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共産・不破前議長会見詳報:良くも悪くも補完政党、オールド自民党礼賛:「ルペンと安倍さん一緒にしたら安倍さんがかわいそう」
http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/143.html
投稿者 あっしら 日時 2015 年 11 月 25 日 02:22:15: Mo7ApAlflbQ6s
 


 歴史観や国家観は根底から違うが、現実政治の方向性として、不破さんと安倍さんの距離は意外と近い気がする。(共産党が価値観的に民族主義や国家資本主義に近づいていったことが主因)

 両者は、「戦後レジームからの脱却!」をめざす点で似た者同士なのである。

(戦後レジームとは「対米従属」のことだが、対米従属からの脱却を明示するか面従腹背で済ましこそこそめざすかという手法の違いが大きい)

 それにしても、不破さんの話は、安倍さんはダメ過ぎ!ということを強調したいのかもしれないが、いわゆる「冷戦期」の自民党政治をそれなりに良かったとする懐古趣味で満ちている。

(共産党自身の政治史を語ると、恥ずかしいものになってしまう。共産党にとっても、「冷戦期」が安住できる政治環境だった)

 今は昔だろうが、革命組織共産党への恐れがあり、自民党政権を中心に、共産党の政治的力をできるだけ抑え込もうとしてきたが、企業内労組と官公労に依存し理論も貧弱な社会党より、政権が取れない政権に参加できない共産党とペアを組んで「55年体制」を進めていたほうが、もう少しましな日本になっていたかもしれない。

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2015.11.24 20:48更新
【共産・不破前議長会見詳報(1)】
「昔の自民党には幅があった」

 共産党の不破哲三前議長が24日、都内の日本記者クラブで記者会見を行った。安倍晋三首相を「ウルトラ右翼の潮流」などと批判した不破氏は現在85歳。約1時間40分間にわたって話し続け、田中角栄元首相と国会で対決した昔話などにも言及。同クラブでの記者会見は10年ぶり、他の記者会見を含めても5年ぶりという久々の舞台で怪気炎を上げた。会見の詳報は以下の通り。

 「10年ぶりで大変懐かしい。自民党政治の懐かしい話をしたい。自民党政治全体だが、自民党は60年前に誕生した。長い変遷を経ているが、全体として世界の資本主義国の中でも異常な特質を持ったまま生まれた極めて例外的な政党だ。その例外は3つある。1つは、財界との関係だ。財界直結が極めて異常だ。どこの資本主義国でも保守政党といえども、やはり自分の国の経済を守る責務があるので、長期的な目標がある。その目標が財界のその時々の利益にかなわなくてもやるだけの覚悟をもって政治にあたるのが普通だ。ところが日本の場合は、目先の財界の利益に政治が直接奉仕するのが当たり前だ。極めて異常なことだ。昔マルクスという人物がイギリスで10時間労働法ができたときに、資本の搾取力を制限できる力は国家の強制だけだと。これなしには資本主義そのものが壊れてしまうと言ったことがあるが、その国家の強制が発表されたのが1851年だった。しかし、それ以来、そういう社会的ルールを世界の資本主義国ではどんどん発展させてきたが、日本では肝心の労働時間の問題を含めても徹底的に遅れている」

 「第2の異常は、アメリカとの関係が完全な従属関係にある。だいたい世界に、治外法権をもった米軍基地がこれだけ大規模に存在している資本主義国はほかにない。また、戦後の長い歴史の中で、アメリカの国際行動に対して一度もノーと言ったことがないのも日本しかない。この2つをみても、この異常さが分かる。20世紀末、ヨーロッパのある雑誌で、こういうことが問題になった。資本主義の国々がアメリカの支援の元に団結していたのは、ソ連との対決があったからだと。そのためにいや応なしにアメリカを首領にして団結していたが、その条件がなくなったのに、なんで日本はいつまでも冷戦時代の言いなり体制を続けているのかと。例えば、イラク戦争が始まったときに、ドイツやフランスが反対したが、こういうことは今では資本主義社会では当たり前なのに、依然としてアメリカの行動にはノーと言えないのが日本の政治の常識だ」

 「3番目の異常は、日本が加わった侵略戦争に最初から根本的な反省をしないまま推移している政党だ。私は実は田中角栄内閣のときに、田中首相が中国に行って日中国交回復してきたときに、表面的には反省する共同声明が出たので、ここまで来たら日本の戦争の性格について一定の認識を持ったのだなと思って、帰ってきて国会の予算委員会で質問したことがある。あなたは中国に対する日本の戦争を侵略戦争と認識しているのか、と。そしたら答えに驚いた。こんな問題を私が言えるか、という。そこから有名な、後世の歴史家が結論を出すことだ、と。私が軽々しく結論を出せる問題ではないという答弁だった」

 「しかし、それは1990年代には村山富市首相談話とか、中国の江沢民国家主席が日本を訪問したときの1998年の小渕恵三首相との共同声明とかの中で、明確に否定されて、小渕さんは中国に対する侵略戦争という言葉まで明確にうたわれたが、今ではその転換さえ否定されて、戦争肯定論が政権の主流で、まかり通っている。これも世界に例のない事態だ。だいたいヨーロッパのヒトラーの侵略戦争は1938年のオーストリア併合から1945年までの7年間だった。日本のアジア侵略戦争は、日清戦争から太平洋戦争の終結まで50年におよぶ侵略戦争だ。それについてこういう態度をとった政治がいまだに日本では生きているということは、世界の異常の一つだと思う」

