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以下、週刊ポスト・11月20日号「逆説の日本史」(井沢元彦)より
1941年(昭和16年)9月、当時の日本は運命の岐路にあった。
中国からの完全撤退を求めるアメリカに対し、この要求に屈するか戦って活路を見出すか二つの道が目の前にあったのである。いや正確に言えば論理的な選択肢としては二つあったが、軍部とくに陸軍はアメリカからの撤兵要求など決して認めることはできない。対米戦争もやむをえないという意見が支配的であった。昭和天皇は、そうした陸軍を「この男なら抑えられるかもしれない」と陸軍大将東条英機に内閣を任せるつもりでであった。しかし東条は、日本の運命をかけた9月6日の御前会議で中国大陸からの撤兵には「生命を捧げた尊い英霊にたいし、絶対に認めることができない」と猛反対した。要するに、日本がなぜ日中戦争を行いつつ対米戦争に踏み切るという、勝ち目のない二方面作戦を選択したかと言えば、日本側の最大の理由は「英霊に申し訳ないから撤兵できない、だから連合国と戦争するしかない」というものだったのである。
では、これは陸軍の強硬派だけが主張していたことなのか?
戦後日本ではしばらくそういう教育をしていた。つまり多くの国民は戦争に反対していたが、軍部の強硬派が満州事変など次々に既成事実を作って日本を戦争に引きずり込んだ、というストーリーを歴史上の事実として教えていたのである。そうした側面もまったくなっかたとは言わないが、もし日本を無謀な戦争に引きずり込んだ人間を「戦犯」あるいは「戦争犯罪人」と呼ぶならば、陸軍の強硬派に匹敵する、いやある意味でそれ以上の「戦犯」がいる。
朝日新聞あるいは毎日新聞(東京日日新聞)といった戦前からある新聞社である。
戦前はテレビはなく、雑誌とラジオはあったがマスコミといえば新聞が中心であった。マスコミ=新聞と言っても過言ではない。その新聞社がいかに日本を戦争の方向に誘導したか、日本人はとにかく戦争で物事を解決するように煽動したか。
私や私よりは少し年上の団塊の世代の人々は、いわゆる戦後教育において、戦前の新聞社は軍部の弾圧を受けた被害者だと教えられてきた。学校で近現代史の授業は受けられなくても小説や映画やテレビドラマを通じて、戦前の新聞社はいかに軍部の弾圧に抵抗してきたかという英雄的ストーリーを叩きこまれてきた。それは大嘘である。確かに昭和18年以降敗戦が決定的になったころ、その事実を隠した大本営発表を強要する軍部に対し一部抵抗した記者がいたのは事実だ。だが、抵抗の事実はほとんどそれだけである。それ以前まさに、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変からの一連の日中戦争そして日米開戦まで、「日本は戦争すべきだ」と常に国民を煽り続けたのが新聞社であった。これが歴史上の真実である。
特に朝日新聞社は、満州事変が始まると戦争推進派の評論家などを動員し全国で講演会や戦地報告会を多数開催した。またテレビ以前の映像メディアとして「ニュース映画」というものがあったが、朝日のカメラマンが現地で撮影してきた事変のニュース映画も全国で多数公開された。昔は普通の映画館に隣接して全国各地に「ニュース映画専門館」があったことを、団塊の世代ならかろじて覚えているだろう。もちろん、これらの朝日のキャンペーンは、この戦争が正義の戦いであるから、国民は軍部の方針を支持するように訴えたものである。それだけではまだ不十分だと朝日は戦意高揚のための「国民歌謡」の歌詞を全国から公募した。しかし応募作の中に朝日の意に沿うような作品がなかったのだろう。結局、朝日新聞記者の作品を当選作としプロの作曲家に作曲を依頼し完成したのが『満州行進曲』である。これは大ヒットし親しみやすい曲調からお座敷などでも盛んに歌われた(戦後作られた「反戦映画」にはこうしたシーンはほとんど出てこない)
世の中には新聞を読まない人、ニュース映画を見ることができない人もたくさんいたが、そういう人々にこの歌は「戦争をすることが正しい」と教えた。その結果日本に「満州を維持することが絶対の正義である」という強固な世論が形成された。軍部がいかに宣伝に努めたところでそんなことは不可能である。やはり、「広報のプロ」である朝日が徹底的なキャンペーンを行ったからこそ、そうした世論が形成された。それゆえ軍部は議会を無視して突っ走るなどの「横暴」を貫くことができたし、東条首相も「英霊に申し訳ないから撤兵できない」と、天皇を頂点とする和平派の判断を突っぱねることができた。新聞が、特に朝日新聞が軍部以上の「戦犯」であるという意味がこれでおわかりだろう。
朝日新聞社にとって極めて幸いなことに、戦後の極東軍事裁判によって東条らは「A級戦犯」とされたが朝日にはそれほどの「お咎め」はなかった。そこで朝日は「極悪人東条英機らに弾圧されたわれわれも被害者である」という世論作りをこっそり始めた。たとえばその手口として「反戦映画」に「新聞社も被害者」というニュアンスを盛り込むというのがある。「よく言うよ」とはこのことだが、特に団塊の世代の読者たちはずっと騙され続けてきた。いやひょっとして、今も騙されている人がいるのではないか。身近にそういう人がいたら、是非この一文を読ませてあげて下さい。(笑)
しかし笑いごとではない。朝日新聞は発行部数第一位の座から転落したものの、今でも依然680万部を売る日本有数の大新聞である。ここに実は「大戦犯」が生き残ってきたヒントがある。
なぜ戦前の朝日は戦争を煽り続けたのか? ひと言でいえばそうすれば新聞が売れたからである。つまり朝日は「読者はどんな情報に喜ぶか、何を求めているか」を熟知していたのである。これは戦後も同じだ。本来マスメディアは、民主主義国家においては国民が正しく状況判断できるよう正確な情報、つまり事実を報道するのが責務であるはずである。しかし、実は日本では、日本だけはと言ったほうが正確だが、この定義は当てはまらないのである。
(中略)
レストランなら偽物の食材を出して客を騙し続けていたというなら、あっという間に倒産であろう。しかし、朝日新聞はなぜ潰れないのか、不思議に思ったことはないだろうか? 外国人から見れば極めて不思議な話のはずである。常識から考えれば「事実と違うことばかり報道している新聞社」は「客を騙し続けてきたレストラン」と同じはずだからだ。今初めてお気づきになった方も大勢いると思うが、そういう意味で朝日新聞というのは日本人以外にとっては謎の存在なのである。
(以下略)
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