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『蛭子の論語 自由に生きるためのヒント』(KADOKAWA)
「安保法案は野蛮な人の思考」自由をこよなく愛する蛭子能収が再び強烈な安倍政権批判! そして賭博擁護(笑)
http://lite-ra.com/2015/11/post-1682.html
2015.11.15. リテラ
〈僕はノンポリだから、どうでもいいことのほうが多いんですよ〉
テレビ東京系で放送中の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』がまさかの映画化、さらに著書『ひとりぼっちを笑うな』(KADOKAWA)、『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社)が軒並み大ヒットと、なぜかここにきてプチブレイク状態の蛭子能収。そんな蛭子さんが孔子の『論語』を読み、その教えに対し蛭子流の解釈を加える、『蛭子の論語 自由に生きるためのヒント』(KADOKAWA)というどうかしてるとしか思えない企画の本が最近出版された。冒頭に引用した言葉はそのなかで綴られている発言である。
確かに、テレビなどで蛭子さんを見ていても、そんなに政治的意識が高そうな人には思えない。当サイトでも折に触れて取り上げているように、最近では右傾化する日本や安保法案に対し危惧の声をあげながらも、『ワイドナショー』(フジテレビ系)にゲスト出演したときは、安保賛成を掲げる松本人志に媚びたような発言をしたりと、その意見にどこか焦点の定まらない印象は拭えない。
しかし、そんな「ノンポリ」の蛭子さんにも、絶対に譲れないものがある。それは「自由」と「命」だ。
〈人に気兼ねすることなく、自分のやりたいことをやりたい。だから、自分の人生が自由であるためにどうすればいいのかをいつも考えて行動しています〉
〈僕にとって究極の目標は、死なないことなんですよ。だって死んだら、消えてなくなってしまうんですよ! 死んでしまっては、自由も何もあったものじゃない〉(『蛭子の論語 自由に生きるためのヒント』より。以下同)
蛭子さんがなによりも大事にしている「自由」と「命」。しかし、悲しいことに、いま我が国は戦後70年間大切にしてきたその二つを自ら捨て去ろうとしている。だから、いつも飄々としている蛭子さんも黙っているわけにはいかなくなった。
〈安倍晋三政権が強い姿勢で挑んでいる、「集団的自衛権」などの行使を可能とする「安全保障関連法案」の問題。テレビのニュースや新聞で動きを見ていても感じるのだけど、「やられる前にやる」っていうのは“野蛮な人”の思考ですよ。人間はジャングルの猛者ではないんだから、もっといい考えが浮かぶはずなのにな。そのために法律を変える努力をするぐらいなら、どうしたらそれを避けることができるのかを考えるべきですよ。
真の政治っていうのは、本来そういうものだと僕は思うんですけどね〉
戦争は「自由」も「命」も奪う最たるものだ。それは歴史が証明する通り。戦争が始まったらどんどん自由は規制され、命も軽いものとなっていく。そんな状況になってしまったら、「自由」を愛する蛭子さんはもとより、誰も幸せにはならない。そんな戦争を外交努力も怠ったまま始めやすくなる法律をつくられてはかなわない。さらに、蛭子さんはこんなことも綴っている。
〈“義”っていうものも、考えようによっては怖いものだと思っています。
それこそ“正義”っていうものがありますよね。だけど、この“正義”が、僕はときどきわからなくなるんです。正義と思ってついていったら、悪い結果に繋がってしまうってことがありますよね? 古くは、太平洋戦争のときの日本もそうだったんだろうし、最近の政治を見てもそんな気がしてしまう。安倍晋三首相の言っている正義って何だろう? 何が正義なのか、すごく判断が難しい世の中になっていると思うんです〉
蛭子さんはオウム真理教の地下鉄サリン事件を例にあげながら「正義」の難しさを語る。あの事件は、〈こちら側からすると、単なる無差別殺人にしか感じられない〉ような〈テロ行為〉でも、〈オウムの人たちは、それが正義〉と思って決断した行動だった。
難しい「正義」のあり方。なにが「正義」なのかを見誤らないためには、色んな人の意見に耳を傾け、多様な考えや生き方に触れることで「バランス」を取るよう努力することが必要だ。だが、残念ながら、この国のトップにはそれができていない。
〈政治の世界を見ていて思うのですが、最近の政治家って自分の主義主張を振りかざすだけで、国民の声を聞こうとしないですよね。あれって、どうなんだろうな? 立場や生活環境の違いによって多種多様に存在するであろう国民の意見を取りまとめて、それをバランスよく調整していくのが、本来の政治家の役割なんじゃないかなって。
なのに、最近の政治家は自分のことばかり。それ以前に、人としてのバランスに欠けているとしか思えないような政治家が、やたらと多くありませんか? 連日のように新聞をにぎわせている政治家の問題発言を見ていても、おかしな世の中だなって思います〉
蛭子さんは本来〈子どもの頃から、他人と揉めるのが大嫌いで、できるだけ衝突を避けてきました〉〈他人を打ち負かしてまで自分が目立とうという意識は、まったくありません〉という性格の人間だ。
しかし、そんな蛭子さんをして、ここまで踏み込んだ発言をせざるを得ない、それほどまでに日本の「自由」と「命」は危ない状況にあるということなのか……。
といった具合に、なんだか蛭子さんのことが格好よく見えてくるぐらい毅然とした発言の数々だが、単純にそう思わせてくれないところも、蛭子さんの蛭子さんたる所以である。本のなかでは、本稿で紹介しているような格好いいことばかり言っているわけではない。
たとえば、「賭博」に関して。蛭子さんが「自由」と「命」を守りぬいて何がやりたいのかといえば、もちろん「競艇」である。本のなかでもいたる所に競艇の話が出てくる。ひょっとしたら、本業である「漫画」の話より多いかもしれない。しかも、賭け事に関する法律(刑法185条)に関するくだりでは、〈大きな声では言えませんが、僕はわけあって麻雀は控えていますけど……〉と前置きしながらも、こんな言葉を綴る。
〈ビール一杯とか、タバコ一箱といった少額のものを賭けるのは法律上セーフらしいのですが、お金を賭けるのは大小にかかわらず、「賭博罪」になってしまう。
抜き打ち捜査のような感じで捕まる人がいる一方で、ほとんどの人は当たり前のようにそれを続けています。どう考えても、この法律はなんだかおかしい〉
98年に麻雀賭博で現行犯逮捕され、タレント活動の自粛を余儀なくされたというのに、蛭子さん全然反省してないよ! そして極めつけはこんなエピソード。なんと、蛭子さん、孫の名前を覚えてないらしい。
〈先日、息子の嫁にひどく怒られました。孫の名前を覚えていないという話を、僕があちこちでしていたものですから、「お義父さん、それはちょっとあり得ないですよね」って咎められまして。たしかに、それは怒りますよね。なので、僕も嫁に素直に謝った。ただし、謝ったからといって、すぐに孫の名前を覚えられるわけではないんですよ。いまだにちょっと、うろ覚えなところがありますから〉
普通は自著にわざわざ書かないであろうこんな「本音」を書けるのも、いまの日本にはかろうじてまだ蛭子さんの愛する「自由」が残されているから。しかし、国民の声を一顧だにせず安保法制を通してしまうような人間がトップにいる状況が続く限り、その「自由」が奪われてしまうのは時間の問題。争いごとは大嫌いな蛭子さんだが、「自由」を守る「闘士」として、これからも、「自由」を壊す者らへのアンチテーゼを唱え続けて欲しい。
(新田 樹)
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