3. 2015年11月11日 07:10:02
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国連幻想から目覚めよ、ニッポン 藩基文事務総長下の演説は中国を利するだけ 2015.11.11(水) 森 清勇 国連PKO要員、中央アフリカで少女暴行か 潘総長、責任者を更迭 国連の潘基文(パン・キムン)事務総長〔AFPBB News〕 日本の対外発信は貧弱であり、国際交渉術は幼稚であると言われる。従軍慰安婦問題や南京大虐殺などが世界に広まっていく状況はまさしくそうした結果であろう。 数カ月前の世界文化遺産登録における韓国との交渉は詰めの甘さが見られたし、数週間前の中国の記憶遺産登録は油断がもたらしたものであった。その後、文部科学大臣はわざわざユネスコで演説しながら改革の必要性を述べるだけで、中韓の事実の捻じ曲げに言及し、糾弾することをしなかった。 「大人の対応」であろうが、これは以心伝心の日本国内だけに通用することで、国際社会、特に中国や朝鮮半島の国には通用しない。彼らが、日本の一寸した行動に対しても口を尖らして世界に向けて抗議するように、日本も世界に向けた発信が必要である。 外務省や財務省・経産省などの省益あって国益なしの為体(ていたらく)にはいつものことながら辟易してきたが、新たに文科省も追加すべきであろう。 国家に益する情報発信、いうなれば情報戦に勝つための努力が不足しているばかりか、外国での国際会議に出かけて国益を害する行動さえ日本はしばしば取ってきた。 翁長雄志沖縄県知事のジュネーブにおける演説もそうした1つである。沖縄県が日本と対立するかのような演説は場違いであり、またその後の法廷闘争は外国の干渉を招く現代版三国干渉に成り兼ねない危険性をはらんでいる。 普天間基地の辺野古移設が迅速に行われなければ、南シナ海に焦点が当たっている間にも中国の東シナ海でのガス田開発工事は進捗し、尖閣諸島対処を益々困難にするだけである。 琉球王国から沖縄県へ 沖縄と日本の関係は江戸時代の外交資料などに詳述されている。鎖国政策をとっていた日本は、わずかに朝鮮と琉球王国に限り国交(当時は「通信」といい、交流使節を通信使と呼んだ)を結んでいた。因みに、唐とオランダとは貿易だけの関係であった。 朝鮮との交流は朝鮮通信使で膾炙され、対馬では関連の祭りが近年の韓国大統領による対日感情の悪化まで行われていた。 一方、琉球王朝は中国と冊封関係にあったが、1609(慶長14)年、島津氏の武力侵攻を受けて後、江戸幕府の支配下に置かれた。しかし、薩摩藩は貿易の利を得るため、琉球に中国との冊封関係を許していた。 日本の支配下に置かれた琉球であったが、幕府は国王の襲封を許す政策をとった。王朝は感謝して、国王が替わるごとに謝恩使を江戸に送った。また将軍の代替わりには慶賀使を幕府に遣わした。これらは「江戸のぼり」と呼ばれていた。 幕末になると、英国やフランスが通商を求めて琉球にやってくる。直前に起きたアヘン戦争の情報を得ていた幕府は、日本では許していなかった対英仏通商を琉球に限って許した。その6年後にペリーが琉球、次いで江戸へとやって来る。 危機感を募らせた幕府は、琉球王国を廃して琉球藩とし、明治維新後は廃藩置県で沖縄県とした。この一連の動きは琉球処分として知られる。 清はこの動きに反発して両国関係は緊張するが、日清戦争によって台湾の割譲と琉球に対する日本の主権を認めざるを得なくなる。 1919年、強風で遭難し尖閣諸島に漂着した福建省の漁民を石垣村の人たちが救助し、送り返す。翌年、中華民国が石垣村に贈った感謝状には「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記載されている。 歴史的にも、尖閣諸島はまぎれもなく日本の領土である。 甘えの構造 英国のスコットランドやスペインのカタルーニアのように、またクリミアやウクライナの東部、あるいは中国のチベットのように、国内に独立志向の地域や不満を抱えた民族が存在する。看過できない紛争や人権問題などに発展すれば、国際社会が調停などに乗り出してくることはあり得る。 しかし、国内の一地域や民族が国連機関や国際会議の場に出かけて行って、自分たちは独立したいが中央政府が許してくれないとか、外国軍の駐留に現地は反対であるが中央が聞いてくれないなど、国内問題を外国の判定に自ら委ねる国や地方はない。 万一、チベットや新疆ウイグルなどがそうした行動に出たら、彼らの運命は保証されるだろうか。一切の話し合いは行われないで、さらなる酷政が待っているだろう。 何も独立問題や経済格差などの不満などばかりではない。人類普遍の人権問題であっても、日本以外の全部と言ってよい国が、国内の意見不一致を国際機関に決めてもらいたいなどとは思ってもいまい。 ましてや、沖縄問題は日本の国内問題であり、基地は日米間の問題である。それにもかからず、翁長知事は国連人権理事会の場に持ち出した。 たとえ米軍による犯罪が起きているとしてもボスニアやコソボ、あるいはルワンダなどで起きた虐殺ではない。なぜに国内問題や同盟関係の日米問題を国連に訴えるのかと、国際社会は奇異に感じたに違いない。 1980年代後半はベルリンの壁が崩壊し、ソ連が解体した激動の時代であった。そうした時代に世界の主要国はどのような交渉戦略で臨んでいたか、はなはだ興味のあるところである。 米国務省の傘下にある外交研究センターが1987年にまとめた『米国の国際交渉戦略』には、米国が感得した日本や中国、ソ連などの交渉スタイルを詳述している。 