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なぜ日本の政治はこれほど「劣化」したのか? 幼稚な権力欲を隠さぬ与党とセコい野党 特別対談 島田雅彦×白井聡
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46619
2015年11月29日(日) 島田雅彦,白井聡 現代ビジネス
島田雅彦氏の話題の新作『虚人の星』は、「血筋だけが取り柄」の首相と七つの人格をもつスパイの物語だ。この首相はかぎりなく「あの人」を思わせる。島田氏は現在の日本政治が抱える問題をどう見ているのか? 政治学者・白井聡氏との特別対談です。
■総理の無意識を読む
島田雅彦 本日は『虚人の星』刊行記念、白井聡さんとのトークイベントにお越しいただきありがとうございます。白井さんは、今の政治の劣化した状況には義憤をかなり抱いていらっしゃるでしょうから、まずはそのあたりから伺いたいと思います。
白井聡 おっしゃるとおり、基本の基本を確認しなければいけないような危機的状況になっています。下っ端の党員の劣化が激しいのは勿論、閣僚クラスからも垂れ流し的にどうしようもない発言が出続けています。
例えば中谷元防衛大臣が「憲法を法律に合わせるんだ」と言ったり、安倍首相が「ポツダム宣言を詳らかに読んでいない」と言ったりと、普通に考えれば一発で政治生命を失うようなことが平気でまかり通っている、恐ろしい世の中になってしまいました。
白井聡氏
政治の劣化というのは昔から言われてきましたが、これまでとは全然レベルが違う何かが起こっているのは確かです。そんな状況で、「立憲主義というのは基礎の基礎なので守ってもらわないと困りますよ」という話をいろいろな学者がしているのですが、僕としてはその中でも、政治のリビドー分析のようなことが自分の仕事だと考えています。
「政治」という言葉で多くの人がまずイメージするのは、自己利益をどう拡大するかということです。自己利益の最大化を目指しつつ妥協すべきところでは妥協するということで、利害の計算があってもろもろの決定がなされる、それが政治の基本だと思われています。仮に政治がそれに尽きるとすれば、政治ってそんなに難しいものじゃないし、戦争も起きずに済むわけです。
ところが現実の政治はもっと複雑なもので、当然利害の計算はしますが、計算を突き動かしている、より原初的な欲望というものがある。ただ、それはどういう欲望なのかは当人にもよくわからない。
このようなメカニズムを先駆的に指摘したのが、ジークムント・フロイトで、それを彼はリビドーと呼んだわけです。要するに人間が意識化できることは氷山の一角で、その下の部分は全然わからない。そのわけのわからないものに突き動かされて人間は動いているのだと。
この見方を政治に当てはめると、政治を突き動かしているのは、そのわけのわからない部分で、それが大きくて強力なんだと思うんですね。僕としてはそこを読むということを、政治学者としての自分に課しています。
例えば、政府が発表する、あるいは安倍晋三が総理大臣として発表する言葉、言葉遣いを読んでいく。その具体的な内容よりも、言葉の端々に表れる、おそらくは本人ですら気づいていない欲望の表れみたいなものを読んでいくんです。
実はその欲望というのが、今の政治の在り方、動き、方向性というものを根本的に動機付けているものなんじゃないかというのが僕の見方です。
そう考えると、少し文学者の仕事に近いものがあるのではないかと思ったりもします。今回の島田さんの新作『虚人の星』は、安倍首相の無意識を読むようなところを意図されているようにお見受けしたのですが、いかがでしょうか。
島田 この小説は二人の人物の一人称で書かれていますが、一人称はその人が抱え込んでいる欲望や無意識を一番さらけ出しやすい。何しろその人物に憑依して、洗いざらいぶちまけさせるのだから、小説家は他人の無意識に入り込むスパイみたいなものです。
島田氏の新作長編『虚人の星』
これまでの日本では大人の保守というものが機能していて、「それを言っちゃおしまい」ということはなかなか口にしませんでした。
