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2015年11月16日
昨日のコラムで書いたが、民主党の前原誠司の“口先政治”と云う自己宣伝手段に、踊り出した茶の間の人々も居るのだろう。昨夜から今日のテレビニュース番組では、何度となく似たような動画が映し出され、変節河野太郎が、大金かけて、まったく法的拘束力もない茶番「行政事業レビュー」なんてものを、延々と垂れ流し、劣化した国民感情のガス抜きをしていた。血祭りに上げられる役の官僚は、政治家先生や有識者様の攻める側の役に徹した白熱教室並みの名演技に、ブーブー屁をこき、ガスを抜いた人たちも居るのだろう。しかし、キャスターたから、このセレモニーには法的拘束力はないので、議論の方向に、事業が進むものではない点に注意しましょう、と云う解説が殆どなかった。つまり、NHKだけでなく、民放各社の政治ニュースも「アベチャンネル」と変貌している。
この自民党の「行政事業レビュー」は、民主党政権時に行われた「事業仕分け」と同じものが“名前を変えて”行われていると考えたら大間違いだ。自民党の「行政事業レビュー」拘束力を持たない。民主党の「事業仕分け」には、事業廃止や勧告など、かなりの拘束力を持っていた。この違いは、ベラボーに大きい。ただ、高速増殖原型炉「もんじゅ」を運営する日本原子力研究開発機構に対し、ほとんど使われていない核燃料運搬船の維持費などに年間12億円かかっていることに「打ち切り、見直しも含めた将来的な選択肢」だと河野大臣が発言した。
それを受けて菅官房長官が「真摯に対応する」と“マッチポンプ方式”の手段に出たのは、まさに安倍官邸の姑息なヤラセを想起する。一つくらい、この「行政事業レビュー」が本気だと云う実績を見せつけようとしただけだろう。日本原子力研究開発機構には異なる手段で埋め合わせを、と話がついている事は容易に想像できる。安倍官邸の政治手法は、立法に対する姿勢も、行政裁量の綱さばきも、国民の意志決定を、一種のマーケットと見立てて、商品やサービスの売り上げ向上に資する、広告宣伝技法とソックリなのだ。安倍自身は、国家主義的仮面をかぶっているが、これは「日本会議」を意識した彼なりのポーズであり、現実は単に場当たり主義者であり、改革を口にしながら、既得権益を守ることしか実行していない。
河野太郎大臣は、高速増殖炉「もんじゅ」本体について取り上げなかった点をつかれたが、“国家政策的(国策事業)にやりましょうという話になっている。私の範疇じゃない”と逃げた。40年も動いていない狂気の増殖炉、動きもしない原子炉が高速だと言われても、誰が納得すると云うのだろう。そもそも、その国策事業に誤謬があるから起きている核燃料運搬船なのだから、問題を撒き散らしている元凶に、レビューは迫るべきで、省庁縦割り行政の弊害を露呈したに過ぎない。計算したことはないが、既に何兆円も、「もんじゅ」には注ぎこまれているのだから、言及くらいしても罰は当たらない。
ほとほと左様な誠実さの欠片も感じない政権なのだが、ぼんやりとニュースを見聞きしている限り、この安倍官邸の国民の存在や、その民意を商品と同じレベルに落とし込んで、広告宣伝技法で乗り切ろうとしている。この辺は、遠慮がちにだが、東京新聞が社説を載せているので、参考にしていただく。本当に、ボンヤリとマスメディアのニュースや記事を読んでいると、そのことが仇となり、まったく誤った方向に導かれるほど、新聞テレビの情報は、不都合な事実を靄の中に置き、甘い言葉や清廉潔白、正義のような言葉を配することで、消費者(主権者)を誘導している。余程、カウンターな意識づけがないと、勘違いしても仕方がないのが、今の安倍官邸だ。
≪ 行政の無駄削減 見掛け倒しでは困る
秋の「行政事業レビュー」が終わった。過去には「無駄」と指摘されて当初予算案から削減された事業が補正予算案に前倒しで計上された悪質な例もある。行政の無駄削減が、見掛け倒しでは困る。
