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政界地獄耳 疑獄と浄化の“還暦”自民
http://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/1573096.html
2015年11月30日8時1分 日刊スポーツ
★戦後のほとんどの時代を政権与党として過ごした自由民主党も今年で結党60年。1955年の保守合同により自由党と日本民主党が合併。同年、分裂していた野党第1党の社会党も右派と左派が再統一。55年体制がスタートする。その間、60年の安保闘争を乗り越えると高度成長の波に乗り自民党は安定期に入り、国民は戦後の終焉(しゅうえん)を意識し、生活は一億総中流社会へと転換していく。
★しかし、70年代に入ると日本列島改造論を引っ提げて首相・田中角栄が登場。自民党人気は沸騰する。それもつかの間、石油ショックと田中金脈疑惑、ロッキード事件と自民党は党内外で危機にさらされる。田中人気が陰り、選挙で過半数を割り込み、時代は保革伯仲時代に突入する。河野洋平率いる新自由クラブとの連立政権で過半数を維持して首相・三木武夫、福田赳夫で乗り切った。首相・大平正芳は79年に大型間接税導入を訴えるが、衆参ダブル選挙中に病死。結果議席は安定多数に戻った。
★80年代はロッキード事件の被告人となった田中が離党後も闇将軍として党内に君臨。田中排除が大きなテーマとなった。中曽根は戦後政治の総決算を掲げ、国鉄、電信電話、専売公社などを民営化。88年にはリクルート事件が発覚。89年、昭和天皇崩御。
★90年、竹下内閣で大平時代からの懸案、消費税導入。92年には佐川急便事件発覚。自民党の劣化が叫ばれる。93年、細川連立内閣が発足し小選挙区比例代表並立制など政治関連法を成立させ55年体制崩壊。その後、少数与党の羽田内閣を倒して自民党は社会党、さきがけと自さ社政権発足。政権に復帰。その後、自由党との連立を経て公明党との連立に落ち着いている。振り返ると、それぞれの時代にひとかどの政治家がいたことがわかる。また、疑獄事件で浄化を繰り返したこともわかる。これからの自民党はどんな道を歩むのか。(K)※敬称略
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