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満州で銃を突きつけられた宝田明氏
宝田明「戦争は絶対拒否すべき。安倍さん、白旗あげなさい」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151022-00000020-pseven-ent
SAPIO2015年11月号
昨年12月3日、NHKの夕方の情報番組「ゆうどき」に出演した俳優・宝田明氏は、『ゴジラ』出演時などの思い出とともに、幼少期を過ごした旧満州(現・中国東北部)のハルビンでのソ連軍の侵攻や、命からがら日本に引き揚げるまでの体験を語った。そして、「戦争は絶対に起こしちゃいけない」というメッセージはネットでも大きな反響を呼んだ。ノンフィクション作家の佐野眞一氏が、満州からの宝田氏の過酷な引き揚げについて聞いた。
〈宝田一家に帰国の目途がついたのは、敗戦の翌年末だった。満鉄で北京と旧奉天(現・瀋陽)のほぼ中間にある葫芦島まで行き、そこから日本行の船に乗り込んだ。宝田家はそのとき可愛がっていた犬を家に置いてきた。〉
「犬は連れていけませんから、みんな饅頭の中に青酸カリを入れて食わしたんです。すると5秒もしないうちに痙攣を起こしてひっくり返る。食べたばかりの饅頭をぶわっと吐き出したかと思うと、それっきり、もうぴくりとも動きません。でも我が家の犬にはそんなことできなくて、石炭箱の中に食料と水をたっぷりやって置いていったんですが……」
〈ハルビン駅から満鉄の列車に乗ったのは、夕闇迫る頃だった。これでハルビンともお別れだと宝田がぼんやりホームを見ていると、犬がホームに駆け上ってくるのが見えた。〉
「それがうちの犬だったんです。犬は列車の窓をずっとのぞきこみながら歩いてくるんです。犬の嗅覚は人間の八千倍鋭いといいますからね。僕は見つからないよう窓を閉めて、体を伏せてね。僕が列車の最後尾に行って見ていると、犬も列車を追ってタタタタって走ってくる。たまらんかったですよ」
〈引き揚げの混乱の中で、宝田家は中学3年の長兄を見失った。満州を去るとき、その長兄宛に「私たちはここに帰ります」と新潟県北端の日本海に面した村上市の本籍を書いて、ハルビンの駅頭に貼りだした。途中停車した駅ごとに、同じ張り紙を掲示した。
帰郷してからは、母親が新潟市まで魚の買い出しに出かけ、村上の道端で「はい、ホッケいかがですか、タラいかがですか」と客を引くのが、宝田家の生業になった。〉
「あるとき、牡丹雪が降りしきる中、黒い人影がふっと近寄ってきた。髪の毛はぼうぼうで、人相が悪く、軍隊のオーバーを着ているんです。よく見ると、それがはぐれた兄貴だったんです」
〈長兄はソ連軍に捕まった後、石炭運びやロバの代わりに自分が石臼をひいてもらったなけなしの金をはたいて、密航船を雇い、九州の見知らぬ浜辺まで漂着した。そして自分を見捨てた家族を恨みながら、日本海沿いの寂しい道をとぼとぼ歩いて村上まで来たという。「砂の器」と「レ・ミゼラブル」を足したような壮絶な話である。
宝田は最後に言った。〉
「日本には戦争放棄という世界に冠たる大法典があります。アメリカに対しては経済も協力しましょう、国債もうんと買ってあげましょうでいいんです。だけど、戦争に関しては絶対拒否すべきです。だから僕は安倍さん、もう白旗をあげなさいと言っているんです。その方が、歴代の総理の誰よりも立派な人だった、と後世の人から絶対尊敬されます」
〈物言えば唇寒しの状況が進行する世の中で、これだけのことが言えるのは立派である。 まさかミュージカルスターから憲法の話が出てくるとは思わなかった。この男、やはりただの二枚目俳優ではなかった。戦争の悲惨さとインタビューの醍醐味をたっぷり感じさせてくれた1時間半だった。〉
◇
宝田明氏 旧満州でソ連兵に銃口を突きつけられた経験を回顧
