21. 2015年12月04日 00:27:21
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翁長知事は「被害者面」した「加害者」矛盾だらけの翁長知事 メディアで仕事をする友人たちと話すと、翁長雄志沖縄県知事を礼賛する声が目立つ。曰く、「翁長さんは立派だね。政府と果敢に闘って一歩も引かない」「劣化した日本の民主主義に活を入れられるのは翁長さんぐらいだ」・・・。 国が主導する普天間基地の辺野古移設を、「あらゆる手段を用いて阻止する」と決意表明して「閣下権力」と日々闘う翁長知事の姿は、確かに「カッコよく」見えるのかもしれない。 翁長知事本人の政治家としてのキャリアは順風満帆だ。1985年の那覇市議会議員当選を皮切りに市議2期、県議会議員2期、那覇市長3期(4期目途中で知事選に出馬して当選)を務め、県議時代には自民党沖縄県連幹事長としても活躍した。 那覇市長に初当選した2000年には、自民党が32年ぶりに市政を奪還したと大きな話題になった。仲井眞弘多前知事の選対本部長の経験もあるほか、辺野古移設でも、かつては旗振り役を務めていた。その政治理念は「保守系右派」ともいえるもので、復帰後初めて市庁舎に日の丸を掲揚させ、「君が代」を斉唱させた市長として、一部から激しい批判を浴びたこともある(2001年5月20日の市政80周年記念式典)。 保守本流にいた翁長知事が「普天間基地の県外移設」を積極的に唱えるようになったのは、2010年頃からである。「ポスト仲井眞」を意識し、当初は選挙対策として「県外移設」を唱えているように見えたが、その後、仲井眞氏との間に確執が生じ、袂を分かつような形で2014年の知事選に出馬。「辺野古移設反対」を掲げ、保守系有権者の支持だけでなく、辺野古移設に反対する共産党、社民党、沖縄社会大衆党(沖縄の地域政党)などの支援を受けて当選を果たしている。 以上のような経歴と経緯から、翁長知事の「辺野古反対」を訝る向きもあるが、「日米同盟賛成」と言いながら辺野古に猛反対する姿勢を見て、「保守系の翁長さんまで反対する辺野古はやはり権力の横暴だ。政府は沖縄の民意を無視している」と知事を支持する県民や国民も多い。 が、翁長知事の「辺野古反対」に大義はあるのだろうか? 実は、本土ではほとんど報道されないが、翁長知事の政治姿勢は矛盾だらけなのである。 翁長知事は、沖縄の米軍基地面積が320f削減されることになる普天間基地の辺野古移設には反対している。ところが、基地面積がほとんど減らない那覇軍港(米陸軍が管理)の裏添移設では、何と「推進」の立場に立っているのである。 前代未聞の承認取り消し また、政府の方針に反旗を翻しているにもかかわらず、事実上、基地負担の代償として政府から沖縄に対して特別に配分されている沖縄振興予算については、目下、「増額」を要求しているのだ。こうした点を捉えて、「翁長知事も、基地反対と振興予算増額がリンクする沖縄の悪しき構造にどっぷり浸かっている」と批判する識者も少なくない。 加えて、日の丸の掲揚・君が代の斉唱を強く求めてきた政治家であるにもかかわらず、翁長知事は去る2015年9月21日にジュネーヴで開催された国連人権委員会に出席し、辺野古移設問題は「少数民族問題」「植民地問題」だと臭わせ、「沖縄独立」(沖縄の自己決定権)にまで触れるスピーチを行っている。これも、理解に苦しむ政治姿勢である。 沖縄県民の大半は、少数民族という自覚もなければ、独立を望んでいるわけでもない。そのことは翁長知事も十分承知しているはずだ。近隣諸国に対して「沖縄は独立したがっている」という誤ったメッセージを送ることは、日本と東アジアの安全保障を危険に晒しかねない。 「辺野古阻止のためには手段を選ばず」としても、さすがに安全保障まで人質に取るような知事の発言は度を越している。 これだけの矛盾と問題を抱える翁長知事だが、その「辺野古反対」はエスカレートする一方だ。 2015年10月13日には、仲井眞弘多前沖縄県知事による辺野古埋め立て承認を取り消し、国(防衛省沖縄防衛局)による工事を停止させた。いかに前任者による承認とはいえ、沖縄県が沖縄県による承認を「瑕疵がある」として取り消したのだから前代未聞、翁長知事は「反権力のヒーロー」を演ずる自分に酔っているのではないか、と思えるほどである。 