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研究 ドン・森喜朗の金脈と人脈
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FRIDAY 2015年10月22日(木)22時56分5秒 東京新報
安倍首相が唯一頭の上がらない男 東京五輪を仕切る超権力はどこから来るのか
FRIDAY
日本代表の快進撃に沸いたラグビーW杯。ロンドン郊外のトゥイッケナム・スタジアムで9月18日に行われた開会式にはウィリアム王子やキャサリン妃、キャメロン首相らセレブが顔を揃えていた。
「当日、スタジアム内のVIPルームでは世界のラグビー関係者がワイン片手に歓談していましたが、森喜朗(よしろう)元首相と元経団連会長の御手洗冨士夫氏、前JSC(日本スポーツ振興センター)理事長の河野一郎氏ら日本人グループは隅っこに陣取り、固まっていました。御手洗氏も河野氏も森氏と親しい"側近"ですが、何もこんなときまで密着しなくても(笑)」(テレビ局スタッフ)
新国立競技場の建築費高騰→白紙撤回問題に五輪エンブレムの盗用騒動と、失態続きの東京五輪。下村博文氏は文科相を、河野氏はJSC理事長をそれぞれ引責交代したが、辞任どころかますます存在感を増しているのが東京五輪組織委員会会長の森氏だ。後任の文科相には森側近の馳浩氏、JSC理事長には早大ラグビー部OBの大東和美氏が指名された。
「安倍晋三首相が森さんを交代させられないのは、森内閣で’00年に官房副長官に抜擢され、総理への足掛かりをつくってもらった恩義があるからです。常々『自分の政治の師は森先生と小泉先生』と言うのは、そのためですよ。頭が上がらないのです」(政治解説者・篠原文也氏)
新国立競技場の建設計画を白紙撤回する際も、安倍首相は赤坂の料亭で森氏に会って、仁義を切っている。
「小泉純一郎元首相以後、累計10年以上にわたって政権を握る清和会を率いていた森氏の影響力は大きいよ。東京五輪が決まったことで文教族の森氏の影響力はさらに強まった」(旧経世会幹部)
歴代首相に顔がきく人脈。後述するような資金力。さらには巨体に似合わぬ細やかな気遣いで独特の地位を築いた森氏。その権力の源泉はどこにあるのか――。
■ウラ技で早大入学
森氏のサクセスストーリーを語るうえで、外せないのがラグビーだ。
出会いは小学校5年生。実父でOBの森茂喜町長の招きによって、早稲田大学ラグビー部が石川県根上(ねあがり)町(現能美市)で合宿を張ったのがキッカケだった。茂喜氏は9期連続町長を務めた地元の有力者。森家に寝泊まりした監督・コーチと交流し、金沢の旧制第四高等学校(金沢大の前身)で早慶戦を観戦して、森少年はラグビーにのめり込む。自分の学力では、早稲田に入れないことをわかっていた森氏は、早大ラグビー部監督の大西鐵之祐氏の東京の自宅を訪ね、直談判した。
〈自分の力で入ったわけではないが、不正に裏口入学をしたわけでもない。(中略)当時は体育局の推薦をとることができれば、点数に下駄を履かせてくれたようである〉(森喜朗著『あなたに教えられ走り続けます』より)
早大に合格、憧れのラグビー部に入部したが、たった4ヵ月で退部してしまう。
「夏の菅平の合宿に行く前に胃カタルになって辞めたんです。当時、たくさんいましたよ、練習についていけなくて脱落する部員が……。早大ラグビー部では辞めた人はOBと言わないんだけど、森さんは元首相ということで『名誉OB』になっています」(早大ラグビー部OB)
退部後、故郷・根上町の隣町の出身で当時、早大大学院に所属していた横山樹(たつき)氏の強い勧めで雄弁会に入った。雄弁会の同級生で、通産大臣などを歴任した深谷隆司氏が回顧する。
「ラグビーばかりしていたので人前で話したこともなく、話し方もわからない、と言っていましたね。体は大きかったけど、おとなしい性格で友達は多かった」
