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2015年 12月 01日
今日から12月だ〜〜〜。(@@)
今年もあと1ヶ月、実生活では「あっ(・o・)」という間もないうちに、過ぎてしまったような感じがある。
でも、政治の世界では、「あちゃ〜〜〜っ」と叫ぶ間(ま)があった。集団的自衛権の行使を含む安保法制が成立した時にね。(>_<)
また年末にでも、今年を振り返ってみたいと思うけど。2015年は、戦後の日本にとって最悪の年になってしまった。(-"-)
戦後70年間守り続けて来た「憲法9条の平和主義」が安倍政権によって破壊されたからである。(-"-)
* * * * *
そして日本の平和主義が壊された年の暮れ、昨日11月30日に、漫画家の水木しげるさん(93)が他界した。
11日に自宅で転倒し、頭部打撲による硬膜下血腫で緊急手術をすることに。一時は回復したものの、30日未明に容体が悪化。多臓器不全で亡くなったという。
このニュースを知って、知人が「また平和主義の人が亡くなっちゃったな〜」「何だかここに来て、平和を強く唱えている大事な人たちが次々と亡くなっているような気がするよ。本当に残念だ」などとぼやいていたのだが。mewも、同じ気持ちだ。
<毎日新聞も、30日の記事に『今春、出征前に書き残した手記が見つかったことが報道された。最後まで世に問うたのは“戦争”だった。戦後70年の節目に、また一人、戦争の実相を伝える貴重な語り部が旅立ってしまった』と書いていたです。*1>
水木さんには他に類を見ない発想豊かな漫画、アニメで楽しませてもらったこと、そして、自らの体験談をもとに戦争の恐ろしさを訴えて来たことに、心から敬意と感謝をあらわしたいと。そして哀悼の意を表したいと思う。(・・)
* * * * *
mewは、「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメで育った世代で。友人と妖怪図鑑をチェックしていたのは懐かしい思い出だし。(ウルトラ・シリーズの怪獣図鑑もチェックしていたけど。^^;)主題歌をきく度に、おばけは、朝は寝床でグーグーして、学校も試験もなくて、楽しくていいな〜って、マジで思ったりとかね。^^;
今もちょうど、某保険会社のテレビCMで目玉の親父の話を扱っているのを見ても、ゲゲゲのアニメやそのキャラクターが、いかに多くの世代に愛されているかがわかる。
水木さんはその後も、妖怪に関する漫画や文章を多数書き、長年の漫画と妖怪文化への功績が称えられ、1991年に紫綬褒章、2003年に旭日小綬章を受章。2007年、『のんのんばあとオレ』によりフランス・アングレーム国際漫画祭で日本人初の最優秀作品賞などを受賞。
また幼少期を過ごした鳥取県境港市に愛着があり、「町おこし」振興策のため、93年には「水木しげるロード」、03年には「水木しげる記念館」を作ることに協力し、そのことでも評価されている。
さらに、10年には、妻の布枝さんが書いた『ゲゲゲの女房』がNHKの朝ドラとして放映され、(向井理が水木さんを演じたこともあってか、注目され)それまで水木さんの妖怪アニメに関心のなかった女性層などにも、その存在が知られることにった。(++)
* * * * *
また、水木さんは、大阪で働きながら夜間中学に通い、漫画を学んでいた21歳の時に、陸軍に徴兵され、ニューギニア方面に出征することに、ほぼすべての仲間が命を失って行く中、何とか生き延びたものの、戦傷で左腕を失うことになったのだが。その時の悲惨な体験をもとに「総員玉砕せよ!」「娘に語るお父さんの戦記」などの作品を残し、『総員玉砕せよ!』は、アングレーム国際漫画祭遺産賞、米アイズナー賞最優秀アジア作品賞をそれぞれ受賞している。(・・)
07年8月には、NHKスペシャルの終戦記念日関連特番で、『総員玉砕せよ!』を原作としたドラマ『鬼太郎が見た玉砕 水木しげるの戦争』が放送された。
さらに14年8月には、NHKの戦争体験を証言する番組のインタビュー「漫画で伝え続ける戦争体験」(ズンゲン支隊)に応じて、戦地での状況を生々しく語っている。
<詳しい内容は、関連サイトに載っているので、そちらをご覧ください。http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130006_00000 >
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『【生き延びてはならなかった最前線部隊 〜ニューブリテン島 ズンゲン支隊〜】
出来事の背景 写真まんが「ゲゲゲの鬼太郎」の作者で知られる水木しげるさんは、太平洋戦争中、南太平洋のニューブリテン島で、苛酷な戦争を体験した。
水木さんが所属していたのは歩兵229連隊。制海権を失っていたために、ニューブリテン島には、新たな補充兵が来ることなく、いつまでも初年兵あつかいで、ひんぱんに暴力的な制裁を受けながら、陣地構築の日々を送っていたという。昭和19年になるとこの部隊のうち水木さんを含む2個中隊およそ400人は、この島の東端にあった日本軍の拠点「ラバウル」を防衛するため、ラバウルの西にあるオーストラリア軍の支配地域に近い前線のズンゲンに送られることになった。