本音と建前を使い分けて、心の深いところでは大きな野望や欲望があっても、おくびにも出さずに表面的には世論をちゃんと観察して、今ここでやりすぎると支持率が落ちるから抑えておく、という自己抑制が働いていたんですね。
ところが今は誰もが「右翼小児病」で、みんな大人であることを積極的にやめようとしていて、ものすごくシンプルに欲望をさらけ出しています。
まだ辛うじて一部のマスメディアやSNSも機能していますから、身もふたもないことを言った時にはみんなで責めるんですけどね。でも言った本人はもともとずっとそう思っているので、「何が悪いの」という感じで、自分の言葉がどう受け止められるかということの認識すらない状態です。
ですからある意味ものすごくわかりやすい。乱暴だけどシンプルでわかりやすい言葉は、あまりものを考えないで暮らしているような人々には妙に受けますからね。そういう極端な存在というのは過去にもいたし、もっと右翼的な欲望をモロに言うことを芸風とする人たちもいました。
そういう欲望の発揮の仕方がストレートすぎると左翼が怒るわけですけど、左翼の側に弱さもあって、彼らは常に有権者の側にいるというスタンスを取るんですが、その分、権力欲が弱い。
一方右翼の方は、すごくわかりやすく権力欲に凝り固まっている。もともと自民党というのは地方のボスの集まりで、全国区である自民党内で重要なポストを占めることができれば、彼らの権力欲、自己実現は達成されるので、そこに向けて努力する。
そのためにとりあえず誰もが安倍首相率いる政権の中で、安保法制を通すことに全面的に協力して、そこで何らかの功績が認められれば今のポストを続けられるし次もあるという、ほとんど近視眼的な野望が行動になって表れています。
■野党のセコさ
白井 小選挙区制になって権力が党中央に集中するようになったという事情もあるんですけど、制度論だけではつまらないし、結局は制度がどうであろうが、最終的には人の根性の問題なんです。要するに、こんなものすごく近視眼的な状況でいいんでしょうか、ということですね。
野党の方はどうなのかというと、島田さんは彼らの権力欲が弱いとおっしゃいましたが、僕はどうもセコいと感じます。
最近、原彬久さんという戦後日本政治史を研究されてきた先生が書いた、『戦後史のなかの日本社会党』(中公新書)を読みました。社会党が社民党に党名変更をして議席を大幅に減らしていって、今日につながる没落期に入った時代に書かれた本です。
原彬久『戦後史のなかの日本社会党』中公新書
これを読んで、僕は自民党は大嫌いですけど、社会党も別な形でダメであるという感想を持ちました。それは何故かというと、高度成長期にいわゆるマルクス主義の古典的な理論が通用しなくなってくる。
例えば、古典的理論の命題の一つに、資本主義社会が発展すればするほど労働者階級が貧乏になり、一部に富が集中していくという「窮乏化法則」があります。高度成長期になると、この命題は明らかに現実と合致せず、みんな豊かになってきたという実感が広がってきます。
そういう中で、どうしたらいいのかと。当然社会党の中でも考え方を変えるべきだという意見が出てくる。古典的理論の命題のいくつかを見直して、労働者階級の政党ではなく大衆政党へと方向転換しなければいけない、と構造改革派と呼ばれた人たちが言い出すわけです。
その筆頭が江田五月さんのお父さんの江田三郎さんだったわけですけど、何がひどいかというと、党内では江田理論が正しいことをみんな納得していたというのです。しかし実際には絶対に江田三郎を党首(委員長)にさせなかった。
原因は派閥対立で、過去の因縁や経緯から絶対に江田三郎を担ぎたくないという人がたくさんいたために、党の基本方針の転換ができず、実は誰も信じていない古典的マルクス主義に固執することになった。このことは、日本における社会主義がほとんど死んでしまったことの原因のひとつです。
天下を取るためなら、正しい考え方に乗るべきなのに、党内でそれぞれの子飼い勢力を抑えているプチボスが、自分たちの立場をまず維持したい。そのためには正しいとわかっている事でも反対すると、こういうセコい発想ですね。
