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安倍首相が“明治復活”旗印にする『坂の上の雲』、作者の司馬遼太郎が「軍国主義を煽る」と封印の遺言を遺していた(リテラ)
http://www.asyura2.com/15/senkyo196/msg/423.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 11 月 12 日 07:36:05: igsppGRN/E9PQ
 

                      司馬遼太郎『坂の上の雲』(文藝春秋)


安倍首相が“明治復活”旗印にする『坂の上の雲』、作者の司馬遼太郎が「軍国主義を煽る」と封印の遺言を遺していた
http://lite-ra.com/2015/11/post-1671.html
2015.11.12. リテラ


 11月3日は「文化の日」を「明治の日」にしようという気持ち悪い動きがある。

 きのう11日にも「「明治の日」を実現する集い」なるイベントが開催され、日本会議会長の田久保忠衛が基調講演を行った。「取り戻せ!明治の精神」というキャッチフレーズのもと、協賛には極右カルト「日本会議」はもちろんのこと、ヘイト団体である「頑張れ日本!全国行動委員会」、「新しい歴史教科書をつくる会」、「神道政治連盟東京本部」、「東京都神社庁」、「日本教育再生機構」など右派団体が名を連ね、稲田朋美政調会長もかけつけたという。

 現在「文化の日」とされている11月3日が、明治天皇の誕生日でもあり戦中は「明治節」とされていたことから、この日を再び「明治の日」とし、「厳しい国際環境の中で国家の独立を護り抜いた明治の先人たちに思いを馳せ」よう(明治の日推進協議会ブログより)というのである。

 数々の侵略戦争によって多くの国の人間の命と自由を奪い、日本自体も滅亡の危機に追い込んだ「大日本帝国」を取り戻したい、とは正気の沙汰とは思えないが、こうした明治日本への憧憬、回帰願望は単なる懐古趣味と笑っていられる状況ではない。
 
 たとえば、今年7月「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録へのゴリ押しだ。安倍首相は幼なじみでもある発起人の女性に「君がやろうとしていることは『坂の上の雲』だな。これは、俺がやらせてあげる」と語るなど、この登録には安倍首相の強い意向が働いていた。その背景に、明治日本の近代化を誇り大日本帝国の植民地主義の正当化をアピールしようという意図があったのは明らかだ。
 
 また、今年8月15日の安倍談話のなかで、明治の日本と日露戦争について、安倍首相は以下のように語った。

「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」

 明治日本の植民地主義を正当化し日露戦争を良い戦争だったと真顔で語る、この安倍首相の歴史観はつくる会の歴史教科書そのままなのだが、この歴史観のベースにあるとされるのが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』だ。

『坂の上の雲』といえば、『竜馬がゆく』とならぶ司馬遼太郎の代表作で、明治の軍人・秋山好古、秋山真之の兄弟と俳人・正岡子規の3人を主人公に、日露戦争へといたる明治日本を描いた歴史小説である。

 明治日本の近代化、そしてその結実として日露戦争を肯定的に描いていることから、愛読書にあげる保守政治家や右派論客は多い。

 たとえば、『「坂の上の雲」日本人の奇跡』(文藝春秋 2012年12月臨時増刊号)という『坂の上の雲』をテーマとしたムックには、安倍晋三をはじめ、石破茂、櫻井よしこ、中西輝政、葛西敬之といった右派の面々がこぞって寄稿している。

「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝にいたっては、『坂の上の雲』をきっかけに“自由主義史観”なるトンデモ歴史観をもつようになったというのは有名な話だ。西尾幹二の『国民の歴史』でも日露戦争を自衛の戦争とし、「司馬遼太郎氏は、日露戦争の原因は基本的には六対四の割合でロシアに責任があり、そのうち八割ぐらいはニコライ二世という皇帝の性格に原因があると言っていた」などと司馬の名前を持ち出す。

 安倍首相も、先述のように明治の産業革命遺産の世界遺産登録を『坂の上の雲』と呼んだり、facebookで「「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」
司馬遼太郎作「坂の上の雲」の冒頭です。
テレビドラマ化されご存知の方も多いと思いますが、その小説の舞台でもある愛媛県は松山市にやって参りました」などと得意気に『坂の上の雲』の一節を引くこともあった。

 安倍首相はじめ右派の政治家や論客たちが、強い日本=明治への憧憬を口にするとき心の拠り所としている、『坂の上の雲』だが、しかし、実は、当の司馬遼太郎は生前『坂の上の雲』が、右派の拠り所となることを危険視していたというのである。

 映画プロデューサー・山本又一朗氏が『文學界』11月号のインタビューで、挫折した企画でいちばん思い出に残っている作品として『坂の上の雲』をあげ、司馬に映画化権の獲得交渉に出向いたエピソードを披露している。

 アポなしで大阪に行き「1週間や10日ぐらいだったらお待ちしますから、ぜひお時間をください」という山本氏の熱意に押されたのか、司馬は山本氏を自宅に招き入れた。当初30分という約束だったのが「3時間40分もの大論争」になったという。
 