翁長知事の本気度 一方で「翁長知事が何のために闘っているのか分からない」という声も強い。「取り消し」で政府に対峙したのはいいが、知事が停止した工事は2015年10月29日に再開されている。沖縄防衛局が行政不服審査法に基づき、「公有水面埋立法」(国が所有し公共に用いられる河川・海・湖・沼などの公有水面の埋め立て・干拓に関する法律)を管轄する国土交通大臣に不服審査を請求し、知事による取り消しの効力を停止させたからである。実は、辺野古移設は着々と進んでいるのだ。 翁長知事は政府の姿勢を強く批判したが、工事が続行されることなど知事にも予測できたことだから、ある種の「予定調和」とも思える。果たして、翁長知事は辺野古移設を本気で阻むつもりなのだろうか? 目下最大の問題は、翁長知事の「埋め立て承認取り消し」という行為(行政処分)が法的に正しいかどうかである。 知事による埋め立て承認手続きは「法定受託事務」に分類され、国の代わりに地方公共団体が行うべき仕事とされている。粗っぽくいえば、大臣の仕事の一部を知事が代行しているということだ。したがって最終的な監督権は国にあり、知事が正しく仕事を進めていないと国が判断した場合、国は知事にきちんと仕事をするよう指示できるが、それでも国の指示に従わなければ高等裁判所に提訴して、知事の「仕事ぶり」の適否を判断してもらうことになる。 裁判所によって承認取り消しが法的に正しい行為と認められるなら、辺野古移設は不可能になる。翁長知事の「勝利」である。逆に取り消しが法的に誤った行為だと認められれば、知事に代わって国土交通大臣が埋め立てを承認し直すことになる。この場合、辺野古移設は堂々と進められる。政府の勝利である。 一連の手続きは地方自治法第245条に基づき、「代執行」と呼ばれている。すでに国はその「代執行」の手続きに入っており、翁長知事側も「望むところだ」という姿勢だから、沖縄県と政府との「闘い」は法廷に場を移して是非を争うことになる。 翁長知事の私的諮問機関 翁長知事は、仲井眞前知事の埋め立て承認に「瑕疵」があるとして承認を取り消した。承認手続きにミスがあるということだ。代執行をめぐる裁判では、この瑕疵の有無が争われることになる。裁判だから安易に予想できないが、現在もたらされている情報から総合的に判断すると、「翁長知事の勝機はほとんどない」と断言してよいだろう。 前知事の仲井眞氏は最近のテレビ出演(2015年11月9日、BSフジ「プライムニュース」)で、「埋め立て承認に法的瑕疵は全くない」と繰り返し、強調した。 翁長知事が言う「瑕疵」の根拠となるのは、知事の私的諮問機関である「普天間飛行場代替施設建設事業に係る公有水面埋立承認手続きに関する第三者委員会」(以下、「第三者委員会」と略す)の報告書(2015年7月16日付)である。 同報告書は、辺野古埋め立ては、 (1)その必要性に合理的な疑いがある (2)埋め立てによる利益と不利益を比較衡量した場合、国土利用上の合理性に欠ける (3)環境保全に十分配慮していない (4)「生物多様性国家戦略2012−2020」など法律に基づく既存の環境保全全計画に違反している可能性が高い したがって、承認には「法的瑕疵がある」としている。 そもそも第三者委員会は法的に位置づけられた存在ではなく、翁長知事の私的諮問機関に過ぎない。最終的に決断を下したのは翁長知事である。知事は「公平を期すために設けた機関」と述べたが、何のための公平かは明らかにされていない。判断の客観性を形式的に担保するために同委員会を設けたのだろうが、「あらゆる手段を用いて辺野古を阻止する」という翁長知事の姿勢に沿って「瑕疵がある」ことを前提に設置された委員会であるともいえる。たとえ第三者委員会に正当性や公平性を認めるとしても、同委員会が示した「瑕疵」の根拠には大いに疑義が残る。 同委員会の報告書は、埋め立ての必要性の審査と公有水面埋立法第4条に定められた3つの要件の審査について「瑕疵があった」としている。 県の裁量権を逸脱 まず、「埋め立ての必要性」について同委員会は、移設先としてなぜ辺野古が選ばれたのか合理的な説明がないのに埋め立てを承認したことを問題にしている。 