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http://www.labornetjp.org/news/2015/1106tutida
戦争法案が参院特別委員会で採決された九月一七日、私は国会正門前にいた。総がかり行動を主催するひとり高田健氏がスピーチで「豪雨」と表現したほど強い雨の降った日だが、夕方は雨脚がやや弱くなっていた。朝から続いていた座り込みは五時にいったん終わる。四時半、その総括集会が始まり、国会議事堂に対峙して設けられた小さな演壇に民主党の阿部ともこ衆院議員が立った。「強行採決!」という知らせが走ったのはそのときである。
その前後数日(参院本会議での強行採決は一九日未明)についての臨場感あふれる報告は本誌前号に池田実さんが書いている。また〈小次郎の姉〉なるペン・ネームで本誌に何度か寄稿している米丸かさねさんは、一七日の雨の中でマイクを握ってコールしている写真が東京新聞の一面に掲載された。各地の本誌読者も、それぞれの場で奮闘されたことと思います。お疲れさまでした。
●六〇年安保当時と
闘いは終わってはいない。しかし、これまでを振り返ってみる。
たとえば六〇年安保と比較して、あのときは労組や政党による組織動員すなわち「上からの指導」が主であったけれども、今回は自発的個人が中心になったという評価が、戦争法に反対する運動に対して好意的な立場から寄せられている。
その好意には感謝するし、状況を前向きに捉えるのは大事なことである。その上で、そうした評価のやや一面的であることを思う。
というのは、六〇年安保反対運動にしたところで、もっぱら組織的動員に頼ってあれほどの高揚を実現したわけではなかろうと思うからである。歴史家・色川大吉さんの手記(『若者が主役だったころ』岩波書店)を参考にしよう。
一九二五年生まれの色川さんは当時三五歳。私立大学で非常勤講師として週に一時間の授業を持つだけの半失業者で、職業安定所(今日のハローワーク)に通いながら、毎日おにぎりを自分でこしらえて国会デモに参加したという。
「・・私は六〇年五月の危機からほとんど毎日、国会周辺に日参していたが、無所属の私が参加したデモは、あるときは官公労や総評系大単産労組の隊列であったり、あるときは大田区や品川区、江東区などから駆けつけてきた中小企業や零細工場の者たちの列であった。私はそれらに自由に出入りした。そうしたことができるほど、このときのデモは開放的で寛容であった」
「・・・国民的な大デモンストレーションには社共・総評系の国民共闘会議の指揮からはみだした、さまざまな人びとが参加していた。とくに五月一九日(新安保条約承認の強行採決があった日=引用者注)以降、雪だるま式にふくれあがっている。ノンポリ学生の大群がそうだったし、零細企業の労働者・職人たちがそうだった。・・・それに家庭の主婦まで、いわゆる市民としかいいようのない個人も参加していた」
労働組合の内部については、故丸山真男のいささかシニカルなこんな証言がある。
「組合幹部より組合員大衆のほうが素朴に立ち上がったということも、ある意味では当然である。ということは、社会・労働運動の内部では強行採決的なことを至るところでやってきたのが、今までの革新陣営のまずい点ではないか」(著作集第八巻)
そういえば我が『伝送便』の大先輩で去年亡くなられた大塚正立さんの職場(都内王子郵便局)からは、都電に人民電車のように満載になって国会に向かったという。現場からの自発性ぬきには起きえないことである。
言いたいのは、自発的個人の動きは今になって始まったわけではないということだ。六〇年安保の時点においては、彼らは労組の中にあっては戦闘的活動家として指導部を突き上げ、六月四日にはゼネラル・ストライキを決行するところまでもっていった。当時の指導部も、その突き上げを受け止めるだけの戦闘性をまだ保持していた。そうして組織外の自発的個人と組織の運動とが綯(な)い合わさって、新安保条約可決はゆるすも岸内閣は退陣させるだけの大闘争を作ったのである。
そう考えると、今回「組織ではなく個人が自発的に立ち上がったから良かった」というのとは違う評価に導かれることになる。組織が動かなかったのが問題なのである。たとえばJP労組は六月の全国大会で戦争法案に「断固反対」と特別決議したはずだ。その背景には沖縄選出の代議員などの突き上げがあったろうし、その努力には敬意を持つ。だが、労働組合が断固として反対するなら、やるべきことはストライキであるのに、そういう志向は無かった。他の単産でも同様の事態が進んでいるのだろう。組織の中で個人が身動きできなくなっている。だから組織を出て個人として街頭へ、ではなく、そんな組織の在り方をどう変えていくかだ。
●加害性を見すえよう
それにしても、丸山真男などの当時の言説を目にすると今日との類似性に驚かされる。これは竹内好だったか「民主か独裁か」という問題提起は、そのまま今日の「立憲主義を守れ」に繋がるだろう。 安保条約(集団的自衛権)の賛否はどうあれ、政権のあんな非民主的なやり方を許していいのか。その提起が六〇年当時も今日も運動の裾野を拡げたのは事実。しかしこれは、視野を国内の民主主義の問題に限定してしまう危うさも孕んではいまいか。
安保でいえば、あのとき定められた第六条によって米軍は「日本国において施設及び区域を使用することを許され」ている。これはアジアの人民に向けられた牙だ。ベトナム戦争のときこの第六条にもとづいて在日米軍基地から飛び立った爆撃機がベトナムの人々の頭上に爆弾をばら撒いたのだ。ところが、国会での採決にいたる手続きだけを問題にしていたのでは、アジアへの加害責任は見失われてしまう。他国に戦争を仕掛けに行く集団的自衛権において、私たちはその轍を踏んではならぬ。
かつて二〇〇五年に郵政民営化法が成立した後、民主党中心政権への一時的交代を経て二〇〇九年、民営化はいったんは凍結された。それが二〇一二年の改正民営化法成立によって今秋の株式上場となったのである。この軌跡が教えるのは二つ。一つは悪法は成立してもひっくり返せること。二つ目は、しかし手続き問題にだけ目を奪われていては、似たようなものがまた出てきてしまうことだ。
当面、アベ政治に怒る全ての人々と手を携えつつ、集団的自衛権の意味するものを見すえ、その危険を明らかにする活動を強めよう。
*この記事は『伝送便』から転載させていただきました。サブ見出しはレイバーネット編集部。pdfファイルでもご覧いただけます。『伝送便』ホームページ。
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