 というのも、司馬が映像化を強く拒否したからだ。

「山本さん、私はミリタリズムだとかナショナリズムというのは賛成できないんですよ。人は住民の単位で生きていけばいいと思っています」
「線を引いてここからが自分の土地、向こうがあちらの国、その結果、奪い合いをしてどっちが得したとか損したとか、そのために兵をあげてどうするとか、そういう話はストーリーだから書きますけど、それを映画なんていうものにされたら、影響力が大き過ぎて、いろんな人がそういうものに血気盛んになられても困るんです」

 こうした司馬の言葉に説得力を感じながらも山本氏は、現代の若者は生きる目的さえなくしている、『坂の上の雲』の時代は一個人が天下国家を動かせた、一個人が重要だった時代だ、だから「現代の若者に、おまえひとりで国が変わるんだよ、己の力をちゃんと見つめ直せ、と言いたいんです」と、国ではなく個人を描きたいのだと食い下がる。

 この山本の切り返しに司馬は「口の立つ方ですな」と感心するが、それでも司馬の意志はかたく、「山本さん、お願いです。他にもいっぱい書いた小説がありますから、他のものに目を移してください。『坂の上の雲』は一切やらせるわけにはいかない。ノーです」とキッパリ断られたという。

 単に山本が断られただけ、断るための方便と思われる向きもあるかもしれないが、映像化を断られたのは、山本だけではない。

 司馬自身、たとえば『「昭和」という国家』(日本放送協会出版)のなかで、
「この作品はなるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されえたくない作品でもあります。
 うかつに翻訳すると、ミリタリズムを鼓舞しているように誤解されたりする恐れがありますからね。
 私自身が誤解されるのはいいのですが、その誤解が弊害をもたらすかもしれないと考え、非常に用心しながら書いたものです」
としている。

 実際、山本だけでなく、NHKも司馬の生前『坂の上の雲』を映像化しようとして断られている。

『NHKスペシャル』を立ち上げるなどした元NHK教養部のプロデューサーの北山章之助氏が、『手掘り司馬遼太郎 ~その作品世界と視覚』(NHK出版)のなかで、NHKで過去に2度『坂の上の雲』の映像化許諾を依頼しいずれも司馬に断られたことを明かしている。
 
 北山氏自身は教養番組担当でドラマとは関係なかったが、司馬と関係が深かったことから、放送局長、会長直々の指示で、映像化交渉のために司馬のもとを訪れたという。二度目はNHK会長からのたっての依頼ということもあり、司馬はわざわざ断りの手紙をしたためた。

「その後、考えました。
 やはりやめることにします。
“翻訳者”が信頼すべき人々ということはわかっていますが、初めに決意したことを貫きます。
『坂の上の雲』を書きつつ、これは文章でこそ表現可能で、他の芸術に“翻訳”されることは不可能だ(というより危険である)と思い、小生の死後もそのようなことがないようにと遺言を書くつもりでした。(いまもそう思っています)
 小生は『坂の上の雲』を書くために戦後生きたのだという思いがあります。日本人とはなにか、あるいは明治とはなにか、さらには江戸時代とはなにかということです。
 バルチック艦隊の旗艦「スワロフ」が沈んだときから、日本は変質します。

 山伏が、刃物の上を素足でわたるような気持で書いたのです。気をぬけば、足のうらが裂けます。

 単行本にしたときも、各巻ごと、あとがきをつけてバランスをとりました。
 たしかにソ連は消滅し、日本の左翼、右翼は、方途を見うしなっています。状況がかわったのだということもいえます。
 が、日本人がいるかぎり、山伏の刃渡りにはかわりません。日本人というのは、すばらしい民族ですが、おそろしい民族(いっせい傾斜すれば)でもあります。
 『坂の上の雲』は活字にのみとどめておきたいと思います。

 以上、このことについては議論なし、ということにして」


 『坂の上の雲』の映像化は危険、小生の死後もそういうことのないように――。「明治の精神」をやたら賞揚していたイメージのある司馬だが、さすがにそれを現実世界に持ち込むことの危険性は認識していたようだ。いっせいに傾斜したときの日本人は恐ろしいというのも、先の戦争を知る人間だからこその強い危機感なのかもしれない。

 しかし残念ながら、司馬のこの強い決意はあっさり破られることになる。ご記憶の読者も多いと思うが、2009年NHKでドラマ化されたのだ。司馬が『坂の上の雲』映像化を拒否していることは、司馬ファンのあいだでは知られたことだったため、司馬の意志に背くドラマ化であるとして市民団体がNHKに質問状を送るなどの動きもあった。

 司馬本人は1996年に亡くなっているため著作権継承者であるみどり夫人が許諾したということだろうが、みどり夫人の弟で司馬遼太郎記念館の館長を務める上村洋行氏は映像化を許諾した理由について、「NHKの熱意」「(執筆当時の昭和40年代と比べて)技術力が大きく進歩」「原作者と同じ時代の空気を共有するスタッフが手がけるということ」(『スペシャルドラマ・坂の上の雲・第1部』より)などと語っている。しかし、いずれの理由も生前の司馬が抱いていた懸念を払拭するようなものでは全くない。それどころか、技術力など司馬の懸念とは何の関係もないし、技術が進歩してより迫力ある映像となると、むしろ危険度は増すではないか。
 