 「しかし、それでも以前の自民党は、一方で保守連合的な性格を持っていたから、政策にも私たち野党にとっても一定の幅が感じられる場面が何回かあった。例えば、田中内閣のときにいろいろ論戦した。1974年の予算委で、私は当時、石油ショックで国内の物価つり上げ、売り惜しみが横行し、対策の決め手として、田中内閣が価格調査官という制度を設け、経済政策の売り物だった。341人も調査官に任命したという宣伝だった。私たちは質問前に、調査官に任命された役人に電話で実態調査した。任命されてから何かやったか、と。やっていないという答えが大部分だ。毎日市場に行っているという人が1人いたが、あとは任命されたが、自分の本来の仕事があるので何もやっていないというのが大部分の答えで、中には任命されたことに気がついていない人もいた。担当の通産相は中曽根康弘さんで、いろいろ弁明したが、さすがに田中首相はまずいと思ったのか、置くなら専任調査官を置けという私の主張を取り上げて、真剣に検討すると約束した。翌日の閣議で専任調査官を任命する方向に変換し、1週間もたたないうちに75人任命してみせた。こういう幅があった」

http://www.sankei.com/premium/news/151124/prm1511240015-n1.html


2015.11.24 20:51更新
【共産・不破前議長会見詳報(2)】
「安倍首相は正面から過去の戦争を評価している」

 「当時は予算委のトップバッターは2時間半から3時間が当たり前で、いろいろな質問をしたが、原子力潜水艦の日本寄港問題を取り上げた。60年代に始まったが、原潜が放射能汚染する危険があるので、日本政府は厳重な放射能調査をするということになっていた。おかしいということで、科学調査局に毎回原潜が出ると報告が出てくる。報告は、原潜が出している放射能を調べ、グラフにしている。それを全部取り寄せて調べると、意外なことに気がついた。72年8月入港のフォークビルという原潜が、8カ月前入港の別の原潜とカーブが同じだった。それをごまかすために政府に報告するときに縮尺を長くしたり短くして、一見分からないようにして出しているが、あわせると完全に一致している。不思議なことに10枚ずつある。要するに1回で10隻分の原潜に間に合わせるのが慣例になっている。旭化成みたいなものだ。データの偽造だ」

 「これを突きつけたら、弁明しない。田中首相は『私も若いときには理化学研究所に勤めていたので、科学のことは分かるんだ』といって。重大な問題として、『遺憾なきを期するよう万全の態勢をとりたい』ということをその場で示した。今まであった調査機関を閉鎖し、改めた。しかしいろんな環境調査をやっているところにしたので、相当な時間がかかる。その間、原潜の寄港をぴったりとやめた。後で米政府が公文書を公開したので調べたら、ちょうどこの時期に米側から日本に抗議の文書がうんと来るんですね。当時の国務長官はキッシンジャーだった。その名前で、『日米安保条約の事実上の廃棄に相当する』と。一刻も早く転換せよというものすごい厳命だ。それでも、ともかく新しい体制ができるまで183日間、原潜を入れないでがんばったというのは自民党政府としてはなかなかだったと今思っている。そういうことがあった」


 「それからもう一つ記憶にあるのは福田赳夫内閣。1978年だが、千葉県の柏に面積188ヘクタールの巨大な米軍基地があった。野原だが、そこに米国の通信基地をつくる計画があり、両政府が合意した。これは漁船も利用できる通信基地なので平和の灯台だと宣伝していた。しかし調べたら原潜のための通信基地だった。原潜が自由に行動するために、なくてはならない通信施設で、当然核戦争になれば相手側の最大の攻撃目標になる。通信の中枢だから。調べたら、これを米国は世界に23カ所置いた。本国8カ所、海外15カ所。どこの国を調べてもほとんど人のいない僻地にあった。ノルウェー大使館に行って名前を聞いたら、だれも知らない。地図で見つかったが、北部海岸の僻地でほとんど人口のないところ」

 「ところが日本では首都圏のど真ん中に置こうというわけだ。半径10キロ以内に100万人の人口のあるところに危険な基地を置くことが許せるかという話をしたら、福田さんが最後に『真剣に検討する』という答弁で終わった。1年後に日米合同の発表を取り消し、民間への返還が決まった。いまここはすっかり変わり、がんセンターの第二病院、宇宙線研究所、住宅などがある文化地域になっている。後で、当時防衛庁長官だった金丸信氏が、身内でしゃべったようだが、なんで1年もかかったかというと、『すぐやったら共産党の不破の手柄になるから、1年待っていた』とう内輪話をしたそうだが。それにしろ、日米でいったん合意して発表したことでも、まずいとなったら退くだけののりしろというか、政策に幅があった。いまこういう自民党の時代を大変懐かしく思っているわけだ」

 「ところが、今の自民党はすっかり変わった。モノカラーの政党といっていいだろう。しかもモノカラーの中枢にいる人がなかなか大変な人物だ。3つの特質を挙げたが、どの特質をとっても異常性がさらに倍加をしている。田中さんが言い出した、『戦争の性格は侵略かどうかは後世の歴史家が判断するんだ』というのは名文句になって、後の首相も何回か使った。村山談話以外で最後に使った人と記憶しているのは竹下登さんだが、田中派の領袖だけあって、国会でこのことを聞かれると同じ答弁をしていた」

 「それを受けて私が予算委でヒトラーの戦争をどう評価するのか、これも歴史家の判断かと聞いたら、彼は弱った。認めてしまったら、戦争の性格は歴史家が判断するという自分の立場がなくなるから、ついに、『侵略かどうかは複雑な問題で、これもやはり歴史家の判断に待たければいけない』といった。日本のマスメディアではあまり取り上げなかったが、AFPがすぐ世界に発信し、竹下がヒトラーの戦争を擁護と大見出しで報道したぐらい、反響を呼んだ。そこまで来ると、歴史家うんぬんは通用しなくなる」

 「その数年後に細川護煕さんが首相になったときに、記者会見で初めて日本の戦争は侵略戦争だったと言った。50年談話で村山さんが述べたことは言うまでもない。先ほど紹介した1998年の江沢民訪日の日中共同宣言は、割合に忘れられているが、村山談話の3年後に共同宣言で、過去を直視し、歴史を正しく認識することが日中関係発展の基礎であると。過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と惨禍を与えた責任を痛感し、深い反省を表明したと。これは村山自社連合政権でなく、自民党単独政権になったときに、ここまで言って明確に日本の反省の態度を表明した」