その中で、「日本の国家的交渉流儀は、(中略)公然たる社会対立を避ける文化」である。「国際会議において他の国々に(国内問題の解決のために)イニシアティブをとってもらうことで十分満足して」いる。 また他の資料では、どこの国よりも大規模の代表団を送り込んで来るので警戒したが、省間(旧大蔵省と通産省など)の調整がつかず、列席の各国に判断してもらおうとするもので、手の内が分かり恐れず交渉できたと述べている。 大代表団は各省の代表で、「日本代表」ではなく、恐れることはないという落ちである。 安全保障で長い間、日本は米国にただ乗りしてきたことからも分かるように、日本の甘えが日米関係には投影されてきたと纏めている。国際情勢の激変を考えようとしない甘えの構造(油断の構造といった方が良いかもしれない)は、今次の安保法案審議でもいやというほど見せつけられた。 中国の領有権主張こそ難詰すべき 知事の行動には賛否こもごもの反応があった。いくつかの問題点を拾い上げてみると、第1は安全保障に関わる問題であり、「国益を損なう軽率な行動」(「産経新聞」9月28日付「主張」)であったことは言うまでもない。 第2に、沖縄県の願望実現をかえって遅滞させるか、あるいは永久に不可にする危惧である。沖縄県人の願望に頬かむりはできないことを政府は承知している。基地返還のタイム・スケジュールをできるだけ前倒しする方向で動いており、現実にも目に見える形で用地返還が進んでいる。 第3は県内の基地移設賛成派や辺野古の受入れ基地住民の感情を理解せず、全県民が移設反対であるかのような言動をしていることである。現地の声が反映されていないという批判の声も上がっている。 中国は尖閣諸島の領有権を主張し、近年は同地域を核心的利益と見なす発言さえしている。知事は先に中国を訪問した際も今回の演説でも、中国の言動には一言も触れていない。 主権が脅かされそうな危機に直面しているにもかかわらず、一向にそのことに触れないのは、国際社会では「容認」とも受け取られかねない。争点化は中国を利するだけであることを認識すべきであろう。 国連幻想をやめよ 日本の問題を国連に持ち込む。その心は「世界の衆知で問題を解決してくれるに違いない」という思い込みによる国連幻想である。国連創設以来、国連が機能して問題解決した例は稀有とされる。国連幻想は、日本人の幼児思考でしかない。 国連は単に国益を主張し合う場である。第2次世界大戦の戦勝国と称する5か国が、国家主権は平等であるはずの他の200余国を無視して、自国に都合悪いことには拒否権を行使して問題解決を不可能にしたり遅延させたりする場でしかない。 日本は国連に加盟して以来、国際の平和と安全に多大の貢献をしてきた。その証は国連の維持運営に関わる分担金で一目瞭然である。支払拒否や滞納もせずに、割り当てられた20%超(現在は10%台)を長年にわたって支払ってきた。 この額は常任理事国である英仏露中4か国の分担金合計よりも多い。それでも憲章上の扱いは「敵国」である。 国連人権委員会(国連人権理事会の前身)は70年以上も前の従軍慰安婦を性奴隷であったと決めつけ、日本政府に謝罪と賠償を勧告する報告書を出した。政府は創作された資料に基づくもので、事実誤認であると異議申し立てをしたが訂正する気配はない。 国連人権委の決めつけによって、韓国や最近では中国も関与して、米国をはじめとした世界のあちこちで日本糾弾の慰安婦像や碑が立てられている。 逆に今日的問題である北朝鮮や中国の人権弾圧、ロシアのクリミア併合やウクライナの混乱、シリアやIS(いわゆるイスラム国)問題など多岐にわたるが、機能不全である。 国連は反米機関の様相を見せたこともあり、必ずしも中立でも公平でもない。 藩基文事務総長下の今日の国連は、あえて言えば、従軍慰安婦問題や産経新聞韓国支局長拘束問題で韓国に味方する発言をし、中国の抗日戦勝70周年記念行事に参加するなど、反日機関の様相である。 創設時から日本が大部分の資金援助(年間予算7000万ドルの7割程度を負担?)をしている国連大学も、「慰安婦問題と日韓関係」のフォーラムが開かれるなど、実際は反日の研修・研究の場になっており、日本政府糾弾の場に化していると仄聞したことがある。 日本には国益を考える人士はいないのだろうか。今こそ、国連幻想から覚めるべきではないだろうか。 ちなみに、米国は国益が侵害される場合は分担金を延納したり、ユネスコから脱退したりと、臨機応変かつ柔軟に対応している。 おわりに 国連人権委員会は2003年、北朝鮮の人権弾圧を非難する決議案を審議した。決議案には日本人拉致事件の解決も謳われていた。金正日が拉致という国家犯罪を認めた翌年のことである。 委員会加盟53か国のうち、賛成したのは28か国に過ぎなかった。中露・ベトナムをはじめとした10か国は反対、印パ・タイなど14か国は棄権、韓国は参加していたが投票ボタンを押さず欠席扱いとなった。 国連人権委は人権擁護という普遍的価値観を論議する場ではなく、国益絡みの政治的駆け引きの場であったわけである。 翁長知事の演説が、尖閣諸島(さらには沖縄県)の領有権問題に発展して、駆け引きの材料にならないことを願うのみである。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45129
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