 何より、時代状況だ。前述の上村氏のインタビューによると、NHKが遺族と交渉し映像化権を取得したのは2000年前後のこと。つくる会による歴史修正運動、小林よしのり『戦争論』、小渕政権による国旗国歌法や盗聴法の成立……と現在にいたる右傾化の道を大きく踏み出した時期だ。さらにドラマが放映された2009年から2011年は在特会などネトウヨによる排外主義、ヘイト活動が大きく盛り上がっていった時期。かつて「もう右翼も、左翼もない」「国でなく個人を描く」という説得にも首を縦にふらなかった司馬がもし生きていたとすれば、はたしてこんな時代状況のなかで映像化を許可したただろうか。

「線を引いてここからが自分の土地、向こうがあちらの国、その結果、奪い合いをしてどっちが得したとか損したとか、そのために兵をあげてどうするとか、そういうものに血気盛んになられても困るんです」

 こうした司馬の警鐘もむなしく、現在、戦後民主主義を否定し明治が日本の理想かのような思想がはびこっている。安倍首相は、強かった明治日本という幻想を現実政治に持ち込み、日本を再び戦争のできる国に変え、教育勅語まがいの道徳教育を押しつけ、さらには大日本帝国憲法を彷彿とさせる憲法改正を目論む……。明治の日本を取り戻すべく着々と歩を進める、安倍首相。「俺のやろうとしていることは、『坂の上の雲』だ」とでも思っているのだろうか。

 自身の作品が最も怖れていた方向、ナショナリズムとミリタリズムの旗印とされているこの状況に、司馬は草葉の陰で何を思うのか。

(酒井まど)

 

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コメント
 
1. 2015年11月12日 08:31:00 : OO6Zlan35k
国民の生活水準は2割低下する。

岩田 一政 元日銀副総裁

2015年11月12日(木)日経ビジネス編集部
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/246215/103000104/?ST=print

生活保護費削減で存亡の危機に立つ福祉アパート

大阪あいりん地区発サポーティブハウスの実態と課題

2015年11月12日(木)庄子 育子

日本最大の日雇い労働者の街とされる大阪市西成区のあいりん地区(通称釜ヶ崎)。労働者が減った15年ほど前から、簡易宿泊所を転用した、「サポーティブハウス」と呼ばれる新たな住まいの形が登場した。主に65歳以上の高齢者や、病気やケガなどで働けない人向けに、「定住」するための場所を提供するとともに、日々の生活を様々な面からサポートする。
今では寄る辺ない人たちの「終(つい)のすみか」としての役割も果たしている同施設。だが、幾つか課題も重くのしかかる。サポーティブハウスにおける取り組みの実態や直面する課題について、自らハウスを営み、NPOサポーティブハウス連絡協議会の代表理事も務める山田尚実さんに話を聞いた。
(聞き手は 庄子育子)

山田尚実(やまだ・なおみ)氏
サポーティブハウス「メゾンドヴューコスモ」代表。2001年、夫の死去に伴い、簡易宿泊所の経営を引き継いだ後、サポーティブハウスに改装した。2011年より「NPO法人サポーティブハウス連絡協議会」代表理事。
まずは、大阪のあいりん地区にサポーティブハウスができた経緯をお聞かせください

山田:サポーティブハウスが初めてできたのは2000年です。バブルの崩壊により1997年ごろから始まった建設不況で、この街は稼ぐ手段がなくなって、ドヤと呼ばれる簡易宿泊所(簡宿)に泊まれずに路上で寝るしかない人たちが急激に増えました。

 本人さんたちはもちろん大変でしょうし、簡宿の経営者にとっても、昨日まで泊まっていた人たちが野宿になるのを見ると心が痛むと同時に空室の増加で経営難に陥るところが出てきた。路上で亡くなる方も増え、このままでは街がすさんで釜ヶ崎自体が衰退してしまう恐れがあるということで、1999年に学者や研究者、支援団体、地域住民、そして簡宿の経営者らが集まって「釜ヶ崎のまち再生フォーラム」という勉強会の場を設けました。そこでの議論の末に生まれたのが、サポーティブハウスの考え方でした。

具体的にどういったものを目指すことにしたのですか

山田:「路上から畳の上へ」を合言葉に、簡宿を、まずは生活保護を受けられる住まいの場としてのアパートに転用することにしました。行政区によって差があるようですが、大阪の場合、宿泊施設にいる状態では生活保護が受けられませんので。

 それでアパートに衣替えするに当たって、単に登記を変えるだけではなく、建物のバリアフリー化や、コミュニケーションの場となる談話室の設置、スタッフの365日24時間配置といった基準を自主的に設けて、満たすようにしました。というのも、釜ヶ崎には、大阪万博の開催などで建設ラッシュだった1970年ごろまでに大量に流入した労働者が多く、そうした人たちの高齢化が進み始めていたからです。

ずっと住み続けてもらうことを前提にした住まいづくりを進めたというわけですね。

山田:ええ。野宿状態からでも利用できるように、入居時には保証金なし・保証人なし、家賃も後払い可としました。生活保護につながったら家賃をもらいましょうという形です。手順としては、その人との話し合いによる聞き取りだけで、お部屋に住んでもらい、契約書を交わす。そしてスタッフが一緒に役所に出向いて生活保護申請の手続きを支援する。生活保護給付が認められるまでには1カ月ぐらいかかるので、その間のお弁当代を立てかえたり、着の身着のままで来られる方のために、古着を集めて着ていただけるものを用意したりといったこともするようにしました。

