、海水注入はまだ了解してない、止めろという指示が来たときの、吉田所長の言葉です。 政府事故調のインタビューに対して、吉田所長はその当時、水を入れなくするなんていうこととか、給水を停止するなんて毛頭考えてないと、そんなことがあり得るかということを言っています。 ただ、実際には中止しようという命令が東電本店のほうから来ていたので、命令は出す。けれども部下に対しては絶対に中止してはだめだという指示をして、実際にその注水を続けたという一連の事情がありました。 現場指揮官の責任感と使命感 ここは報道等でも出ていますけれども、官邸あるいは本店側からの指示に対して、現場指揮官たる吉田所長が自分は事故の進行を防ぐと、食いとめるという自己の責任感に立って大きな決断を下したというような評価になるかと思うんですけども、一つ、吉田所長のリーダーシップの例かと思います。 これ以外にもさまざまに吉田所長のリーダーシップが垣間見られるわけなんですけど、どういった特徴があるかというか、まず一つはやっぱり現場指揮官としての責任感とか使命感であると。 ここには一つ、これは3月12日の朝のベントのところですけれども、総理大臣が視察に来るというときに、ベントの作業を同時並行でやっていたということなんですけど、総理大臣が来ようが何をしようが自分は炉の安全を守るんだという強い使命感を持たれて事故対応に当たっていた。 そして次の断固たる決断。先ほどの例でもご紹介しましたけれども、やはり現場指揮官としての責任感、使命感に支えられて、あの困難な状況で、マニュアルもない、前例もない、何をすればいいか手探りの状態の中でも、自分の経験とか部下たちとの意見交換を通じながらさまざまな判断を下していったというのがあります。 部下への信頼 加えて、これもさまざまなところで指摘されていることですが、やっぱり部下への信頼というのがあります。 調書の中では具体的にどういうアクションをとったかであるとか、そのとき何を考えていたかというような発言が中心ですので、部下に対する評価みたいのをなかなか明言してはいないんですけれども、自分の部下に対して経験知であるとか技術力であるとか、そういったところに非常に信頼を置いていたと。 同時に、あの調書からはなかなか見えてきませんけれども、部下からの信頼も厚かったと。こういう使命感と決断力と信頼関係というものを持っていたリーダーがあの現場にいたということだと思います。 先ほどの最初の例に戻るわけなんですけれども、海水注入をめぐる決断というのは、今言ったように、使命感、責任あるいは判断というところで、自分の判断でこの事故を進展させないように行動していた一例なわけなんですけど、民間事故調の報告書でも1度取り上げているわけですが、海水注入について吉田所長の判断というものをどう評価したらいいのかというところは継続して議論すべき点ではないかと思うので、今日は皆さんの意見を聞きたいと思っております。 海水注入をした判断 いきなり質問で恐縮ですけれども、この海水注入について官邸、本店から制止指示がかかった、にもかかわらず注水を続行したという判断を、皆さんは支持されるか、それともしないかというところを教えていただきたい。まず、じゃあ、支持されるという方は手を挙げてください。ありがとうございます。支持されないという方。お、ゼロですね。 私も若干そのような傾向でしゃべっていたので、こういう結果になるかなというのはある程度思っていたんですけど、これに対する答え方はいろいろあると思うんですけど、一番わかりやすい考え方は、海水注入しなかったらどうだったかと。これが多分すごく直接的な答えなんですね。 私もやっぱりそこに依拠するわけなんですけど、海水注入しなかったら状況は多分よくはなってなかっただろうと。となると、やはり事故の進展を食いとめるという観点では、海水注入をした吉田所長の判断は正しかったということがあるんだろうと思います。 ただ、もう少しこの質問を深掘りしていくと、もう一つ別の視点があるだろう。それは、まずなぜ現場がそういう形で判断を先行してしまったのかというところに構造的な要因があるのではないかというところで、幾つかありますけれども主なのを二つだけご紹介したいと思います。 現場の判断は常に正しいのか まず一つは、危機感とか認識の違いというところがあると。これは、もう少し前の、この海水注入より前の段階、ベントをめぐるいろんなやりとりの中を振り返りながら吉田所長が言った言葉なんですけど、本当の現場、中操(中央操作室)という現場と準現場の緊急対策室(緊対室)、この二つは両方とも福島第一原発のサイト内にあって、吉田所長は緊対室にいるわけなんですけど、そこと、あと現場から遠く離れてる本店、ここには書いてないですけど、それには官邸も含まれていますが、それとかの認識の差が歴然であると。 危機に対するいろんな危機感であるとか懸念であるとか優先順位とか、そういったものの違いが発生してしまっていると。 その中で海水注入という、本当に現場での最もプライオリティの高い活動は何かという意思決定において、現場がより確度の高い意思決定をするというのは当然といえば当然なのではないかというところが言えると。 