http://www.asyura2.com/15/senkyo196/msg/845.html
Tweet |
「橋下・維新政治は悪質な「ブラック・デモクラシー」である。京都大学大学院教授 藤井聡」
http://www.asyura2.com/15/senkyo196/msg/835.html
===========================================================================================================================
念のため、橋下氏の価値観とは相容れずその政策も支持していないことを最初に断っておく。橋下氏のほうに限らず、維新うんぬんという政治勢力に投票することもない。
また、デモクラシーをいいものと考える民主主義者でもない。
政策的に共感できるものもある藤井聡さんの気持ちはわかるが、異性に対する好みは人によって様々、政治的立場が対立すればお互いが自分の政策を称賛する一方相手の政策を非難することでわかるように、あるものに対する評価はその人の価値観や美意識でまったく異なるのだから、自分に跳ね返ってくる「ブラック・デモクラシー」といった奇妙な概念を持ち出さないほうがいい。
藤井さんは、「ブラック・デモクラシーとは、何が正しいとか善いのかといった議論の全てを度外視し、邪悪で悪質な政治を、単なる「数の力」でもってごり押ししていく邪悪な政治」ともっともらしい非難を展開しているが、デモクラシーは、正誤や善悪を基準にするものではなく、過程を重視するにしても、究極的には「数の力」で物事を決する政体である。
「彼らは「数の力」で全てを押し切るために、「多数決至上主義」を標榜します」という説明も、それ自体はことさらワアワア言うことではなく、橋下嫌いから出る言いがかりでしなない。
とにかく、個々の政策や法の逸脱に対する最後の防波堤は憲法に求めるしかない。
今の日本で最大の問題は、テンポラリーの政治的「数の力」に対する防波堤になるべき憲法がないがしろにされていることである。
(橋下氏がとりわけ労組対策で憲法規定に触れる危険な政策をとってきたことは知っている)
藤井さんは、「デモクラシーが「平然と上手なウソをつく」悪質な詐欺師のような政治家と交われば、それは瞬く間に邪悪で真っ黒「ブラック」なものへと変質してしまいます。なぜなら、「平然と上手なウソをつく」政治家なら、彼こそが他の政治家をさしおいてデモクラシー=民主主義によって、リーダーに選ばれ、人々を豊かにする全うな政治が全て停止され、デマとテロルに塗れたおぞましい民主政治、「ブラック・デモクラシー」が始まってしまうからです」と言われているが、平然とウソをつく政治家はごまんといる。
また、「人々を豊かにする全うな政治」ということがアプリオリに語られると、なされるべき政治や政策があると考えているように聞こえ、その実現こそが正義であると独裁をもっともらしく擁護しかねない“危険な”匂いさえする。
(誰かが、藤井氏の論こそ「ブラック・デモクラシー」と言ったとき、違うとは言えない)
私にとってではなく、“普遍的”な意味でなすべき政治や政策があるというのなら、選挙を中心としたデモクラシー的手続きは不要ともいえる。
藤井聡さん自身が認めているように、「上手なウソをつく」政治家と「ウソが下手か」か「ウソをつかないけどたいした支持がない」政治家の競い合いというのが、政治の哀しい現実である。
多数派が、これまでの生活実感から政治そのものにたいして期待せず、見ていて楽しい“劇場型”のオモロイ政治家を選択してしまうのもデモクラシーの一現象である。
橋下的政治を打ち破りたいのなら、橋下氏より魅力的と思われる人物、それがムリなら、策+キャラクターで橋下氏を上回る人物を対抗馬に据えるしかない。
(今回は橋下氏自身が候補者ではないが、選挙戦の実質は橋下か反橋下かになっている(している)と思っている)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK196掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。