 「しかし、それが今では完全に覆って、田中さんや竹下さんは逃げの答弁としてやっていたが、安倍さんの場合には逃げではなしに正面から過去の戦争を評価する立場で、この言い分を使うようになった。大変化だ」

http://www.sankei.com/premium/news/151124/prm1511240016-n1.html

2015.11.24 21:26更新
【共産・不破前議長会見詳報(3)】
「戦争法は全部米国の筋書き・自民にとっても安倍政権は危険」

 「経済も、大企業・財界に直結しているのは自民党政権の年来の特徴だが、政策を出す前には、大企業の利益のためということを目標にした政権はかつてなかったと思う。池田勇人内閣は所得倍増と言って、この政策をやれば国民所得はこうなるという目標を打ち出した。田中内閣は日本列島改造といって、これをやれば北海道から沖縄まで日本全体が豊かになるはずだとの看板で政策をカバーした。しかし、安倍さんの場合は直接大企業・財界の利益を増やすことを直接の目的にしている。それさえあれば日本の経済は発展するし、国民の生活が豊かになると。こうやって財界・大企業の利潤拡大を直接の政府の政策目標にした政府は、安倍さん以前には自民党政権といえどもなかった。しかし、それが完全に失敗したことは、現在アベノミクスのもとで財界の利益、内部留保は増えているが、それが国民所得に回らない。いくら安倍さんが頼んでも投資にも回らない実態が明らかにしている」

 「対外政策では、ついに憲法を踏みにじって世界的規模の海外派兵というアメリカの要求に応じるまでに至った。これも極めて深刻だ。安倍さんは日本が軍事的な役割を分担すれば、それによって日米同盟の中で日本の役割も自主性も増えるという言い方をするが、全く逆だ。日本再軍備は実は1948〜49年に米統合参謀本部で決められた方針だ。憲法が実施される少し前に米国がトルーマン宣言を出し、ソ連と戦う方針を明確にした。それを受けて、憲法そっちのけで日本に対する政策の大転換を米軍部が政府と一緒になってしたのが1948〜49年だ」

「49年に決定された国防長官承認、統合本部決定の覚書があるが、日本の再軍備という目標を米軍・政府として公式に決定した最初の文書だ。目的がふるっている。米国の限りある人的資源の利用および節約のために日本の再軍備が必要だと。簡単に言うと、本格的にやるには憲法を変える必要があるが、今すぐやるわけにいかないので、その枠組みの中で可能な措置として、警察という名目で軍事力の増強をやろうと。連合国による占領が終結する場合には、日本の限定的な再軍備をする計画を準備しておく必要があると。日本の軍備のため新憲法の改正を達成する方法を探求するべきだと。こういうことを1949年に決定している」

 「それが警察予備隊になり、保安隊になり、54年の自衛隊になり、60年の安保改定で日本の本土防衛という限定された目的が日米共同作戦という態勢を条約化した。そして続いて78年に日米ガイドラインを決め、リムパックのような日米合同演習が始まり、第2次ガイドラインが1997年に決まり、当面の日本周辺の有事に対応する目的でと。その過程で9.11テロがあり、イラク戦争があって拡大され、海外派兵法の作成が始まった。しかし、いよいよ2015年に第3次ガイドラインが決定されたときに、これに対応する安全保障立法、われわれのいう戦争法が強行された。全部アメリカの筋書きで動いている」

「しかも、アメリカの筋書きでは、本格的な再軍備や海外派兵は憲法改正が必要なはずだったが、今度その計画を乗り越えて、アメリカをすっかり乗り越えて憲法の枠内でやるところまでやってしまった。これだけみても安倍政権が自民党自身にとってもいかに危ない政権であるかということが分かる」

 「かつて保守連合として一定の国民世論やわれわれの追及にも、ある程度対応する幅を持った政党が、今のような変質を遂げたのか。これには理由が2つあると思う。1つは小選挙区制だ。自民党政権は率直に言って、私が初めて国会に参加したころと比べると、政治的には大変弱体化している。1972年、共産党の最初の躍進と言われたときだが、このときに自民党が(衆院選で)とった得票は2456万3000票で、46.9%だった。昨年の総選挙は1765万9000票で33.1%だった。得票率は46から33への低下だが、有権者単位でみると、もっと事態が鮮明になる」

 「72年の選挙は有権者比で34%だった。昨年は17%だ。完全に国民の支持は半減している。普通の政治体制だったら、17%の国民の支持では政権は維持できない。それを維持させているのが小選挙区制だ。この制度は、日本の政治にとって非常に不幸な制度だ。自民党にとっては、首脳部が全党を支配できるという仕組みになった。昔は中選挙区だったので、同じ選挙区でも何人も自民党公認候補がいた。私の選挙区もそうだったが、いまは1選挙区に1人なので中央が1人だけ任命する。そうなると、自民党首脳部を握った者が全議員を制する。しかも政界全体としては助成金目当ての離合集散が常態化している。私が国会に参加した最初のころは、どの政党も安保問題でも立場を持っていた」

「毎日新聞が68〜69年に討論会を企画した。5党に全部内閣を作らせた。自民党政権に4野党が論者を出して1日討論した。社会党にも政権を作らせて、やった。共産党もわずか衆院議員4人の時代だったが、自民党を含む連中が野党になって質問する。朝から8時間あまりやった。私は今になって思うが、よくも自民党が引き受けたと。野党になって質問していた。私たちは、残念ながら、首相の宮本顕治さんも非議員だった。5人の閣僚の中で議員は2人だけ。あとは非議員。それに対して各党は大部分が議員。野党になって質問した自民党は船田中さんと中曽根康弘さん。こういうことを平気で引き受けるだけののりしろがあった」

