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2015年 11月 02日
当ブログでも、時々、転載させていただく文芸春秋の「赤坂太郎」。11月号のタイトルは「長期政権の命運握る大阪ダブル選」だ。
橋下&松井コンビが、8月に急に維新分裂に動いた理由や、大阪W選の結果が安倍政権に大きな影響を及ぼす可能性があることなどが記されているのだが。当ブログは今月、「おおさか維新を早めに潰そう!」「大阪W選で維新候補を落選させよう!」というキャンペーンをやっているので、参考になりそうだ。(・・)
他にも、アレコレで揺れている公明党と創価学会、勢いを増している共産党についてなど、実に興味深い話が出ているので、少し長いけど、ここに全文アップしておきたい。(**)
* * * * *
長期政権の命運握る大阪ダブル選
文藝春秋 10月9日(金)
「祖父」を追い続ける安倍に、公明、維新はどこまで付いていけるのか
◇ ◇
短いコメントの中に首相・安倍晋三の政権戦略が明確に込められていた。
「国民の命と平和な暮らしを守るための法的基盤が整備されたこと、第2次政権発足から1000日を迎えたこと、そしてまずは強い経済をつくっていくことに全力を挙げていくことを誓いました」
シルバーウィーク後半の9月22日、静岡県小山町の冨士霊園。祖父の岸信介元首相、父の安倍晋太郎元外相の墓参りの後、安倍は記者団にこう述べた。
「強い経済をつくっていく」。この一言が示すように、アベノミクスへの回帰こそが安倍政権の次の一手である。
安倍は衆院議員になってまだ2年目の1995年、集団的自衛権について国会で「真剣に議論をしていかなければいけない」と発言している。その行使容認を柱とする安保法成立は20年越しの悲願だった。さらに祖父の岸信介首相が「限定的な行使容認はあり得る」と答弁したのは60年。祖父の立場にたてば、55年目の悲願達成という側面もあった。
安保法成立は、内閣支持率を30%台後半まで急落させた。それでも、安倍は安保法案の参院採決の前、周辺にこう話していた。
「あの時は反対がもっと強かったんだよね」。あの時とは、岸が旧安全保障条約を改定した時のことである。
経済政策でも、祖父へのこだわりを感じさせる。安倍は「高度成長の基礎を築いたのは岸総理だ」と周辺にこぼす。岸は内閣発足直後の57年、高い経済成長率維持を目標とする戦後初の「新長期経済計画」を策定し、所得を倍増させる計画を経済審議会に諮問している。池田勇人首相の「所得倍増計画」は、その「新長期経済計画」の延長に過ぎないというわけだ。
「アベノミクス回帰」宣言は、「安保の岸」を安保法成立で追体験した安倍が、岸が下敷きを作った「経済の池田」の役回りも演じようとしていることを指す。
そして、自民党総裁に無投票で再選され18年9月までの任期を手に入れたいま、大叔父の佐藤栄作首相以来の超長期政権をも目指す。
■花火を見た橋下と松井
安保法案をめぐって野党が大立ち回りを演じている裏で進んでいたのが、「維新の党」の分裂だった。
8月22日夜、全国的に有名な秋田県・大曲の「全国花火競技大会」会場の升席。そこには仲良く並んで花火を見る、青い雨合羽を着込んだ大阪市長の橋下徹と大阪府知事の松井一郎の姿があった。
見物客の目にもとまり、2人の行動を知った民主党は「(維新が自主投票としていた)山形市長選の実情を視察にきたのではないか」と疑心暗鬼に陥った。実際はお忍びの観光だった。ただ、2人の間でこの時、3カ月後に迫った11月22日の大阪府知事・市長のダブル選を勝つために「行動を起こす」というコンセンサスができあがったという。住民投票による都構想否決以来、地元大阪で
も一時ほどの勢いはない。場所は東北だったが、2人の頭には大阪しかなかったのだ。
(下につづく)
* * * * *
そこから、橋下の動きは急だった。
5日後の27日には、柿沢未途前幹事長の山形市長選をめぐる動きに反発して離党を表明。ダブル選に向けて政治団体である「大阪維新の会」を国政政党化すると表明した。