国は、 (1)在沖海兵隊は抑止力の重要な構成要素である (2)沖縄は戦略的な観点から地理的な優位性を有する (3)普天間基地の海兵隊ヘリ部隊を、沖縄所在の他の海兵隊部隊と切り離して運用することはできない といった理由から、普天間基地の県外移設は困難であるとし、同基地の危険性を速やかに除去するために、 (1)滑走路を含め必要な用地を確保できる (2)既存の提供施設・区域(キャンプ・シュワブ)を活用できる (3)関係する海兵隊の施設が近くにある (4)移設先の自然・生活環境に最大限配慮できる という条件を考慮しながら、移設先として辺野古を選んだ、と説明している。 が、第三者委員会はこれらの点について、国から納得しうる合理的な説明がなかったので辺野古埋め立てには正当な理由はなく、それを承知しつつ埋め立てを承認した行為には法的瑕疵がある、と結論づけている。埋め立ての承認は、国土交通大臣が管轄する法定受託事務に過ぎない。つまり、国土交通大臣に代わって知事が代行する仕事である。 にもかかわらず第三者委員会は、県に与えられた本来の権限を越えて国の専権事項である国防政策のあり方を問題にし、国防政策に疑問がある以上、埋め立て承認はできなかったはずだと主張しているのである。 埋め立て承認の経緯を検証してみると、仲井眞知事時代の埋め立て申請審査に関する中間報告(2013年11月12日付)には、「埋め立ての必要性については、その判断が法定受託事務の裁量の範囲を逸脱するか否かがポイント」と書かれている。つまり、公有水面埋立法にかかわる承認手続きはあくまで法定受託事務であり、国防論争に結びつくような論点を当該事務に持ち込むことは裁量権の逸脱になりかねない、という認識が県側にあったことになる。 その認識を裏付けるように、最終的な審査結果(2013年12月23日)では、国防にかかわる論点を避け、埋め立ての必要性について国の主張をそのまま受け入れている。首長が辺野古移設問題についていかなる主張を持っていようとも、埋め立てという法定受託事務に際して自治体が国防にかかわる論点を国に対して提起するのは、その裁量の範囲を大きく逸脱し、逆に「法的瑕疵」を指摘されかねない行為だ。 仲井眞前知事はそのことを十分承知していたと考えられるが、第三者委員会は「自治体の裁量の範囲を超えるべきだった」と主張していることになる。 国防政策との関連を云々するなら、普天間基地を辺野古に移設するという政府の決定自体が「違法」であることを証明しなければならないが、それを公有水面埋立法の枠内で証明することは困難である。 第三者委員会は、「国土利用上適正かつ合理的である」とした要件に照らしても埋め立て承認には瑕疵があるとしているが、ここで使われている論理も「埋め立て承認の必要性」について展開したもおとほぼ同一で、自治体としての裁量権の逸脱を求めるものとなっている。 県職員を詰問し、糾弾 そもそも政府の方針に「瑕疵がある」として承認を取り消すこと自体が県の裁量の範囲を超えているが、同委員会にはそうした遵法的な認識がすっかり欠けている。 第三者委員会は、環境保全にかかわる要件の審査にも瑕疵があったと断定している。裁判になれば、この点は特に注目を集めるだろう。国による埋め立て承認申請書の環境保全にかかわる部分や環境影響評価報告書に対して、仲井眞前知事や県環境生活部が「環境保全は不可能である」「環境保全については重大な懸念がある」といった意見書を示している点に着目し、埋め立てが環境を破壊すると知りながら県当局は申請を承認したとして、同委員会はこれを「重大な瑕疵」と糾弾している。 が、仲井眞前知事による埋め立て承認には留意事項が付されており、環境保全に最大限配慮することが埋め立て承認の条件とされている。留意事項がある以上、仲井眞前知事による承認の判断を「重大な瑕疵」とまで決めつけることは難しい。 承認審査のプロセスで、知事や県側に「環境保全は不可能である」「環境保全については重大な懸念がある」といった評価があったことは事実だが、国と県のやり取りの中でその懸念は払拭されたと知事が判断し、条件付きで承認したということであれば、形式的な問題はクリアすることになる。 また同委員会報告書には、承認手続きにかかわった県職員を委員が詰問し、糾弾する様子も描かれている。