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NHKの反知性主義、ここまできたか?!
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2015-10-25 八木啓代のひとりごと
数日前、たまたまつけたテレビで流れていたNHKの朝の放送「あさイチ」をなんとなく聞いていて、耳を疑った。
ある子供から「なんで人は平等じゃないの?」と質問されて困ったというエピソードの紹介から、出演者たちが、次々に、「平等イコール幸せという考え方がちょっと違う」「自分が好きなことできればそれでいいと思っている」「誰でもが金持ちになりたいわけじゃないし」
と、いかにも、「平等」が、良いものではないことであるかのような会話につながり、しかも、出演者が皆、それに同調し、そのまま、そういった意見を肯定するかのような形で、終わってしまったのだ。
いや、ちょっと待てよ。
それ、根本的に違うんだろ。
とツッコミを入れたのは、私だけではあるまい。
そもそも、平等というのは、フランス革命の理念でもある。というか、ギリシアの民主主義の伝統を汲む、近代社会の根本をなす概念である。
法の下の平等、男女平等といった言葉でわかるように、人種・性・障害・民族文化・出自といった、「本人にとって選択することができないような不当な理由によって、不当な差別や迫害を受けない権利」のことである。「人種・性・障害・民族文化・出自などの違いにかかわりなく、人間としての価値に違いはない」という思想のことである。
間違っても、「Aさんは金持ちで、Bさんが金持ちでないのは、不平等」というような低レベルの概念ではない。「Aさんが金持ちであり、Bさんが金持ちでなかったとしても、Bさんが、金持ちでないことを理由に、同じ国民として、不当な扱いを受けることがない」権利のことである。
言ってみれば、普通選挙権も、国民健康保険も、この「平等」の原則によるものである。
逆に言えば、平等を否定するということは、人種差別や男女差別などを肯定するということだ。
つまり、「平等イコール幸せ」もへったくれもなく、「誰でもが、人間としての最低限の幸せを追求する権利を保障する」ことが「平等」なのであり、「身分や性別などによらず、誰でもが、自分が好きなことができるべき権利」が「平等」なのである。
言うまでもなく、「誰でもが金持ちになりたいわけではないから、平等はおかしい」というのは、根本的な誤りであって、「金持ちになりたいわけではない人でも、その生き方(職業選択の自由)を選ぶ権利を保障される」ことが「平等」である。
しかし、実際には、人間は平等ではない。
先進国の裕福な家庭に生まれた子供と、貧しい国で貧困家庭で生まれた子供では、明らかに機会は均等ではない。
だからこそ、平等を目指すという理念によって、近代社会は、より良い社会を作ろうとしてきた。
その中で、選挙による民主主義政府という概念が生まれ、人種や男女や平等を求める声が生まれ、教育の差別をなくし、法の下の平等という理念で司法が運営されるようになってきたのだ。
不完全でないから、よりよいものを目指すということが重要なのであって、だから、子供が、飴が全員行き渡らなかったという理由で、「なんで平等じゃないの」と訊ねたら、正しい答えは、「平等であるべきだけど、できなかったから、それは残念なことだ」と応えるべきなのである。
言うまでもなく、「Aさんが美人だけど、Bさんが美人じゃないのは、不平等」というのは間違った用法である。それは「不平等」なのではなくて「不公平」にすぎない。
ましてや、「個人の自由を尊重せずに画一化する」ことは「平等」の本来の理念ではない。
そういった基本中の基本のことを、この番組で、いちおう哲学教授を名乗る人物が登場していながら、「それ、定義を勘違いしてますよ」と指摘もしないし、そういったレベルの低い誤解を放言させ、しかも肯定的に放映してしまうところに、救いのない気持ち悪さを感じたのは、私だけだろうか。
反知性主義、ここまできたか、という感じである。
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