松井以外、数人しか知らされていなかった橋下発言の衝撃は強かった。
大阪選出議員は「聞いていなかった。メールも来なかった」と当惑の色を隠さず、翌日夜、京都市内の日本料理店で設定されていた維新の党との連携を模索する民主党の前原誠司元外相と橋下、松野頼久維新の党代表らの会合も、急遽取りやめとなった。
維新の弱体化は「第三極を生き残らせる野党分断作戦」という官邸の戦略が崩れる可能性を秘めている。
もし、勢いを失った維新が大阪のダブル選で全敗すれば、維新の求心力はいよいよ低下し、野党勢力の一本化が進みかねない。絶対に避けたいシナリオだ。
官邸も手をこまねいているわけではない。官房長官の菅義偉は、橋下が離党表明する2日前の8月25日に松井と会食し、大阪系の勢力を確保するために全面的に協力すると約束したという。
さらに安倍自身が動く。9月4日、国会開会中の平日にもかかわらず大阪に入って在阪民放のテレビ番組に出演し、安保法案への理解を訴えた。
その後、公明党幹事長を務めた故・冬柴鉄三の次男・大が大阪市北区で経営する牡蠣料理店を訪ねて秘書官らと食事をして帰京した。この時、同席した公明党関係者に対して安倍は橋下との関係修復を依頼したという。
維新候補を勝たせるなら本来、自民党大阪府連に候補者の擁立を見送らせればいい。だが、勢いづく大阪府連を翻意させるのは安倍や菅といえども不可能な状況だ。
自民党府連に力が入るのは、5月の大阪都構想の住民投票で大阪の公明党・創価学会が、学会本部からの「中立」要請をも振り切って、「反維新」に舵を切ったことが大きい。公明党に対して、橋下が「宗教の前に人の道がある」と発言したことが未だに尾を引いている。
公明票の最終的な行方が勝敗を決めた都構想の住民投票の二の舞は避けたい。せめて大阪の公明党・創価学会に中立の立場を貫いてもらいたい。それが官邸の本音だ。
だが、安倍はこれまで、維新との蜜月関係を野党分断に利用すると同時に、与党の公明党の発言力を削ぐためにも使ってきた。
「選挙は地元の自公関係が基本だ。地元組織が自民党と一緒にやるというなら止められない」。安倍のご都合主義に公明党幹部は、そう冷ややかな視線を送る。
橋下は9月26日、新党名を「おおさか維新の会」とし、知事選に松井、市長選には橋下の側近で衆院議員の吉村洋文を擁立することを正式決定。改めて大阪都構想を争点に掲げるとした。反対する自民大阪府連と再び全面対決になる。
■慌てる公明党・創価学会
安保法案で重ねた無理は、官邸にとって公明党との関係でも足枷になっている。
公明党は安保法案の審議の行方を当初は楽観していた。6月に憲法学者3人が安保法案を違憲と表明して反対運動が広がり始めたときも、「昨年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定で決着済み」として静観していた。
ただ、4月の統一地方選では、創価学会の運動員が「なぜ平和の党である公明党が安全保障関連法案に賛成するのか」と一般有権者から尋ねられる場面が多くなり、それが苦戦の原因になったとの声が内部で噴出した。このため、公明党は選挙後に急遽、この法案に関する学習ビデオを制作している。
5月の大型連休後、創価学会は今年になって構築したネットによる映像配信システム(ビデオ・オン・デマンドシステム)で、全国の地区部長らにこの学習ビデオを配信した。だが、この時点では「必要に応じて地域の学習活動に使うように」との連絡だけで、視聴を徹底させるような指示は出していない。昨夏の集団的自衛権行使容認の閣議決定の際、学会では徹底した学習活動を展開していた。公明党が強く求めて行使を限定的にしたことで9条との整合性が図られたとの説明を組織内に徹底させた経緯もあり、「すでに対策は打ってある」と強気だった。
(下につづく)
