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デモや集会は有効な手段か?
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2015-10-20 反戦な家づくり
シールズの集会にやっかみ半分で文句をつける連中の「デモなんて」という台詞と同じだと思わないでもらいたい。
私は集会やデモにはできるだけ参加するようにしているし、自分でも集会などの主催をしたこともあり、それがどれだけ大変なことかもある程度分かっている。
仕事や家庭と両立させるのは、まったくもって至難の業であり、身も心も捧げるくらいの根性が無いとなかなかできるものではない。
それほどの難事業を、数多の団体がバラバラにやっている現状は、オカシイんじゃないか、と言いたいのだ。
私の回りでもいろいろな情報が飛び交うから、集会やら学習会やらデモやら街宣やらが、実にたくさん企画されているのを毎日のように目にする。私の知っているのはまだ氷山の一角で、もっともっと多くの企画がなされているのだろう。
奇しくも産経新聞がデモ参加者をくさするためにやった世論調査で、なんと400万人余もの人々がデモや集会に参加したらしいということが分かった。ものすごい数である。
この人数が、まとまって抗議すれば、さすがの安倍晋三も震え上がったかもしれない。
しかし、残念ながら、この人数は数々の、実に星のように全国に散らばるバラバラの運動に、バラバラに参加している。
そして、貴重な貴重な「主催者」の面々は、バラバラに100人とか1000人とか1万人とかを集めることに全勢力を使い果たし、口さがなく言わせてもらえば、「よくやった」感にひたっている。
もちろん、全国の「主催者」はよくやっているし、よくやったのだから、私ごときが文句を言う筋合いではないのだが、それでもなお、あえて言わせてもらえば、「止める」という獲得目標からは遠く遠く離れている。
なんでこんな酷いことを言うのか。それは 今全国で「主催者」をやっている人々こそが、この国に暮らす人々の宝であり希望だからだ。
その一筋の光のようなわずかな希望が、気息奄々で力尽きてしまっては困るからだ。
■■
とくに集会は、自己満足に陥りやすい。
同じ意見のものが集まって、同じ意見を言い合って、拍手して気勢を上げる。
1年に1回くらいは、たしかにこうした内輪の決起集会も意味がある。
同志の存在を感じて、明日からまた頑張ろうという気になるのは、やはりこうした集会の効用だ。
しかし、毎度毎度このようなことを続けることに、何の意味があるのだろうか??
敵に圧力をかけ、迷っている人たちに参加を促す大集会は、同志的な決起集会とはまったく別物だ。
これは、乾坤一擲、周到に準備して、十分な宣伝をやり、全国津々浦々の運動家の協力をはかり、本当に100万人を集めるつもりでやらなければ、結果的に内輪の集会の延長になってしまう。
デモは集会よりもアピール力はあるけれども、それでもかなりの人数を集めなければ、注目されることもない。
そして、それなりの人数を集める作業というのは、それだけでヘトヘトになるような大変な仕事なのだが、その割にアピールが届く範囲はかなり狭い。
労力のコストパフォーマンスで考えると、ものすごく効率が悪い。
街宣は、比較的少人数でデモより大きなアピール力をもっている。
ただし、街宣でのスピーチの技術は、きわめて高度なものが求められる。
通りがかりの人の耳に入る話は、せいぜい1分。このなかで、んっと思わせるスピーチができなければ、やはり自己満足に終わってしまう。
こうして考えてみると、少ない実働部隊で最大の効率を生み出すのは、ポスティングではないだろうか。
チラシを地域の住宅のポストに入れるポスティングである。
全国で「主催」や主催の手伝いをしているような面々が、仮に1万人いたとすると、月に500枚ポスティングすれば、年に6000万枚。なんと、ほぼ全世帯に配布することができる。
完璧な地区割りは難しくとも、それだけの数のポスティングは、やってみる価値はある。
もちろん、費用も1〜2億円かかるけれども、1万人で割れば一人1万円だ。カンパも募れば、十分可能な額である。
そして、何より大事なことは、配布するチラシがバラバラではいけない、ということ。
同じチラシ、同じテイストのチラシが6000万枚まかれることで、これまでは明確な意見を持っていなかった人々の中に「んっ」が生まれる。
自己満足に終わらない、しっかりと考え抜かれたチラシを、統一して配布することが、ポスティング作戦の要諦だ。
街宣より良いのは、全員に同じスキルが求められるわけではないということ。
いいチラシがあれば、あとは少々の時間とやる気があれば、だれでも参加することができる。
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では、そんなチラシがあるのか という話になる。
ある。
PDFファイルはこちらをクリック 永田町恐怖新聞 Vol2
http://www.taro-yamamoto.jp/wp-content/uploads/2015/09/99e8d0d41ab0b01e252b88afd3a3b4a5.pdf
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前にも紹介したが、山本太郎さんの「永田町恐怖新聞」だ。
立憲主義をなんたら とか 憲法違反がどうたら とか小難しい言葉を使わずに、お金の話につなげつつ書いている。
「自分が言いたいことを書く」ではなく、「どうやったら読んでもらえるか」を考え抜いたチラシになっている。
このたまらない泥臭さに、拒絶反応を示す人もいるだろう。
そんな方は、では自分で作ったチラシがどれだけの(同志以外の)人に読まれたのか、振り返ってみるといい。
たぶん、ほぼゼロだろう。少なくとも、私は自分でそう思っている。
インテリや、昔全共闘などではない、選挙には行かないとか、行くけどいつも迷っている人たちに、訴える言葉を持っているのは、私が知る限りでは、山本太郎さんだけだ。
「うんうん」という1800万人の反自公派のうなずきは、とりあえずもういい。
「んっ」という2500万人の流動票の気づきを目指そう。
というわけで、具体的な行動提起として、私は「永田町恐怖新聞」、または主催を拡大した同様のチラシを、全国で統一してポスティングする作戦を提唱したい。
そこから、また次の作戦が派生してくるだろう。
(ということで、続きはまた後日)
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