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「希望の光をまだ見ぬ絶望の世代は、いつだって前を向くことに長けています」――SEALDsわかこさんが「10.18安保法制に反対する渋谷街宣」でスピーチ!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/271356
2015.10.21 IWJ Independent Web Journal
『もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外にはなにもする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ』——。
2015年10月18日、学生からなる団体SEALDsが主催した「安保法制に反対する渋谷街宣」で、スピーチを行なったSEALDsの中心メンバーのわかこさんは、その冒頭でヒトラーの後継者とも言われたナチ党の政治家で軍人であったヘルマン・ゲーリングの言葉を引用した。
実名も顔も隠すことなく、国民主権と立憲主義を訴え、安保法制に反対してきたSEALDsのメンバーに対して、SNS上では顔を隠し名前も伏せた複数のアカウントから、目を疑いたくなるような罵詈雑言を執拗に浴びせられる場面に遭遇した方も多いだろう。
わかこさんがステージに上がると、「がんばれ!」と声援が上がる。彼女は微笑んでその声に応えた。
「言葉を紡ぐという行為を、無礼なまでに放棄した、そんな人々の話す、くぐもったそれら(言葉)は、私の肌にいつしかぴたりと張り付き、呼吸をさまたげるのに十分だった」
苦悩した体験を打ち明けたわかこさんだが、「希望の光をまだ見ぬ絶望の世代は、いつだって前を向くことに長けています」と、力強く顔を上げた。
わかこさんのスピーチを以下に全文掲載する。
【スピーチ全文掲載】「希望の光をまだ見ぬ絶望の世代は、いつだって前を向くことに長けています」――SEALDsわかこさんが「10.18安保法制に反対する渋谷街宣」でスピーチ!
■日本でも日常的に遭遇する――ヒトラーの後継者、ヘルマン・ゲーリングの狡猾な教え「平和主義者は愛国心に欠けていると非難さえすればよい」に、つき従うかのような一部の日本人の言動
「皆さん、こんにちは!SEALDsのワカコです。今日はよろしくお願いします!
▲SEALDs中心メンバーのわかこさん
『もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外にはなにもする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ』
これはドイツの政治家、ヘルマン・ゲーリングの言葉です。この言葉に異様なまでの親近感を感じてしまう。それは果たして私だけでしょうか。
2年前のこの時期、私は特定秘密保護法に反対する意を示すため、初めて路上に立ちました。それまでデモなんて自分の生活の中にはどこにもなくて。けれど、そのとき私が肌で感じたその違和感に抗うことができず、私はそれらを生活のなかへ受け入れることを決めました」
■「戦争へ加担する可能性を高める法案に黙っていられるほど、自分の未来に無責任でいられない」
「あっという間に月日が流れ、1ヶ月前の9月19日、安保法制は成立しました。国民の過半数が、説明が不十分だと感じている、そんな安保法制が違憲立法であることは、すでに周知された事実です。
私は戦争へ加担する可能性を高めるこの法案に対し、押し黙っていられるほど、自分の未来に無責任でいることなどできませんでした。
今回安保法制に対し反対の声を上げていくなかで、私の手元にまず初めにやってきたもの、それは圧迫感でした。どうしてか、とにかく息が苦しくてしかたない。
それは安倍政権が行なう政治そのものが、私にとって、一国民である私にとって、非常に恐ろしいほど抑圧的だったからです。そして、それは政権の行なうことについてのみの話ではありませんでした」
■「私たちは、情報を疑うことに未熟で、忘れることに長け、言葉を紡ぐ行為を無礼なまでに放棄した」
「先日、ある一人の漫画家が、シリア難民問題へ、最悪のリアンションを起こした7人のうちの一人に選ばれました。おのれの排外主義と、歪曲した解釈をもとにかかれた、その難民の少女の絵は、主に海外で広く取り扱われました。