実は自民党側でも、田中角栄なんかは「江田がもし社会党を掌握したら、自民党政権は危ういかもしれない」と一番恐れていたと言われています。日本の政治家たちの欲望の矮小さに、本当にうんざりするんですね。
島田雅彦氏
島田 もともと社会党と自民党が大きな対立の構図を作って政治をやっていた1980年代くらいまでは、自民党の中にもちゃんと派閥があって、自民党内に政治的なオルタナティブも確保されていた。保守本流と非主流派、護憲派と改憲派、ハト派とタカ派というように。それで自民党内でも政権交代がある。
社会党はその補完的な役割ということで、たとえば反安保闘争をやったときに、野党の最たる社会党がデモを盛り上げると、国内でこんなに反対世論が高まっていますから、と言ってアメリカの要求を多少はマケてもらえる。
そうした与野党がタッグを組んでの寝技が成立していた。自民党の中に社会党と通じている左派、社会党の中に自民党に通じている右派がいたわけです。
それが今は民主党にスライドしていて、民主党政権の時代もそうだったように共産党との選挙協力などあり得ないと、プチ自民をやろうとする。一応左派の旧社会党の議員がいても民主党内で軋轢が生じて、セコい権力闘争で空中分解して今日に至っています。
反自民の野党勢力の結集というのは、大変ハードルが高いのだけれども、今まで共産党が唯我独尊でやってきたのをちょっと譲歩しようとしていることは、微妙に今までとは違うのかもしれません。
本当に自民党の政権が危険すぎるので、ない袖はふれない状態の中でやれることは何かというと、ベルルスコーニを絶対に首相に返り咲かせるなという方式の、イタリアにおける中道左派連合を日本に実現させるしかないということになっていると思います。
■「プロレス政治」の自立性
白井 いわゆる五五年体制の政治というのは、冷戦構造のミニチュア版だと言われますが、談合政治というか、プロレスだったんですね。
象徴的なのは、自民党が結党された時はCIAからの巨額の工作資金が入っていて、ある意味アメリカの出先機関であるという性格を持っていた。
では社会党はどうだったかというと、こちらも元々は反ソだったわけですね。ソ連万歳、ソ連べったりの共産党とは違って、あくまでソ連に対しては批判的なんだ、自分たち独自のやり方で社会主義の道を切り開いていくんだという考え方だったのが、ソ連と日本共産党の仲が途中で悪くなっていくなかで、いつの間にかソ連に接近していって、中国共産党にも接近していく。
こういうわけですから、冷戦構造の中で、自民党はアメリカの、社会党はソ連や中国の出先機関で、一体どこに自立性があるんだというような状況だった。ですが、これが不思議なことにマイナスとマイナスをかけるとプラスになるみたいな話で、こういうプロレス構造だったからこそ実は相対的に自立性があった。ポイントは傀儡でも、「ゆるい傀儡」だということなんですね。
島田さんがおっしゃったように、アメリカから日本に対して、「こうやれ」という要求があったときに、これは呑めないなということに関しては、自民党は伝家の宝刀を抜くことができた。平和憲法と社会党が強力で、「親分のおおせ付けに従いたいのは山々なんですけど、国内でうるさいのがいまして……」と最高の言い訳として使える。
他方、社会党はソ連から強い影響を受けているとはいえ、ソ連が社会党に、日本で共産主義革命を起こさせてソ連の衛星国にしようとしたかというとそんな要求はなくて、これも傀儡関係が緩かった。
緩い傀儡同士の二つの党が、「大体この辺が日本の国益だよね」という落としどころを見出すことができて、自立性がそれなりに担保される、マイナス×マイナスはプラスになる、そういう状況だった。
面白いのは、ねじれ国会が問題になった時に森喜朗さんが、昔はよかったという話をしていたんです。五五年体制の頃は話が決まっていたと。
当時はイデオロギーの対立の時代だったから、我々政府与党としては法案を出す、それに対して社会党は批判をしてくる。ある程度の時間をかけて批判をさせると、むこうとしてもメンツが立って、この辺が落としどころだよねというところで可決させてくれると。どうしても納得いかないというなら、官邸機密費から金を出して握らせることで話をつけていたんだと。