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151021-00000002-pseven-ent
SAPIO2015年11月号
昨年12月3日、NHKの夕方の情報番組「ゆうどき」に出演した俳優・宝田明は、『ゴジラ』(1954年)出演時などの思い出とともに、幼少期を過ごした旧満州(現・中国東北部)のハルビンでのソ連軍の侵攻や、命からがら日本に引き揚げるまでの体験を語った。その際の「戦争は絶対に起こしちゃいけない」というメッセージはネットでも大きな反響を呼んだ。ノンフィクション作家の佐野眞一氏が、満州時代の思い出について聞いた。
〈ハルビンにソ連軍が侵攻してきたのは、“玉音放送”が流れて1週間後の8月22日だった。さすが日本を代表するミュージカルスターである。ソ連軍侵攻の様子を身振り手振りを交えて語る宝田の「仕方話」は無類の“エンターテイメント性”があった。〉
「戦車に乗ったソ連の兵隊たちは、全員坊主頭で『シャンゴー、シャンゴー』って言いながら、喉に指を立てるんです。どうやらウオッカくれということらしいんです。すぐ家に帰っておやじの飲み残しのウオッカをもっていくと、がぶがぶって飲んでばかりいる。満州人はその周りで、大きな赤旗をなびかせ、スターリンとレーニンの肖像画を掲げあっている。各種民族入り乱れてめちゃくちゃな状態でした」
──ソ連軍の先頭部隊は粗暴な囚人たちで、女性と見るとその場で押し倒して強姦したといいますね。
「あるとき、満鉄の社宅前で、マンドリン銃をぶらさげたソ連兵が、社宅に入ろうとしていた奥様の髪の毛を引っ張っているところに出くわした。もう胸はどきどきして、何もできないんです。
それでも何とかソ連人憲兵のいる交番まで行って、助けを求めた。『カピタン(署長)、パジャールスタ(助けてください)』と言いながら、現場に引っ張っていくと、もう奥様は下を丸裸にされ、2人の兵隊がズボンをおろして行為の真っ最中だったんです」
──1人の女性が2人の兵隊に?
「その奥様はそれから1年半後、何とか博多に引き揚げましたが、精神がおかしくなってご主人に手をひかれてやっと上陸しましたけどね。ああいう場面を見てしまうと、当然、ソ連憎しという気持ちになります。ひいてはソ連という国全体も否定することになってしまう。だから戦争は、結局憎しみの連鎖しか生まないんです」
〈食事中の宝田家の社宅に無言で入ってきたソ連兵が、電熱器やラジオ、母親の化粧品まで盗んでいったこともあった。その兵隊の腕には盗んだ腕時計が何個もまかれていた。〉
「すると僕の後ろに立っていたソ連兵が、耳の後ろに銃口を突きつけるのが見えたんです。あの冷たい銃口が顔にあたった感触は今でも忘れられません。いくら歯を噛みしめても、歯の根があわないんです」
〈宝田にはソ連兵に下腹部を撃たれた傷跡もある。敗戦後、貨車で連行される日本兵を遠巻きに見ていた際、突然、ソ連兵に銃撃されたという。後に分かったことだが、ソ連兵が使用していた銃弾は、通称“ダムダム弾”と呼ばれ、現在、人道上の見地から使用禁止となっているものだった。鉛で出来た弾頭が体内に入って砕け散るため、対処が悪いと人間の体を腐らせてしまう。〉
「撃たれた瞬間はわかりませんでした。でも家に帰ると、突然下腹部が熱くて熱くてたまらなくなった。服を脱ぐと、下腹部が血だらけの真っ赤っかなんです。
翌日、ひげの生えた元軍医さんがやってきて、僕の両手両足をイカを干すみたいに天井から縛り、『お母さん、裁ちばさみを焼いて持ってきてください』というんです。元軍医さんは、その裁ちばさみをぶすっと刺して、患部をじょきじょき裂き始めた。当然麻酔なしですから、もう失神寸前でした」
〈その傷口は今でも痛むという。〉
「特に前線が通過すると痛みます。だから僕の天気予報は気象庁以上に正確です(笑)」
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