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ところが、事態は一向に収まらない。6月、7月と国会審議が進むにつれ、一部の学会員が反対の署名活動を始めるなど学会内部からも反対の声が公然と強まってきた。反対デモに赤・黄・青の学会の三色旗を掲げる学会員が参加したことなどが相次いで報じられた。それでも学会本部はなお特段の動きを見せなかった。
転換点の一つとなったのは、7月28日から4日間、東京・信濃町で開かれた全国13方面の方面長らと本部の最高幹部たちが一堂に集まる創価学会の全国最高協議会だった。
年2回開催されるこの重要会合で、出席者から「『公明党はなぜ戦争法案に賛成なのか』と聞かれて会員たちが困っている」などと厳しい意見が相次いだ。初日の会合に招かれていた公明党代表の山口那津男は「しっかり対応します」と答えるのが精一杯だった。
8月に入り、創価大学の教員らが呼びかけ人になって法案反対の署名活動が始まると、強気だった幹部たちの間にも動揺が広がった。
学会では7月下旬から全国的に夏休みに入っていたが、休みが明けた8月24日から、先述のビデオを使った学習活動を全国で本格的に始めた。
各支部やその下の地区の集会には、公明党の国会議員や地方議員も講師として駆り出された。国会開会中の平日は国会議員が東京に滞在していることから、安保法制の与党協議会で座長代理を務めた北側一雄(副代表)や衆院の特別委員会で理事を務めた遠山清彦らが、毎晩のように首都圏の集会に出席して説得した。
学習ビデオには、公明党代表の山口に続いて、外部の有識者として元防衛相の森本敏や政治評論家の森田実らが登場。公明党がいかに与党協議で頑張って9条との整合性を保ったかについて解説している。だが、30人から50人程度が出席する「地区」の集会では、説得しても「納得できない」という学会員が出るという。
公明党幹部は「来年の参院選は相当厳しい。F票(学会員以外の票)獲得活動を行う運動員が安保法制について『説明』を求められ、足が鈍る可能性が高い」と危機感を強めている。
■共産党の「アシスト」
野党は安保法制闘争の延長戦を狙う。最初に動いたのは共産党だった。
〈「戦争法廃止、立憲主義を取り戻す」の一点で一致する政党が共同して、「戦争法廃止の国民連合政府」の樹立を〉。その日の未明に安保法が成立したばかりの9月19日午後、第4回中央委員会総会を東京都内の党本部で開き、安保法制廃止を結集軸に、来年参院選での選挙協力を野党に呼びかけることを決めた。
官邸は、安保法制反対で野党の選挙協力が進むことを強く警戒していた。
2009年衆院選で共産党は「比例選に重点を移す」として、当時の300小選挙区のうち、擁立を152選挙区に絞った。その結果、反自民票が集中した民主党が大勝、政権交代のきっかけとなった。
しかし、共産党の声明の内容を知った菅は、自民党幹部に「この方向で進んでもいい」と漏らしたという。菅が胸をなで下ろしたのは、今回の発表が「国民連合政府樹立」まで踏み込んでいたからだ。民主党が共産党との選挙協力を進めれば「共産党との連立政権を組む」という印象が強くなり、保守層が逃げる。党勢を伸長してきた共産党にしてみれば、参院選を前に党員以外の有権者を取り込もうと一歩踏み込んだ形だが、官邸には思わぬ“援軍”となった。
25日、民主党代表の岡田克也は共産党委員長の志位和夫と会談。岡田は連合政府については「簡単ではない」と否定的な反応を示しつつ、選挙協力には前向きな姿勢だ。
経済政策の最優先と第三極を生き残らせる野党分断作戦は、第2次内閣発足当初の政権戦略そのものへの回帰でもある。しかし、その前提となる維新の党、そして連立パートナー公明党は揺らいでいる。(文中敬称略)
(文藝春秋2015年11月号「赤坂太郎」より)』
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そして、この記事を読んで、改めて「これ以上、安倍政権を長期化させてたまるか」と、早期の政権打倒に意欲を燃やすmewなのだった。(@@)
THANKS
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