まさにプロレス政治ですね。
ところが今は決まらなくなった。なぜかというと、イデオロギーがなくなったからだと森さんは言うんです。
イデオロギーがなくなったら、争いは思想闘争じゃなく純粋に物取り競争になる。純粋に物取り競争になると妥協ができなくなり、喧嘩が永遠に続いて何も決まらない。実に嘆かわしい、イデオロギーは必要であると、あの森喜朗さんがイデオロギーの重要性を言っている。
そういう奇妙な状況が展開されているんですが、日本の政治の構造が本当のところどうなっていたのかが、今日の視点から見るとすごくよくわかるようになってきた。では今その対立はどういう形でスライドしてきているかというと、民主党内のある一部は自民党の別動隊なんです。この人たちを民主党が切れるかどうか。そこまでの腹が岡田党首にあるか、どうもそこが怪しいのですが、我々としてはそうなるように岡田さんを追い込んでいくしかないのかと思っています。
それにしても苛立たしいのは、沖縄などとは違って、国政では本当の形での政治的対立の構造がちゃんと形成されないことです。わけのわからない形で雑多なものが並立してしまう。島田さんが『虚人の星』で、七つの人格をもつ人格分裂の人物を出されているのは、そういう状況を意識されているのでしょうか。
島田 政界再編とか言われていたころに、自民党と民主党でトランプのカードのシャッフルみたいにかなりの人員の入れ替わりがあったわけですね。
だから今の自民党は表面的には一枚岩みたいに見えていても、こんな法案を強引に成立させて、ずっとアホの首相の顔色を見ながらやっていくことは憂鬱でたまらないという自民党員もいるはずです。現に公明党にはいるわけですね。そうした中で劇的なシャッフルが起きる可能性も、無きにしも非ずかなと。
十数年前、小泉純一郎総理をかついで自民党が奇跡の復活を遂げたということがあって、実は当時、変人・小泉は自民党の中でもてあまされていたから、民主党の方に小泉を引きずり込んで、彼をかついで選挙に勝とうというアイディアを持っている人もいたようですが、それは実現せず自民に先を越されたわけです。
あの変人を担ぎ上げたことによって、自民の長期政権ができた。今はその息子が自民の支持率を高くしている陰の功労者で、今回は自民党執行部を批判していたから閣僚になっていないけど、次期もしくは次々期閣僚と言われているでしょう。
だからこういうカードを取っちゃえばいいんですよ。権力を奪取することができないなら、そのくらいの寝技を使えよ、と言いたいところです。逆に、自民党のスパイみたいな民主党員は、自民党に放せばいい。
でも基本的に、イデオロギー闘争を終えた後の日本の政治家は数合わせの要員でしかないので、ご都合主義を徹底できるわけです。しかも彼らはそれを悪いとは全く思わないし罪悪感も抱かない。これは一種の天才だと思うけど、あるいはそういう人格解離を政治という生々しい現場で思いっきり活用しているようにも見えます。
(後編につづく)
2015年10月9日 紀伊國屋書店新宿本店にて
『群像』2015年12月号より
島田雅彦
1961年、東京都生れ。東京外国語大学ロシア語学科卒。1983年『優しいサヨクのための嬉遊曲』を発表し注目される。1984年『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、1992年『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、2006年『退廃姉妹』で伊藤整文学賞を受賞。著書に『僕は模造人間』『エトロフの恋』『フランシスコ・X』『佳人の奇遇』『悪貨』『ニッチを探して』など。 最新刊は『虚人の星』『優しいサヨクの復活』。
白井聡
1977年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員等を経て、京都精華大学人文学部専任講師。専攻は、社会思想・政治学。著書に『永続敗戦論─戦後日本の核心』 『未完のレーニン』など。最新刊は『「戦後」の墓碑銘』。
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