1. 2015年11月25日 10:52:32
: OO6Zlan35k
【第192回】 2015年11月25日 熊野英生 [第一生命経済研究所経済調査部首席エコノミスト] 1億総活躍より年功賃金回復を目指す 「豊かな社会」の処方箋 熊野英生・第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミストシニア層や女性が働き易い環境をつくることだけで、本当に「豊かな社会」は実現できるのか 新・三本の矢が目指すものは、「1億総活躍社会」だという。このフレーズを最初に聞いた瞬間、直感したのは“社会保障や税控除をこれから縮小せざるを得ないから、全員が働きましょう”という暗喩ではないかという印象を持った。公的年金の支給開始を65歳からさらに引き上げ、配偶者控除の廃止、という政策メニューが脳裏をよぎった。 さすがに、現時点で安倍首相が表立ってそんな内容を公言しているわけではない。「子育て支援」や「安心につながる社会保障」といった新しい矢の内容は、先入観とは違って社会保障の充実を指している。 ただし、それで安心するのは早計だろう。子育て支援は、働く女性が仕事と子育てを両立するための保育・子育てサービスの拡充である。安心につながる社会保障の例示としては、介護離職ゼロが挙げられている。親族の介護のために仕事を辞めなくてもよいようにサポートするのが、介護離職ゼロの意味である。ともに、女性やシニア層が労働参加できる環境づくりのことを「1億総活躍」と言っている。 女性やシニア層の労働参加で 「豊かな社会」は本当に実現可能か? 筆者が問いたいのは、女性やシニア層が積極的に労働参加する未来によって、本当に「豊かな社会」が成し遂げられるのであろうかという点である。すでに明らかなのは、社会保障制度は守備範囲を狭めて行かざるを得ないという未来図である。消費税率と社会保険料率を大幅に引き上げて、制度の現状維持を目指すシナリオは、政治選択において現実味がない。早晩、社会保障サービスは手薄になって行かざるを得ない。そこを自助努力で補った方がよいと考えて、安倍政権は労働参加を奨励するのだろう。 その一方、社会保障がなぜ手薄だと感じられるのかという部分を、もっと根源的に考える必要がある。子育てや介護の負担は、これまでは家族内で負担してきた。その重みがゆえに、家族の負担を保育施設や介護施設などの公的サポートで軽減したいと多くの人が感じている。 もっとも、誰もが知っているのは、サービスを積極的に利用すると、経済負担が大きくなることである。問題は、女性やシニア層が積極的に働いて、家族の役割をアウトソースすることが十分に可能かどうかである。 筆者は、限界があると考える。女性やシニア層の多くは、非正規雇用を選択して就労せざるを得ないことが限界の理由である。もちろん、女性やシニア層が、正規雇用で就労できて、もっと高い給与所得を得られればよいが、正社員を選択すると仕事の時間を優先せざるを得なくなり、家族の役割と仕事の両立が困難に思える。結果的に、非正規雇用を選択するということになりがちである。 問題の本質は、時間的制約が大きいと正社員になれないことと、短時間でも十分な所得が稼げる非正規雇用の就労機会が圧倒的に乏しいところにある。ここに果敢に切り込んでいないと、「1億総活躍社会」に諸手を挙げて賛成できない。 伝統的な世帯の所得形成力 世帯主の収入を増やすのが肝心 家族の負担を考えるとき、保育・介護費用を賄っていく最大の所得基盤が何かと言えば、本来は世帯主の所得である。世帯主が30、40歳代と年齢が上がっていく中で、所得水準が上がっていけば、子育て費用や介護費用を捻出することも、より有利になっていく。女性やシニア層が無理に就労する必要性も低下していく。 最近の経済データを調べてみると、それとは逆の現象が起こっていることがわかる。世帯の収入を増やすために、1世帯当たりの有業人数が増えていき、それでも世帯収入はそれほど増えないという現象である(図表1参照)。消費税が増税されて、配偶者が働く割合が急に高まった。つまり、これは世帯主の収入が増えないから、家族が総出で所得を稼がざるを得なくなっているということだ。労働経済学では、「ダグラス・有沢の法則」と呼ばれる経験則である。 世帯の有業人数が増えても、世帯収入が全体として伸びないのは、増えている雇用が非正規雇用であり、大きな所得増加が見込めないからだ。世帯主の収入が増えていかないと世帯主以外が働かざるを得なくなるという関係を、乗り越えていかなくてはいけない。
「豊かな社会」を 目指すための3つのポイント では、「豊かな社会」を実現するにはどうすればよいのか。誤解を恐れずに言えば、昔のように年功序列※の範囲をもっと増やすことが肝要である。世帯主の収入が圧倒的に高くなり、しかも年々賃上げが継続されて、世帯主収入の上昇が見込まれるのが理想である。ただし、「昔に戻れ」という理念を唱えるだけでは、経済構造がすでに変化してしまった現在から、時計の針を単に正反対に回すことは不可能である(※年功賃金制度の復活は、終身雇用制度の復活ではない)。 「豊かな社会」の処方箋としては、現時点での経済構造を前提に、どこを修正すれば新しい理想を取り戻せるかを示すことである。具体的にその処方箋を描くと、次の3つが重要になる。 (1)若年雇用を中心に、非正規雇用を正社員化すること (2)若年の技能労働者を増やして、活発に教育投資を行い、年齢ととも生産性が高まるようにすること (3)年功賃金カーブをもっと急勾配にすること ほとんど説明を要しないかもしれないが、正社員の比率が高まれば、時間の経過とともに給与水準は上がっていく(図表2参照)。正社員・男性の場合、20〜24歳の給与水準が100だとすると、30歳代前半に158、40歳代前半に220、50歳代前半に281と大きく増えている(2014年)。 年功賃金カーブは、30〜55歳の部分で、2001年から2014年にかけて約1割ほど傾きが緩やかに変わった。それでも、カーブ自体は存続されており、若い正規雇用者が増えれば、マクロの所得拡大が見込まれる流れができる。問題は、そうした対象となる正社員の数が十数年間で絞り込まれていて、勤労者全体のマクロの所得形成作用が弱まっている点である。
またベースアップは、正社員の給与水準を年々引き上げるのに有利な仕組みである。年功序列の賃金体系は、生活給思想に裏付けられており、かつての日本経済はこの体系が活かされていたから、ある程度の豊かさを享受できた。 企業は正社員の賃金体系の 再構築を目指すべき それが破壊されたのは、デフレ経済もあるが、企業内の人口ピラミッドが逆三角形になって、中高年の高賃金を負担できなくなったことが理由である。もっとも現在は、団塊世代前後の年齢層が退職して、正社員の人件費負担はずっと軽くなっているはずである。若手の正社員の人数も少なくなり、ベースアップによる人件費増加も限定される。若手の非正規雇用者を正規雇用にして、雇い入れる余地もある。 経営者が躊躇するのは、デフレ経済が長期化して、過去のトレンドが根強く残存している効果(履歴効果)によると考えられる。現在の賃上げは、企業収益(=成果)に応じて支払われる体裁を採っているが、ベースアップ率が先行き不安によって抑制されがちになる仕組みをどう修正するかが課題になる。 筆者は、単に労働力を増やせという方針よりも、世帯が豊かさを獲得するために、正社員の賃金体系の再構築を目指すことが優先されてよいと考える。 http://diamond.jp/articles/-/82159 |