http://www.asyura2.com/15/senkyo195/msg/475.html
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「この国の本物の「保守」思想もまた、安倍政権下で瀕死の状況になっている:山崎 雅弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/18669.html
2015/10/26 晴耕雨読
https://twitter.com/mas__yamazaki
政治権力者が自国の「民主主義」制度を壊し始めた時、国民が「民主主義を壊すな」と抗議するのは当然の権利だが、それを「特定の政治的主張」であるかのように錯覚させる言説が増えてきた。
権力側による強制ではなく、権力者の意向を忖度する側の人間が、自発的にそんな言説を使って政権批判を封じる。
憲法を守れ、民主主義を守れ等の主張は、民主主義の立憲主義国では「有毒物質を川に流すな」等と同様の、政治というよりは生活に関わる主張だが、時の政治権力者から見て不愉快な集会等に限って「特定の政治的主張」だから公認しない、場所を貸さない等の反応が出てくる。
中立を装って権力に追従する。
日本会議はイベント等で憲政記念館をよく使うが、「特定の政治的主張」だから断られたという話は聞かない。
館は衆議院事務局の管轄であり、立教大学などとは比較にならないほど政治的中立性が求められるはずだが、現行憲法破棄を提唱する集団に使用させている。
憲法破棄の政治運動に憲政記念館を使う。
昔は、傲慢と夜郎自大で国の根幹を揺るがす政治家がいれば「保守」と呼ばれる政治思想の人々が厳しく批判したはずだが、最近ほとんど姿を見かけなくなった。
いつのまにか「中国と韓国を敵視するのが保守」であるかのような低レベルの錯覚が場を支配し、中国と韓国を敵視する限り「敵の敵は味方」の論理で判断を停止して、無条件に容認する。
愛国と排外思想の違いもわからず、傲慢で夜郎自大な言動を繰り返す。
70年前にこの国を破滅寸前に追いやったのは、まさしくそんな判断停止と傲慢と夜郎自大の思想の蔓延だった。
この国の本物の「保守」思想もまた、安倍政権下で瀕死の状況になっている。
報道の自由保障、83%が肯定意見 メディア世論調査(日経)http://s.nikkei.com/1KxOwqU
「政府が国益を損なうという理由でメディアに圧力をかけるのは当然か」に「思わない」とした人は67.8%に上ったとあるが、逆に言えば3分の1は「思わないとは思わない」。
結構すごい。
「国」や「国益」という言葉を、政治家が定義抜きで使うことは実はきわめて危険な論法で、定義を厳密にしないのは恣意的に都合良く解釈できる余地を残すため。
「国を守る」という形式で「国家体制を守る」ための戦争をさせたり「国の一部の富裕層の利益」を「国益」にすり替えて我慢を強いたりできる。
「国」や「国益」という言葉を使う政治家がいれば、記者は「ここで言われる『国』『国益』とは何ですか」と確認しないといけない。
それをしなければ、政治家は自由に定義を操れる。
油断している間に、国を「国家体制」、国益を「国支配層の利益」と捉える、戦前戦中の解釈がなんとなく復活しつつある。
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