まるで、県職員個人に罪があるかのような記述さえ多数認められる。が、県職員はあくまで業務に携わっただけで、埋め立て承認の最終判断は仲井眞前知事によって下されているから、同委員会は仲井眞前知事の意思決定こそ問題とすべきだろう。 その意味では、仲井眞前知事自身に対する聴聞こそ不可欠だったはずだが、前知事の聴聞が実施された形跡はなく、前知事に聴聞を求めたが断られたという記述も見当たらない。責任者に対する聴聞を欠いたままその瑕疵を認めた委員会の姿勢も、問われるところだ。 「那覇空港埋め立て」は承認 裁判で国側は、第三者委員会報告書に列挙されたポイントへの反論に加えて辺野古以外の埋め立て承認の事例も、翁長知事側への反証として取り上げることが可能だろう。 実は、辺野古の埋め立て承認から間もない2014年1月9日、仲井眞前知事は、沖縄総合事務局(政府の出先機関)から申請された那覇空港第二滑走路建設に伴う那覇市大嶺海岸の埋め立ても承認しているのだ(埋め立て面積は辺野古と同じ160f)。 辺野古埋め立てで瑕疵があったとされる「埋め立ての必要性」という要件に関連していうと、「那覇空港公有水面埋立承認願書」の「必要性」を記入すべき箇所には「滑走路を新設するためには新たな公有水面の埋立により当該用地を確保せざるを得ない」とだけ書かれている。つまり、滑走路新設の「必要性」については触れられておらず、「埋め立てが必要となる理由」として挙げられているのは「滑走路のための用地取得が困難だから」のみ。 ただし添付図書を読むと、那覇空港における旅客輸送量、貨物輸送量、航空機発着回数などの増大、つまり需要増の予測が第二滑走路建設の背景にあるとは読み取れるが、これはあくまでも添付図書であって、正規の「埋め立てが必要な理由」ではない。 辺野古では、滑走路の建設の動機となる国防政策に合理性がないから「埋め立て承認には瑕疵がある」とされたが、那覇空港の埋め立て承認では滑走路の必要性すら問われていない。同じ埋め立てという事業なのに、辺野古と那覇空港ではまるで取り扱いが異なるというのでは二重基準となり、沖縄県の行政機関としての信頼性は大きく揺らぐことになる。翁長知事は、この「二重基準」を是とする立場を取っていることになるが、首長としてふさわしい姿勢だと言えるのだろうか。 「民意」は争点にならない ところで、那覇空港第二滑走路の建設自体に県内の異論はないのだろうか。ここで注目したいには、那覇空港は官民共用空港であるという点である。自衛隊や海上保安庁が頻繁に利用する空港なので、官民というより「軍民」と言ったほうが適切かもしれない。 2010年における那覇空港の発着回数は、年間約13万5千回。うち自衛隊機は約2万4千回と、発着回数全体の約18%を占める。民間機と自衛隊機の発着が重なって、遅延やニアミスが起こることも珍しくない。那覇空港の埋め立て申請には特に記載されていないが、官民共用によるトラブルを回避することも第二滑走路建設に踏み切った理由だと報道されている。 今や翁長与党となった日本共産党は、その機関紙「しんぶん赤旗」で「沖縄県は9日、公有水面埋立法に基づき、那覇空港第2滑走路建設に伴う埋め立て申請を承認しました。これに対し、貴重なサンゴや藻場、自然海岸が消失するとして批判の声が上がっています。さらに、昨年、閣議決定された新防衛大綱に伴う那覇空港(那覇基地)の自衛隊増強の呼び水になり、沖縄での軍拡につながるとの懸念も出ています」と報じて、埋め立てと滑走路建設に反対している(2014年1月28日付)。那覇市議会でも埋め立ては議案として審議され、可決されたが、共産党の他、社民党、社会大衆党が環境悪化や自衛隊基地機能の強化などを理由に反対票を投じている(2013年12月20日)。 2014年1月21日付「琉球新報」は、那覇空港の民間専有化を市議会が全会一致で12回も決議したことに触れながら、「専有化すれば現有滑走路で十分対応可能だ。嘉手納基地の返還が緊急対応にも早道だ」と述べる涌川朝渉市議(共産党)のコメントを紹介している。 先に取り上げた「しんぶん赤旗」の記事も、発着回数の増加が予測されるとしても、那覇空港から自衛隊を排除すれば現状の滑走路でも十分対応可能で、第二滑走路建設は不要だ、と主張している。