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『The Lifestyle MUSEUM』(TOKYO FM)公式サイトより
9条Tシャツやバッジをつけているだけで「思想犯」扱い、公的場所から排除! 安倍政権が憲法弾圧に乗り出した
http://lite-ra.com/2015/11/post-1666.html
2015.11.10. リテラ
治安維持法や特高警察が廃止されてから70年がたつが、いま、その戦中を彷彿とさせる光景が相次いでみられている。
たとえば10月16日、ピーター・バラカン氏が、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『The Lifestyle MUSEUM』(TOKYO FM)で、その日スタジオに向かう途中、こんな経験をしたことを語った。
「めずらしく広尾の方から六本木に向かって有栖川公園の脇を歩いていると、まずひとりの警官にちょっと、変な目で見られて(略)。もうちょっと先を歩くと、中国大使館のすぐ手前のところで2人の警官に、止められました。『あれ? どうしたんですか?』と言ったら、『いや、あの今日これから抗議をする予定ですか?』と聞かれたんですね。ん?いや、特にそんなことはないと『なぜそんなことを聞くんですか?』と言うと、『9条のTシャツを着ているから』と」
ようするに「憲法9条のTシャツ」を着て六本木を歩いていただけで、警察官に呼び止められ、詰問されたというのだ。バラカン氏は、「ほんとうに僕、40年以上この国で暮らしてはじめてそうふうに聞かれたもので、今も釈然としないものがあって。仮に抗議に行く予定だったといっても、なぜ、それがいけないことなのか」と語ったが、まったくもって同感だ。
Tシャツに書かれていたのは、「アベを殺す」とか「国会議事堂を爆破する」というような“過激な”メッセージではない。この国の憲法である“9条”だ。異常としか言いようがない。そもそも警察官を含むすべての公務員は、憲法99条で“憲法の尊重と擁護の義務”を課せられている。憲法を守らねばならない立場の公務員が、その理念の根幹である平和主義を示した憲法9条を“問題視”するというのは、まさに憲法に違反する行為だ。しかし、こうした事例はバラカン氏だけの特殊なケースではない。
同じく10月、東京新聞が7日付夕刊で、「『No.9(憲法九条)』と書かれた小さなタグや缶バッジをつけた市民が国会本館や議員会館に入ろうとすると、警備員らに制止される例が相次ぐ」ことを報じている。
7日午前、辺野古の新基地建設に反対する院内集会に参加しようと参院議員会館を訪れた女性が、手荷物検査を受ける際に制止され、バッグに付けていた手のひらサイズの「No.9」のタグについて、「示威行為に当たるので外すか隠してほしい」と求められた。女性は、今年8月に衆院第二議員会館を訪れた際にも、入り口で止められたという。
記事によれば、議員会館側は「『脱原発』『戦争反対』など『政治的なメッセージがあるもの』は『すべてご遠慮をお願いしている』」とし、国会法や委員会が決めた禁止事項を根拠にしているというが、「憲法9条」や「戦争反対」等が「政治的なメッセージ」に当たるという見解からして理解できないし、仮にそういう主張があったとしても、わが国の憲法は表現の自由を保障している。にもかかわらず、公権力が私人にたいして「9条」タグを外すことを強要するのは、国や公務員自身が日本国憲法を破壊しようとしているようにしか思えない。
さらにツイッターでは、一般ユーザーによる〈クリスチャンの女性が「平和がだいじ」と書いた可愛らしい絵本袋を持って国会周辺を歩いていたら警官に職務質問されたそうだ。彼女が警官に「どうして聞くんですか」と聞いたら絵本袋をさして「平和って書いてあるから」と。今や「平和」は犯罪!〉という投稿も確認できる。前述のバラカン氏や議員会館で制止された女性の例を踏まえると、さもありなんだろう。
どうやら、戦中、政府が特高警察によって、市民を社会主義者や反戦主義者という“思想犯”に仕立て上げて取り締まったのと同じように、いま、「9条」や「平和」のメッセージを身につけているだけで、“危険思想”の持ち主かであるかのように扱われる事態が起きているようだ。
こうした“「9条」「平和」弾圧”の背景には、間違いなく安倍政権が進める“改憲への道”があるはずだ。今夏の安保法制の強行成立で現行9条を骨抜きにした安倍晋三首相は、9月の総裁選で無投票再選を果たし、第三次改造内閣を発足。直後の会見で、時代が求める憲法の姿、国の形についても国民的な議論を深めていきたい」と語った。
安倍首相が描く“改憲スケジュール”は待ったなしで、本格的着手は来年の参院選後と言われているが、自民党や日本会議などの右派勢力は改憲の世論づくりのために、あらゆる場所で日本国憲法への攻撃を強めている。一連の9条排除は、こうした空気を警察権力が敏感に感じ取って、警備・監視行動に反映させているということだろう。
いや、警察権力だけではない。今年6月には、神奈川県大和市の市民団体「憲法九条やまとの会」が主催するイベントで、アイドルグループの制服向上委員会が自民党に批判的な歌詞内容を含む曲を披露したことを理由に、大和市と同市教育委員会が後援を取り消すという事態がおきた。集会・結社の自由、表現の自由の破壊であり、政権批判や9条護持に対するこれ見よがしの威圧行為だ。
さらに最近も、東京都日野市の市役所が、古い公用の封筒を活用するためとして、表に印刷された「日本国憲法の理念を守ろう」という文言を黒いフェルトペンで塗りつぶしていたことがネット上で指摘され、話題となった。この戦中教科書を思い起こさせる事案に、日野市側は「封筒は古いデザインで、現行型に合わせるため」「単純なミス」と説明しているが、実際、現在使用されている市の封筒から「日本国憲法の理念を守ろう」は削除されている。これを報じた東京新聞10月31日付で、田島泰彦・上智大学教授は「全く普通のスローガンで消さなくてはいけない理由が思い付かない。客観的に見れば、憲法を否定する意思表示。市民の批判は当然だ。安倍政権が進める改憲の動きと符合しており、逆に政治的だ」とコメントしている。
繰り返すが、政治家、役人、警察官などの公務員には、憲法を尊守する義務がある。それに違反するような行為の数々は日本国憲法や国民の意思を無視して安保関連法を押し通し、悲願の改憲へ真っしぐらの安倍政権の動向と完全に一致する。
ところが、その公務員が9条や平和主義を“危険思想”扱いして排除に乗り出しているのだ。
この状況を見て、想起させられるのは、前述した戦前・戦中の状況、とくに1925年、治安維持法が制定されて以降に起きた事態だろう。同法は当初、天皇主権や資本主義を否定する運動を取り締まるものだったが、そのうち、反戦や人権尊重などを口にするだけで反政府的主張とみなされ、摘発・拘禁されるようになっていった。そして、その中央政府による恐怖政治の先兵となったのが、警察や地方行政、メディアだった。
ようするに、その戦前・戦中の公権力の姿勢が復活しつつあるのだ。
冒頭で紹介したバラカン氏は、「ちょっとこの国、もしかしたらちょっとおかしな方向に行き始めているんじゃないかな」という。そのうち、「平和が一番だよね」と言うだけで、あるいは持ち物に「9」の数字が入っているだけで、危険思想の持ち主として公的な場所から排除される──冗談ではなく、そんな世界はすぐそこまできているのかもしれない。
(小杉みすず)
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