町の公園で暮らすホームレスは排除され、金銭的余裕がなく風俗店に勤務する女子大生は、自分が貧乏なのに進学したことは罪だと言い、人びとはいつだって帰れるはずの場所だった、そんな場所であった故郷を永遠に失い、今もなお苦しみ続ける、そんな人びとが同じ土の上に立っていることを忘れ、町なかの本屋のウィークリーランキングのコーナーには、根も葉もない偏った内容のヘイト本がずらりと積み上げられ、人びとはその情報を、疑うことなく、するりと飲み込み、眼の色を曇らせていきます。
私たちは、疑うことに未熟であったばかりか、忘れるということに長けており、さらには、言葉を紡ぐという行為を、無礼なまでに放棄した、そんな人びとの話すくぐもったそれらは、私の肌にいつしかぴたりと張り付き、呼吸をさまたげるのに、十分でした」
■法案成立後「なにを成し遂げたのか?」と繰り返し聞かれた――「そんな短期間に社会を変えられるのであれば、世界中の差別、貧困、戦争は来年には消えてなくなるだろう」
「法案成立後、何が変わったのかと、何度も何度も聞かれました。まるでなにかを成し遂げたかのように、結果を、そして成果を求められました。
私自身が自分の声で、そして、自分の足で、民主主義そのものに賭けたのは、わずかたったここ2年の話です。『そんな短いあいだに社会を大きく変えられるのであれば、今なお世界中にはびこっている、差別や、貧困や、そして、戦争は、来年には消えてなくなるでしょう』とお答えしました。そうです、社会はそう簡単には変わらないんです」
■「歴史の教科書の片隅にもならないような多くの誰かが、日本国憲法の保証する、自由と権利を固持するための不断の努力を積み重ねてきた」
「70年間、日本はどこの国とも、血を交えることなく、平和を保ち続けてきました。しかし、それは、憲法がただそこにあったから、ただそれだけの話ではありません。いつだって、どこかで、誰かが、日本国憲法の保証する、自由と権利を固持するための不断の努力、それを積み重ねてきたからこそ、今があると思っています。
声をあげることは、そしておかしいことに『おかしい』と言うことは、決して特異なことではなかったはずです。歴史の教科書の片隅にもならないような誰かが、そんな多くの誰かが、ずっとならし続けてきたその道の上に、今私はこうして立っています」
■「希望の光をまだ見ぬ、そんな絶望の世代は、いつだって前を向くことに長けています」――「これから明るくなるしかない」
「日本は民主主義で国である以上、いつかその順番は回ってきます。今回こうして、廃れきった社会と、荒れ狂った政治は、思わぬタイミングで私にバトンを回してきました。私たちの番なんです。
その道をならし続けることは、決して簡単なことではないでしょう。しかし、私はその役目を喜んで引き受けることができます。なぜなら、私は思考することを放棄しないからです。そして、この国の未来に対し、極めていつだって真剣であるからです。
希望の光をまだ見ぬ、そんな絶望の世代は、いつだって、いつだって、前を向くことに長けています。これから明るくなるしかない。そんな場所に立ち続けて、やっと掴みかけたその淡い光を、手探りで、しかし確かに、つなげることを諦めることなく、続けてきました。
そんな灯りの火種をまた一つ、時の政権と、そしてその暴挙を許した社会に踏み潰されてしまったのだけれど、私はもうその暗さを、恐れる必要もないということも知っています。
あるべきものを、守り続けるために、何度でも何度でも諦めることなく進んでいく。それは、絶望の世代のなによりの強さに違いないでしょう。
■正義への敬意を捨てず、想像し、思考することを放棄せず、前を向き続ける
こうして集まった不断の努力を体現する、そんなすべての人達へ、私は感謝と敬意を述べたいと思います。いつだって、どこだって、民主主義は、そして平和は、こうやって紡がれてきたのです。
社会をよくするために英雄になる必要なんてありません。正義への敬意を捨てず、想像し、思考することを、放棄せず、そうして前を向き続けること、たったそれだけのこと、ただそれだけのことを続けるだけのことなんです。
わたしは30年後の未来で、戦後100年という言葉が、当たり前にそこにあることを望みます。私はそれを信じています。そしてそのための努力を続けていくことを、ここに誓います
2015年10月18日、私は安保法制に反対し、安倍政権の退陣を求めます。ありがとうございました」
(写真 原佑介、記事 青木浩文)
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