つまり、那覇空港でも国防上の方針を問う声はあったわけだが、承認手続きの際には全く問題になっていない。 翁長知事の支持者がしばしば主張するように、辺野古についての民意は「反対」だが、那覇空港についての民意は「賛成」だから前者を不承認、後者を承認としても当然だ、という考え方もあり得る。しかしながら、公有水面埋立法の承認要件に「民意」は入っていない。仮に民意を尊重することが必要だとしても、沖縄県や名護市全体が選挙を通じて「移設反対」の民意を示す一方、直接の移設先となる名護市辺野古区など地元3区は事実上、受け入れを表明しており、どちらの民意に正当性があるかを判断しなければならない。 が、この判断も公有水面埋立法の範囲を超えている。民意は重要ではないと言っているのではない。埋め立て承認をめぐる訴訟に関する限り、民意は争点にはならないということだ。 また、辺野古では自然保護・環境保護の観点からも埋め立て承認に瑕疵があるとされたが、那覇空港第二滑走路の埋め立て工事でも、自然環境や生態系は影響を受ける。環境影響評価書に当たってみると、例えば辺野古の埋め立てで影響を受ける可能性のある重要生物は陸域79種、海域91種の計170種(事業実施区域内)。対する那覇空港の埋め立てで影響を受ける可能性のある重要生物は陸域60種、海域165種の計225種。那覇空港の埋め立てでも、生態系に影響を与えることは確実だ。 環境保全の観点から、辺野古の承認には瑕疵があるが、那覇空港の承認には瑕疵がないと言い切れるかどうか。ここでも、翁長知事側の論理が破綻する可能性は高い。 以上を勘案すると、代執行にかかわる裁判が通常通り進められた場合、仲井眞前知事の承認に関する瑕疵は認められず、翁長知事側が敗訴する可能性は高いということになる。 対立図式で報じるメディア 結果としてどうなるのか。司法の判断を仰いだとしても埋め立て工事は粛々と進められるから、翁長知事の一連の「辺野古反対」行動は水泡に帰することになる。知事の行動は事実上、「反対のための反対」の域を出ることはなく、辺野古移設は着実に進む。国と闘うフリをしながら、結果的に埋め立てを黙認することになるからである。翁長知事はそれを知りつつ、半ば「負け戦」を続けているのではないだろうか。 この曖昧な状態を可能な限り長引かせようというのが、知事の目論見だという気がしてならない。沖縄振興予算を確保しようという算段も見え隠れしている。 だが、地元・沖縄のメディアはもちろん、本土の大手マスコミも、本稿で指摘したような翁長知事や沖縄の抱える矛盾をほとんど報道しようとしない。 彼らは、「安倍政権による沖縄の民意の無視」を強調するだけで、政府との共犯関係で基地を温存してきた、翁長知事を含む沖縄の政治指導者たちの責任も追及したことはない。 私は、「辺野古移設反対」という主張そのもにダメ出ししているのではなく、復帰以来、「基地問題」を食い物にしてきた沖縄の政治的・社会的構造を批判しているのだ。「政府批判だけが基地問題を解決する」とばかり、「弱者・沖縄VS強者・日本」という対立の図式の下に報道を続けるメディアの姿勢は、基地問題の解決を徒に遅らせるだけだ。 先に触れた翁長知事の国連スピーチもほぼ同様の主張だが、ここ数年、沖縄のメディアは「沖縄に自己決定権を!」というキャンペーンを繰り返している。例えば「沖縄は植民地である」という認識を前提とした次のような記事がその典型である。 (「立法院1962年2・1決議」を引き合いに出してー引用者)《今こそ国際社会に訴えるときだ。われわれだけでなく次世代の、子や孫の命と尊厳がかかっているからだ。日米両政府が沖縄に差別と犠牲を強いる姿勢を変えようとしないから、政府任せで打開はあり得ない。解決策は沖縄の自己決定権回復しかない》「琉球新報」2014年1月3日付社説) ここでいう「立法院1962年2・1決議」とは当時の琉球政府立法院から日米両国政府に発せられた決議文で、「沖縄を日本から分離することは、正義と平和の精神にもとり、将来に禍根を残し、日本の独立を浸し、国連憲章の規定に反する不当な、ものである。(中略)われわれは、いかなる理由があるにせよ力によって民族が分離され他国の支配下に置かれることが、近代世界にいて許さるべきものでないことを強調する」という沖縄の祖国(日本)復帰を強く訴えるものであった。 