 入居後は、常駐スタッフが日々の生活を様々な面からサポート。支援内容は多岐にわたりますが、共用部分の清掃、安否確認以外に、例えば服薬時間の管理や見守り、通院時の付き添い、入院中の見舞い、弁当の手配、介護保険の相談などに応じることにしました。こうした一定の要件をクリアした転用アパートを、支援体制があるという意味でサポーティブハウスと名付けたわけです。

釜のおっちゃんたちに上から目線は厳禁

山田さんが現在、運営されているサポーティブハウス「メゾンドヴューコスモ」のオープン時期や内容についても詳しく教えてください


服薬管理が必要な入居者向けに1日分の薬を小分けにするスタッフ
山田:オープンは2001年です。その年に夫が亡くなって、私が簡易宿泊所の経営を引き継ぎいだのですが、当時、128室あった部屋の稼働率は50%を下回っていました。バブルの崩壊で経営が苦しくなったことで主人は体を壊した。だから、主人と同じことをやっても二の舞になる恐れがあるし、私自身、簡宿を続けていく自信は到底なかったので、サポーティブハウスとして新たな形でやっていくことにしました。

 覚悟を決めてからは、約2500万円をかけて内装を大幅にリニューアルしました。1階の8室と廊下をつぶしてサークルやイベント活動も行える広めの談話室をつくったほか、共用の浴室、洗面所、トイレをバリアフリーに。1室3畳の各居室は、壁紙や畳を新調し、エアコン、テレビ、冷蔵庫を備え付けとしました。その際、居室ごと電気メータをつけて、様々な電化製品を使ったり室内での炊事ができるよう、電気容量を増やす工事も行いました。

サポーティブハウスへの転用後、入居率は変化されましたか?

山田:ここ数年は、120室のうち空いているのは10室程度で、入居率が9割を超えています。

それだけニーズがあるということですね。

山田:ええ。入居者については、オープンして間もないころは、野宿の方が圧倒的に多かった。けれど、今は野宿の人が全体的に減っているので、状況は大きく違います。どこかのアパートや簡宿に住んでいたけれど、体を壊したり認知症の症状が現れたりして一人暮らしするのが困難になり、それでもちょっとした見守りがあれば生活できる。そんな方たちが、支援団体などを通じて紹介されてくるケースが多くを占めます。現在、110人の入居者の大半は男性の単身者で、平均年齢は約70歳です。

今、スタッフは何人いらっしゃるんですか?

山田:全部で8人です。通常、日勤帯は、私も含め4〜5人は必ずいるようにしています。夜は宿直者1人体制です。入居者は宿直者の泊まる部屋を知っていますので、何かあったら誰かがすぐにそこに呼びに来る感じになっています。

昼間の時間帯は充実した人員体制ですね。

山田:そうかもしれません。基本的な姿勢として私たちスタッフは身体介護をしません。するのはあくまで日々の生活のサポートです。ただ、これが本当に多種多様なんです。薬の管理や金銭管理を行っていることは先ほど申し上げましたが、とにかく相談業務が多い。

 「釜のおっちゃん」たちはそれこそ事情のある方がほとんどですよ。借金の問題であるとか、体の問題であるとか、そのほか本当にありとあらゆる問題を抱えている。自分では経験しないようなことばかりです。例えば、戸籍を取り寄せたら、家族と連絡を取っていないから死んだことになっていたとか、住民票を移されてどこか身に覚えのない借金をつくられていたとか。病気や障害にしたって、この地域に日雇いで来られる方って、普通の一般社会で生活していくのが難しい人が圧倒的に多い。

 釜ヶ崎というのは、そういう人たちでも普通に受け入れてやっていけるすごく懐の深い街なんです。その方たちが、景気のいいときやったら建設会社なんかもゴミ集めとか運搬とか単純作業があったりで仕事をさせてもらえて生きてきはった。けれど60(歳)になり70(歳)になり、仕事もできなくて生活保護につながったものの、生活スキルがない。そういう方たちが病院に行くのにどうすればいいかとか、役所から来た手紙をどうやって読むか、どういうことが書いてあるかとか、それこそ銀行の通帳をどうやって作るのかというのをわからない人が山ほどいてはる。字が書けない人たちももちろんいる。そういう人たちに一人ずつ手を差し伸べている、というか寄り添って一緒に安定した生活を送っていきましょうというのが私たちの役割です。

 とにかく、上から目線は絶対だめなんです。釜のおっちゃんたちは、たとえ生活スキルがなかったとしても、「この橋、ワシ建てたんやで」「このビル、私が建てたんや」とか、自分が今までやってきはった仕事に対して誇りをもっていますし、実際、そういう人たちが高度成長期を支えてきた。ですから、リスペクト(尊敬)しながら、困っていることは一緒にやろうねというスタンスでやらないと。あとはやり続けることが肝心です。

特定の介護会社に頼らない

見守りが必要な人はどんどん年を取っていくわけですよね。


白を基調とした3畳の個室。各部屋にエアコン、テレビ、冷蔵庫を備え付けている
山田:そうですね。うちで今、要介護認定を受けている方は半数近くいてはります。

 介護については、私はすごくこだわりがあるんです。うちは介護会社を持っていないんです。それで今、うちの入居者が利用している介護会社は10社ぐらいあります。

10社ぐらい入っているということはこのサービスはここが得意とか使い分けているということですか?