水木さんは、19年の春、ズンゲンよりさらに先にある「バイエン地区」に10数人の分遣隊の一員として派遣された。しかし、水木さんが歩哨に立っていたある夜、オーストラリア軍に率いられた現地のゲリラに襲われ、水木さんを除く分遣隊は全滅してしまう。水木さんは、一人でバイエンを脱出し、何日もかけて本隊に戻った。しかし、戻った時に、たった一人生き残ったことをなじられてしまう。
さらに、その後、マラリアに罹患し、療養中に空襲にあい、左手に大けがを負った。野戦病院で切断手術を受け、左手を失ってしまったが、九死に一生を得た。そして、昭和21年3月に故郷に復員することができた。(NHK「証言」のサイトより)』
水木さんは、初年兵として上官に毎日、殴られて、ろくな食事も与えられないまま、陣地構築のためにひたすら穴を掘っていたとのこと。
その後、ラバウルの西のズンゲンなる地域に送られるのだが。前線にいた10人の仲間が全滅することに。たまたま歩哨として、離れたところにいた水木さんは攻撃を免れて、一命をとりとめるのだが。命からがら5日かけて部隊に戻ったところ、上官から「一人生き残ったから死ね」と命じられたという。(-"-)
<当時の日本軍には、「よくぞ、一人生き残って帰って来た」という感覚はなくて。「何でひとり、おめおめと帰って来た。何で最後まで戦って、玉砕しなかった」「日本兵として恥だし、士気が下がるので、自決せよ」という感覚、考え方になってしまうのだろう。(-_-;)>
水木さんは出兵中を振り返り、「思い出とか、苦しいっていうのはね、1日じゃなくて全部そうです。全部。軍隊の中で1日でも楽(らく)っていう事はない。2年間なら2年間地獄です。深呼吸なんか出来ない。それはその期間はないです。毎日毎日が同じです」と語っている。
戦争は地獄なのだ。(**)
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水木さんは、さらに慰安婦に関して、自らの目撃談を記し、慰安婦も地獄だとあらわしていたとのこと。ちょっと長いけど、リテラの記事全文をここにアップしたいと思う。
『追悼! 水木しげるが描いていたラバウルの戦争体験と慰安婦…「80人の兵隊を相手に…あれはやっぱり地獄だ」 リテラ 2015.11.30
『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる漫画家・水木しげるが、今朝、多臓器不全のため都内の病院で亡くなった。93歳だった。
1922(大正11)年生まれの水木は、1942年、20歳の秋、兵庫・西宮で徴兵検査を受け、近眼のため乙種合格となった。今年5月に、水木が出征前に記した手記が発見され、文芸誌「新潮」(新潮社)に掲載、話題になったことは記憶に新しい。手記は断片的ではあるが、哲学・芸術に想いをめぐらせた思索的なものだった。そして、その後戦地を目前としての死生観が記されていた。
〈毎日五萬も十萬も戦死する時代だ。芸術が何んだ哲学が何んだ。今は考へる事すらゆるされない時代だ。
画家だらうと哲学者だらうと文学者だらうと労働者だらうと、土色一色にぬられて死場へ送られる時代だ。
人を一塊の土くれにする時代だ。
こんなところで自己にとどまるのは死よりつらい。だから、一切を捨てゝ時代になつてしまふ事だ。
暴力だ権力だ。そして死んでしまふ事だ。
それが一番安心の出来る生き方だ。〉(「新潮」15年8月号より)
翌年1943年4月、水木のもとに、臨時の招集令状が届く。補充兵となり、激戦地ラバウル(ニューブリテン島)へ出征。爆撃によって左手を失った。戦後、漫画家となった水木は、自らの戦争体験を元にした作品を多数発表してきた。なかでももっとも有名なのが、自伝的戦記マンガ『総員玉砕せよ!』だろう。水木が「90%は戦地で自分が見聞きしたこと」であり「最も愛着が深い作品」だという同作は、こんな場面から始まる──。
ニューブリテン島のココポという船着場で、日本軍の兵士たちが「ピー屋」、つまり慰安所の前で長蛇の列をなしている。「一人三十秒だぞ」と言う兵士。対し、慰安所の女性は「皆さんもう五時ですからおしまいですよ」と言う。兵士たちは「そんなこというなよ御国のためだ」「もう少し営業しろい」と食い下がるが、慰安婦はため息をつきながら「もう体がもたないわ……」。しかし、兵士は懇願する。
「ねえちゃんあと七十人くらいだがまんしてけれ」
同作は、最終盤に兵士たちが敵隊に突入し、全員が玉砕するのだが、最後の数ページはひとつのセリフもなく、倒れ重なる死体のカットが繰り返されるだけ。死体はやがて白骨となり、まるでゴミかなにかのように積もっていく。その静寂のなかで幕を降ろす。
(下につづく)
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
圧倒的な不条理。そこには、昨今の戦争をモチーフにした小説や映画、漫画、アニメに見られるような、ヒロイズムや勇猛果敢さ、あるいは“民族の誇り”なるものは、いっさいない。
2006年、水木は毎日新聞の取材を受けた際、「復員後、戦争を賛美するような戦記物漫画に反発を覚えたことがあると聞きました」と尋ねた記者に対して、このように答えている(8月16日付大阪朝刊)。