社説の文面を素直に受け取ると、沖縄が求める「自己決定権」とは「独立」を意味する。基地削減が進まない責任が日米両政府にあることは否定できないが、基地反対運動や県内の利権構造が結果的に基地返還を遅らせたという意味で、沖縄の指導者たちの責任も重い。 自らの責任には目を瞑り、日米両政府に苦しめられてきた沖縄にこそ「正義と民主主義」があり、その「正義と民主主義」が実現できないから「日本人」を止めて独立するという主張を、独り善がりでご都合主義的な「沖縄民族主義」と呼ばずして何と呼べばいいのか。 琉球新報の完全なる虚言 こうした民族主義的思潮を県民に広める一方で、予算編成の時期になると、沖縄のメディアは「沖縄振興予算」の増額を要求する論陣を張るのが恒例である。今年(2015年)もそのシーズンだが、2015年8月27日付の琉球新報社説にはさすがに仰天した。 《そもそも「沖縄振興予算」と呼ぶのは適切ではない。あたかも沖縄だけが特別な財政支援を受け取っているかのような印象を与えるからだ。それは大きな間違いだ。 他県での事業は各省庁の予算に含まれる。いわば全国予算に「溶け込んで」いるのだだが沖縄は内閣府沖縄担当部局(旧沖縄開発庁)が一括計上する仕組みで、沖縄関係だけ取り出して見やすいから別枠のように見えるのだ。だがこの予算の大部分は福祉や教育など、全国横並びの、全国どこの県でも受け取っている事業費である。 復帰後40年間の沖縄関係予算の累計は、政府全体の一般会計予算総額の0.63%にすぎない。沖縄の人口は全国の1.1%だから、1人当たりで見るとむしろ全国平均より4割弱少ないのだ》 社説は「沖縄振興予算は沖縄を特別優遇するものではない。むしろ我々は冷遇されている」という趣旨だが、驚いたことに「この予算の大部分は福祉や教育など、全国横並びの、全国どこの県でも受け取っている事業費である」というくだりは完全なる虚言、大ウソである。 全国横並びの予算として配分されるのは「地方交付税」であって、大半が「国庫支出金」から構成される沖縄振興予算とは別口だ。人口1人当たりの国庫支出金で見れば沖縄県は断トツであり、その総額は3000億円台で推移している。 加えて、沖縄振興予算とは別に、基地用地の賃貸料など防衛予算として例年1200億円から1500億円ほど配分されている。沖縄県だけに与えられる税制上の優遇策もあり、これらも金額に換算して合算すれば、地方交付税を除く政府からの補助金総額は、少なくとも5000億円に達する。 沖縄県は他県よりも明らかに優遇されている。が、この社説は「冷遇されている」といって憚らない。 マスコミの「翁長知事礼賛」 一方で「基地反対!自己決定権確率!」と主張し、他方で「補助金増額!」と要求する姿勢は、琉球新報のライバル紙である沖縄タイムスも変わらない。彼らはことあるごとに「アメ(補助金)とムチ(基地)の構造に終止符を打て!」と訴えるが、自ら率先して政府にアメを求めて平然としているのである。それを知ってか知らずか、本土のマスコミは沖縄2紙の主張を無批判になぞるだけだ。 結果として「沖縄VS日本」という構造は強化され、混乱は永続化する。これによって割を食うのが誰かは明らかである。いつまで経っても危険性が除去されない普天間基地周辺の住民、知事を信じて反対運動に熱心に取り組む人々、一連の「騒動」ともいえる事態に翻弄されながらも真面目に納税を続ける一般県民、一般国民である。 「被害者面」をした「加害者」である翁長知事は、メディアという大応援団に支えられ、事実上の「埋め立て黙認」で政府に対する義理を果たし、表向き「埋め立て反対」を鮮明にすることで、共産党など支持者・支援者に対する義理も果たして無傷で生き残れるかもしれないが、周囲は深い傷を負うことになる。この騒動の間中、使い続けられる莫大な税金のことを考えるだけで、何ともやりきれない気持ちになる。 マスコミも「翁長知事礼賛」や「自己決定権」が沖縄における混乱に拍車を掛けていることにいい加減、気づくべきだ。翁長知事を「反権力のヒーロー」に祭り上げ、「沖縄の自己決定権」を称揚するのは、県民と国民に対する背信行為に等しい。
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