「秋のレビュー」とも呼ばれる行政事業レビューは、各府省の事業に無駄や見直す余地がないかを有識者が公開で検証するものだ。民主党政権時代の 「事業仕分け」に代わり、安倍政権が二〇一三年から始めた。今回は十一日から三日間行われ、八府省の計五十五事業が検証対象となった。
過去二年と違うのは、河野太郎氏が行政改革担当相に起用されたことだろう。歯に衣(きぬ)着せぬ発言で知られることから、レビューに対する注目度はにわかに高まった。
特に、河野氏は脱原発派の急先鋒(きゅうせんぽう)でもあり、原子力関連予算にどこまで切り込めるのかにも注目が集まった。例えば、輸送実績が六年間ないのに、多額の維持費を拠出している使用済み核燃料運搬船「開栄丸」である。
レビューは「契約打ち切りや見直しを含め、最も合理的な方法に改めて早急に実施すべきだ」と結論づけ、菅義偉官房長官は記者会見で「極めて重要な指摘」として所管する文部科学省が対応を検討すべきだと述べた。
ただ原子力関連予算に限らず、レビューに実際に予算削減効果があるかどうかは疑わしい。事業仕分けとは違い「事業廃止」を求める権限はなく、予算編成にどう反映させるかは各府省や財務省の判断に委ねられるからだ。
かつて安倍内閣は、十府省の五十五事業を検証した一三年のレビューを受けて、一四年度予算案編成の過程で約四千八百億円を削減したと、公表していた。
しかし、一四年度予算案から削られた予算のうち、少なくとも八事業、三千六百億円が一三年度補正予算に前倒しで「復活」した。極めて悪質である。こんな前例が許されるのなら、レビューには全く意味がない。
税金の使い道を点検するのは本来、国会の役目だが、予算案提出権が内閣にあり、国会が予算案の実質修正をできない現状では、提出前に有識者らが無駄の有無を点検するのは現実的方法ではある。
この際、見掛け倒しのレビューにならぬよう、民主党の事業仕分けにならい、事業廃止や抜本的改善を勧告する権限を与えたらどうか。河野氏がその旗振り役を買って出るのなら、応援したい。
≫(東京新聞社説)
まあ、実際問題、民主主義が上手く機能していないのは、日本ばかりではない。民主主義が機能しないと、官僚の力が益々増殖することなり、まさに「高速増殖坩堝・かすみがせき」になるわけだ(笑)。このような現象は、慰めるわけではないが、わが国だけではなく、アメリカでも、英国でも、フランス、ドイツでも起きている現実だ。嘆き悲しむ必要はないが、官僚たちは、上になればなるほど、無謬症候群と云う病に冒されるので、ハタと気づき、振り返り、やり直す、反省すると云うことの出来ない病に冒されている。放射能がヤバイものでも、原子力をやめられないわけだ。福島を中心に甲状腺がんは多発(20倍から50倍以上の多発現象)しているようだが、今さら、手遅れだし、甲状腺がんは外科手術で摘出すれば命に別状ないから良いんじゃないか。そんな考えが、有識者も共有しているのだから、手のつけようはない。
それもこれも、根っこを探って行けば、国民の意識に辿りつく。国民的抵抗が日本で起きたのは、室町時代にまで遡らなければならないが、当時でも、日本の国民がこぞって抵抗していたわけではなく、天皇中心か、幕府中心か、みほとけ中心かの地域的抵抗だった。そうして、長い徳川幕府の歴史の中で、“お上意識”は歴史的に醸成されている。つまり、土壌的に本来の民主主義を根づかせる「良識」や「徳」はお上に預けてしまっていた。第二次大戦後、アメリカが、核実験の次に、日本型デモクラシーと云う実験を、わが国で実施したと言っても過言ではないだろう。