 「どの野党も独自の政策を持っていた。1日8時間の論戦に耐えた。共産党は安保条約廃棄、社会党は非武装中立、民社党は駐留なき安保、公明党は段階的解消論。安保だけでなく、あらゆることを聞かれた。共産党は政権とったらどんな政治をするのかと中曽根さんに追及された。そういうことが政党間でやれた。だから国会の論戦も当然おもしろくなる」

http://www.sankei.com/premium/news/151124/prm1511240017-n1.html

2015.11.24 21:56更新
【共産・不破前議長会見詳報(4)】
「現状は自民党にとっても危険な瀬戸際」

 「ところが政党助成金だと、政党を作る基準が綱領とか政策ではなく、政党助成金の分配金になって、離合集散が当たり前と。『おれは今何党かねと秘書に聞け』という川柳がはやった時代があったが、これが日本の政界を弱体化している。小選挙区制、政党助成金制度の自民党の政府が生み出したことすら問題だ。ともかく、これが一つの今の安倍政治を生み出した原因の一つだ」

 「2番目は、1993年に河野洋平官房長官談話が出た。その選挙で細川さんが首相になったときに記者会見があった。河野談話で慰安婦問題について謝罪し、細川会見で侵略戦争に首相として初めての言及があった。このときに自民党の中のウルトラ右翼の結集があった。危機感を感じて。歴史総括委員会を設けた。その旗頭になったのが奥野誠亮さんと板垣正さん。研究会というが、別に研究するのではなく、2年間、大東亜戦争を肯定する学者、研究者を集め、講師になって徹底的に日本の戦争肯定論をたたき込む学校だった。その学校にはせ参じたのが、その選挙で当選した安倍さんだった」

 「このウルトラ右翼の潮流が、その後、大東亜戦争の総括の本を発表し、どう政治に生かすか、まず歴史教科書を変えるということで歴史教科書の改訂運動を起こしたときに、教科書議連をつくった。そのとき当選2期目になっていたが、事務局長に抜擢されたのが安倍さんだ。ここが安倍さんの国会議員としての政治活動の始まりだ。この潮流の中で鍛えられて、支えられて、こんにちに至る。そして自民党にとって幸か不幸か分からないが、首相になった。第2次大戦後の国際政治をみると、こういう政治潮流が日本の支配政党の主流にまで駆け上がるのは本当に異様なことだと思うが、残念ながらこの間の自民党には、それを抑制する力はなかった」

 「そういう状況の中で現在の自民党があるが、よく自民党1強といわれるが、過去に比べて別に自民党が強くなったと思わない。仕掛けを利用して文字通りの少数独裁を実行しようとしていることの表れだ。この現状は、自民党自身にとっても危険な瀬戸際政策にもなっていると思う。やる政策の主要部分が全て国民世論から孤立している。戦争法、沖縄の辺野古問題、TPP、原発再開等々。安倍内閣が年を経るごとに焦りが目立つように感じている」

 「アベノミクスの総括もしないで、すぐ次のミクスが出てくる。スローガンが出てから関係官庁を集めて裏付けをつくれということになる。例えば、消費税の問題も、これまでの自民党政権は最初に消費税を導入するまでにものすごく時間がかかった。何代も内閣が替わった。しかも最初の内閣が取り上げるまでに、経団連が1年にわたって自民党本部を説得に日参する事態まで起きた。ところが今では消費税を増税するのをいとも簡単に決めてしまう。憲法の改定に匹敵する憲法解釈の変更さえ、今朝の新聞に大きく出ていたが、何の議論も残さないで内閣法制局が一夜にして決めてしまう。こういう政治、政権は本当に危ないと思う」

 「対話と論戦も回避するのも特徴だ。大局的に見ると、自民党は結党以来60年にして最も危険な段階に入りつつあるのではないかと思っている。これが私の安倍政治を見てきた率直な感想だ」

「最後に、自民党外交を少し詳しく話せというので言わせてもらうが、自民党の異常の一つとして対米追従の話をしたが、その典型は1960年の核持ち込みの協定をめぐる諸事情によくあらわれている。実は私が記者会見をした最後は5年前で、日米安保条約の核持ち込み問題が日本に提起された最初の状況について、米国の文書が入ったので発表したが、1958年10月、米国から条約改定案が出された最初のとき、核持ち込みについて事前協議の制度を設けるが、米軍艦と飛行機の出入りは従来通りにすると。黙って核を持ち込み、日本が黙って認めるというシステムを残せというのを出した」

 「藤山愛一郎外相はそれを受け取ったが、米国はその前に議論があって、日本が独立して何年にもなるのに、こんなことを言い出したら大変なことになるのではないかということが米政府で大議論になった。ある海軍の指導者は、それが認められないなら日本の基地は放棄すべきだと。それで日本なしの戦略を立てようというところまでいったという記録がある。かなり慎重な気持ちで、大問題として米国は出した。そうしたら、日本は何の反応もしないで実に素直に受け取ったというので米国は驚いたというのが始まりだ」

 「そして米国の心配をよそに進んだ。岸信介内閣が1960年に公式に認めた。認めた文書には、極秘文書で双方が書き、どのように保管するかの仕方まで約束し合った。私たちがだいぶ後になって米公文書館で手に入れたが、米国は民主主義の国で、どんな密約でもきちんと保管されていて、期限が来たら公表する。別に発表はしないが、公文書館から出てきた。調べれば分かる。ところが驚いたことに、この条約を結んだ岸内閣は、池田内閣に替わったときに引き継がなかったことが後で明らかになった。昔から日本の政界では、秘密は墓場まで持っていくというのが原理原則だそうだが、国際関係の密約まで墓場に持っていくのか、この記録はいま日本には存在していない。いくら探してもない。それが明るみ出たのが池田内閣のときだ」

http://www.sankei.com/premium/news/151124/prm1511240019-n1.html


2015.11.24 22:34更新
【共産・不破前議長会見詳報(5)】
「核密約は今も生きている」

 「米国から原潜寄港の申し入れがあった。池田さん含め、これは受け入れるが、核を積んでいたら受け入れられないと答弁した。これが1963年のことだ。これを聞いて米国がビックリした。3年前に約束したのに、なぜ今になってひっくり返ったのか。ケネディ大統領の時代だが、緊急の御前会議をやった。大問題だと。喧々諤々の議論して、国務長官が、ひょっとしたら今の内閣は知らないのではないかということを言い出した。普通の国ならあり得ない話だが、日本はあるかもしれない。ライシャワー大使に連絡し、大平正芳外相と至急会って確かめろと。その会談の記録もちゃんと公文書館にある。ライシャワーが説明したら、大平さんは知らなかったが、驚かなかったと報告している。今後は迷惑をかけるようなことはしないと約束したという」