山田:そう。例えば、お風呂に一緒に入ってもらわなあかん人やったら、同性同士で男性ヘルパーが多いところがいいでしょ。にぎやかなところが好きな人はにぎやかなおせっかいやきのおばちゃんスタッフらが多いところがよかったりする。介護会社にもそれぞれ特色があるので、本人さんの特質や性格、必要なことを考えながら、できるだけふさわしいところを選んで本人さんたちに決めてもらっています。

「うち1社にしてください」という営業をかけられたりしませんか?

山田:ないない、だって私たち介護会社に対してうるさいですから(笑)。

 まず、うちの入居者のもとを訪れるにときには事務所の前で、「今から誰そこのところに行きます」と必ず声をかけてから入室してもらうようにしています。

 入居者を日ごろ見ているのは私たちでしょ。そしたら例えば昨日までは調子が良かったけど、今朝、見たら、顔色悪いし咳出ているということが分かる。だから、入りはるヘルパーさんに「昨日まで元気だったけど今朝はこんなでちょっと様子みてあげて」とか言うんです。それでヘルパーさんに、帰り際、「熱測ったけど、ちょっと病院に連れて言った方がいいと思います」などと報告してもらう。そして、うちの方で実際に通院に付き添ったり、ケアマネージャーさんに連絡を入れたりしています。

 そんな連携ってとても大切やと思っているんです。ヘルパーさんはスポットでしか入れないですから。日頃見ている私たちが責任を持ってつなげないと。デイサービスを受ける際の施設スタッフともしょっちゅう情報交換しています。

 それから、うちはもし対応の悪いヘルパーさんだったりしたら、そこの介護会社に「この間、この人入ってはったけどこんな状態で困った」とすぐに伝えるんです。もうその人は出入り禁止ね、とあからさまには言わないけれど、そんなニュアンスを言葉の節々に出しながらね。そうした方が、質が高まるでしょ。

 うちには何社も介護会社が入っていて、各社を比較しながらスタッフの力量が試されているって、介護会社側もわかっているので、「一手にサービスを請け負わせてください」なんて絶対言ってきません。そして基本的にとてもいい人材を出してきてくれてはると思います。

 延べにしたら1日100人ぐらいの介護のスタッフの方たちがうちには来ています。要介護度5の人もいるので。

えっ、(重症度が最も高い)要介護度5の人がいるんですか。

山田:ええ、脳梗塞で半身不随になってもうベッドから自力では動けないといった人たちがいてはります。すると、ヘルパーさんにはおむつを替えたり食事介助のために朝昼晩入ってもらう。また、訪問看護や、場合によっては訪問診療にも来てもらいます。あとは車椅子に乗せられる方は、移乗してもらってデイサービスに行き、そこでお風呂に入れてもらうとか。

 ある要介護度5の人は、脳梗塞でいったん入院した病院から、「居宅での生活は絶対無理や」と言われたけれど、本人さんがどうしても、「帰りたい。病院はいやや、コスモで死ぬんや」と言うので、連れて帰ってきたこともありました。

突如現れる家族に翻弄されることも

山田:病院との関係で言うと、私たちサポーティブハウスが大切にしているのは、通院時の付き添いや入院中の見舞い以外に、病院側スタッフとの徹底したコンタクトなんです。入居者の方の調子が悪くなって入院したら、私たちは必ずアポを取って、ドクターや看護師、医療ソーシャルワーカーなどの方たちとお会いして、今後の治療方針や退院時期の目途などを必ず聞くようにしています。また、もろもろ入居者本人の希望を伝えたりもしています。

病院には頻度としてはどのぐらい行かれるのですか?

山田:通常のお見舞いであれば、最低月に1回以上。医師とのやり取りに関する最近のあるケースでは、肝臓癌の手術を受けるのに、毎週のように病院に話し合いに行っています。

もう家族ですね。

山田:そうですね。でも本当の家族じゃない。ほんまの家族がいてはり、困ることもあるんですよ。だって、家族さんが優先じゃないですか。

 今までにこんなことがありました。私たちや支援団体の方で長年にわたってサポートを続けてきた方が癌で入院された。それで、死期が迫ったら、病院の方で、本人さんから音信不通だった家族の連絡先を聞き出して実際に連絡を取った。そうしたら、家族は関わり合いたくないから、「病院にすべてお任せします」と言ってきた。すると、私たちはもう何も口出しできない。

 本当はその方は、入院される前に、「手術を受けるならこうしてほしい」とか、「死ぬならうちで最期を迎えたい」と話されていた。でも、病院は「家族に任されたのだから」と聞く耳を持つことはなかった。しかも、「もう見舞いにも来るな」とも言ってきて…。結局、その方は病院で亡くなられました。