就職活動でも人脈をフル活用。当時の財界四天王のひとり、国策パルプの水野成夫会長の知遇を得て、水野氏が社長を務めていた産経新聞社の内定を貰った。就職試験で白紙の答案を出したと森氏は著書で告白している。
今松治郎衆議院議員の秘書をへて’69年の総選挙に出馬。自民党からは公認されなかったが、2代前の首相・岸信介の応援により、当選を果たした。岸元首相が駆けつけたのは、今松氏が岸に私淑していたためだが、30年後、森は岸の孫である安倍晋三氏を要職に抜擢して「恩返し」した。
財界にも若くして人脈を築いた。キーマンは、地元石川県発祥の世界的建機メーカー、コマツの元社長、片田哲也氏だ。
「片田さんが森さんにウシオ電機の牛尾治朗会長らを紹介して『森の会』が結成されたんですよ。名を連ねていたのはセゾングループの堤清二元代表やアサヒビールの樋口廣太郎元会長ら錚々たるメンバー。そのほかに森さんの故郷・根上町の地名からとった『ねあがり会』があって、ここにも牛尾会長、セコムの飯田亮(まこと)最高顧問、伊藤園の本庄正則元会長ら大物が加わっていた」(自民党ベテラン秘書)
財界との太いパイプはいまも健在。それは森氏の資金管理団体「春風会」が発行する機関誌を見れば一目瞭然だ。
「見開き2ページでコマツや大成建設などの大企業が広告を出しているほか、巻末には地元企業の名刺大広告がズラリと並んでいる。今年6月、早稲田の後輩の下村元文科相が新国立競技場建設計画の白紙撤回を伝えたとき、森さんは烈火のごとく怒ったそうです。新国立は当初計画では大成建設が中心になって造るはずだった。ちなみに森さんが議員を退いた’12年の政治資金収入は1億4015万円。これは安倍首相の2億5674万円には及ばないものの、同年に引退した鳩山由紀夫氏(7522万円)と比べるとはるかに多い。いまでも清和会ではトップクラスです」(地元紙政治部記者)
■病室に届いた大きな鉢植え
お世話になった人にはとことん尽くす。その細やかな気遣いが、人脈と金脈をつくった。記者が続ける。
「以前、ある番記者が胃がんで入院したとき、森さんから病室にお見舞いの花が届いた。普通、入院見舞いの花は『根が付く』といって鉢植えを避けるものですが、届いたのは大きな鉢植えで、1週間ごとに3種類の花が次々に咲く凝った鉢植えだったそうです。長期入院になることを見越して送ったもので、その記者は森さんの心くばりに感激していました」
森氏は’00年、小渕恵三氏の急逝後の「密室謀議」で青木幹雄氏らから「あんたがやんなさいよ」などと言われ、首相になる。しかし、「日本は天皇を中心にした神の国」「(無党派層は)寝ていてくれればいい」といった失言で、支持率を劇的に下げた。
現在、78歳。首相どころか議員からも引退し、フリーハンドになった森氏は新国立問題でも「生ガキみたいなデザインで嫌だった」などと相変わらず放言し放題だが、そのクビに鈴をつけられる人物は、政界には見当たらない。
「唯一、トラウマとなっているのが息子の祐喜さんの一件でしょう。秘書をしていたが、『せめて代議士にしたい』という奥さんの強い希望で石川に戻り、第一歩として県会議員になったのですが、飲酒運転が発覚して辞任。’11年に急死した。森氏は『政治家にしたからだ』と自分を責めていました」(自民党代議士秘書)
五輪エンブレムが撤回された翌日、都内のホテルで行われたパーティーで森氏はこんなスピーチをした。
「前回の東京五輪のとき、自衛隊の飛行機が空に五輪の輪を作るという話があって、皇居広場まで見に行った。空が真っ青だった。4年前に亡くなったせがれはその年の10月15日に生まれた。いま私は78歳、5年後のオリンピックで83歳だ。それまで元気でいられるよう歩いてウエイトを減らそうと努めている。食事を減らしたが、なかなか100kgを切らない」
森氏に東京五輪組織委員会会長を辞める気は、さらさらなさそうだ。
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