 「米国はこれで一件落着となったが、その後、池田内閣から佐藤栄作内閣に果たして引き継いだかどうかが問題だ。後で分かったが、この記録は外務次官レベルで保存していた。首相にしても外相にしても安心な人には見せるが、安心でない人には見せないと。このことが言われ出したのが、民主党内閣のころに関係者が言い出した。その時点までに岸さん含め首相が23人いた。知らされたのは5人だけ。岸さん以外に4人。外相は34人いるが、藤山さんと大平さんをのぞき32人のうち、6人しか知らされていない。外務次官レベルのメガネにかなわなかった首相。外相が大部分だった」

 「その後、私が米国の資料が手に入ったとき、小渕内閣のときに党首討論でやったが、急死されたので森喜朗さんともやった。2人とも過去の首相答弁の通りだと。中曽根さんのときのことだ。中曽根さんは核の持ち込みはないないと明言している。何の資料を出しても、関知しないと。それで何年か前に中曽根さんと対談したときに聞いたら、米軍艦が日本に来るときに核を外して来るなんてことはあり得ないことだと思っていたといった。その人が建前上ないと言ったのを、後の内閣も盾にして、どんな資料を出しても認めなかった。しかし、密約文書は見たかというと、みていないというので、外務次官に信用されなかったのだ。中曽根さんも。こういう奇々怪々なことがあった」

 「民主党内閣になって、あるのは分かったが、外務省に残っているのは大平さんの書いた文書のみだと。原本はいまだみつからず。実に不可思議な国だ、日本は。米国絶対。しかし、この密約は今も生きているので、取り消せない。どの軍艦にも核は積まないことになっている。だから今は原潜が来ようが、核は入っていないはずだ。しかし、いったん時代が変わって米国の戦略が変わり、核戦争が目の前の問題になったら必ず積む。何の通告もなしに日本に自由に入るという密約が、民主党政権でも取り消せなかったから、いまだに生きてあるわけだ」

 「もう一つの密約は、佐藤内閣のときの沖縄返還に関連してニクソン大統領ともう一つの核密約があった。要するに、重大な緊急事態が生じたときは、米国は核兵器を沖縄に持ち込むという密約だ。事前協議をすると。そのとき佐藤さんは事前協議にOKすると。米国政府は沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち嘉手納、那覇、辺野古などをいつでも使用できる状態に維持しておくと。これが密約だ。だから沖縄返還の時点で、那覇は返還されたが、嘉手納と辺野古には核使用の基地があった。貯蔵されていた。核を使用するためのものがあった。全部使えるように置いておくとの通告だ。だから、その辺野古がいまああなっている。この密約は今も生きている。そういう点で、日本の外交は米国にそこまでしばられている」

 「この機会に私たちの野党外交についても話したい。90年代前半までは世界の共産党との交流が国際活動の中心だった。中国やソ連の覇権主義との抗争が大問題になった。99年に、私たちは、ソ連が崩壊し、中国の問題も率直な反省をしたときに野党外交に踏み出す方針を立て、今までノータッチの分野だったが、各国との交渉を始めた。そのとき英文で日本共産党のパンフレットを作った。基本的な立場は、双方に交流開始の関心がある場合、保守であれ革新であれ、与党であれ野党であれ、自主独立、対等平等、内部問題相互不干渉の原則に基づき、友好と交流の関係を確立するのが目標だと明記した。これがなかなか評判が良かった。各国の政権党と交流する場合。まず行ったのはマレーシアだった。私たちにとって初めての国だ。大使館を通じ日程の段取りを準備しようとしても全然進まない。行ってみれば分かるだろうと乗り込んだら、非常に各方面に歓迎された」

 「イラク戦争の前夜に代表団を出して中東アラブ諸国を訪問したが、最初サウジアラビアを省いていた。なかなか入国が難しい国だと言われていた。あいさつだけした。そしたら大使がなぜわが国を省くのかと。入国できるなら喜んで行くと言った。本国がなかなか堅かった。共産党を徹底研究する必要があると。それで、この党ならOKだと初めて評価された。あとで分かったが、世界の国でソ連も含め共産党を名乗る代表団がサウジを訪問したのは私たちが初めてだと。なぜOKの決め手になったかというと、ソ連のアフガニスタン侵略に徹底的に反対した共産党だということが分かって、広く交流を結んだ」

http://www.sankei.com/premium/news/151124/prm1511240020-n1.html


2015.11.24 22:38更新
【共産・不破前議長会見詳報(6)】
「『戦争法』反対の運動は新しい政治の第一歩だ」

 「そのときの経験から、価値観の違い、文明の違いを乗り越えた共存が非常に大事だということを確認した。異なる価値観を持った諸文明間の共存ということを綱領にした。野党外交の裏付けだ。東京での外交も重視している。党大会に2004年以来、各国大使を呼んでいる。熱海までご苦労だが、結構多くの方が来ていただいている。ある大会でイスラムの女性が礼拝の場所を確保してくれないかと。それで完全に1部屋を提供した。その女性が東京に帰ったら、大使館の間で、共産党の大会で礼拝所を準備してくれたと話題になったそうだ。そういうことも今の外交では大事な問題だ」