この壮大な実験に、日本と云う国は、国民込み込みで、動員させられたと云うことだ。ところが、幸か不幸か、その実験場である日本と云う国に神風が吹いた。東西冷戦と朝鮮特需だ。こうして、日本は国民込み込みで経済国家だと云う自他ともに認める国になってゆく。この歴史的経緯の中で、「良識」や「徳」は、象徴として残した皇族の役目となり、今上天皇・皇后に引き継がれている。つまり、「良識」や「徳」は、天皇ご一家にお任せし、政治家も官僚も経済人も、国民も「利害損得」を生きるバロメーターにしてしまった。それが、わが国の現状だが、世界の民主国家も、似たりよったりだ。
国民が「利」に生きていれば、政治家も「利」に走る。このメカニズムは逆もまた真だ。最近は、安倍政権の「利害損得」政治に、それはチョツと違うんじゃないのと云う動きが、僅かにだが出てきている。反原発に動いたお母さん方であり、安保法制に異議を唱えだした若い人々や戦争世代の人々だ。彼らの多くは、生活者の入り口にいるか、まだ生活者の気苦労からモラトリアムされている人々と、生活者としての活動期を卒業した人々である点が、注目に値する。彼らの世界には「利」が直接的影響を受けない部分がある。
つまり、「利」を忘れたところに「良識」や「徳」があると云うことになる。このことの是非を、ここで論じる気はないが、このプロセスが、国民に「良識」や「徳」。そして「利」をバランスよく維持させられる処方箋が隠されている気がする。小沢の根回しと共産党志位委員長の「国民連合政府」構想という爆弾発言は、インパクトがある。日本の民主主義の在り方や、日本人が自らの手で、中国から学んだ漢字を消化吸収した上で、独自の漢字、カタカナ、ひらがな文字を捻り出したように、欧米民主主義を、日本独自のジャパン・デモクラシーに“昇華”されるキッカケになる可能性はある。
前原誠司の口先政治のカラクリは、昨日のコラムで充分に語っておいたが、民主党内では、いまだに「侃々諤々」ならまだしも、「喧喧囂囂」状態で、迷走だか、酩酊だかの区別もつかなくなっている。以下の記事は、共産党が「国民連合政府」構想を唱えていながら、次々と小選挙区立候補者を決定公表してるのはケシカランと言っているようだが、「喧喧囂囂」(けんけんごうごう)状態の図体だけデカイ野党に、具体的事例をわざわざ示して、「アンタらの集票では自民党が当選ですよ」と教えてくれているだけに過ぎない。バカに、物事を説明する時、卑近な例などを引っ張り出すことは多いが、まあ、その典型例である(笑)。
≪ 共産、民主に決断迫る=着々と候補擁立−参院選
来年夏の参院選に向け、共産党が選挙区の候補者擁立を着々と進めている。早期に活動を本格化させ、安倍政権打倒の訴えを無党派層などに広げていくためだ。同時に、選挙協力の呼び掛けに態度が定まらない民主党に決断を迫る思惑もありそうだ。
「ハードルは越えるものだ。1プラス1が3にも4にも5にもなる戦いをしたい」。共産党の志位和夫委員長は13日に出演したラジオ番組で、自身が提唱した「国民連合政府」の樹立とそのための野党間選挙協力に改めて意欲を示した。民主党の岡田克也代表が「政権を共にするのはハードルが高い」と慎重姿勢を崩していないのを念頭に置いた発言だ。
共産党が公認候補を内定した選挙区はこれまで35で、野党共闘の主要な対象となる1人区はこのうち23に上る。「得票850万票、8人以上の当選」を掲げる比例代表での票の掘り起こしにもつなげたい考えだ。
一方で志位氏は、野党間で協力の合意ができた選挙区では候補を取り下げる可能性に言及している。共産党関係者によると、態勢づくりを先行させることで民主 党に共倒れの危険性を意識させ、結果的に共闘をスムーズに運ぶ段取りを描いており、共産党幹部は「こちらの本気度を見せつけることが重要だ」と語る。
これに対し、民主党が選挙区で公認した候補者は21人で、1人区は9人にとどまる。野党協力をめぐっては、共産党が主導権を握る印象がついて回っており、 岡田氏に近い民主党幹部からは「連立政権構想をぶち上げておいて、その後も候補者を立てるのは矛盾している」との声も出ている。
≫(時事通信)
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