入居者さんにとって気の毒なお話ですね。

山田:ええ。家族との関わりに関しては本当に難しい。ほかにも、実は家族が良かれと思ってやったことが災いするケースもあるんです。

 精神障害を抱える入居者さんがいて、その方にはお兄さんがいる。お兄さんは悪い人ではなく、むしろ弟さん思い。それで、たまにだけれど、この施設に来て、弟さんを連れ出して、焼き肉を食べに行かれたりたりするんです。おかげで入居者さん本人はうれしいんやけれども、その刺激が、その人の病気を悪化させてしまっている。その人にとって今、一番あかんのは日常のルーチンから外れたことなんです。それをすると、リズムを崩しておかしくなる。だから、ありがたいんやけど、遠慮してほしいというのが本音。結局、このケースについては、お兄さんに精神科のドクターの方から話をしてもらいました。

家族が無関心というのも問題だけど、たまに来てもらってもそれはそれで迷惑ということなんですね。

山田:迷惑というか本当にリズムを崩すんで、本人にとっては苦しいから、少し配慮してもらいたいと言いますか。お兄さんは自分が帰った後の弟の苦しむ姿を見てないので何も知らないわけです。

入居者の中には認知症の方もいられるんですよね。どのぐらいの割合でいらっしゃるんですか。

山田:認知症の初期かなという人も含めれば1割じゃきかないと思います。最初から認知症で入って14年たつ人など、いろんな方がいてはりますよ。

徘徊される方とかもいらっしゃるのでは

山田:もちろんです。あまりにひどい場合は、介護施設に入所してもらったこともあります。例えば、毎日、違う警察から「迎えに来てください」と連絡きていた人がいてはった。近くを徘徊している分には、ヘルパーさんや私らが探せるんやけど、元気でどんどん遠くまで徘徊されるようになった。そうなると、もう私たちの手には負えなくなって、介護施設にお願いしたのです。

こちらで見ていられる近場の徘徊の頻度というのは。

山田:それはしょっちゅう(笑)。認知症の方には、ヘルパーさんに頼んで衣服や靴に全部名前を書いてもらっています。

 あと、ときには徘徊される方の後ろをずっとついて歩くこともあります。この間も、外に出ては「俺は重病や。入院させてほしいんや、救急車呼んでほしいんや」と会う人会う人に言う人がいるので、私が10メートルほど後ろにつけて、「この方、認知症なんです。大丈夫ですから」と、説明して回りました。


談話室で入居者と会話を楽しむ山田さん
「広くなければ文化的でない」として切り下げられた住宅扶助

ところで、数々のサポートをされている費用はどうやって賄っているのですか。

山田:手数料を一切もらうことなく、家賃の収入だけで賄っています。私が代表を務めているNPO法人サポーティブハウス連絡協議会に加盟している8施設とも同様の扱いです。家賃は、1人当たり月額4万2000円です。これは大阪市が定める、旧基準での生活保護の住宅扶助額の上限に当たります。

 旧基準というのは、今年7月から住宅扶助の額が変わったんですよね。新たな基準では、大阪市の生活保護の住宅扶助の上限は4万円になり、さらに「床面積」の要素が新たに加えられて、狭ければそこから減額されるようになった。うちの場合、月額3万6000円です。

 この制度改正の背景には、狭小スペースに何人もの生活保護者を住まわせ、限度額の家賃を不当に得るいわゆる「貧困ビジネス」の抑制があります。

 確かにこのへんで悪質なところがあるのは事実。そもそも、私たちはこの地域で、サポーティブハウスという形で、ドヤをアパートに変える先陣を切ったわけですけれども、それを見て、一切サポートなしで、登記のみドヤから福祉アパートに変えて、我々と同じだけの家賃を徴収するところが結構出てきた。「看板書き換え施設」とでも言いますかね。

 そういうアパートでも、昔ながらの世話やきの管理人さんががんばっているところもある。けれど、貧困ビジネス的なところがやはり入り込んでしまっている。だから懲罰的に生活保護の住宅扶助が下げられた。

 でもその影響を受けるアパートは悪徳事業者に限らないんです。サポーティブハウスは多くのスタッフを雇って入居者一人ひとりに寄り添った支援をしているのに、役所は「広くなければ文化的ではない」の一点張りで、例外を認めてはくれない。

 新基準は今年7月以降に生活保護費の給付が認められた方から適用されるので、まだ大きな影響はありません。けれど、この先、じわじわと効いてきます。うちはすべての人が新基準適用となれば、今より月額で60万円超の収入減になります。家賃が下がれば、スタッフを減らさなければいけません。でも、支援の質を保つにはそれはできないし、したくない。本当に悩ましい問題です。

 今回の住宅扶助の引き下げに関し、この辺りでやっている支援団体の方々も同じように憤慨してくれています。そういう人たちとタッグを組んで、行政に支援の実態と必要性を行政に訴え続けるしかないと思っています。

なるほど、家賃引き下げの件は深刻ですね。

山田:ええ。あと、中には比較的年齢が若い方から「広いところがいいから転居したい」という声が上がることもあります。転居できる人はしてもらってこちらも一向に構わない。でも、そういう人に限って、ギャンブル依存やアルコール依存で、生活支援が欠かせなかったりする。

 保護費が振り込まれたらその日のうちにお金を使いきり、家賃を払えずにアパートを追い出されてしまった。そんなことを繰り返し、それなら金銭管理をしてくれるからということで、支援団体がうちを紹介して、入居してきた。行政からも、生活保護費を受け続けるなら、ちゃんと面倒をみてくれるところに入ってもらわないと困るとお灸をすえられている。

