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日本のジャーナリズムのあり方について言及する赤川次郎(画像はミステリー総合ポータルサイト「ミステリーワールド」より)
赤川次郎が安倍政権におもねる大新聞とSEALDsバッシングの「週刊新潮」に「ジャーナリズムの恥」と徹底批判
http://lite-ra.com/2015/11/post-1645.html
2015.11.03. リテラ
安保法制の問題が象徴的だったように、いまや新聞メディアは、政権の言いなりとなった読売新聞や日本経済新聞、「両論併記」病を罹患した朝日新聞(詳しくは過去記事)、ジャーナリズムを放棄したネトウヨ機関紙・産経新聞といった具合に、国民の「知る権利」さえ守ろうとしていない。
こうした新聞メディアの体たらくに、作家からも嘆きの声が上がっている。
〈戦時下を生きた人々から「今はあのころとそっくり」との声が上がる中、私たちは戦時中の新聞、雑誌などのメディアがどんな報道をしていたか、見直すべきだ〉
こう述べたのは、ミステリー界の大御所作家である赤川次郎氏。赤川氏は既報の通り、「あまりにも状況がひどすぎるので、黙っていられなくなった」(小学館「すばる」8月号)といい、これまでも度々、安倍政権批判を行ってきた作家のひとり。今回は東京新聞「新聞を読む」のコーナーに『「痛み」に寄り添う報道を』(10月25日付)という原稿を寄稿、東京新聞の紙面を取り上げながら、最近の報道の歪さを明かしている。
まず、赤川氏が〈最近最も印象的〉だったとして紹介したのは、「そうだ難民しよう!」というコピーがついたシリア難民を中傷したヘイトイラストの一件だ。
この卑しい差別心に満ち満ちたイラストは、はすみとしこという漫画家がFacebookに投稿し、拡散されたことで批判を浴びた。東京新聞は名物企画「こちら特捜部」で「「人種差別」世界が非難」と題し、10月10日に大々的に報じたが、赤川氏はこの問題を強い言葉で論難する。
〈戦火に追われて故郷を捨て命がけで逃れなければならなかった人々の「痛み」を、この漫画家は全く分かっていないのだろう。しかも他人の写真をそのままなぞってイラストを描くとは、漫画家としての矜持すら持ち合わせていないのか〉
さらに、赤川氏が憤慨するのは、この差別イラストの問題が〈国内メディアではほとんど報道されなかった〉ことだ。しかも、朝日新聞は赤川氏がこの原稿を寄稿した前日の24日、難民差別イラストを「差別か風刺か」とタイトルに記してピックアップ。了見を疑うタイトルだが、こうした問題の本質を、赤川氏はこのように突いている。
〈今、日本のジャーナリズムは世界が日本をどう見ているか、という視点に立つことを忘れている(あるいは逃げている)。安倍首相が国連で演説したことは伝えても、「聴衆が少なかった」(10月20日29面)ことには触れない。ジャーナリズムの役割を放棄していると言われても仕方ない〉
また、赤川氏は、東京新聞10月19日の第一面を紹介。それは安保法制成立から1カ月という節目にSEALDsが渋谷駅前で行った集会の写真と、米海軍のロナルド・レーガンに乗船した安倍首相の写真を並べたものだった。
〈ネットでは、戦闘機に乗り込んだ(安倍首相の)ご満悦の姿が見られた。「戦争ごっこ」の好きな子供、という図だが、現実に傷つき死んでいく兵士の痛みには関心がなさそうだ〉
赤川氏はつづけて、9月29日夕刊で取り上げられた、SEALDsの中心メンバーである奥田愛基氏への殺害予告問題を取り上げる。赤川氏はこの問題を〈これこそ、安保法に賛成反対を超えて、卑屈な言論への脅迫としてあらゆるメディアが非難すべき出来事だ〉というが、こちらも〈ほとんどのメディアは沈黙したまま〉。そして、本サイトでも既報の「週刊新潮」(新潮社)が記事にした奥田氏の父親バッシングを〈脅迫を煽っているに近い〉と批判する。その上で、赤川氏は「週刊新潮」にこう訴えかけるのだ。
〈「週刊新潮」に言いたい。攻撃しても自分は安全でいられる相手だけを攻撃するのはジャーナリズムの恥である。たまには自分を危うくする覚悟で記事を書いてみてはどうだ〉
赤川氏が危惧するのは、冒頭にも引いたように、現在の報道がまるで戦時中のように政権や政策への批判を極端に恐れているかのような空気に包まれていることである。歴史修正に加担し、違憲の法案さえ検証を怠り、戦争へひた走ろうとする政権の暴走に目をつむる。言論統制の下、大本営発表を流しつづけた戦争責任を、メディアは忘れてしまったのか──そう誹りを受けてもおかしくはない状態だ。
だが、そんな大メディアが魂を売った状況でも、東京新聞をはじめとしてブロック紙や地方紙は踏ん張っている。たとえば神奈川新聞は、安倍首相が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した2週間後から「時代の正体」と題して連載を開始。安倍政権の背後にある日本会議にスポットを当ててメンバーにインタビューを試みるなど、さまざまな角度から政権の問題点と戦後70年を掘り下げた。
しかし、この連載には大きな反響が寄せられる一方、「記事が偏っている」という批判も受けてきた。そうした意見に、神奈川新聞の論説委員である石橋学氏は、10月16日付の紙面で〈私たちはいま、権力の暴走を目の前で見せつけられるという歴史的瞬間のただ中にある〉と書きつつ、こう返答している。
〈民主主義の要諦は多様性にある。一人一人、望むままの生き方が保障されるには、それぞれが違っていてよい、違っているからこそよいという価値観が保たれていなければならない。それにはまず自らが多様なうちの一人でいることだ。
だから空気など読まない。忖度しない。おもねらない。孤立を恐れず、むしろ誇る。偏っているという批判に「ええ、偏っていますが、何か」と答える。そして、私が偏っていることが結果的に、あなたが誰かを偏っていると批判する権利を守ることになるんですよ、と言い添える。
ほかの誰のものでもない自らの言葉で絶えず論を興し、そうして民主主義を体現する存在として新聞はありたい〉
批判を恐れる大メディアに読んで聞かせてやりたい言葉だが、彼らがこうしたプライドを失ったいま、市民ができることはただひとつだ。赤川氏のエッセイ集『三毛猫ホームズの遠眼鏡』(岩波書店)から、最後にこんな言葉を紹介しておきたい。
〈政権への冷静な批判を今のジャーナリズムに期待できない以上、私たち一人一人が、「戦争をしない」という意志を強く持つしかない〉
(水井多賀子)
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