「戦争に行っていない人が描いている、と思った。戦争は映画みたいに都合良くいかない。それからずっとたって、『コミック昭和史』や『総員玉砕せよ!』を描いたのは、戦争を体験した漫画家として、残さなければならない仕事だと思ったからだ。心ならずも亡くなった人たちの無念。敗戦は滅亡だった。食に困らず、豊かさを味わえる現代は天国のようだ。戦争をすべきでない」
一方、同年の読売新聞でのインタビューでは、「今の日本の現状をどのように見られますか」と聞かれ、こう語っている(06年4月30日付朝刊)。
「これでいいんじゃないですか。締め付けめいたことや忠告めいたことを言ってもダメですよ。自然のままでいい。方向を決めても大したことはない。戦争中は聖なる目的で命がけでばく進したけど、このざまです。あんなに努力して、金をかけ、命まで投げ出して負け、幸せにはなれなかった。あれほどばかばかしいことはない。みな口には出さないけれど、戦争のばかばかしさは今も日本国民に染みついていますよ」
ところが、2015年、安倍政権下の日本を見ていると、どうにも、この国はまたしても戦争へ向かっているような気がしてならない。それは、為政者が「未来志向」の名の下、戦争の“負の遺産”を消し去ろうとしていて、しかも、人々の心の中にまでその空気が広がりつつあるからだ。たとえば先日も、自民党で歴史認識問題に取り組む「国際情報検討委員会」の原田義昭委員長が、「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている」と発言した。いま、安倍政権は明らかに歴史の修正に舵を切っている。
しかし、水木が『総員玉砕せよ!』で描いているような場面は、決してフィクションではない。慰安婦は事実存在しただけでなく、彼女たちが強いられた行為は、まさに非道としかいいようのないものだった。水木は別のコミックエッセイで、ココポでの慰安婦をより詳細に描いている。『カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る』(小学館)に収められている、8ページの短いマンガ。タイトルは「従軍慰安婦」だ。
年老いた水木が、書斎で戦争中、ココポでの出来事を回想する。水木青年は、上等兵に「お前も行ってこい」と言われる。以下、水木のモノローグ。
〈というようなことでピー屋の前に行ったがなんとゾロゾロと大勢並んでいる。
日本のピー屋の前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。
これを一人の女性で処理するのだ。
僕はその長い行列をみて一体いつ、できるのだろうと思った。
一人三十分とみてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらい、かかるはずだ。
しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし……
いくらねばっても無駄なことだ。
僕は列から離れることにした。
そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。
ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。〉
朝鮮人慰安婦が便所で用を足すところを見て、水木は「はァ」と目を見開く。そして、頭を抱える。以下、再びモノローグ。
〈とてもこの世の事とは思えなかった。
第一これから八十くらいの兵隊をさばかねばならぬ。
兵隊は精力ゼツリンだから大変なことだ。
それはまさに“地獄の場所”だった。〉
場面はかわって、現代。書斎の椅子で目をつむる老いた水木は、〈兵隊だって地獄に行くわけだが、それ以上に地獄ではないか〉と物思いにふけている。
〈よく従軍慰安婦のバイショウのことが新聞に出たりしているが、あれは体験のない人にはわからないだろうが……
やはり“地獄”だったと思う。
だからバイショウは、すべきだろうナ。
……といつも思っている。〉
水木しげるは、決して「平和」や「護憲」を大声で叫ぶようなタイプではなかった。だが、多くの子どもたちからも愛される国民的作家であった一方で、こうした戦場の悲惨な現実を、もくもくと漫画で表現してきた作家でもあった。
水木はこの夏の安保法制の強行を見て、何を思ったのだろう。広がる歴史修正のイヤな空気を吸いながら、どう感じていたのだろう。もっともっと生きて、その記憶と思いを伝えてほしかった。その死を惜しみつつ、掌を合わせたい。(宮島みつや)』
* * * * *
戦争体験者、特に実際に兵士として戦場を体験した人たちが、高齢になって、どんどん少なくなって行く中、このように積極的、具体的に戦場の悲惨さを伝えてくれる人がいなくなるのは、本当に残念だし。
その分、私たちが何らかの形で、その体験談を伝えて行くように努めなければと、そして安倍政権が9条の平和主義を破壊した部分を何とか修復したいと改めて思ったmewなのだった。(@@)
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