46. 2015年10月26日 23:48:32
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迫られる国家の変革平成22年(2010年)3月30日、オタワで開催されたG8会談で岡田克也外務大臣(当時)が、核廃絶をコミットメントに入れるよう主張し、会談が紛糾した。先進国から見れば、「米国の核の傘に守られながら、核廃絶を主張する日本外交は異常」と解されている。 我が国国民は戦後70年にわたって奇跡的平和を享受してきた。日米安保条約に依存することが大なる原因であるが、戦後世代には、「軍を持たないほうが平和を維持できる」という錯覚を生じせしめている。またこれと同時に戦争の概念も「悪」と解釈されているが、国際社会では依然、戦争は外交の一手段であるのだ。だからこそ、戦時国際法が存在するのである。 国防を他国に一方的に依存し、神学的平和論に終始するようでは、必然的に政治家、国民の劣化をきたすことになり、さらには、国威の衰退をきたすのである。 いま我が国にとっては、真の独立国家を建設するに足る国防力を持つ時代が到来していると言える。 ところで、沖縄の戦略的価値は増大している。 以前は「太平洋の要石」と言われたが、今や「インド洋と太平洋の要石」と米軍部内で言われており、ハワイ以西からアフリカ東岸までをカバーしている。 アラスカ方面から中東方面に向かう軍用機は沖縄付近上空で空中給油を受け、そのままインド洋に向かっている。また沖縄本島中部に設置された衛星通信システムこそは、米国の宇宙戦略の重要部分を担っているのだ。 軍事知識に乏しい国民は、沖縄の戦略的価値を理解できず、やたらに同情論を展開しているが、沖縄が混乱すれば、東アジアの平和と安定に極めて大きいダメージを与えることになるのだ。 我が国は沖縄返還以降、2つの重要事項を放置してきた。沖縄政策と核武装を主とする防衛戦略である。 沖縄政策に関しては、援助一辺倒による補助金のバラマキに終始しており、明治政府が行ったような日本人としてのアイデンティティを醸成する県民教育を実施していない。しかも政府は沖縄から、「米軍基地の過重負担を強いられている」と抗議されると、閣僚が知事と会談し、無制限に補助金を拡大して機嫌取りを図る。 一方、沖縄県民とくに戦後世代はこれを迷惑料としか解釈しておらず、国家へ感謝する意志は微塵もないのである。沖縄県は道州制実施にあたって完全独立州の実現を主張しており、また政府に対しては、資金使途自由な一括交付金3000億円の支給をも要求している。矛盾するこの2つの要求を見れば、沖縄が国家にいかに甘えているか理解できよう。 国防政策に関しては、昭和37年(1962年)5月に、元海軍中将の福留繁(ふくとめしげる)が「核武装時代と日本の防衛」と題して、我が国防衛政策のあり方について現在を予知する論考を発表している。なお、この時代(1960年代前半)、先進国をはじめ中国は、生存をかけて熾烈な核兵器開発競争を展開していた。ところが、我が国は米国の核の傘に守られながら昭和42年(1967年)12月に、「非核3原則」を国際社会に向けて発信している。徳川幕府時代の鎖国政策を彷彿させられる。 元海軍中将の福留繁はこういう世情の中で、 「日本は核兵器攻撃に対して防衛力ゼロであり、安保条約によって米国に依存する以外に方法はないのであるから、中国が核保有国となったための脅威の対抗策として、米国の報復依存度を強化し、確保するのは当然の理である」 「核以上に強力なもののない以上、核には核報復力をもって抑制する以外になく、これが直ちに抑止力となっていることは説明するまでもない。であるから、仮に中国が核保有国となった場合(この2年後「1964年」、中国は核実験に成功)、日本は量的に小さな軍備であろうとも質的に非常に強力な核報復力をもっているということになれば、例えば原潜5隻も持てば中国の主要部を完全に帰せしめる威力を持つことになるわけであるから、防衛的に見て中国とバランスすることができるのである。 すなわち中国が日本を破壊しても、日本の報復力が中国の主要部を破壊することが予想されるならば、中国は決して日本を攻撃することはしないだろう。また、このバランスを保つ限り、中国に対する日本の発言力も弱体化することはない理である」 (「水工」昭和37年(1962年)6月号より要点抜粋) しかし、国民のいわゆる平和ボケは止まるところを知らず、社共は米国の核戦略を批判しながら、中国の核武装を支持した。昭和59年(1984年)2月、社民連代表の田英夫は、非核3原則に加えて「攻撃させない」という項目の追記を提言している。 福田赳夫内閣時の昭和53年(1978年)4月12日、日中平和友好条約調印のための交渉中、日本側が尖閣の帰属を明記すべきと提案したところ、中国武装漁船団約140隻が尖閣諸島に押し寄せた。