 「それからラテンアメリカとの関係が開けたのも大使館との関係だ。ベネズエラ大使が党大会に来た。チャベス大統領の施策の日本語訳本を贈呈された。今ではラテンアメリカの多くの国々と交流できるようになった。アジア外交も大事だ。アジアではアジア政党国際会議があって、アジア35カ国の与野党が集まる大きな会議がある。2000年にマニラで始まり、われわれは第2回のバンコクから参加している。非常に大事な交流の場だ。私は北京で第3回の会議に参加したが、本当にアジアのいろんな政権とも出会い、本当にいい交流ができた。不可欠の外交の場だ」

 「ところが、一番大事な交流の場である晩餐会があり、自由に交流できるのに、北京大使館が大使館の晩餐会を用意する。それがあるからといって、わが党以外の代表はみんな参加しない。大使館になんでやるのかと聞いたら、日本の代表は間が持たないからと。彼らが気まずくならないように私どもが会合を用意して呼んでいると。これはちょっと驚いた。もっと驚いたのは、昨年スリランカのコロンボで会議があったとき、自民党が初めて欠席した。欠席通知と同時に脱退届が来たという。アジア35カ国の政党が、与野党区別なく集まって交流する会議に自民党が欠席すると聞いて耳を疑った。こんなつきあいはやってられないという感じなのだ。いくら安倍さんが財界人を連れてお金をばらまいて歩いても、こんなことを自民党がやっていたら、日本の外交は先がないと思った」

 「韓国との関係では、1998年に金大中大統領が来たときにレセプションで握手したのが共産党が韓国の政治家と公式に接触した最初だ。それからずいぶんいろんな交流をやったが、今年志位和夫委員長が韓国を訪問したときは大歓迎された。共産党は韓国から一番遠い政党だった。日韓議員連盟に入れてくれなかった。一番近い政党になったと評価されるような変換が起きた。われわれは例えば韓国で竹島問題があれば、日本の立場を堂々と主張する。激しい議論はするが、そういう関係があるから議論もできる。そういうわれわれ自身の経験からもいうが、今の世界でまず日本外交の狭さというか、それが非常によく分かる」

 「アメリカに対してノーと一切言ったことのないという国の外交は、やはり誰も信頼しない。何か国際問題が起きて話をしようとしても、どんな場合でもアメリカと態度が同じなら、アメリカと交渉すれば済むから。自民党が価値観外交とよく言うが、今の社会で一番大切なのは、異なる価値観の共存、異なる文明の共存だ。個別の問題でも熟慮がない。ロシア問題も、領土問題について何の政策も根拠もないまま、この数十年推移している。われわれは日本が国際的に日本の立場にふさわしい役割を果たすにも、日本の政治の根本的な変換が必要だと痛感している」

 「最後に申し上げると、自民党政治の非常に危険な最終段階に来ていると言った。今年の戦争法反対の運動というのは日本社会の変化だ。60年安保のときとは全く違った運動だ。国民が自分が主権者の一人だと意識して、その自覚に立って、今まで声を上げていなかった人も声を上げている。その運動の息吹というのは、まさに社会を変化させるものだ。先日、ある人が国際会議で欧州に行ったら、口々に言うと。日本は国民がああいう運動を起こす国とは思っていなかったと。どこの国でもテレビで状況を放映しているから、よく知っている。世界がやっぱり驚くような運動になっている。私は、この運動は日本に新しい政治が開かれる、いわば第一歩を踏み出したと考えている」

 「そういう意味で自民党政治の60年振り返っても、そろそろ狭いコースから抜け出さないと日本に未来はない。未来を開くために国民がいよいよ足を踏み出したという実感がある」

http://www.sankei.com/premium/news/151124/prm1511240021-n1.html


2015.11.24 23:19更新
【共産・不破前議長会見詳報(7)】
「国民連合政府構想は多くの賛同を得ている」

−−対米追従と言うが、どういう背景で60年間続いたのか。原因は何か。それを克服する道はあるのか

「米国の占領下に作られたことが第1だ。この体制が。それから、ウルトラ右翼的な潮流が戦後日本にそのまま残ったのは米国にかなり原因がある。米国は東京裁判が終わったら戦後の政策をすぐ転換した。例えば、ドイツがヒトラー政権の閣僚だったら徹底的に最後まで追及した。しかし、東条英機内閣の閣僚でも首相になれる。そういう体制に東京裁判後に切り替えた。一番直後に起こったのが警察予備隊だ。そのときに戦前の軍部の指導者たちを大量に活用した。米国が日本の再軍備の転換とともに、戦争肯定勢力を利用する側に転換したのが非常に大きい。田中角栄さんとも話したが、米国に関わる問題で、私が経験した限りでは、自民党政権が妥協したのは、私の質問に関してはこの2点だけだが、佐藤さんのときに、沖縄返還後に沖縄で核戦争の訓練をしている証明をした。二度とやらさないだろうなと質問したら、彼はやらせないと。米国に厳重に申し入れると言った。しかし、そのときも後で米大使館で一蹴された」

−−それを乗り越える道はないのか

「政権を変えることだ。私たちはいま戦争法廃止の一点で政権をつくると言っているが、これはやっぱり大転換になる」

−−共産党の野党連立政権「国民連合政府」構想の呼び掛けに民主党主流が及び腰だ。来年夏の参院選に向け、どうやって流れを加速させるか。この流れは1998年ごろから連綿と続いているというが、見通しは

「粘り強く焦らないでやることだ。1998年のときは、今すぐ作るのではなく、来年の選挙で野党が勝利したら、こういう可能性があるということをいった。やれそうな状況が、あのとき初めて野党間に生まれた。それまでは共産党をのぞく体制で、そういう話は全くなかった。ただ、総選挙を待たずに自民党が野党の一部を取り込んだ連合作戦をやったので、消えた。しかし、今度は違う。そういう政府を作るために選挙で協力しようと。この提案は多くの賛同を得ているし、かなり大きな力を発揮する」