 だから、うちでサポートしているわけです。もしそういう形でうちに来られている人たちが、広くてきれいだけれども支援がないところへいったら、あっという間に元通りの生活になりますよ。それは文化的な生活ではないですよね。

地域とのつながりが希薄に

住宅扶助引き下げ問題のほかに大きな課題はありますか

山田:釜のおっちゃんたちと地域とのつながりが薄れつつあることをとても危惧しています。

 釜のおっちゃんたちをたくさんの眼で支えて、一人ひとりに安心・安定した生活を送ってもらえるようにすることが私たちの願いです。孤独な身のおっちゃんたちの楽しみの一つに、子どもたちとの触れ合いがあります。近所の保育園の運動会の際には、向こうから声がかかって、おっちゃんたちが設営や片付けの手伝いをしているんです。そのお礼にと言って、運動会場に高齢者席というのを設けてくれて、おっちゃんたちはそこで競技を見ています。

それは入居者にとって楽しみになりますよね、張り合いといいますか。

山田:ええ。そこからは焼き芋大会にも招待されています。

 実は近所の小学校とも、行事によっては呼ばれる関係がこれまで長年続いていました。けれど、その学校は児童数の減少によって今年3月末で廃校となった。それで隣の校区にある二つの学校と一体化されて、市立の中高一貫校に生まれ変わりました。これが橋下徹市長の肝いりで作られた、高度で充実した教育を行うことを売りにした「スーパー校」なんです。橋下さんは西成区の活性化を目指したようです。

 ただ、この学校が作られる過程で、周囲の生活環境が悪すぎるといった非難の声もたくさんあがりました。だからか、学校側は地元と距離を置き、そこから今年は運動会の際にお呼びがかからなかった。おっちゃんたちはもうがっかりですよ。

 せっかく肝いりでつくった小中一貫校だけれども、地域に還元されなければ意味がないと私は思うんです。これまで積み上げてきた子供・子育てとの連携が途絶えかけている。釜のおっちゃんたちをどうか切り捨てないでほしい。そう切に願っています。

このコラムについて
キーパーソンに聞く

日経ビジネスのデスクが、話題の人、旬の人にインタビューします。このコラムを開けば毎日1人、新しいキーパーソンに出会えます。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/111100085/?ST=print


[32削除理由]:削除人:関連がない長文

2. 2015年11月12日 09:47:50 : KzvqvqZdMU
> 数々の侵略戦争によって多くの国の人間の命と自由を奪い、日本自体も滅亡の危機に追い込んだ「大日本帝国」を取り戻したい、とは正気の沙汰とは思えないが
----------

こーゆー戦後に作られた歪んだ歴史認識を早急に正さなければならん。
戦後教育の是正だな。

文化の日は明治節という呼称を復活するべきだし、子供の日も端午の節句と
名称をもとに戻すべきである。

戦前を全否定する糞サヨを弾圧することも政治の責任として早急に実行せよ


[32削除理由]:削除人:アラシ

3. 2015年11月12日 12:42:46 : Q45IpfOmPM
NHKドラマの坂の上の雲、原作を読んだものとしては気の抜けたような作品だった。
司馬の求めたテーマから外れ、ただ勇壮な、そして安っぽいメロドラマのようなストーリーばかりが羅列されほとほと退屈な仕上がりだった。
CGばかりに力を入れて、少しも臨場感が高まらない。
やはり作らない方が正解のドラマだった。

4. 2015年11月12日 12:57:51 : Q45IpfOmPM
いろいろ批判の多い司馬作品だが、東アジアに向ける視線は安倍なんかの支持者とはまるで違うのだがそこがあまり語られることがないのが残念である。
何より狂信的攘夷主義者というのを嫌った、合理主義者だった。
そういえば陸軍における長州的遺伝子などということも言及しており、そのファナチズムには批判的だったと思う。

5. 2015年11月12日 17:41:41 : qvPpp5EYlA
●明治維新の真実を国民が知るべき時が来た!

明治維新が英米の武器商人にあやつられた長州・傀儡政権作りと武器商人パートナー(三菱)作りが目的であったことを知るべきだ。

それが今日の米国に隷属する日本の始まりだった。

即ち、長い時を経て形作られてきた日本の終わりの始まりだった。

そしてついに米国グローバル資本と米日軍産複合体に蹂躙され劣化に向けてひた走る今日の日本につながっている。

明治維新の真実を我々は知る必要があるのだ。

●産経新聞の記者あがりの司馬遼太郎だもの明治維新の真実は伝えず美化するだけだ。

明治維新の真実は例えば下記で知ることができる。

★『維新正観』(蜷川新著、批評社)

★『明治維新という過ち』(原田伊織著、毎日ワンズ)



6. 2015年11月12日 18:37:18 : qvPpp5EYlA
>5
>明治維新の真実は例えば下記で知ることができる。
>★『維新正観』(蜷川新著、批評社)
>★『明治維新という過ち』(原田伊織著、毎日ワンズ)