もう一つは、今回サポートの欠如と、本店、官邸への不満というのは挙げましたけれども、今回の福島原発事故の特徴は、事故が、あるいは危機がサイトの中にとどまらないということなんですね。 残念ながら福島第一原発のサイトの中にあった施設あるいは人員等では、事故の拡大を防ぐには不十分だったと。備えが不十分であったと。その中でさまざまな支援、人であったり物資であったり情報であったり、そういったものを外から支援して事故の対処に当たったというのが今回の特徴ですけれども、それに対して現場指揮官たる吉田所長は、結果として誰も来なかったじゃないか、効果的な支援をしてもらえなかったと。 これはこの海水注入だけじゃなくていろんな物の出入りのところとかでも指摘されてるんですけど、こういったサポートの欠如、本店・官邸への不満、結局自分たちでやるしかないと、そういうような判断をせざるを得ないというか、そういう意思決定に陥る構造的な背景があったんではないかというところがあります。 ここまではこの質問に対して皆さんと同じように、その「支持します」という判断を補強する話なんですけど、最後に、なぜこの問いを立てたかというもう一つの理由、逆の側面というのをお話ししたいと思います。 簡単に言えば、現場の判断というのは常に正しいのかということなんですね。もっと言えば、現場が気づいてないリスクであるとか、現場がとり切れないリスクはないのかと。 今回の海水注入という事例、あるいは吉田所長の決断に関しては、私は正しかったと判断しますけれども、実際に原発の事故あるいは危機というものはサイト内の事故の安定だけではなくて、周りの住民の避難であるとか、環境への影響の低減であるとか、さまざまな側面を持っていて、現場の人間には必ずしもとどまらない話がある中で、現場の指揮官の判断というものと、結果的に今回は誤ったという評価になると思いますけれども、危機管理の全体を統括するような官邸であるとかというところの判断というものがコンフリクトを起こす事態というのが想定し得るんではないかと。 それに対して、ではどのように備えていけばいいのか。こういったところをより深掘って、この吉田調書、あるいはこの現場の危機対応と危機管理全体の対応というところから学んでいく必要があるのではないかと思っています。 http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20140912/0657_konran.html 福島第一原発 海水注入巡り指揮混乱 (9月12日6時57分) 東京電力福島第一原子力発電所の事故発生の翌日、1号機を冷却するための海水の注入を巡り、東京電力の本店側が、政府の了解がないことを理由に注入を一時、止めるよう現場に指示したのに対して、11日に公開された政府の事故調査・検証委員会の証言記録では、政府側の関係者はいずれも関与を否定していて、事故対応の指揮を巡る混乱した状況をうかがわせています。 政府は11日、福島第一原発事故の原因などを検証するため、政府の事故調査・検証委員会が聴き取りを行った772人の関係者のうち、吉田元所長や菅元総理大臣、海江田元経済産業大臣などの政治家を含む、合わせて19人分の証言の記録を公開しました。 政府の事故調査・検証委員会によりますと、福島第一原発では事故発生の翌日の3月12日の午後7時すぎに、1号機の原子炉を冷却するため海水の注入に踏み切りました。 ところが、東京電力から官邸に派遣されていた当時の武黒一郎フェローは、吉田元所長に直接電話し、官邸ではまだ海水注入は了解していないとして中断するよう指示し、吉田元所長は、原子炉の状況を考えて、みずからの判断で注入を継続し、本店には中断したと事実と異なる報告をしています。 この指示について、吉田元所長は証言の中で、「四の五の言わずに止めろと、そのときの電話だけは、いまだに覚えていますけれども、それでやっていられないなと、私からするとそうなったわけです」と憤りをあらわにしています。 これに対し当時、官邸にいた細野元総理大臣補佐官は「実は止めたんじゃないかとか、情報が官邸に入っていたのではないかということに関しては、これは断言できます。みんな海水は入っていないと思っていました」と話し、海水の注入が始まっていたことは東京電力から知らされていなかったと証言しています。 また、海水注入を巡る判断にあたり、菅氏が、核燃料が再び連続して核分裂する再臨界が起きることを懸念したと指摘されていることについて、菅氏は、再臨界の可能性を尋ねたことは認めたうえで、「海水の話とは関係ありません」「武黒さんというのはプロだと聞いていますから、なぜ海水注入のことと再臨界のことをごっちゃにしたのかということはよく分からないんです」と証言し、注入中断の指示は東京電力の誤解だったと主張しています。 こうした経緯に対して、政府の事故調査・検証委員会は最終報告の中で、政府の顔色をうかがった東京電力の姿勢に問題があったとしたうえで、海水注入については電力会社が判断すべきものだとして、政府の介入も戒めていて、公開された証言からは事故対応の指揮を巡る混乱した状況をうかがわせています。 |