−−共産党はいつごろ与党として活躍する見通しか

「私は組織人だから、大会の決定しか言わないが、大会の決定では、民主連合政府を21世紀の早い時期に作ると言っている。いま言っている国民連合政府が民主連合政府をもっと作りやすいというか、戦争法廃止の一点で共闘した仲間が政府を作るということだから、かなり近い」

−−民主党保守派には共産党と選挙協力をすることで保守層が取り込めなくなり野党にマイナスだという声がある。大阪ダブル選でも自民党が共産党と組んで票を減らしたともされるが、共産党アレルギーとの見方についての見解は

「民主党の内部のことはあまり言いたくないが、民主党を代表する方々がそういうつもりだとは私たちは思わない。民主党の中にそういう議論があると。しかし、ちゃんと話し合いをすると思っている。大阪の選挙はそう単純ではない。大阪は中央政治に対する反骨がものすごくある街だ。私どもが70年代はじめに躍進したとき、大阪での勝利が第一歩だった。あの時代には、私たちは大阪が変われば日本が変わるという旗印だった。大阪の反骨に力があった」

「今の橋下(徹大阪市長の)政治は、根は安倍さんと非常に深い。安倍別動隊の要素が強い。その安倍別動隊の人が、大阪の反骨を利用して、自分はだいたい安倍さんに近いが、このことに関してはという形ではないか。今後の政治で、そう簡単に大きな方向に進むものではないと思う」

http://www.sankei.com/premium/news/151124/prm1511240022-n1.html

2015.11.24 23:25更新
【共産・不破前議長会見詳報(8)完】
「安倍政権が無法だから社会変化の運動起きた」「ルペンと安倍さん一緒にしたらかわいそう」

−−1960〜70年代のメディアと昨今の新聞報道の変化、問題点などの感想は


「60〜70年代と一口に言っても難しい。私ども共産党が政治部の対象になったのは68年ぐらい。それまでは社会部の対象だった。先輩の議員に聞いても、なるべく新聞沙汰にならないほうがいいと言われた。ある雑誌に、そろそろ共産党も政治部の対象になるのではないかという論文が出たぐらいだ。それから有志の方が共産党記者クラブをつくったのが68年だ。毎日新聞が全党あげた討論会をやったのはすごかった。67年の衆院選は、あるテレビが共産党のぞいた討論会を開催した。われわれは不当だと言っても受け入れないので、執行停止の提訴をした。共産党の提訴なんて受け入れられないだろうと思ったら、放送当日に仮処分が下りちゃった。これがマスコミ界に激震になった」

「70年代に共産党が躍進したときは、マスコミの共産党アレルギーをほとんど感じなかった。週刊サンケイという週刊誌が共産党の大特集をやった。全ページが共産党。真ん中に私と政治部長の対談が出た。そんな企画もあった時代だ。それがある時期からマスコミが変わっていった。80年代から90年代初めは、選挙制度審議会にマスコミが全部入り、小選挙区制と政党助成金を進めたのは、ちょっとひどかったね。やはり簡単に言えないが、その時代時代、今はかなりマスコミが旗幟鮮明にしている。これぐらいそれぞれ旗幟を鮮明にしているのは珍しいのではないか。なかなか興味ある時代ではないか」

−−国民連合政府構想に関し、来年夏の参院選に向け民主党などとの協力時期のめどはいつまでか。大阪ダブル選の結果が国民連合政府構想に与える影響については

「いつまでといっても、なにしろ参院選は6月でしょ。6月までに、どういうところまで話が進んでいるかだ。いろいろ政党があるから、簡単には言えないが、それなりの時期にどこで落ち着くというかの見通しは出ると思うが。大阪の問題は、大阪自体がどうなるかも分からないし、維新の党も動いている話なので、大局の話はしにくい」

−−自民党が60年で一番の危機にあるというが、自民党が危険な政策をドンドン打ち出しているのか、それとも自民党がガタガタしていくきっかけがあると感じているのか、その両方か

「今の自民党は内部がガタガタして、そこから転換を図るエネルギーがないのではないか。それが一番の危なさだ。前は、政権を担っている部分が失敗しても替わる勢力がありえた。いまそれがない。自民党が議会の多数になっても、仮にわれわれ野党の大同団結ができて、共同した選挙で力を発揮すれば、参院選にも影響を与える力は持ち得る。政権転換をつくる条件が生まれる。こういうことが生まれたのは、やはり安倍政権が戦争法という無法なことに踏み出したからだ。これがなかったら、日本の社会の思想を変えるような運動も起らなかったし、いろいろ心配は聞いたが、野党の連合政権の展望も、われわれも現実問題として浮かばなかった。強いように見える自民党自体が、そういう危機的要素を自分で作り出しているというのが今の政治の特徴だ」

−−安倍独裁だというが、国際社会にはフランスのルペンや米大統領選候補に名乗りを上げている共和党のトランプなどの右寄りの台頭が強くあるが、その流れの一つなのではないか

「まとめてみればそうかもしれないが、その国なりに、そういう右翼が生まれる情勢は違っている。単純に言えない。ルペンと一緒にしたんじゃあ、安倍さんがかわいそうじゃないですか?」

http://www.sankei.com/premium/news/151124/prm1511240023-n1.html


 

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コメント
 
1. 2015年11月25日 12:34:20 : LY52bYZiZQ
2015年11月25日(水)
自民党政治は最も危険な段階に 国民は新しい一歩を踏み出した