政府はこの時、自衛隊機による偵察飛行さえ禁止した。 「中国を刺激してはならない」との判断であった。この結果、条文に尖閣は明記されず、問題は先送りされた。中国はこの時代まで我が国の再軍備を恐れており、この活動は日本の出方を試す手段であったとも分析される。 左翼勢力が金科玉条のごとく引用する日本国憲法こそは、GHQの草案に基づいて制定されたものであり、特に第9条全文は米国の核独占体制でしか通用しないのである。要するに、米軍の庇護の下に成立する憲法なのである。 そして、昭和47年(1972年)9月、沖縄返還協定調印の翌年法制局長官が参議院の予算員会で「個別的自衛権は辛うじて認められるが、他国の防衛までやることはできない」として、明確に集団的自衛権を否定している。これは安全保障関連法が2015年9月19日に成立するまで踏襲されていた。安全保障関連法が2015年9月19日に成立するまでは、米海軍艦艇と海上自衛隊が共同行動中、仮に第三国から米海軍艦艇が攻撃を受けても海自艦艇は応戦できず、現場から即刻退却するしかなかったのである。 さらに、安全保障関連法が2015年9月19日に成立するまでは、北朝鮮や中国が太平洋方面に向けてミサイルを発射した際、日本に照準されたと断定されない限りは迎撃できなかったのである。これでは間に合わず、迎撃のチャンスを逃してしまうことになる。 ただし、この点に関して言えば、現在の安倍晋三政権は今年平成27年(2015年)5月14日に、集団的自衛権の行使を限定容認する閣議決定をした。そして2015年9月19日に安全保障関連法が成立したので、間違いなく大きな前進と言える。 平成8年(1996年)3月8日、第3次台湾危機の際、中国軍が発射したミサイルが与那国島北方50`沖に着水した。漁業で生計を立てる島民は、恐怖のどん底に陥った。当時、与那国漁協組合長であった尾辻吉兼(平成11年5月に町長就任、2期5年担当)は、「米国は空母2隻も派遣してくれているのに、なぜ日本政府は護衛艦1隻も派遣してくれないのか」と、憲法上の不備を的確に批判していた。尾辻は町長就任中、与那国島への米軍の誘致活動を密かに行っていたのである。 我が国の防衛費は、平成22年度で4兆7千億円、国民総生産の1%未満、子供手当ての5兆円よりも低い。これに対し、中国の防衛費は約7兆2千億円(宇宙兵器開発費は別項目)、過去十数年間、毎年2桁増で推移しているのは周知の事実だ。今、中国は日本を照準にした核弾頭が少なくとも130基あると推定されている。 中国は我が国に対し、歴史教育をはじめ閣僚による國参拝に反対するなど、したたかに内政干渉を行っている。これほどまでに干渉されても対抗しない日本国民は、独立を放棄したとも受け止められかねない。 米国は現在、テロ戦争で国費を消耗し、独立主義に陥りつつある。果たして、今後予想される日本有事の際、米国は自国の安全を危険にさらしてまで、救いの手をさしのべるだろうか。我が国は主体的な防衛努力を行うとともに、憲法改正を行い、「交戦権」、「集団的自衛権の行使」を明記すべきである。 ところで、我が国の保守派の中には、日米安保破棄を主張する向きも少なくない。しかし、東日本大震災で得た以下2点の教訓から、日米安保条約の有益性はかえって増大していると言えよう。 1.我が国は国土の縦深性がないため、大規模災害や原子力発電所放射能漏れ事故等が発生した際に、国土利用の選択肢が制限される。これでは、敵対国から奇襲攻撃を受けた際、早期の復旧対処は極めて困難である。また、核シェルターが1基も整備されていないのである。 2.自衛隊の輸送能力が脆弱で、空自の保有する輸送機C1の1機あたりの積載容量が米軍主力輸送機の4分の1で、また保有機数も12機と少ない。 海自の上陸用舟艇も、米海兵隊並のトラック8台を積載できる容量を持ったものがない。この点、震災救援の際に孤立した被災地、離島への物資輸送は米空海軍、米海兵隊に大きく依存した。 次に、我が国独自の継戦能力についてであるが、以下の2点が指摘される。 1.防衛費の削減によって装備のメンテナンスも困難を極めているが、さらに深刻なことは、自衛官の新規採用を手控えたために平均年齢が35歳と高齢化していることである。特に、地上戦闘や災害救援で必要不可欠な若年兵が不足しているのだ。 対照的に、中国は平成13年に「国防教育法」を制定、中国全中学生以上に軍事教練を開始している。これは国防動員法と相まって、国民皆兵が定着しているのである。 2.弾薬庫は米軍のそれに間借り状態である。仮に独自の弾薬庫を創設維持しようとしても、現行の法体系では、それの警備をこなすだけの武器使用が厳しく制限されている。また、弾薬の備蓄も僅少で数日程度の継戦能力しかないのである。
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