●幕末の真実

・江戸幕府は我々が持っているイメージの鎖国をしていたわけではない。

・欧米列強がアジアを植民地化し支配しようとしていたことに対する防御はしていた。

・幕臣達の中には国際法に通じた者が育っていて、巧みな外交を展開し欧米列強からも一目おかれる存在となっていた。
 ↓
恐らく、このことが狂人テロリスト・吉田松陰に感化された長州下級武士中心の傀儡政権作りに欧米列強を走らせた原因だろう。

・松下村塾は吉田松陰が作ったものではない。吉田松陰は後をついで、なにかを教える場としてではなくサロンのようなものだった。

・吉田松陰は二言目には「暗殺」を口走る狂人的テロリストだった。その結果、松下村塾は下級武士や地下浪人のたまり場でありサロンであったが、狂人吉田松陰の圧倒的影響力により皆狂人テロリストとなっていった。

・このような者達に英米武器商人達は最新鋭の武器を売り与え、幕府転覆のテロを実行させた。

・狂人テロリスト達が行った戊辰戦争における数々の凄惨・悲惨な蛮行は語るもはばかられるほどであった。

・長州を中心とした明治傀儡政府が誕生したが、英国に仕込まれた国の再構成(廃藩置県)などを行ったものの。国際法にも疎く、特に外交はつたないものであった。

・やがて長州中心の関東軍が中国に進出。そこにはやがてCIAの手先となる岸信介や国際連盟脱退演説をして第二次世界大戦に突入するきっかけとなった松岡洋右などの長州人が多くいた。この行け行けドンドンは吉田松陰の遺伝子である。

・そして第二次世界大戦、原爆投下、安保条約を経て日本は米国の植民地となった。

●吉田松陰に感化された土佐の地下浪人の孫が吉田茂、同じく長州の下級武士の孫が岸信介。

そして吉田茂の孫が麻生太郎、岸信介の孫が安倍晋三。

即ち、日米安保条約を通じて日本を米国に売り渡したのは、米英に利用された吉田松陰門下の人間達の系列で行われてきたと言うことである。

米国軍産複合体が明治の時代からの傀儡政権の人脈で日本を戦略的に支配してきたということなのだ。

こうした事実を知った上で、確固たる志で新たな日本を作る、あるいは取り戻すのでなければならない。

●歴史の奔流にさおさしては成らない。

時代を野蛮な明治維新の頃に戻すなどという世界の歴史の大いなる流れにさおさすバカなことを考えるのではなく、我が国に長い歴史を通じて作られてきた共生の文化を世界の未来のあるべきイメージとして取り返す活動に向かわなければならない。


7. 2015年11月12日 20:07:08 : qvPpp5EYlA
6(訂正)
●吉田松陰に感化された土佐の地下浪人の孫が吉田茂、同じく長州の下級武士の孫が岸信介。

●吉田松陰に感化された土佐の地下浪人の子が吉田茂、同じく長州の下級武士の子が岸信介。

なお吉田茂の父は土佐の竹内綱で、母親は芸者だったらしい。

チャーチルを真似て葉巻をくゆらす姿でイメージ作りしていたが、実際に英国のエージェントであったことが明らかとなっている。

吉田茂の孫の麻生太郎が粋がってアルカポネ風に不似合いな格好をしているのも、吉田茂ゆずりと言えば言えなくもない。いかにも品がないのだ。


8. 2015年11月13日 08:32:26 : gha4wQHsWY

民主主義は「明治憲法」を否定してきたはず・・・。

   戦争に走った「明治憲法」の仕組みだ。

   ノスタルジーか?

     、


9. 北の零年 2015年11月16日 03:09:11 : pi7eKAjFENWsU : CPrX6NSQ8k
削除されているが、コメント1は興味深い。



10. 2016年3月22日 17:41:50 : JWcUQeL3KY : 8Fo7DWBPqlE[4]
安倍さんは司馬史観だったのか・・、それはかなりマズいと思うがのう。
ちなみに当方は左翼ではない。

 ーーー

司馬遼太郎史観ははたして正しいのか、--- 『坂の上の雲』の歴史観に問題はないか(『株式日記と経済展望』より)
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/360.html
投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 1 月 19 日 14:41:36:Sn9PPGX/.xYlo Tweet

 ーーー

日本を守るのに右も左もない
2012年08月21日

幕末の思想5 司馬史観の嘘、歴史小説家の罪
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2012/08/2324.html一部引用


現代日本人の抱く幕末像を形成したのは、『竜馬がゆく』をはじめとした司馬遼太郎の小説によるところが大きい。
前回の記事「吉田松陰は単なるテロリストにすぎない」にあるように、単なるテロリストにすぎない吉田松陰が偉大な思想家・教育者であるかのように捏造されたのも、司馬遼太郎の小説が一役買っている。
ところが、この司馬史観は事実に反することが明らかにされている

 −−−

伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」

【余命の大嘘】安倍政権の政策課題に「在日問題」は無い
2016-03-22 16:21:55
http://blog.goo.ne.jp/duque21一部引用


私は、天才歴史小説家の司馬遼太郎の大ファンで、彼の著作は、全部読破した。自分の歴史観は、
「司馬史観」であるが、偏るといけないので、会津出身の「早乙女貢」の「会津士魂」なども読破した。
その意味で、「歴史観」はバランスが取れていると思う。



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