不破前議長「戦後70年」で講演 日本記者クラブ

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-11-25/2015112501_02_1.jpg
(写真)日本記者クラブで講演する不破哲三前議長=24日、東京都千代田区
 日本共産党の不破哲三前議長は24日、東京都内の日本記者クラブで「戦後70年 語る・問う」のゲストスピーカーとして講演しました。不破氏は、戦後続いた自民党政治の特質と現在の異常な状況を語り、「大局的に見れば、自民党は結党60年にして最も危険な段階に入りつつある」と指摘。戦争法に反対する国民の運動について「日本社会の質を変えるもの」と評価し、「自民党政治からそろそろ抜け出さないと日本に未来はない。国民はいよいよその足を踏み出した」と語りました。

 不破氏は自民党について、▽目先の財界・大企業の利益に奉仕▽治外法権をもった米軍基地を全国に置き、アメリカに「ノー」を言えない従属体質▽過去の日本の侵略戦争への根本的反省がない―という「資本主義国の中でも異常な特質を持って発足した世界でも例外的な政党だ」と指摘しました。同時に、「以前の自民党は保守総連合的な性格を持ち、政策にも一定の幅を持っていた」として、田中角栄、福田赳夫内閣が不破氏の批判をある程度受け止める懐の深さがあったことを語りました。

 「ところが、現在の自民党はモノカラーの政党となった」と述べた不破氏は「安倍さんのもとで三つの特質の異常性がすべて極端化した」と強調。▽過去の戦争の性格については曖昧な答弁から侵略戦争の積極的肯定へ▽経済では大企業・財界の利潤の増大を直接、政府の公然の政策目標に▽対外政策ではついに憲法を踏みにじって世界的規模での海外派兵というアメリカの要求に応じるところまできたことを挙げました。

 何が自民党をこの異常な状況に追い込んだのか。不破氏が第一に指摘したのが小選挙区制です。同党の得票は1972年総選挙の2456万票(47%)から2014年総選挙の1766万票(33%)へ、有権者比では34%から17%へと半減していますが、議席で多数を維持しているのは小選挙区制のおかげです。しかも、この小選挙区制で指導部が候補者の任命権を握ることになりました。一方、政党助成金目当てで政党の離合集散が日常化し、日本の政界を弱体化させたことも重大でした。

 第二は、日本軍「慰安婦」問題で謝罪した「河野談話」(93年)、過去の戦争を「侵略戦争」と明言した細川護熙(もりひろ)首相発言(同年)に危機感を抱き、自民党内でウルトラ右翼が結集したことです。この潮流の中で台頭し、総裁・首相となったのが安倍晋三氏でした。

 不破氏は今の自民党について「『1強』政治といわれるが、文字通りの少数独裁です。自民党自身にとっても危険な瀬戸際政策になっている。国民からも孤立している」と述べ、戦争法、沖縄の米軍新基地建設、環太平洋連携協定(TPP)の強行などを例に挙げ、「大局的に見れば、自民党は結党60年にして最も危険な段階に入りつつある」と強調しました。

 不破氏は、とくに自民党外交の対米従属の典型として日本への核持ち込みを認めた日米の核密約についてくわしく語りました。また、1999年からの日本共産党の野党外交の経験を語り、それとの対比で「アメリカに一度もノーといったことのない国は信用されない」と批判。「『価値観外交』というが、今の世界で一番大事なのは『異なる価値観、文明の共存』であり、それに熟達するのが外交の要だ。今の日本の立場・力量にふさわしい役割を国際的に果たすためにも、日本の政治の根本的な転換が必要だ」と力を込めました。

 最後に不破氏は、戦争法に反対する国民の運動に触れ、「この運動は日本に新しい政治を開く第一歩を踏み出したものだ。自民党政治の60年を振り返っても、そろそろこの狭いコースから抜け出さないと日本に未来はない。国民はいよいよその足を踏み出した」と強調しました。

 講演後、会場からの質問にも答えました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-11-25/2015112501_02_1.html


2. 2015年11月26日 15:51:11 : LY52bYZiZQ
次回 12月8日(火)午後8時から

〖ゲスト〗 池田香代子さん(翻訳家)

《MC・司会》 小池晃副委員長・参議院議員、朝岡晶子さん

みなさんから番組への質問・ご意見募集中!メールでお寄せください。件名に「とことん共産党」とお書きください。→tokoton@jcp.or.jp

http://www.jcp.or.jp/web_tokusyu/2013/03/post-10.html


3. 2015年11月26日 18:14:25 : PMHe4FRJuQ
今の自民党はかつての自民党とは全く異なる政党。かつての自民党なら意見の違う者もおり憲法解釈の変更で戦争に突き進むことはなかった。

その点で自民党がずっと政権の座にあっても大した不安はなかった。内政の問題は旧社会党と国体などでの談合で落としどことを決めていた。ある意味全部が与党だった。

今は全く異なる。自民党はウルトラ右翼政党になった。政策はアメリカのいいなりで心は八紘一宇。反中が生きがいの連中から支持を集める。


4. 2015年11月26日 21:48:37 : G6VVRotR7A
>あっしら


>対米従属からの脱却を明示するか面従腹背で済ましこそこそめざすかという手法の違い

アベについては丸っきりデタラメ! 

「面従腹背」ではなく、精々言ってヤヌスJanusの双面だろう。
何処まで行っても従米が分ち難く結び付いて、それ自体が一身と成っている。

貴方は思い込みの垂れ流しを何処まで続けるのか?
説得力が丸で無い、無内容な思い入れを。


5. 2015年11月26日 22:51:14 : whbtT2sQqQ
>戦後レジームとは「対米従属」のことだが

誰が言ったんだ?
誰が決めたんだ?
勝手にそう解釈しただけだろ?
安倍がそう明言したというのなら醤油だしてくれ

更に属国姿勢を強めて完全服従になったとしても、それも「戦後レジームからの脱却」だぞ
つまり現在の位置をゼロとすればプラスでもマイナスでも現状からの脱却だ

政治家官僚の使う意味内容不明瞭な言葉を自分勝手に解釈するのは止めたほうがいいな
それは解釈する人間にとって自分に都合が良い解釈になるから


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